物語は続くよ、世界の果てまでも⑱
「嘘っ⁉ 攻撃が全然当たらない!」
「手の内がバレバレなんだよ。次にお前は下スマからバックしてのファイアーボールする」
「うわっ、全部読まれてる⁉」
ウメタカの部屋でいつものようにスマブラ。知り合って以来、ずっと変わらない。
「まーた負けた!」
いつもは五分五分なのに、今日は調子が上がらず三連敗。
「どうしたメーセー? 隙だらけというか落ち着きがないというか」
「もう、察してよバカ♡ 夕暮れ迫る中、気になる男子の部屋で二人っきり。そんなの落ち着かないに決まってるじゃん」
「何度も二人で遊んでるだろ」
「それはウメタカを友達の一人としてしか見てなかった頃の話だし。今は、違うもん」
面倒くせーなーコイツ、みたいな顔で見てくるウメタカ。うんうん、やっぱりこういうやり取りをしている時が一番楽。
「よしもう一戦!」
「諦めて退くのも勇気だぞ」
「ふぅーん! 言ってくれるじゃない!」
こうして四戦目の火蓋が切られる。お互いヒット&アウェイ戦法でジリジリと相手に攻撃してはスマッシュ技で場外、復帰してくるところにもう一発。そんなことの繰り返しの末、お互い残機一、%は三桁に到達した。
「……そういえば」
不意にウメタカが口を開く。
「なーにー? 気を逸らそうたってそうはいかないよ!」
「そういうのじゃなくて、ふと気になったんだが」
「何をさー?」
「磐井と何かあったんか?」
GAME SET 僕の四連敗。
「えっ? はっ? どしたの急に?」
「どうしたも何も、ここ最近お前らが話しているとこ目にしてないからな」
「あ、そうねぇ……そうかもねぇ……」
まぁ、ウメタカなら気づくか。さすが心の友。
隠したってしょうがないから、磐井さんと多武さんがかつて曲を作っていたこと、ギブネヴァによってチャンネルを炎上させられたこと、喧嘩別れしたこと、僕が彼女に避けられていることをウメタカに話した。つい最近、自分が与り知らないところで自分の情報が出回るの怖い的なことを言っていたのに、他の人の情報は言っちゃうチグハグっぷりよ。
「そうか、そんなことがあったのか」
「うん。正直混乱している」
参ったー、とばかりに両手を上げる僕を見てウメタカは、
「さしものメーセーも複雑な乙女心とやらはわからないみたいだな」
「ウメタカの口から乙女心なんて言葉を聞ける日が来るとは思っていなかった」
「で、多武に乗り換えたのか」
「人聞きが悪いこと言わないでよ」
「違うのか?」
違う……のだろうか。ハッキリ否定出来ない。首を傾げて考えてみる。
すると、答えの代わりに空腹を告げる音が腹から出てきた。
「ははは、そういえばもうそんな時間だな。夕飯食ってくか? カレーしかないけど」
「いいね、カレー。大友家のカレーは絶品だから」
ウメタカと一緒に一階に下りて食器やコップ等を用意する。
ちゃぶ台の中央にカレーが入った鍋が置かれ、それを挟んで向かい合って座る。大友家のカレーは子供に嬉しい肉たっぷり仕様。運が良ければポークにチキンにビーフ、ラムが勢ぞろいしていることもある。
ちなみに今日はラムカレー。サービスなのか野菜が全然入っていなくて、その代わりに肉沢山だ。野菜、苦手なのよね。
「相変わらず旨いね。レシピ、いい加減教えてよー」
「門外不出だ」
「いけずだなぁ」
掬う手が止まらない。思考をカレーの快楽に支配される。まさに夢心地。
「んで、これからどうすんだ?」
「これから? ……ウメタカが良いなら泊まっていこうかな」
「それじゃない。まぁ、泊まるのは構わないが」
手に持ったスプーンを皿の縁に置き、両手を後ろについて、
「磐井のことだ。このまま疎遠になってもいいのか?」
スパイスの魔法が解けてしまい、胸の中でじっくりコトコト熟成・涵養された不安や焦りが、そのおどろおどろしい腕で内側から僕を引き裂いて出ようとする。
目を背けていた。日が経つにつれて磐井さんとの距離が広がっていることに。
受け入れられないでいる。自分勝手な彼女の挙動を。僕を拒んでいることを。
放棄している。どうすれば現状を打破出来るのか考えることを。
だって、わからないんだから。わかりたいのに。いくら知恵を捻っても『磐井 珠』という人間を理解出来ないでいることに耐え難い喪失感と自責の念を感じる。
話すようになって半年ちょっとの仲だけど、僕は何度も彼女に精神的に助けられてきた。文化祭の件で学校中からヘイトを向けられていた僕の話を聞き、信じ、友達として接してくれた。そんな彼女に何の感謝もせずにいるなど不可能だ。
だからこそ、もし何か辛いこと、苦しいことがあるのなら今度は僕が力になりたい。そう思うことはいけないことだろうか。
なのに、彼女は僕を拒絶する。普段は見せない、苦吟や恐怖で歪んだ顔を僕の前でしておきながら、他の同級生の前ではいつも通りの振る舞いをし続ける。
もしかしてギブネヴァか? と閃いた時、一瞬、辻褄が合った気がした。タワレコで彼らのブースにいたことと、音楽室で聞かれた『どこで⁉』という質問に対して僕が『YouTubeで』と答えたことから、僕がギブネヴァのファンだと勘違いしているんじゃないかという推測が生まれた。けどすぐに、僕は頭を横に振ることでそれを否定した。否定したかった。磐井さんが直接尋ねもせずに憶測だけで決めつけるようなことをするなんて思いたくなかった。これは、ただ単に僕が信じたくないってだけだ。だけど、それ以外の説を思いつけない。教室で他の人と楽しそうに話している磐井さんを見ていると、遅々と彼女への期待や信頼や願望が瓦解していくのが悔しいし情けない。
粘着質かもしれないけど、このままモヤモヤを抱えたまま何もなく卒業してしまうのは嫌だ。彼女にも彼女なりの理由があるかもしれない。僕が安易に踏み込んでいい領域じゃないかもしれない。それでも、知りたい。
でも、
「ぶっちゃけた話、面倒くさいんだよね」
「……」
「だってそうじゃん? 今まで仲良かったのにある日突然距離取られて、理由を尋ねようにも避けられてにべもない。そりゃあっちにも事情はあるだろうけど、少し無礼じゃない?」
ウメタカは体勢を変えずに僕の言い条に耳を傾ける。
「学校でウメタカ以外で話せる人ってだし、疎遠になるのは心苦しいよ。可愛いし。でも、これ以上気にかけたってしょうがないもん。答えなんかないし。こっちから近づいたら離れちゃうし、向こうからこっちに来るのを待つ他ないよ」
「……」
「でも、中学からの親友だった多武さんでさえも避けられているんだから、もしかしたら本当にこのまま疎遠になるかもね。そうなったら今まで以上にウメタカに甘えちゃおっかな♡ ついでに居候もさせてもらっちゃおっかな♡ また母から勘当通告されちゃってさ」
「……」
「親をあしらうのも凄い骨が折れるよ。『血の繋がった他人』って言葉は言い得て妙だよ。あんなに理解出来ない人間が、まさか同じ家にいるなんてさ。他にも……色々面倒ごとを抱えているのに、更に煩わされるなんて御免だよ」
一番最後までとっておいた肉を一口で食べる。美味しー。
「そうか……」
そう呟いて、ウメタカは天井を仰ぎ見る。少しして首をグルグル回しだすと、
「所詮は他人同士だからな。どうしても相容れない部分はあるし、無理に距離を詰めても元の木阿弥にあることも往々にしてあるからな」
「そう、それ。それなんだよウメチー」
「んで」
僕を見て、
「メーセーはどうしたいんだ?」
「え?」
どうしたい? 何だ、その質問。
「磐井が面倒くさい奴ってのはよくわかった。だが、お前が磐井にどうしてやりたいのかが皆目わからないんだが」
「どうしてやりたいって……そんなものないよ。だって向こうが避けているのに僕がやれることなんて何も──」
「だったら向こうからこっちに来させればいい」
「はぁ?」
ウメタカはラム肉をスプーンで掬い上げ、
「勝手に距離を置かれたってことは、勝手に距離を詰めてこられる可能性だって十分あり得るだろ? そう仕向ける、って言ったらあくどい感じがするが、要はアイツに接触したいって思わせればいいんだ」
「ごめん、本当に何言ってるのかわかんない……」
「安心しろ。俺も言っててよくわかっていない」
だがな、と続けて、
「『面倒』という言葉で言い訳して何もしないよりは、意味不明な屁理屈でもこねて行動した方がよっぽどマシだと思うがな」
「……! 言い訳って、それどういう意味さ?」
頭に握り拳分ぐらいの血が上って、語気が荒くなる。
「そのままの意味だが? 磐井の脆い部分というか、好ましくない一面を見てアイツに対して抱いていた幻想が壊れて、マイナスな部分と向き合うのが嫌になって目を背ける小心っぷりを『面倒』なんて言葉で包み隠すことを言い表すのに『言い訳』以外にあるか?」
「……」
「しかも、親との折り合いが悪いなんて磐井とは全く関係ないことまで持ち出し、磐井と向き合えない弱さを誤魔化すために『面倒』という言葉で飾り立てて利用する。これだって十分な『言い訳』だろう」
「そういう言い方はあんまりだよ……僕は磐井さんを心配して──」
「目の前の奴のことが心配だったら後先考えずに突っ込んでいくのがお前だろ。遠くから眺めて『大丈夫かな~?』なんて傍観者面してるような卑怯者じゃないはずだ。『俺が知ってる継橋 明正』はそんな柔な奴じゃなかったぞ」
ウメタカの言葉に衝撃を受けた心臓が、一拍だけ耳元に届くくらい強く鼓動した。
それは、手を引っ張ってくれたとか、背中を押してもらったとか、そういう気を遣ったものじゃなく、内に隠れていた弱気な自分に直接蹴りを入れられたかのような衝撃だった。
刹那の沈黙の後、
「……ここまでキツいこと言うつもりはなかったんだがな。あまりにも苦しそうな顔しながらつらつらと喋るもんだから、発破とやらをかけたくなったんだ」
そう言って、お詫びなのかルーと肉をいつもより多めに装ってくれた。おかわりまだ頼んでないのに。
「あんまり『面倒』という、使い勝手の良い言葉を言い慣れない方が良い。平気な顔して使うようになったら、それは考えることを止めた時だ」
「うん……って、野菜が結構入ってる……」
「野菜が入っていた方がカレーは旨いんだ」
「そうかなぁ」
学校の給食の時は、一旦カレーをご飯の上に注ぎ、口をつける前に野菜だけ元の器に戻し、おかわりの時にその野菜を食缶に戻して肉だけを拾い上げるというみみっちぃことをしていた。だけど、ウメタカの家ではそれは禁止されているから、一かけらの野菜を食べるのにそれと同じくらいのサイズの肉を二つと、それらの上に満遍なくルーをかけた上でライスと一緒に仕方なく食べている。
ええい、ままよ! と、口に運ぶ。モグモグタイム……。
「なるほど」
「どうだ、野菜も旨いだろ?」
「……ノーコメントで」
部屋にいつもの和やかさが戻った。と言っても、僕もウメタカも食事中に会話するのを好まないため主にスプーンが皿を擦る音が響くだけだけど。
僕は掬ったラム肉を眺めて、
「『こっちに来させる』か。蜂蜜でも体に塗りたくればいいのかな」
「そんなことしなくても、普段通り剽軽にしていれば九割は達成したようなもんだろ」
「残りの一割は?」
「誘導の仕方次第だな」
「それがネックなんじゃん……」
「やる気になったのか?」
「うん。カレー食べてお腹膨れたらやる気メーターも溜まった」
「そうか」
「うん」
人間ってのは複雑で面倒な生き物だって、夢の中で耳にした。確かにそうだ。頭の中では雑多な感情や情報がエアホッケーの円盤みたいに飛び交い、どれを優先すべきか、どれを見て見ないフリするか、どれを信じるか、どれを隠すか色々考え過ぎて勝手に雁字搦めになって、何をしても・何をされても違和感を覚え、だけどそれを表に出せずに独りで苦しんでいる。殆どの人間がこんな感じだと勝手に思っている。
だけど、その複雑さや面倒さが良い方に作用すると、何千何万の言葉を耳にしても、何日何十時間をかけても晴れなかった胸の靄が単純なことで晴れてしまう。
今の僕もそんな感じ。
『大友 梅高』が知っている『継橋 明正』。
どこまでも実直で、物怖じせずにハッキリ曲がったものに堂々と喝を入れられる彼。
そんな彼の隣を、中学生の時から現在まで隣で歩いていられる僕。
これはもう、自信を持つしかない。
食べ終わった皿にスプーンを置く。
「やっぱり今日は帰るよ」
「……そうか」