第33話 蹴散らせ
ヘルが大きく口を開けた。
ぐぱぁと開けた口の奥から、異臭とともに紫色の飛沫が飛び散る。
「ーーくっ」
咄嗟に飛び退る、コラン。
先ほどまで立っていた場所の草花が、朽ちて腐り落ちた。
「触れたら、やばそうですね」
エリアスが、すぐに全員に結界を張る。
ヘルはそれがお気に召さなかったらしい。
少し腰の曲がった老婆の見た目には似つかわしくない速度でーー猛ダッシュし、エリアスに体当たりした。
「わわわ、ちょっと」
体勢を崩してふっとんだーーと思ったのは、丸太だった。
転がったそれは、外側からどろどろと腐り落ちる。
ヘルのアタックにまともに当たったらよろしくないということが、よくわかった。
「やめてくださいよ、もー」
少し離れた場所で、エリアスが服をぽんぽんと払っている。大事ないようだ。
(忍者みたい)
などと、感心している場合ではなかった。
よそ見をしているレフの喉笛を目掛けて、フェンリルが突進してきた。
とん、
レフはフェンリルの鼻先を踏み台にして、空高く跳ぶ。
相手との体格差があるなら、それを逆手にとるだけだ。
魔力では負けないのだから。
レフは空中から次の一手を仕掛ける。
「大地の鉄槌」
大地から飛び出したハンマーの一撃が、フェンリルの頭に落ちる。
「ギャン!」
フェンリルが犬のように鳴いた。
致命傷にはならなかったようだが、多少のダメージは食らわせただろうか。
プラシノとの特訓の成果だ。
プラシノが、カーラに手を向け叫ぶ。
「嬢ちゃんの聖属性魔法を極限まで強化」
とたんに、カーラの身体を、翠色のオーラが包む。
続いてレフの隣に飛んできて、耳うちする。
「レフは合図したら魔力を光属性に練った上で放出しろ、俺が攻撃特化の形にして誘導する」
「了解」
「私は?」
コランが問う。隣に戻って控えているエリアスは空気と化している。しかし結界の維持には手を抜いていない。
「コランは、大事な役目があるから、適当にかわしながら待っててくれ」
「承知した」
「いくぞ」
プラシノがにやりと笑う。
「目にものみせてやろうじゃないか」
カーラのまわりの空気が一変する。
翠のオーラはうずを巻いて、周囲をまきこんでゆく。
レフたちにとっては心地よいオーラだけれど、ロプトの眷属たちには嫌なものらしい。
老婆は歯ぎしりをしながら、じりじりと後ずさる。
その頃には、風下にあたる帝国側でもざわめきがおこっていた。
風にのってやってきた異臭とともに、肌がただれる者がでてきたのだ。
ロプトは意にも介さず、高みの見物だ。
「あいつ、味方も何もお構いなしかよ……」
そもそも味方ですらなく、ただの駒なのか。
あちらの兵卒となってしまった者たちを、少し不憫に思うプラシノであった。
さっさと、綺麗にしてやろう。
プラシノとカーラが目くばせをして、同時に唱える。
「「ーー治癒の渦!」」
翠の竜巻が、ヘルに突撃する。
ーーギィヤァァーー
身をよじって逃れようとするが、聖なるオーラはどこまでもまとわりついて追ってくる。
のたうち回る老婆の姿に、徐々に変化がおとずれた。
悲鳴が小さくなり、腐臭がきえる。
肉が腐り落ちていたはずの足はところどころ白い肌が見え、老婆だったはずの顔がいくぶんか若返っていた。
翠の光の中に消えゆく刹那、その女性の口元が笑ったようにレフには見えた。
真偽のほどは、わからないけれど。
「なんでまた俺〜?!」
気の抜けた声が聞こえたと思ったら、エリアスがフェンリルに追いかけられていた。
見た目にはいちばん圧がなく、獲物として弱そうに見えるのだろうか。
「よっ、ほっ、ほ」
軽快にステップを踏みながら逃げていると思ったら、何やら罠を張っていたらしい。
急に止まったエリアスに飛びかかろうとしたフェンリルが、突如伸びてきた蔦の縄に拘束された。
「ふ〜。あとは頼みますね」
良い運動をしたなと言わんばかりに、爽やかに袖で汗を拭うエリアスである。良い仕事っぷりだ。
唸りながら拘束から逃れようと暴れ回るフェンリルのまわり四方に、カーラが岩の壁を出現させた。
「レフ!」
「はいよ」
先ほどの指示通り、光属性に練り上げた魔力を力いっぱい放出する。
「まだまだいけるだろ! もっと気張れ!」
大人プラシノ、無茶をいう。
しかし限界は自分で決めてはいけないと、異世界の偉人たちが言っていたような。
「なっ……! やってやろうじゃないのよっ」
さらに大きくなるレフの魔力に、プラシノが満足気に頷く。
まるで鬼監督だな。
「できんじゃねぇか。上出来だ! あとは任せろーー」
プラシノが右手を天に突き上げ、拳を握る。
「光の槍!」
光は空高く集約し、巨大な槍の形になってーー地を貫くように、フェンリルに向けて墜落した。
ドオオォォ……
地鳴りと土埃が一帯にたちこめる。
プラシノが風を起こし、粉塵を押し流す。
視界が戻ったあとには、もう何もいなかった。
「どうよ、あんたが弱いと笑う俺たちでも、こんくらいはできるんだぜ」
すっかり笑顔の消えたロプトに、プラシノが言う。
ロプトは吐き捨てる。
「たかが手下二匹が消えたくらいで、俺に勝てると思うな」




