物語は続くよ、世界の果てまでも⑤
あの奇妙な夢から目覚めた木曜日。その内容の真偽が何となく気になった僕はその日の夜、Gu中出身のイトコにLINEで二人のことを聞いてみた。まさかそんなことはないだろうと思っていただけに、予想外の返事が来て面食らってしまった。
磐井 珠は、決してクラスの中心や学校の有名人ではなかったが、誰に対しても人見知りせず、ノリも良く、快活な女子グループのリーダー的存在の人とも楽しげに会話しているのを何回か見かけたという。そして、合唱コンクールでは三年連続で伴奏者を務めるなど、目立たない生徒というわけでもなかったらしい。
試しに『落ち着きがなかったり、よく校内でスキップとかしてなかった?』と尋ねると、
『ないない! むしろ普段は大人しくておっとりしてるイメージ。ていうか、今そんな感じなの?』とのこと。
一方の多武 舞奈だけど、口数が少なくて、特定の誰かと仲良くしているところなど見たことない、まさに取り付く島もない人で、他人と足並みを揃える気がない人だったらしい。有名なエピソードだと、一年次、クラスの男子数名があまりにも合唱練に対して不真面目でクラスの空気がギスギスしていた時期に、平然と『練習する意味なさそうだし、続けるなら私抜きでやって』と言ってのけ、それ以来、本当に一度も練習に顔を出さなかったとか。とにかく周りから浮いた存在だったようだ。
『磐井さんと多武さんが一緒にいるとこ見た?』と尋ねると、
『少なくともウチは見たこと無いよ。あ、でも……』
続けてイトコが送ってきたメッセージによると、二人とも片親家庭らしい。
磐井さん家は母子家庭で、父親は定職に就かず、家庭を顧みず夢ばっかり追いかけ、挙句の果てに失踪したとか。
多武さん家は父子家庭で、母親は病気で亡くなったらしい。父親との折り合いが悪く、帰宅が遅かったり、何度も家出を繰り返していたそうだ。
近縁者の中で唯一話をすると言っても過言ではないイトコを疑うわけでは絶対無いけど、噂はあくまで噂。薪になりそうなものを血眼になって集め、それに火を点けて「火のない所に煙は立たぬ」と騒ぐ人間も少なくない世の中だし、このことは頭に留める程度にする。
翌日、金曜日の昼休み。僕がウィキでとあるバンドの経歴を見ていると、
「ソシャゲでも始めたんか?」
「ううん。ちょっと調べものしてるだけ」
「普段ゲームするのか? 俺ん家で対戦ゲーをするぐらいだが」
「全然しない。ハマると多分、マトモな人間生活を送れなくなるから」
それもあるけど、一番の理由はどこかから親に見られているんじゃないかと気が気じゃなくなるからだ。ウメタカとの対戦は楽しいけどね。
ここは『帚木スペース』。自分の教室で昼飯を食べるのが嫌でわざわざ移動する変わり者達が集う空間であり、僕に思い出殺し(メモリー・ブレイカー)の異名がつく原因となった場所でもある。舞空術を使っていないのに校内で浮いている僕は当然として、特段悪評の立っていないウメタカもここで昼飯を食べている。
「ねぇ、ウメタカ、この歌知ってる?」
僕はスマホで、夢の中で流れていた曲を一番だけ流す。
君との甘い日々は溶けさって
涙の塩辛さだけが残る
向かいに浮かぶ弾けた笑顔
料理の湯気と一緒にすぐ消えた
やっと出来た一人分の味噌汁
豆腐は崩れて出汁は全然きいてない
だけどしょっぱさだけは超一流
君を思い出して作ったからかな
似合わないエプロン、危なっかしい手つき
野菜や魚は上手に切れないけど
美味しいって言葉は聞けないけど
この想いだけは消えない
君との甘い日々は溶けさって
涙の塩辛さだけが残る
最後に言ったあの言葉
本音なんて一匙もなかった
夢の中でも後悔して
謝る度すぐに目が覚める
最近買ったテレビの画面
君はもう映らないから点けた
「聞いたことあるな。バンド名が田舎の爺さん婆さんがよく言ってる方言みたいな……」
「『How K root cat?』」
「それだ。確かバンドメンバーが全員、M市出身で」
やっぱり知ってたか。一時期話題になったバンドで、十年以上前は複数の人気アニメのOPやEDを担当していたほどだ。ここ最近は名前を聞かなくなり、調べてみたら七年前に解散していて、リーダーの男性だけがソロとして活動を続けているらしい。
「懐かしいな。何で急にそのバンドを?」
「今日見た夢で流れてさ、他の人は覚えてんのかなぁって気になって」
あの夢が、磐井さんや多武さんの過去を知りたいという僕自身すら気づいていなかった願望と、女子はやっぱりケサランパサランと子犬のコスプレだよね! という謎のフェチが合わさって生まれたものだと考えるのが常識的なのかしら。
でもなぁ……。見えない糸であの夢に僕の意識が引っ張られているような感覚がある。
「難しい顔してどうした?」
「いやね、その夢がさ──」
僕は夢の内容を覚えている限り話した。
「確かに奇妙だが、夢なんてどれもそんな感じじゃないのか?」
「でも、磐井さんと多武さんがオナ中とか知らなかったし」
「風の噂かなんかで聞いたのを無意識下で覚えてたんだろ」
「じゃあ『How K root cat?』は? 二人と何の関係が?」
「わからんが、夢なんだから関係ない要素同士が組み合わさることぐらいよくある話だ」
「そうなんだよなぁ……」
「ところで、今はその本を読んでんのか?」
ウメタカが指で示したのは、昨日運命の邂逅を果たした佳人が、僕のために選んでくれた小説『世界に恋したオトメ達』。図書館から帰って早速読んでみたが、文章に奇を衒ったような癖の強さも、日常生活では使わないであろう単語や慣用句をドヤ顔でひけらかすような鼻持ちならない感じもなく、平明で素朴、素直な文体の作品だ。
内容は、現実世界で苦悩や生き辛さを感じている少女の夢に月桂樹の精が現れて、現実でどれだけ少女が想われ、愛され、応援されているのかを見せ、それを受けて主人公が現実に希望を見出す、という心暖まるストーリーだ。こんな言い方をして良いのかはわからないけど、ハートフルにアレンジされたディケンズのクリスマス・キャロルっぽい。
途中まで読んだけど、もどかしさに急き立てられてページを手繰るのを抑えられなかった。要するに面白い。読者の特権で知ってしまった情報というか真実というか誤解というか、そういうのを主人公はいつどのタイミングで知ったり気づくのかが見たくて読み進め、その瞬間が訪れた時の感動、切なさ、嬉しさに魅了される。単なる文字の、インクの染みの連なりに感情を左右され、無為に過ごしていた時間が価値のあるものに変わる。これが、読書でしか得られない経験というものだろうか。
強いて言えば、展開が主人公にとって都合良すぎる気はする。
勧善懲悪というか、正しい者は必ず報われるという汚れを知らない理想や、誰かが必ず支えていてくれているという夢みたいな考えが文字によって浮き上がる。そんなことを気にするようになるとは、僕もつまんない人間になっちまったなぁ。
まぁ、物語なんてしょせん、作者の妄想や夢を形にしたものだけど。
僕はウメタカに、昨日の図書館で起こった内容の、邂逅の部分だけかいつまんで説明した。それより前の部分に触れなかったのは見栄だ。
でも、隠した部分に出会いのきっかけが大いに含まれているだけに歪なものになってしまったが、ウメタカは首を傾げながらも聞いてくれた。
「その人、この高校の生徒っぽいんだけどさ、胸のリボンが青なのって何年だっけ?」
「青は二年だ……。大丈夫か、女子の胸部はメーセーの得意分野だろ?」
「人をヘンタイみたいに。男の胸にも多少の興味はあるからプラマイゼロで常識人だよ」
「どうしてそれで帳消しになるんだ……。とにかく、同じ学年ならすぐに見つかるだろ。二階に戻って探してみるか?」
「そんな、恥ずかしい……。上手く話せる自信ないよぉ……」
「純情な女子っぽい仕草するな。中性的な顔している分、ますますそれっぽく見える」
僕は恋に恋する少女のように瞳を輝かせて、
「緊張して何を口走っちゃうかわかんないから止めとく。多分、彼女も図書室の利用回数でランキングに入っているだろうし、名前くらいならわかると思うの」
「ランキングって新聞部のか? ……はぁ」
うんざりした顔で溜め息をつくウメタカ。
「え、どしたの?」
「いや、新聞部といえば、あの有名な……」
「? ……あー。R先輩って呼ばれてる、パーソナルスペース皆無の」
「そう。ほらちょうど……」
ウメタカは時計を指さす。
すると時計の横のスピーカーから、お馴染みのチャイム音がして、
「さぁーて今週も始まりました。『M北に有名人が来た!』サポーテッド・バイ新聞部」
ハイテンションな声が昼休みのだらけきった空気に割り込んで、そう宣言する。
「今週の有名人は野球部一年の正岡敏樹君! 中学時代、市の選抜メンバー……」
毎週木曜日、新聞部が放送室をジャックし、自分達が発行している『M北新聞』の一面記事を飾る『M北に有名人が来た!』の内容を面白おかしく再読する時間が設けられている。スポーツ方面で注目されている生徒が多く取材される傾向があるらしい。
「相変わらず元気だね、R先輩。あの人、本名なんて言うんだっけ?」
「江戸川だか利根川だか、そんな感じだな。どっからR出てきたんだか」
「うーん……riverからとか? で、そのR先輩と何かあったの?」
「あぁ。入学して一ヶ月経った頃、俺のところに取材しに来て『部活入らないの?』だの『高跳びでインハイ目指さないの?』だの質問攻めされてな」
初耳だった。僕のとこには来なかったけど。県の予選で落ちるレベルだったからかなぁ。
「ちゃんと答えたの? 『妹の夕香が俺の応援に来る途中に交通事故に遭ってしまい、自戒の意味を込めて陸上は止めた』って」
「どこの炎のエースストライカーだ。『大学進学に備えて』って答えたら、今度は『何大、狙っているの?』って……」
「命知らずだねぇ。ウメタカに深入りするとなんやかんやあって消されるのに」
「だとしたら、今のセーメーは何百体目なんだ?」
「僕、そんなにウメタカのプライベートに踏み込んだかなぁ。あ! でも、ウメタカの性癖知ってるのは僕ぐらいだもんな」
「おい」
「でもまさか剛直なイメージが強いウメタカの好みがああいうのとは思っていなかったよ」
「それ以上言ったら……」
「大丈夫だよ。外見だけだったら間違いなくアウトだけど、二十歳って『設定』なんだし」
「オメガ・ザ・エンド」
「おおぉぉぉがあぁぁぁぁぁ! 劇場版のキーパー技で潰されりゅぅぅぅぅ‼」
握力八十㎏超えを誇るウメタカのアイアンクローから逃れようと藻掻くけどビクンッ♡ともしない。えへへ、ウメタカには敵わないな。