邂逅
吾輩は吸血鬼である。
名をキサラ・ドラゴニカと云う。
始祖様の血を引いた由緒正しき家系の生まれである吾輩。
人間からは大層畏怖され、その血を喰らってきた。
が、人間社会における発展というものは末恐ろしいものである。いつしか吾輩たち吸血鬼は今までの行為が仇となり、人間たちから討伐の対象となってしまった。
まぁこれは仕方のないことだ。甘んじて受け入れざるを得ない。
時が経つにつれて、世界各地に点在した数百の同胞たちは1人また1人と消えていき、残るは吾輩を含め7人しかいなくなってしまった。この頃になると、表立って人の血を吸おうなどといった考えを持つ者は淘汰され、穏便に、己の生命維持のためだけに家畜の血を吸う者のみが生き残った。
ただひとり吾輩を除いて。
家畜の血というものはどうにも不味い。口に入れた瞬間に獣臭さが広がり、肝心の血は雑味ばかりかまるで泥水を啜っているような感覚であった。思い出すだけでも吐き気を催しそうである。
吾輩の身体は家畜の血を拒否したのだ。
となれば人間の血をどうにかして頂かねばなるまい。
血を飲むために手頃な人間を襲ってはヴァンパイアハンターに追われ、また人間を襲ってはヴァンパイアハンターに追われ、また人間を襲っては……その繰り返しでなんとか生き延びてきた。正直ここまで生きてきたのは並大抵の運ではなし得ないことであろう。
だが、どうやら吾輩の幸運も底をついてしまったようだ。
フラリ、と身体が揺れた。
刹那、視界が反転して、重力に身を任せ一気に地上へと落下していく。
悲しいかな、吾輩の人生もここまでだ。
まぁここまで生き延びたところで、人間社会から隔絶された吾輩たちに楽しみなどなかったが。
こんな結末を迎えるならば早いとこ餓死でもしとけば良かったのかもしれない。
遠くなっていく夜空の景色を最後に、吾輩は意識を手放した。
「……うぅ、血が、血が足りないぃぃぃ……」
森の中に墜落したものの死ぬことはなかった。
吸血鬼というものは半不老不死というか、特殊な方法でない限り簡単にに死ぬ事はできないのである。
それこそ血を飲めずに餓死するか、長時間日光に晒され灰となるか、銀の銃弾を急所に撃ち込まれるか……あぁそうだ、吸血鬼には十字架が効くなどという世迷いごとも存在していたな。あれは真っ赤な嘘だが。
吾輩たちは悪魔とは独立した種族であるが故に、悪魔祓いで使用される物具の殆どは効力を発揮することは無い。というか悪魔なんぞ野蛮な者共と一緒くたにされるなど至極心外なことである。
空腹で身動きが取れないからなのかは知らんが、何やら余計なことばかり考えてしまう。
餓死なんてしようにもそうそう上手くはいかないのだな。
これも吸血鬼の異常な生命力のせいなのか。
「……あ”ぁ”ぁ”!!前言撤回じゃ!吾輩は血が呑みたいぃぃぃ!このまま息絶えるなど嫌じゃぁぁぁ!!!!!」
もうどうとでもなれ。
赤子のように駄々をこね、大声で叫ぶ。
何事かと様子を見に来た人間をそのまま襲ってやろう。
幸いにも、吾輩の風貌というのは人の幼子に近しい見た目をしている。心配して駆け寄ってくる大人共などごまんといるだろう。
早くやって来るが良い、吾輩の糧となる不幸な食料よ。
ガサガサと遠くの茂みが揺れる音がした。
落ちた小枝や葉を踏む音がこちらへ向かって近づいてくる。
よし来た。
狸寝入りでもして油断させておこうか。
一歩また一歩と進んでくる気配を感じながら瞼を閉じる。
吾輩の身体に手が触れた瞬間、その首筋に噛み付いてやる。
なんたって1ヶ月ぶりの食料なのだ。
期待で胸が踊らないわけが無い。
うずうずとする気持ちを抑え、足音の主が吾輩のことを見つけるのを待つ。
そいつが吾輩の正面に来たであろう時、こめかみにひんやりとした感触が伝わった。
これは一体なんなのだ。
何か嫌な予感がする。
まさか、いやまさか、そんなはずは……。
「起きろ吸血鬼。このままこめかみに銃弾を打ち込まれたくなければな」
あぁやはりか。
正真正銘、吾輩の運は底をついてしまったようだ。
「ヴァンパイアハンターがお出ましとはな……言っておくが吾輩は他の吸血鬼の居場所なんぞ知らんよ。反撃されるやもしれないことを考えるのであれば、早いところ引き金を引くがよい」
手っ取り早く殺せ、という意を込めて嘲るように言い捨てる。
絶縁状態の同胞共の居場所を吐けと拷問されては適わぬからな。
吾輩は人間の血しか受け付けない故に、生き残った同胞からは蛮族扱いをされ、向こうから関わりを拒んできたのである。思い出すだけで腹が立つ……あの意気地無し共め、何が蛮族か。本来の吸血鬼の在るべき形を否定するお主らとの関わりなんぞ、こっちから願い下げじゃ。
「ふぅん子供みたいな駄々を捏ねていた割には随分と潔いんだね。その瞳の色から察するに始祖の一族なんでしょう?ヴァンパイアハンターに殺されるだなんて一族の誇りに傷がついちゃうんじゃないの?」
先程の威圧的な物言いとは打って変わって、吾輩との対話を望むかのように質問を投げかけてくる。
逸らした視線を、その声の主の元へと向き直した。
その姿は想像よりも若く、艶やかな濡羽色の髪が特徴的な女だった。
「ヴァンパイアハンターなら知っておろうよ、始祖様は数ヶ月前に汝らに討伐された。誇りなんてもの今じゃ無きに等しい。だから早う殺せ」
「本当に始祖は死んだと思ってるの?」
「……何が言いたい」
投げかけられた思わぬ問いに対して、無意識に語気を強めて返す。
この世界では始祖様のみが吸血鬼を生み出すことができる。故に、始祖様はヴァンパイアハンター共通の諸悪の根源とも呼べる敵であり、その居所を追う者も少なくない。いくら我らが吸血鬼もとい始祖様の直系の氏族であろうとも始祖様の行方を知る術はなく、始祖様が討伐されたというのも風の噂で耳に入ったまでだ。事の詳細は吾輩も知らない。
「私はね、疑ってるの。本当は、始祖は討伐されてなんかいなくて、捕らえられているんじゃないかって。捕らえた始祖を利用して何か良からぬ事を企てている輩がいるんじゃないかって」
「大層な憶測じゃな。何か結論づける証拠は存在するのか?」
「いいえ、だから調査してる」
馬鹿馬鹿しい。始祖様がそう易々と人間なんぞの下級種族に捕らえらるわけがなかろうが。吾輩の何倍……いや何十倍も強いのだ。そんなこと起こり得るはずがない。
「単刀直入に言うわ。私、協力者が欲しいの。貴方がなってくれない?」
「……は?」
突拍子もない勧誘の言葉に対して、驚きのあまり目を見開く。
数秒前まで吾輩のこめかみに銃口を突き付けて脅してきた人間に、はい分かりました、なんて従順に了承するわけがないだろうが。
冗談を口にしたのかと思えば、女は至極真面目そうな表情をしていた。
さては、こやつ頭がおかしいのか。
「汝が出会い頭に吾輩にした蛮行、覚えているか?」
「ん?あぁさっきはごめんね。近場に仲間が待機してたら堪んないし、ちょっとブラフかけたくて」
「貴様、吾輩に仲間がおらぬとでも言いたいのか」
「でも実際そうなんでしょ?」
その問いかけに対して否定できなかった。
なんとかしてこの女に一泡吹かせてやりたい、そんな復讐心が心に宿る。
人間から軽口を叩かれるなど吾輩の吸血鬼としてのプライドが許さない。
協力者になると了承し、頃合いを見て寝首を搔くとするか。
人間は情に弱いなど、絆されやすいなどと聞く。
信頼させておけば隙をつけるやもしれぬ。
どうにかして吸血鬼として人間よりも優位に立つための思案を巡らせている最中、女は「あっ!」と口にすると、耳を疑うような提案を持ち掛けてきた。
「そうだ、もちろんタダでとは言わない。貴方が私に協力してくれる限り、私は食糧として半永久的にこの血を提供する。どう?餓死寸前の貴方にとって悪くない条件でしょ?」
思わず、ぽかんと口を開けてしまった。
まじか。
そんな棚からぼたもち的な展開あって良いのか。
女は「味見しとく?」と訊ねると、己の左手首をダガーナイフのようなもので切り付け、その手を吾輩の顔面目前まで差し出してきた。
長らく吸血をすることができていなかったこともあり、なんとも芳醇な香りが鼻腔内に広がって食欲をそそる。滝のように唾液が分泌し、飲み込む度にに喉が鳴った。
その様子を見た女は更に左手首を近付けてくる。
もう我慢ならない。
女の左手首をがっしりと両手で掴むと、一心不乱に傷口にしゃぶりついた。空腹の影響か、自身が経験した食事の中でも一二を争うくらいの甘美な味をしていた。
傷口から溢れ出た血を一滴残らず舐め取るまで、女は痛いだの、もういいだろうだの、と文句の一言も口にせず、ただ吾輩が食事を終えるのを待っていた。
「どうだった?私の血」
「……不味くはないな。まずまずといったところか」
「そっかそっか、契約について少しは前向きに検討してくれるかな?」
「まぁ半永久的に吸血をさせてくれるという条件付きなら、汝の力になってやってもよいが」
今後これまで以上にヴァンパイアハンターの吸血鬼退治は加速していく一方であろう。ほぼ絶滅に近しい状態とはいえ、最後の一人を駆り尽くすまでこのいたちごっこは終わることはない。そんな中で満足のいく食事にありつける保証があるというのは大きい。
この提案を逃せば今まで通り、いやそれ以上に貧しい生活が待っている可能性もある。
故に、この提案は吾輩にとっての頼みの綱になりうる。
「じゃあ契約成立ってことで。私の名前はアズサ・ノースマン、貴方の名前は?」
「キサラ・ドラゴニカ」
「へぇ案外可愛らしい名前をしているのね。もっと畏怖されそうな恐ろしい名前なのかと思った」
「はぁ?失敬な!吾輩の異名を聞いて驚け、かの炭鉱の町アトリエ―ラでは宵闇の……」
「わかったわかった、それじゃあサラちゃんって呼ぶから」
「おい待て人の話は最後まで聞け……というか吾輩は、愛称なんぞという馴れ馴れしい呼び方は許可しておらぬ!」
「いいじゃん可愛くて」
「可愛いからと何でも許されるわけがあるものか」
第一印象の冷徹さはどこへやら、アズサと名乗った女は軽口や冗談を叩くと、年相応の笑顔を浮かべ、豊かな表情を見せた。流石はヴァンパイアハンターというべきか、吸血鬼相手だろうと決して動じることはなく、至って普通に、さも同種の人間相手かの如く会話を続ける。
その様子が何だか可笑しくて、不思議な感覚だった。
人と吸血鬼は種族が違い、交わることなどありえない。そう教育を受け、実際に出会った者はこちらの敵意に関係なくすぐさま離れていった。逃げる間際の顔は皆同じ、恐怖一色に染まった青ざめた表情で、誰一人として自ら対話を望んでくる者などいなかった。
こんな風に話をすることなどあり得るわけがないと、そう思っていた。
「サラちゃんは定住してる住処とかあるの?」
「はぁ……愛称に関しては甘んじて受け入れてやるから、ちゃん付けはよせ。寒気がする。常日頃行方を追われる身である吸血鬼の吾輩に定住先など存在するわけがなかろうよ」
「確かにそれもそうか。じゃあこのまま私の家まで案内するね」
「……?」
自宅まで案内するとは一体どういうことなのか、疑問に思っていると、アズサは何に躊躇いもなく「一緒に住むでしょ?」と投げかけてきた。
吸血鬼と一緒に住む?
いくら自身がヴァンパイアハンターであるとはいえ、その発言は少々迂闊が過ぎるのではなかろうか。というより吾輩自体が、襲われることはないだろう、と舐められているとでもいうべきなのか。
「……お主は吸血鬼と一緒に住んだことがあるのか?」
「え?無いよ。そもそも他人と一緒に住むのも初めてだけど」
余りにも気軽に提案してくるものだから、てっきりシェアハウスの経験があるのかと思ったが。
そも他人と一緒に住むこと自体初めてと言ったか、余計に危機感に対する反応の薄さが心配になってくる。
吾輩が神経質すぎるのか、アズサはどうした?とでも言いたげな表情をしていた。
……あぁ、ここまで来たら流れに身を任せたほうがいいのかもしれない。
吾輩はアズサの同居についての誘いに乗るとともに、自宅への道のりの案内を受けた。
存外、アズサの自宅というのは現在地から近しい場所に位置しているらしく一時間も経たないうちに、その住居までたどり着いたのだった。