物語は続くよ、世界の果てまでも㉒
「ごめんなさい」僕が腰掛けるとすぐにタマは謝ってきた。「私、凄い自分勝手だった」
「弄ばれるのは慣れてるからいいよ」と椅子に座ることを手で勧める。
「あはは、何それ」久しぶりに聞く笑い声。そして笑みを若干緩めて「メーメーもギブネヴァのファンだと思ってた。動画は全部消しちゃったし、元々全然聞かれてないし、再生回数が多い『空回りする風車』は炎上して有名になったから」
「ファンを疑うなんて酷いよー」
「ファンなの? 嬉し」タマは口元を隠しながら笑う。また見れて僕も嬉し。「いつぐらいに聞いたの?」
「……去年の九月初めくらいかな」嘘をつくのは胸が痛む。
「消す一ヶ月ぐらい前だ」
「繭 絹一さんに憧れて曲作ったんだっけ?」
「うん」短く返事し、ちょっと間を空けて「実はね、繭 絹一は私のお父さんなの」
「知ってる。多武さんと話した時に聞いた」これは嘘じゃない。けど、やっぱり心苦しい。
「やっぱり舞奈ちゃんと話したんだ。一緒にサイクリングロードを通ってるの見えたから」
「うん。磐井さんの様子が変だって心配して僕に事情を聞いてきたんだ」
「そうなんだ……。どんな話をしたの?」
「えっと、(id−r)ealの結成から解散までの一部始終を」
「あー……」隠していた赤点の答案用紙が見つかったかのような声を漏らす。「これはこれはお恥ずかしい所を……」
「喧嘩ぐらい誰だってするよ。喧嘩するほど仲が良いって言うし」
「そうかな。仲が良いから喧嘩しても大丈夫ってだけなんじゃない?」
「……確かになぁ」
「メーメー、弱っ」ケタケタ笑うタマ。
「これ、聞いていいのかわかんないけど、多武さんともう仲直りする気はないの? LINE送っているのにスルーされてるって言ってたけど……」
「あ、そんなことも話しちゃってるんだ」タマは半ば呆れるように口角を上げる。「うん、そうだよ。折角、舞奈ちゃんが近づいてきてくれたのに、それを無視し続けたの。……ガッカリした?」
乾いた笑いが僕の耳に軽く触れて、潤んだ瞳が僕の瞳を放さない。
「してはないけど、どうしてそんなこと」
「大喧嘩した時に気づいちゃったんだ。『あー、こんなに私達って気が合わないんだ』『お互い気を遣い合っていたんだな』って。嫌なこと沢山言われたし、私も言っちゃったし、このまま一緒にいても溝が深まるだけで良いことはないなぁ、もういいかなぁってなっちゃって、私から距離を取ったの。無視は流石に酷いけど、このくらいした方が……」タマは立ち上がって気持ちよさそうに伸びをし、メトロノームみたいに腰を左右に振る。「もう、全部どうでもよくなっちゃった」
「どうでもいい?」
「私、お母さんから音楽はやるなって禁止されてるんだ。多分パ……お父さんのことを思い出すから。でも、それでもやりたくて、隠れて歌を作って、結局バレたけど家出してでも続けたの。そしたら今度はギブネヴァのせいで炎上して作った歌を全部消すことになって、舞奈ちゃんと喧嘩して……こういうの踏んだり蹴ったりって言うんだっけ? 次から次に嫌なことが起きて、まるで『お前は音楽をするな』って神様に言われているみたい。段々歌を作る気すら失せちゃって、もう全部面倒くさくなっちゃった」
親近感と違和感が同時に芽生える。
「それにね、パ……お父さんとお母さんが離婚した時、私はお父さんについていきたかったのに置いてかれちゃったんだ。ある日、酔って帰ってきたお母さんから『あの人がアンタを引き取るのを拒否した』って言われたの」
「えっ」驚きの声が漏れた。夢で会った父親は、そのことを……知ってたんだろうな。
「本人の口から聞いたわけじゃないから本当かどうかはわかんないけど、段々そうなんじゃないかなって考えるようになって。そういうモードになると、歌作るのがもっと面倒くさくなった。有名になってパパ……お父さんに気づいてもらいたかったのもあったから」
タマの顔を、柱の影が一瞬だけ覆う。椅子に腰をかけると足を何度も組み直している。
「本当はね、メーメーはギブネヴァのファンじゃないって薄々気づいていたんだ。冷静に考えたら、そう決めつけるには証拠が少ないし。でも、音楽室であんなこと言っちゃったのに何日も何もしなかったから許してもらえないって勝手に決めつけて、舞奈ちゃんとのことも頭を過って、謝ろうって思うの止めちゃった。流石にダメ過ぎるよね。メーメーが今日声をかけてくれなかったら、明日も明後日もその先もずっとあのままだったと思う」
「そりゃいけないね。大人になったらしたくなくても謝罪しなきゃいけなくなるんだから、今のうちに慣れとかないと」
「あはは、そうだね」
そして沈黙。遠くから聞こえる子供達の甲高い声が空いた間に積もっていく。
もう、言いたいことは全部言い終わったのだろうか。
……いや、まだだ。一番言いたいことを言っていないはずだ。
「で、これからどうするの?」
「これからって、どういう意味?」
「また曲を作るの?」
「ねぇ、話聞いてた? もう全部面倒くさくなっちゃったって──」
「でも、前に『いつかはこんな歌作ってみたいなぁ』って言ってたよね? まだその気はあるってことでしょ?」
再び沈黙。木々が揺れる音だけが辺りに流れる。
「それは、二人で歌を作っていた時の話。今は面倒くさいって気持ち一色だから」
「そう? 随分楽しそうに歌ってたけど。『面倒だー面倒だー』って言いつつ、実はまだやる気があったりして」
「ないよ」決然とした口調、のフリをしている気がした。「もう懲り懲りだよ。これからは大人しく、音楽とは無縁の生活を送るんだ」
「でも、合唱部の助っ人を引き受けてるよね?」
「断れ切れなかっただけ。今回きりだって言ってある。本当はピアノに触れるのも嫌なんだよ? ……あ、でも、本番は観に来てもいいよ。五月の真ん中にあるから」
タマは早口でそう言った後、勢いよく立ち上がり、傍らに置いてあるリュックを背負う。風に乗った枯れ葉がつま先にくっついたが、気づいていないのか踏んずけてしまう。
「話はこれで終わり。さ、もう帰ろ? メーメーと仲直り出来て良かったー!」万歳をするように大きく両手を上げる。
「……」
東屋を出て、自転車を留めた場所まで横に並んで歩く。右に伸びるタマの影が、アスファルトの道の上で『自分はここにいる』と主張する。
「僕と仲直り出来たんだったら多武さんとも出来るんじゃないかな」
「まだ言ってる。メーメーの場合は……そんなに日が経ってないから大丈夫だって思ったんだもん。あと、よくわかんないけど、ちゃんと話さないといけない気がしたから」
「……何だ、そりゃ」ターザンの夢が少しは作用したんだろうか。
こりゃ、なかなか頑固ですな。いや、頑固って言うよりは意固地? ビビり?
仕方ない。君が素直になってくれないなら、僕は悪にでもなるか。
「繭 絹一さん……お父さんのこと、実はそこまで好きじゃないんでしょ?」
「……え?」
「気づいてもらいたくて始めた作曲を『面倒くさくなった』なんて諦めちゃうんだもん。わざわざM駅まで来てCD買ってたけど、それって『離れ離れになった大好きなお父さんを一途に想い続ける』自分に酔っていただけなんじゃない?」
「急に何? こわっ」引きつった笑顔を作るタマ。
「『Salt days』について熱弁してたのも、そこに好きとか憧れとかそういう綺麗な感情なんてなくて、お父さんが好きだって自分に言い聞かせるために利用してただけなんでしょ?」
「……」
「そこまで行くと、怖いを通り越して感心するね。自己陶酔のためにそこまでやれるってもはや才能だよ。どんだけ健気な自分を演じるの楽しんでんの?」
口を開けば開く度に胸が軋むように痛む。どれだけ酷いことを言っているのか自覚した途端、罪悪感に押し潰されそうだ。
だけど、このくらい嫌な奴にならないと、タマの本音を引き出せない。
「(id−r)ealを組んだのも役を演じるための一環で、多武さんのことを利用してたんだね。あーあ、多武さん可哀想。情が移っちゃうなぁ。凄く楽しかったって言ってたのに。でも磐井さんは『合わない』って理由だけで終わりにして『誰からも認められない可哀想な私』にキャラチェンジするんだ。都合の良いこと」
「……!」
お互い腕を伸ばせばギリ届くくらいの距離が生まれた。振り返ると、磐井さんはいつぞやのように俯いて、両手にできた拳は小刻みに震えている。
「どうして、そんな意地悪なこと言うの……?」顔を上げ、両目から雫を落とすタマ。そりゃそうだ。こんだけ言われたら泣くに決まっている。「パパのこと、大好きだもん……パパの歌、大好きだもん……パパに会いたい……会いたいよぉ。歌作るのだって楽しかったもん……難しかったけど、できた時は嬉しかった……」
想いを一つひとつ涙の粒に込めるように、静かに、だけど強く独白するタマ。雫は雨のようにアスファルトにブチ模様を残す。
そんな姿を見て、僕は蟠りの残る達成感を握りしめる。
「舞奈ちゃんのことだって好きだもん……初めて、パパ以外の人といて楽しいって……ずっと一緒にいたいって……思ってるもん」
「……」今度は僕が黙る番だ。
「だって……難しいんだもん。答えがいっぱい出てきて……全部正解なんだから。嫌だけど嫌じゃないし、したいけどしたくないし……頭の中、ぐちゃぐちゃで……全然わかんないのに考える時間がないから、一番簡単な答えを選んじゃう……それってダメ?」
「……」
「私だって、こんなの嫌……。何にも楽しくない。毎日、辛いし面倒くさい。でも、もし仲直り出来てもまた喧嘩しちゃうのかなとか、歌を作りたいって言ったら断られるかもしれないとか、お母さんにバレたらどうしようとか考えちゃって……」
両手で顔を覆うも嗚咽と涙が溢れてしまっている。
数組の親子連れや自転車を漕ぐ小学生達が通り過ぎていく。別れ話でもしているように見えているのだろうか。未練たらたらという面だけ見ればそうかもしれない。
……流石に、これ以上は耐えられない。
「ごめん、言い過ぎたよ。キツめのことをぶつければ本音を言ってくれるかなって。全部嘘、そんなこと微塵も思ってない」
聞こえているのかわからないけど、精一杯さっきまでのことを謝った。
すすり泣きが落ち着くまで待ち続けた。
「僕は、磐井さんが一番やりたいことをやればいいと思う」
「一番……?」手を僅かにずらし、真っ赤になった両目が見える
「うん。多武さんと仲直りするのか、もう歌は作らないのか。あ、仲直りはして歌は作らないってのも、磐井さん一人で作るってのも選択肢に入るのかな」
「そんなのすぐに決められない……」
「今すぐ教えてほしいなんて思ってないよ。でも、もし仲直りして二人で曲を作るって思ったなら、僕に良い考えがあるんだけど」
「良い考え?」
「うん。僕、素人だからよくわかんないんだけどさ──」
今日一日、授業もろくに聞かずに考えた案を説明する。
タマの頬に段々生気が戻っていくような気がした。
「──どうかな?」
目をまん丸くして立ち尽くすタマ。その顔が多武さんに似てて吹き出しそうになった。
「どうして」
「えっ?」
「どうして、そこまでしてくれるの? メーメーには関係ない話なのに」
「関係は……確かにないけど、そろそろ恩返しする時期かなぁって」
「恩返し?」
「うん。文化祭の一件で、学校中から嫌われている僕と、仲良くしてくれた恩」一旦区切って静かに息を吸う。「実は最初の頃は結構参ってたんだよね。校舎のどこにいても居場所がなくて、ウメタカも別のクラスだからなかなか会いに行けないし。学校辞めようか悩んでたぐらい精神的にボロボロだったんだ」
「メーメー……」
「音楽の時間、偶々クラスで一人ずつ余った関係でペアを組んだけど、もし、ここで磐井さんとペアになっていなかったら朝から晩まで駅近くの図書館に籠りっきりだった。それはそれで悪くはないけど、磐井さんと仲良くなれていないのは嫌かなぁ」
梢が揺れて頭に葉っぱが落ちてきた。それを手に取って、面映ゆさを紛らわせる。
「だから、ありがとう磐井さん。そして、これからもよろしく」
深く、頭を下げた。
すると、
「そっか……そうだったんだ。私と一緒だったんだ」
「一緒?」
「うん」今度は磐井さんの頭に葉っぱが落ち、「舞奈ちゃんと喧嘩してから学校行くの嫌だったんだけど、周りから怖い目で見られても全然元気なメーメー見てたら、もうちょっと頑張ってみようかなって思えるようになったんだ」
「空元気だけどね。ウメタカや磐井さんがいてくれるっていう安心感のお陰で出来た」
「アハハ、そうなんだ」タマは右手を差し出し「じゃあさ、感謝ついでに一個、頼まれてくれない?」
「……! うん、わかった」
僕は彼女の頭の上の葉っぱを取ってあげ、握手に応じた。