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しばらくたわいもない話をしていたが、ふと会話が途切れた。
気がつくと、信人が来てから数時間が経っていた。
「信人、時間大丈夫?明日仕事だろ?」
僕は口を開いた。
「大丈夫ですよ。ねぇ小山さん…」
「ん?」
「鳩、見に行きません?」
僕は信人が一瞬何を言っているかわからなかったが、頭の中で何度か反復し、理解した。
「鳩?この時間に?よく知らないけど鳩って夜は寝てるんだろ?」
「わかってますよ。どうせ小山さん時間持て余してるんでしょ?」
断る理由は無かった。
僕は着替えて、表に止めてあった信人の車に乗り込んだ。
思えば二人で出かけるのは久しぶりな気がした。
そういえば何週間か前、鳩を見に行く約束してたっけか。
野生の鳩は、通常夜に目にする事はできない。夜は活動していないからだ。
僕の家から20分ほどのところに鳩舎があり、信人はそこに向かっているのだろう。
自分の家の近くに鳩舎があるなんて事は全く知らなかった僕は驚いたものだ。
レース鳩ですね、と以前信人は言っていたが、レース鳩というものがどういうものであるか、僕は全く知らなかった。
もともと車どおりの少ない道路に加えて週頭の夜ということもあり、車通りは少ない。二車線の道路はほぼ無人だった。
時折立っている街灯が勢いよく後ろへ消えていった。
「僕ね」
信人が口を開いた。
「僕、ガキの頃、自分の事天才だと思ってたんですよ。何でもできると思ってた」
信人ならあるいは、そんな子供だったかもしれない。
一呼吸おいて、信人は続けた。
「でも、全然そんな事ありませんでした」
わき道にそれて少し車を走らせると、鳩舎が見えてきた。
鳩舎の周りには何も無かった。
道路を挟んで向かい側は住宅地建設の波が津波のように押し寄せつつあるようだったが、鳩舎の側はまだ手がつけられていない状態で荒地が広がっていた。なんだか不思議な光景だった。
月がきれいな夜だ。
鳩たちは寝静まっているようだった。
「この鳩たちって、どんな気持ちなんだろう。何考えてるんだろうな」
僕は何気なく口にした。
「何も考えていませんよ。鳩はバカなんです。そこがいい」
程なく信人は鳩に見入り始めた。僕は仕方なく道路の向かい側に渡り、缶コーヒーを買ってきた。
季節の変わり目で、少し肌寒かった。
缶コーヒーは暖かかったが、しかし味はよくわからなかった。
「小山さん」
「ん?」
「僕はね、将来どこかの田舎で鳩たちと暮らすのが夢なんです」
「それ、叶えたらいいよ」
僕は本気でそう言った。
僕は手持ち無沙汰になって、夜空を見上げた。
ゆっくり夜空を見上げたのなんてどのくらいぶりだろう…星座のことなんて全然わからなかったが、なんだか新鮮だった。いつも僕らの上で輝いているはずなのに。
僕が星座を見上げていたその時、鳥の羽ばたきが聞こえた気がした。
夜に?
僕は不思議に思って夜空を見あげ、目を凝らした。
空には星が輝いているだけで、羽ばたいた主は見当たらなかった。
「なぁ、信人。今…」
「え、なんですか?」
「あ、いや…なんでもない」
きっと、鳩が飛んで行ったんだ。僕は何故だか、そう思った。
僕は夜空に白い鳩が飛ぶ様子を思い浮かべ、白い鳩が描く軌跡を思い浮かべた。
僕はもう一度夜空を見上げたが、やはりそこには何も見えなかった。