物語は続くよ、世界の果てまでも④
今日はアナタの夢
遠くない昔、アナタは、とある囲いの中にいました
本当は柵を飛び越えて大好きな人に会いに行きたかったけど、
心細くて、不安で、泣き出したい気持ちを飲み込んで、
白くて柔らかい毛に包まれて、みんなのために音を奏でていました
ある日、アナタが一人で音を奏でていると、
扉の向こうから、大好きな人の声が聞こえてきました
その声に合わせて歌うと扉が開いて、
まんまるな瞳が可愛らしい女の子が出て来ました
それ以来、アナタにはひそかな楽しみができました
これはヒツジの夢
──夢の中で目が覚める。
布製ソファの微妙な反発具合はこっちでも相変わらず。洗濯済みのバスタオルやフェイスタオルを組み合わせた疑似枕から頭を離す。ちゃんとしたのが欲しい。
外に出て、あてもなくブラブラ歩く。今日はM駅の方まで行ってみようかな。
他の人も体験したことがあるのかもしれないけど、夢の中だと足に力が入らず、上手く走れなくなってしまう。僕の俊足を腹ペコ達に披露できないのが残念だ。
代わりに、現実では絶対にやれない芸当を身に着けたのでお披露目しよう。……誰に?
「On your marks」
そう小さく呟き、クラウチングスタートの姿勢を取る。
前の右足に思いっきり力を込める。つま先がアスファルトに沈むのが伝わる。
「Set」
腰を上げる。
パァン! ピストルの音を頭の中で鳴らす。
右足から頭頂部まで一本の棒が通っているのをイメージして飛び出す。
「おっとっと」
体幹が衰えたせいか空中でバランスを崩しかけたが、二本の信号間をひとっ跳びする。
着地した瞬間、桜の花びらが幾重に重なって落ちる。この時、原理はよくわからないけど体全体が気流に包まれ(イナイレのクロスファイアをイメージしてほしい)、空中を舞う花びらがそこに巻き込まれてこうなるみたいだ。
桜月夜が始まった当初は、思った通りに体が動かなくて、腹ペコ達にとっ捕まってモグモグタイムに突入し、夢が終了するまで身動きが取れないことが多かった。彼女達も徒歩以上のスピードは出せないみたいだけど、その代わりに人海戦術で街中を蠢いていて、曲がり角のエンカウントも数知れず。喰われることは決して嫌ではないけど、そう毎回毎回されていたらこちらもたまったもんじゃない。
どうにかスピードを得ようと試行錯誤していたある日、腹ペコ達に囲まれてしまい、絶体絶命のピンチを迎えた。今日もか、と諦めかけていると、ジリジリ距離を詰めてくる彼女達の中に空白があることに気づいた。
あそこを抜けられれば逃げられるかもしれない、そう思った僕は、やや捨て鉢気味にそこに飛び込んでみた。
試みは成功。一瞬で体が軽くなり、ヒュンッと風の音が耳を揺さぶる。そして、勢い止まらず民家に直撃。瓦礫から抜け出せず、結局は食べられる羽目に。
何はともあれ、このロケットダッシュさえあれば、気まぐれ以外の理由で捕まる可能性はほとんど無くなった。今日は興趣に富んだ桜月夜の景色を堪能しよう。
「ん? 何だあれ」
南北に伸びる片側三車線の道路を逍遥していると、北方向から白い光が。
満月は西側に浮かんでいる。月以外の光源があるなんて、こんなことは初めてだ。
目を凝らして光の方を見ていると、鼻先に赤いヒラヒラが止まる。
「栞?」
眠りに就く前に手に取っていた、あの赤い栞を一瞬想起したが、よく見るとそれは蝶だった。それは捕まえようとする僕の指と指の間をすり抜けて北、つまりは光っている方へ飛んでいく。ついていこうか迷う。
ここから五十mも離れていないM駅のロータリーから腹ペコが何人か近づいてきた。
顎に手を当ててどっちにするか考える。
……彼女達には申し訳ないが、僕は暫くお預けってことで。
赤い蝶を追ってみると発光源に辿り着いた。
そこは、M市立Gu中学校。陸上で全国取った人がいたからよく覚えている。
門を開けると、光は一層強くなって思わず目を瞑る。
おずおず目を開けると、景色が一変して、後ろから青のジャージを着た生徒がわんさかやってきて、僕を素通りして門の中に入っていく。
「あっちぃな……」
薄ピンク色に白の筋が網状脈のように幾つも伸びる空を見上げて、僕は嘆く。
「おはよー」「今日の体育さ……」「合唱練ダルいわ」「今日も音楽準備室に……」
活力漲る中学生の姿を見ていると当時の自分を思い出す。背丈は全く変わらないけど。
チャイムが鳴る。周辺には教師含めて誰もいない。注意されないってことは、僕は生徒として見られてはいないのか。別の中学のジャージを着ている人間がいるのに特に見向きもされないあたり、さすがは夢クオリティだ。
いつの間にか校門が閉められていた。引いてみるがビクンッ……♡ともしない。というか、校門といいフェンスといい、やけに高い。巨人が攻めてきた時に備えているのか。
「ポー……―ン……ポ」
ん? 何か聞こえる。駐輪場の方かな?
「ポーンポーンポーン」
やっぱり聞こえる。ボールが跳ねる音……っぽいけど。
「ポーンポーンポーンポーン」
「あれは、白い毛玉?」
やけに大きなティッピーみたいなのが近づいてくる。上のあれはアホ毛かしら。
ついに白毛玉と対峙する。予想よりも小さかった。僕よりほんの少し背が低い。
アホ毛付近がザワザワし始める。一体何が起こるんだ、と高まる鼓動音をBGMに毛玉の様子を伺う。
「ポ」
「ポ?」
わざわざ口で言ってたのか……。
「ポポポ……ポーン!」
毛玉の上から人の頭が生えてきた! アホ毛の正体は逆立つポニーテールだった。
ついでに毛玉の正体は磐井さんだった。
アホ毛ポニテの磐井さんが所属するクラスは、南校舎三階にある二―二らしい。どうして婉曲表現なのかと言えば、八時四十分を告げるチャイムと共に押し寄せてきた生徒達が彼女を僕もろとも担いだ先がそこで、肝心の磐井さんがまだ一言もまともなことを喋ってくれないからだ。最近、ヒロインが主人公にだけデレたり素の自分を見せる系の作品をよく見かけるけど、気を許すとオノマトペしか話さなくなるヒロインなんていないよね……? どうやって意思疎通を図ればいいんだ?
当たり前のようにいる僕をスルーして朝のHRが始まった。
顔に『担任』と書かれた教師(体型や声色から推察するに男)が黒板前に立つ。黒板の右端に書かれている文字は『七月』しか読み取れなくて、他は白の毛糸にしか見えない。
窓際の最後列に座る(跳ねる)磐井さんはずっと窓の外を眺めていて、担任や他の生徒の話など聞いていない。
「きりー、ちゅうもーく、れー」日直の流れるような号令。朝のHRが終わったようだ。
礼の後、すぐさま生徒達が机を前に運ぶ。中には自分の椅子を脇に退けている者もいる。この懐かしい光景、まさか。
そのまさかだった。教室の後ろで二列縦隊を作る生徒達。女子の集団に背丈の小さな男子が混ざっていて、一人の生徒が椅子の上に立って何度か腕を上下左右に揺らしていた。合唱練習だ。……ところで、磐井さんはどこいった?
「こら、継橋!」突然、担任に怒鳴られる。「磐井を見張っていなきゃダメだろ!」
「そうだそうだ」「また練習が遅れちゃうよ」「クラスの空気乱すなよマジで」
顔にそれぞれ『男子』『女子』と書かれた生徒達からも非難轟々。
教卓に置かれた電子ピアノ、その前には誰もいない。あ、磐井さんが伴奏者なのか。
「継橋君、早く追いかけてよ!」と委員長っぽい女子が言う。
「えぇ、何で……? 僕、別に関係ないし」
それでも生徒達は追うように急かす。どうしてそんな懇願するような目で僕を見るの?
「わかりました。行きますよ」
アホ毛ポニテ毛玉を探しに廊下へ出る。
すぐに見つかった。廊下の奥の曲がり角から白いモフモフが見えた。
移動自体はそんなに速くなかったから追いつくのは簡単だった。首根っこを掴むのも可哀想だから、毛玉の中に手を突っ込んで手首を握ろうとすると、
「キャッ⁉」可愛い悲鳴を上げるタマ。
「うひょっ⁉」気持ち悪い声を出す僕。
具体的にどこを触ったのかまではわからないけど、乙女の柔肌に触れたのはわかった。
毛玉の中は裸⁉ 新しい露出プレイですか⁉
「エッチ! エッチ!」
「どっちがだよ!」
また逃げようとするタマを教室に連行するため、仕方なく、本当に仕方なく再びモフモフに手を入れて、一発で手首を引き当てる。残念とか思ってないし。
電子ピアノの前まで連れていき、もう片方の手も毛玉から出させて、わざわざ鍵盤の上に乗せてあげる。しなやかな指は現実と変わらない。
「COSMOSだ、懐かしい」
僕の時も二年のどこかのクラスが歌っていたっけ。ちなみに僕のクラスは『心の瞳』。名曲。
おぉ、意識が高いだけあって上手いし迫力がある。全パートの声が均等に聞こえるし、どの生徒からも真剣さが伝わってくる。
「サビ前のソプラノが」「二番の最初のアルトが」「ラスサビのテノールが」
歌い終わってすぐに反省会が始まった。現状に満足せず更に磨きをかけようとする姿勢には感心させられる。てか、まだ二年なのに気合の入り方が凄いな。
「モゾモゾ」急に磐井さんが動き出した。てか、それも自分で言うのね。
「どうしたの?」「チラチラ」「トイレ?」「ブッブー!」
叩かれる。
一体どうしたんだろう。何を、どんな風に、どれだけしてほしいのかを一個一個聞く言葉責めをしてみようかと思ったが、オノマトペで言われても嗜虐心はそそられそうもないから堪えた。あぁ、でも「ムラムラ」とかだったらありかも。
「もしかして、褒めてほしいの?」
「コクコク」首振り人形みたいに頷く磐井さん。可愛い。
「上手だったよ。流石、磐……」
「ブンブン」首を横に振りだす。何かお気に召さなかったのかしら。
「何か違った?」
「『た』『ま』」一音ずつ区切って自分の名前を告げる。
「名前で呼んで、ってこと?」
「コクコク」また嬉しそうに頷く。
名字呼びだったのが急に下の名前になると周りから『あいつら付き合ってんじゃね?』と勘繰られそうで気が引けるなぁ、って現実だったら言い訳できるけど、幸い(なのか?)誰もこっちに気をかけていないみたいだし……。
「えーーっと、じゃあ……」たかが名前、されど名前。照れや緊張はあって当たり前……だよね? ゆっくり呼吸を整えて「上手だったよ。流石、タマだね」
「!」アホ毛ポニテが左右に激しく揺れて、満面の笑みを浮かべる。
そんなに喜ばれるとは思わなかった。女子を褒める時は名前で呼んだ方が良いのか。せぇ覚えた。
その後も、何回か通しで練習をした。演奏が終わる度に磐井さ……タマがモゾモゾチラチラするから仕方なく、本当に仕方なく名前を呼んで褒めてあげた。
おかしな夢だけど、そこまで嫌な気分にならない。もう少しだけ見ていたいかも。
早く覚めてくださいお願いします。
「はぁ……はぁ……い、一体いつになったら大人しくなるんだ……?」
始業のチャイムと同時にいなくなり、途中でまたいなくなる。これで終わりかと思いきや、授業終了の五分前にいなくなる。しかも毎回校舎外に逃げる上に、夢のくせに変なところで真面目で、一々靴を履き替えないと生活指導らしき教師から怒られる。
一時間目の社会、二時間目の国語はこのパターンだった。そして現在は三時間目の体育。高校には存在しないプールの時間、合法的(?)に現役JCのスクール水着姿が拝めるとあってとても楽しみにしていたのに、タマが逃げ出してしまって堪能できずにいる。
そもそも僕がタマを追いかけなきゃいけない理由なんてないはずなのに、彼女が逃げる度に生徒や教師から非難の視線を向けられて尻を落ち着けることができない。
「水を吸ってるから滅茶苦茶重くなってる……」
律儀な僕は、スクール水着様が水に浸かっているのを見下ろすのは無礼だと気づき、ジャージのままプールにご相伴させていただいていた。特に何も言われなかった。
「あ、いた!」
建物内に足跡がなかったから外だな、とは思ったけど、まさか本当にいるとは。
タマは、見るからにボロボロな体育倉庫の裏で蹲っていた。体調不良っていうわけではなく、捕まえようと腕を伸ばすと俊敏な動きで躱すだけの余裕はあるらしい。
あと、毛玉が体に貼りつくことでボディラインが浮き出て煽情的だった。
「ねぇ、どうしてこう何回も授業を抜け出したりするの?」
僕は彼女のすぐ近くにしゃがみこんで尋ねる。地面には教師が吸ったであろう吸い殻がいくつも落ちていた。
「メーメー、タマ、キョロキョロ。タマ、ブンブン!」アホ毛ポニテが揺れる。
僕は夢の中でもメーメーなのね……。キョロキョロ、って探すってことかな。
うーん、どういうことだろう。直訳すると『僕がタマを探すから逃げる、そしてタマは嬉しくなる』って意味? 何で嬉しいんだ? この小悪魔め。
チャイム。せっかくのプールだったのにぃ。
「ドキドキ!」突然、タマが激しくバウンドし始め、校舎へ向かっていく。
「えっ、ちょっと!」立ち眩みでバランスを崩し、出遅れてしまった。
北校舎と南校舎を繋ぐ二階の渡り廊下で追いついた。
「あー疲れたぁ……。こうなったら逃げないようにずっと手を繋いでおこう」現実だったら絶対にしないであろう大胆な行動。ちゃんと体を拭いていないから、彼女の手はビショビショだ。寒くないのかな。
「次の授業は……音楽だっけ?」
「ソワソワ!」高まるテンションが抑えられないタマは、強く握り返して北校舎へ急ぐ。
ちょっと強引で我儘な彼女ができたらこんな感じなのかしら、なんて妄想しながらされるがまま腕を引かれる僕。
渡り廊下を左に折れる。
「ん?」
階段の上から人影が。こちらに近づいて、すれ違って、そのまま通り過ぎる。一瞬睨まれた気がする。
「あれっ、多武さん?」
頭に子犬の耳みたいなのが付いていたけど、あの勝気そうな目つきと少しウェーブしたショートボブは、僕の前の席の多武さんだ。この人もGu中だったのか。
「ルンルン!」タマはその場で、天井に頭をぶつけそうなくらい高くジャンプする。
何が起きたんだ……。もしかしてこれが目的?
そもそもこの二人って知り合いだったの? 二人とは同じクラスだけど一回も話しているところを見たことない。てか、多武さんはこっちを見てなかったのにタマはどうしてこんなに嬉しそうなの?
更に。
君との甘い日々は溶けさって
涙の塩辛さだけが残る
向かいに座る弾けた笑顔
料理の湯気と一緒にすぐ消えた
学校中のスピーカーから男性の歌声が大音量で流れる。
聞き覚えはあるけどよく思い出せない。
「うっ……」立て続きに発生するカオスに頭が混乱しすぎたのか、強い眩暈に襲われる。
勢いよく開いた窓から純白の花びらが横殴りで降り注いで、廊下を白で埋め尽くす。
体中の感覚が薄れていく。桜月夜から覚める時と同じだ。
「メー ー……」薄れていく視界の中でタマが必死に何かを訴えている。
彼女の細い指が僕の指の間から抜け落ちて、花びらみたいに散ってしまう──
「ただぃまー。無事、返せたよ」
「お疲れ様」
「ねぇ、マキ。構想をメモした紙、いい加減纏めるなりいらないのは捨てるなりしないと足の踏み場が無くなっちゃうよ?」
「一見散らかって見えるけど私にとってはこの配置が完璧なの」
「両津勘吉かな……。まぁ、ボクはジャンプでひとっ跳びだから関係ないけど」
「ねぇ、今良いところだから話しかけないで」
「はいはい……。それで、今回の『ヒツジ』はどういう意味なの?」
「『秘密の辻』」
「?」
「二人がすれ違った場所はどこだった?」
「北校舎二階の階段付近」
「辻になってるでしょ?」
「……は?」
「一階に通じている階段、三階に通じている階段、そして廊下を重ねると」
「ああ、なるほどね。下の縦線がちょっとズレているけど、辻に見えなくもない」
「そういうこと」
「よくこれに気づいたね。学校は嫌いだったんでしょ?」
「嫌いってわけではないわ。雑音は多かったけど図書室はあったし、校舎内を歩き回ったり聞こえてくる会話に耳を澄ませているとインスピレーションが得られるもの」
「そっか、ボッチだったから自由に使える時間は大いにあったってことか。ハハハ」
シュン!
「あっぶな! 鉛筆投げるかなぁ、普通! しかも削ってる方!」
「大丈夫よ。アナタ、普通じゃないもの」
「マキもね。ボクを含めた、非現実的な現象に臆することなく順応して、こんなことまでしてるとか相当の変わり者だよ」
「ふふっ、そうね。自分の生活もあるのにこんな意味のないことに嬉しさや満足感を抱いている私って変わっているのかも」
「ご、ごめん。マキがやってることをバカにするつもりは──」
「でもね、どれだけ手を伸ばしても届かないのに、どんなに呼んでも聞こえないのに、形としても記憶としても残れないのに、それでも彼女に会いたいと願う人達がいる。そして、私ならそれを叶えられる。それってとても素敵なことじゃない?」
「でも、マキには何の得もないんだよ? 誰からも感謝されないし、賞賛もされない」
「あら、聞いてなかった? 私、嬉しいの。満足してるの。それで十分よ。もしかしたら、私にとっては意味のあることなのかもしれないわ」
「……そっか。うん、やっぱりマキはマキだ。安心した」
「おかしなこと言うのね。私はずっと私よ。これからも」
ピョン、ピョン、ピョン。すすすっ。
「あったかい。女の子だからかな」
「訴えるわよ」
「畜生によるセクハラは法外でしょ」
「ペットは家族よ。よって家族法が適応されてアナタは無期懲役。一生家を出られない」
「急に愛が重くなった……」
モフモフ、モフモフ。
「そのヒツジも良くできてるね。幸せそうだ」
「ええ。皆の想いが詰まっているもの」