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物語は続くよ、世界の果てまでも

去年応募した小説です。

──こんな夢を見た。

地上の建物に邪魔されることなく輝く満月に照らされ、

四方八方から咲き誇る桜の花びらで敷き詰められた道路の上で、

無数の人影に体を虫喰いにされる夢を。



またこの夢か、と溜め息をつきながら、僕は彼女達にされるがまま美味しく頂かれる。女性だという確固たる根拠はないけど、顔を近づける度に漂う、鼻腔を魅了する芳しい香りと肌をなぞる艶やかで長い髪、僕を押さえつける細い腕と長い指、そして布の輪郭が描く実り豊かな双丘と婉然とした腰つきがそう期待させる。これで男だったら……まぁ、別にいいか。


 僕と彼女達(以下『腹ペコ達』)以外、ここには誰もいない。ビルや店の中に隠れているのかもしれない。衆目の中でこんな肉欲まみれなことを……。興奮してきたな。

空の満月がこの世界で唯一の光だった。その光を受けて、真っ白な花びらは絶えず舞い続けている。僕はこの夢を、偉大な先達の短歌から拝借して『桜月夜』と呼んでいる。

 

 身丈が膝下まである純白のポンチョコートのような布を纏って、歳の割に小柄な僕の体に纏わりつく腹ペコ達。顔の部分が陰で覆われているせいで、そもそも全員同一人物なのか、この夢を初めて見た元日から三ヶ月以上経つけど、未だに定かでない。

 

 左手の人差し指が固いもので挟まれる。

 徐々に食い込んで────切れる。

 

 唇が固いもので挟まれる。

 徐々に食い込んで──切れる。

 

 右の足首が固いもので挟まれる。

 徐々に食い込んで──────切れる。

 

 痛みはない。言い方を変えると、痛み以外の感覚は全て生きている。

 だから、腹ペコ達の息や舌の温かさとそれらが当たった時のこそばゆさ、体重、肉体の柔らかさ、咀嚼や嚥下をする音がリアルに伝わってくる。若いうちからこんな感覚に慣れてしまったら将来ろくでもない大人になる気がする。大丈夫かな、僕。

 

 腹ペコ達の一人が鼻と唇のない僕の顔を覗き込む。頭を持ち上げて自身の太ももに乗せててくれる。膝枕かな。程良い柔らかさが頭にフィットして眠気を誘う。夢の中なのに。

「ちゅるん」

 うずらの卵のように僕の右目を吸い込んだ。一瞬のことだったけど、どうやら瞼にキスをされるという少々特殊な経験をしたようだ。

 

 邪な感慨に耽る間もなく、左目もあっさり奪われてしまった。腹ペコ達の豊満な肉体を眺めながら喰われるのが乙なのに……。

 その後も体中をガジガジされることしばし。終には両肩両太ももから先の感覚がなくなってしまった。つまりは……そういうこと。

 恐怖や絶望はない。夢だとわかっているからというのもあるけど、それよりも、必ず終わりがあることを知っていることの方が大きい。

 

 満開の桜を散らす無慈悲な突風が吹き荒れる。おそらく道路の上で惰眠を貪っていた花びらは祝福の紙吹雪のように空中で再び咲き誇っていることだろう。

 

 意識と一緒に腹ペコ達の固さや柔らかさ、重さが遠のいて、代わりに耳介を失った耳に幾重のささやき声が届く。

「やっと  る  」

 僕は守るべきものを失った瞼を閉じる──



 カーテンの下を器用に潜り抜けた日光が、器用に僕の両瞼を照らす。

 修復不可能なぐらい破かれていた中学校のジャージは今日も無事みたいだ。

 

 淫靡で退廃的で猟奇的な夢を見たはずなのに、慣れとは恐ろしいもので特に気分が悪くなることはない。僕はヘンタイなのかとたまに不安になる。

 

 自分が夢の中にいると自覚できて、目覚めても疲労感はない。内容もついさっき観終わった映画のように思い出すことが出来る。

 

 右腕で日光を防ぎながら体を起こす。上の睫毛にぶら下がっている僅かな微睡を指先で挟んでその辺にポイッする。今日という日もポイッとして二度寝がしたい。

 

 だが、そんな僕の我儘をルームメイト兼幼馴染は許してくれない。麗らかな春の朝に相応しい演奏で一日の始まりを知らせてくる。

「このメロディーは『MADELEINE』。ってことは三女だから……七時か」

 思いっきり欠伸をしながら音のする方へ視線を向ける。

 壁にかけられたカラクリ時計。勝手気ままな飾り振り子が実に愛くるしい。


 僕が物心ついた頃には既に一時間毎に不眠不休でコンサートを開いていた。かつてはそれなりにいた観客も今や僕一人だから、出演者達もさぞかし不完全燃焼だろう。

 文字盤の下に施された桜や蝶の模様も十分綺麗だが、最大の特徴は毎正時に文字盤が四方向に分かれ、四体の人形が登場し、そのうちの一体がメロディーに合わせて歌う動作をすることだ。時間によってメロディーと歌う人形は決まっていて、出番待ちの人形は歌っている人形の方を向くという、なかなか凝ったギミックも搭載されている。

 曲は全八曲で、四体の人形はそれぞれフォルムは違うが全員うら若き乙女を模している。僕はなんとなく長女次女……と呼んでいる。

 

 マホガニー材の天井が音を立てて揺れ、宙吊りにされたペンダントライトの傘の上の埃がゆっくり落下する。何年も放置されたまま、ただそこにあって、見向きもされない。

 毎度のことながら、もう少し静かに動けないのかしら。

「えーっと、朝飯はフレークがあって昼飯は購買で買うからどっちも作らなくてよくて。体育着と制服はもう持ってきているから二階に上がらなくていい。あとは……」

 朝にやるべきことを指折り数えて整理する。日頃から先々のことを考えているだけあって朝からドッタンバッタン大騒ぎすることもない。僕って偉いなぁ、誰か褒めてよ。

 

 フレークを胃の中に放り込み、厨房跡で歯磨きと洗顔をし、身支度を整える。

 時計の長針は『8』を指している。少しだけ余裕があった。

 

 七年前まではコーヒーや料理が置かれていたテーブルに手を伸ばし、文庫本の間隙を縫い、そこにあったスマホを掴む。


 「うわぁ……」

 ベッド代わりにしているワインレッドの布張りソファに寝そべってツイッターのおすすめトレンドを見てみたら、今若者に熱狂的な人気を得ているバンドとそのメンバーの名前で殆ど埋め尽くされていた。なんならネットニュースも軒並みバンドに関する話題を取り上げている。この人達、よく炎上してるイメージがあるけど屁にも思ってなさそう。

 

 なんだろうか、全く自分の関知していないものでSNSが盛り上がっている時に芽生える、苛立ちにも似た不当なこの感情は。これが拗れて有名人の結婚や出産を報じたアカウントにわざわざ「誰?」とかコメントしてしまうのかもしれない。気を付けないと。


 ……さて、そろそろ行くか。

 起き上がってブレザーに袖を通していると、天井がまた揺れた。



 ミモザや楠が等間隔で突っ立っている街中を立ち漕ぎで駆け上り、我が学び舎こと県立M北高校を目指す。桜月夜の時と違い、道路は花びらで埋め尽くされていないし、ビルやペデストリアンデッキから下を覗き込む桜は生えていない。

 

 川沿いのサイクリングロードを抜け、信号を渡り、校門前にできた生徒の波に身を委ねる。使っていないプールの縁付近に溜まって漂っている葉のように遅々として進まない。

 

 校門のすぐ近くで咲く桜の枝が(そよ)ぐ。そこから一枚、また一枚と剥がれる花びらが風に乗って鼻先にくっつく。それを指先で取ろうとすると、

「うわっ⁉」

 視界に赤いものヒラヒラ飛び込んでくる。それに気を取られて大きくバランスを崩す。


 「あっぶね……」

 辛うじて持ちこたえる。何だったんだ、さっきの。赤のパンティーだったら、いいな。

 

 妄想に耽ってホクホク気分のまま、駐輪場へ。

 

 女子生徒と目が合った。が、一瞬で目を逸らされてしまった。速かったなぁ。陸上部員と付き合っていただけあって(今でも交際が続いているのかは知らない)、〇・一秒がいかに大事なのか体に教え込まれている。その差で泣くこともあるからね。

 関わるの面倒だからスルーするけど。また合同授業でお会いしましょう。

 

 自転車を止めて筆箱と財布、数冊の文庫本くらいしか入っていないリュックを背負う。

 

 芳春漂う暖気が心に染みこんだのか、気分は湯上り後みたいにフワフワしている。周りの自然や建物、生徒達までもが太陽の光によって輪郭がクッキリ浮き上がって見える。

 

 前を歩く生徒の群れの中でも一際大きい、数少ない僕の友達を発見する。

「ウメタカさん、おっはよーございまーす!」

「あ……? って、何だメーセーか。今日は随分元気だな……」

 ウメタカは欠伸をしながら首の後ろを掻く。年々肥大するダイナマイトボディならぬオールマイトボディをいつまで学ランが抑えきれるのか、こっちはヒヤヒヤしている。

 

 ウメタカとは中一からの親友で、陸上部で共に切磋琢磨してきた仲だ。

 私服の僕とウメタカが並ぶとよく親子に間違えられる。断じて彼の身長が一九〇近くあるのに対して僕は一六〇㎝で、顔が小学生の頃から全く変化していないからじゃない。

 

 狭い通路でも僕はウメタカと横並びで歩く。

 ウメタカの一歩は僕の三歩に相当するため、どうしても早歩きになってしまいがちだけど、彼にスピードを合わせられるのも悔しいから精一杯余裕そうな顔をする。


「そう言うウメタカは随分眠そうだね。軽く体操でもして体をあっためた方が良いよ」

「体操?」

「うん。手を横にー、玉危ない!」

「頭を下げればぶつからんぞ」

「頭を押さえつけないで! ちっちゃくなっちゃうから! ……いや、このままいけば女風呂に入っても許されるくらい縮むのでは?」

「しまった、ヘンタイの手助けをしてしまうことに……あぁ、しまった。押し込み過ぎてクレしんぐらいになっちまった。気づかぬうちに蹴り飛ばしてしまうかもな」

「それは困るなぁ。サクランボ食べて頭に桜でも生やして視界に入るようにしないと」

「古典落語か……」

 古典……。なぜか胸に引っかかるワードだな……。


 「あっ! 今日古典の授業があるんだった!」

 古典担当のシキブンの、笛ラムネでも咥えているかのような呼吸音の幻聴が聞こえ、肌を悪寒が駆け巡る。

 

 可能性は低いが、シキブンは日付と同じ数字を持つ出席番号の生徒を指名して教科書の文章とその和訳、助動詞の種類を聞いてくる。「わかりません」って言うと、あの音をサブリミナルに立てながらクドクド説教垂れることから生徒からの評判は決して良くない。


「ねぇウメチー? すぐに返すから古て──」

「断る」

「そんなぁ! こんなこと頼めるのは親友であり藁でもある君だけなのに!」

「藁って……。どうして前もってやらなかったんだ?」

「だって一式持って帰らなかったんだもん」

「知るか。だったら普段より早く学校に来てやればよかったんだ」

「だって今気づいたんだもん」

「言い訳してる余裕があるなら今から急いでやれよ」

「ブー、けちんぼ珍棒ちんちんボーボー」

「しょうもない。身長と共に脳みそまで縮んじまったか」

「うるせっ!」

 

 僕はウメタカの腕にぶら下がる。


「止めろって。子猿みたいだぞ……重さを全く感じない」

「ふふふブラブラだー。ブーラブラブラブラジャーじゃー。あー、このままEカップサイズのブラになって風に飛ばされて親切なEカップ美女に拾われて使ってもらいたいなぁ」


「気色悪い願望が駄々洩れしてるぞ」

「でも、今まで一回もブラになったことないし練習しとこっかな」

「は? っておい、何やってんだ?」


 後ろから抱きつき、おにぎりを握る時の手の形でフロントフックを再現する。

「ふふふ、今の僕はウメタカの豊満な胸を支える縁の下の力持ちだ」

餃子(チャオズ)にしか見えないだろ」

 

 こんな感じで、オチも脈絡も論理性も生産性もない会話が繰り広げられる。

でも、高校生の会話なんてこんなもんでしょ? ウメタカ以外の人間とはあまり話さないからわかんないけど。

 

 こうやってひっついていると、まるでカラクリ時計にでもなったかのようだ。

 精巧な形態と緻密な仕掛けがお客の目を引くからという理由で壁に飾られ、店が潰れたら黒歴史のように忌避され、放置された時計。

 

 期待されるだけされて、それに応える気がなくなった途端、いらない子扱いされた僕。

 

 なるほど、親近感の正体はこれだったか。

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