第6話 家族
カーラ 公爵令嬢 銀髪に翠の瞳
レフ 転生者 琥珀狐 カーラの相棒
コラン カーラの想い人(両想い) 王子 金髪碧眼
ヘルン コランの姉 王女 金に近い茶色の髪 碧眼
ロナルド(ロニー) カーラの兄
シーミオ カーラの母
ロイル カーラの父
ジャスミン 町の料理店の店主
ケイト 転移者 ジャスミンの店の店員
プラシノ 風の精霊
白 沼地に住む魔物 人の姿をしている
トッチョが家の扉をあけると、近所に住むニカが飛び出してきた。
トッチョと同じ9歳だけれど、トッチョより少し背の高いおさげの少女だ。
「トッチョ! ミルズが……!」
はじかれたように寝台にかけ寄るトッチョ。
ミルズーー4歳になる妹の顔が赤く、額には汗が浮いている。
眠っているのか、目は閉じているが、その表情は苦しそうだ。
そっと額に手をのせる。
ひどい熱だ。
「扉の前で倒れていたの」
「いつから?」
「お昼を届けにきた時」
もう夜だ。
薬草の群生地を見つけてしまったから、あと少しあと少しと、薬草とりに夢中になってしまった。
「ありがとう、悪かったな。あとは俺が」
ニカが、昼からずっと看病してくれたのか。
「……お父さんは?」
「いないよ。いたって、じゃまなだけだ」
酒を買うことしか頭にないのだから。
「熱、下がらない……」
どころか、ひどくなっているのではないか。
うわ言を言うミルズの顔を濡らして絞った布で拭き、手を握ることしかできない。
赤かった顔が、心なしか青白くなってきている気がする。
村の皆も、自分が食べていくので精一杯だ。余裕があるわけじゃない。
たとえ金が工面できたとしても、医者のいる町までミルズを連れて行く事は現実的ではない。
やっと帰ってきた父親は、投げやりにこんなことを言う。
「あそこの魔物なら、小金を溜め込んでるかもな。このまま死ぬくらいなら、魔物に売り払ったらどうだ」
「父さん……」
トッチョは頭に血が昇って、父親を突き飛ばそうとーーしたけれど、びくともしない。酔っ払っているくせに。
「待ってよ、本気で言ってるの?!」
あの優しい幽霊は、人など買わないだろうが。
悔しい。
自分に魔力があれば。力があれば。金があれば。
「知ってるぞ。町の奴ら、魔物のところに金銀を納めているだろう。それで、買ってもらえ。うまくいけば、魔物様の魔力で治してもらえるかもしれないぞ? ーーここにいたって、どのみち助からない」
力では敵わない。お金を稼ぐ技術も、冒険者になる腕も、今のトッチョには無い。
苦しむ妹ひとり、トッチョには助けられない。
このままでは本当に、ミルズは死んでしまうかもしれない。
だったら、あるものを差し出すしかない。
冷静になると、それは良案のように思えた。
少なくともきっと、彼は話を聞いてくれる。
ろくでもない父親とは違って。
「せめて……最後は親らしくしろよ」
「あ?」
「行ってやるよ。だから、せめてミルズを沼地まで運べ!」
「幽霊の兄さん! いるんだろ?! 話があるんだ! 聞いてほしい!」
トッチョの剣幕に思うところがあったのか、ただ金銀が欲しいだけなのかーー悔しい事におそらく後者だと思うが、父親は黙ってミルズを背負って沼地まで歩いた。
トッチョは松明をもって先を歩き、近道を案内しながら、野犬や虫を追い払った。
沼地の草むらに立ち止まって、必死で声を張り上げる。
「出てきてよ!」
(もう他に頼れるところなんてないんだ!)
「誰もいないじゃねぇか。本当にここかぁ?」
せっかく歩いてきたのに、いなかったじゃ済まねえぞ、と、父親はトッチョの肩をこづいた。
「幽霊では、無いのだがな」
いつの間にか背後にいた。
幽霊ではないというが、とても幽霊っぽい登場じゃないか。
(やっぱり、来てくれた)
まだ何の話もしていないのに、幽霊の顔を見ただけでほっとするのは何故だろう。
「なぁあんた、村の奴らが置いてった金銀があるだろう? 魔物のあんたにゃ無用な長物だ」
「金銀? ああ、何やら人々に置いていかれる貨幣の事か」
「あれと、こいつらを交換してくれないか? こっちはいまはヘタってるが、お得意の魔法でちゃちゃっと元気にしてくりゃ使いようはある」
「……あれが、ほしいのか?」
幽霊は怪訝な顔をしている。
「我は争いを望まぬ。ほしいなら持っていけ」
少し眉根を寄せて、厄介ごとはとっとと去れといいたげな態度だった。
トッチョの胸がチクリと痛む。どうしよう、これからお願いする事を、この幽霊はどう思うのだろう。
トッチョが一方的に見ていただけで、この幽霊からしたらトッチョなどいきなり現れた子供にしかすぎない。
白い蛇が、皮袋に入った貨幣を運んできた。
中身をあらためて、父親がにやりと笑う。
「へへっ。言ってみるもんだな。何、タダほど怖いもんはねぇ。魔物に借りをつくるつもりはねぇよ。かわりに、こいつもやるよ。煮るなり焼くなり、好きにしてくれ」
トッチョの背中をぐいと押す。
「いや、我は望まないが……」
幽霊の答えも聞かずに、父親は足取りも軽く去っていってしまった。
幽霊は子供たちに視線を戻す。
残されたのは、熱に浮かされた幼子と、幼子を抱きしめて下を向き、下履きをきつく握りしめている少年のみ。
ふむ。と考え込む。
「小童、お前はどうしたい」
トッチョはパッと顔を上げた。
そうだ。まだ何も言っていなかった。
何かを得たいなら、自分から動かないと。
「俺には、もう行くところがない。村に帰っても、医者にもかかれない。下働きでもなんでもします。ミルズと一緒に、ここに置いてもらいたいです」
虫の良い話だろうか。
「無理だったら、僕のことは放り出しても食べても良いから、ミルズだけでも助けてほしい」
「我は、人族など食わん。小童の気持ちを、問うておるだけだ」
当然のように、幽霊は言う。
「いたいなら、いたいだけいたら良いだろう。村に戻りたくなったら、戻れば良い。止めはせん。だが、ここにとどまるなら手伝いはしてもらうぞ」
パチン
幽霊が指を鳴らす。
瞬きの間に、運ばれたのだろうか。トッチョは豪華な部屋の中に立っていた。
白い織り模様の絨毯の上に、ミルズが横たわっている。
駆け寄りたいけれど、泥だらけの自分が絨毯を汚してしまうのではと気になって、身動きがとれない。
幽霊が、ミルズの額に白い手を置く。
ミルズは一瞬、ビクッと身じろぎしたが、そのまますぅっと息を吐いた。
心なしか、顔色が良くなった気がする。
本当に、治してくれるのだろうか。
「中の熱を少し奪った。あとは娘の生命力次第といったところか。まぁ大事は無いだろうよ。ついていてやれ」
「白さまぁ、ヘルン様から通信です〜」
また違う白蛇がやってきた。こっちの蛇には、首に蝶ネクタイのような模様があった。
ーーこの蛇はいま、なんと言った?
「ヘルン様とお友達なの?」
恐る恐る聞く。
国民から人気のある王女だけれど、庶民からしたら幽霊よりももっともっと、遠い存在だ。
「うむ。飲み友達だな」
こともなげにいう。
驚くことばかりだ。
「お酒飲む人にも、良い人がいるんだね」
ふっと、白が笑った気配がした。
「少々、ここで待っていてくれ。すぐ戻る」
トッチョにそう言ってから、ミルズの方に向く。
「ああ、まだ辛そうだな。そこの椅子に横たえてやれ」
「でも、汚れちゃうよ」
「人はおかしなことを気にする。使えば汚れる、当然だろう」
それは、そうなのだけれど。
今まで怒られ慣れてきたせいで、そんなに優しくされたら困惑してしまう。
「昔、人族の女が言っていたぞ。幼子は泣くのと汚すのが仕事だと」
そう言ってから、トッチョたちの事を初めて見るかのように、まじまじと観察する。
「あの時にみた子供よりは、いささか成長した個体か……」
独り言のように呟いている。
幽霊の記憶にいる子供は、乳飲み子なのだろうか。
「ずいぶん昔の事だ。記憶も薄れるものだな」
よく覚えていなかったらしい。
「そうだ。ーー我は、他の国から来たのでな。この国の貨幣は、扱った事がない。小童は貨幣の価値が分かるのか?」
「あ、はい」
納品も買い出しもトッチョの仕事だったから、簡単な計算や読み書きは独学で学んだ。
「家族の洋服など、これから要り用だからな。我に使い方を教えてくれるか?」
「あ、わかりました。ほかにも、家族がいらっしゃるんですね」
いまはここにいないのだろうか。いつか紹介してもらえるだろうか。
「そうだな。ここにいるハクリとーー」
蝶ネクタイの蛇が、誇らしげに首をもたげた。
「小童、名は?」
「トッチョ! 妹は、ミルズだ!」
「我は白という。トッチョ。ミルズ。今日からお前たちも、我の家族だ。人族は、一緒に住む相手をそう呼ぶのだろう?」
口の端を上げて笑う白。
トッチョは溢れ出る涙をうでで拭った。
「はい……、はい!」