私が愛したシェルティの生涯
昔、家ではシェットランドシープドッグ、略称シェルティのオスを飼っていた。
まだクソガキ真っ盛りの園児の頃にお迎えしたのだが、ドジなこいつはドアの間に足を挟み込んでお迎え即入院したつわものである。ある意味弱者である。
仮にこの子をシェリーとして、シェリーは父親のげんこつによる教育(虐待スレスレ)により、トイレの場所を覚え、無駄に吠えないことを覚え、食べていいものを覚えた。
父は特に世話には関わってこなかったので私が主に面倒を見ていて、毎朝毎晩の餌やりとブラッシング、夕方の散歩を担当していた。
ただしガキに犬を洗うとかの大きな仕事は出来なかったので、そこだけは父がしてくれた。
シェリーは賢い犬だった。
父の教育も一度で何がダメかをすぐ学んでいたし、エサをエサ皿に入れて水を取り替える間もお座りをして待てていた。
教えた覚えもないのに待てができていたのだ。
散歩も、リードを引っ張ってあっちこっちに行こうとはしない。
私から離れることはほとんどなく、用を足す時だけちょっと距離を置いた。
他の犬の散歩に鉢合わせても、私を見て、犬を見て、を繰り返して「行きたい!」と主張してくるのみで、飛びついたりはしなかった。
犬との交流も控えめで、遭遇する飼い主さんたちからはおとなしい子だねと言われたが、そんなことはない。
私が幼稚園や学校から帰るとぴょんぴょん跳ねて大喜びし、足にスリスリしてきていた。
シェリーは外面のいい優等生だった。
シェリーは大層立派な胸毛を持つ犬だった。
記憶にあるシェリーはいつでも胸を張っているかのような白い胸毛が特徴的で、触ってみるとふかふかとしていて中にすっと手が沈んだ。
その毛並みがいとおしくてブラッシングは欠かさなかった。
胸毛は特にもつれやすかったし、散歩中に草や実がついたりすることが多かった。
常連だったペット用美容室のトリマーさんがシェリーを洗っている時、胸毛を大変頑張って洗っていたので、多分中に汚れは蓄積していた。
誤解しないで欲しいのだが、胸毛以外も立派な毛並みだった。
柴犬のようなショートヘアーではなく、いい感じに長い毛を持つ犬なので、真面目にブラッシングすると三十分くらい掛かった。
その間窮屈かもしれないのに尻尾を振るくらいで受け入れていたシェリーは辛抱強かったかもしれない。
犬の生涯は短い。
私がすくすく育つにつれて、シェリーはちょっとずつ老いていく。
高校に入る頃、シニア用のエサを食べさせるようになり、散歩の距離が減り始めた。
昔と同じ距離を歩かせようとすると、帰り道、もうちょっとで家というところでくたびれてしまって抱きかかえて帰るしかなくなったのだ。
それでも私が学校から帰るとぴょんぴょん跳ねて喜び、うぉんと一声だけ吠えた。
高校の卒業式を終えて、就職先で勤務が始まるまでの短い期間に、シェリーはとうとう起き上がることさえ出来なくなった。
ふるふると小さく震え、寒そうなので、私の毛布をあげていつでも温まれるようにしたところ、匂いを嗅いで柔らかい顔をしていたのを覚えている。
エサも水も、食べきらず飲みきれない。
毛布の上に横になって、静かにしている。
昔は大好きだったほねっこも食べなくなってしまった。
ある日、コンビニに行った帰りに小屋の前に行くと、シェリーは震えながら起き上がってきた。
そして私のすねに体を擦り付け、甘えるような声で鳴いた。
特に冷凍ものも持っていなかったから、買ってきたものを玄関に放り投げてブラシを持ってきて、負担にならないようにゆっくりブラッシングをしてあげた。
シェリーは、ゆっくり、ゆっくり息をして、目を閉じて。
ブラッシングの途中で静かに息を引き取った。
前以て準備していたペットのお墓にシェリーを埋葬してもらった。
家に残ったのはシェリーの歴代の首輪だけで、シェリーにあげた毛布も一緒に燃やしてもらった。
小屋は父が解体して捨てた。
実家に住んでいた頃は、毎年シェリーが亡くなった日に花束を供えにいった。
シェリーは花を見かけると食べるフリをする子だった。
これっ!!と叱ると気まずそうにするが、また食べるフリをした。
賢い子だったのに、花に関してだけはバカな子だった。
だから、もう食べていいよという気持ちでお供えしていた。
実家を出た今は、父が代わりに行ってくれている。
私は携帯にずっと残しているシェリーの写真をしょっちゅう見る。
立派な胸毛を誇らしげにたたえた可愛いシェリー。
私は、二度とペットを飼う気はない。
一生ペットロス