第15話 善意と悪意、そして災厄は音もなく
カーラ 公爵令嬢 銀髪に翠の瞳
レフ 転生者 琥珀狐 カーラの相棒
コラン カーラの想い人(両想い) 王子 金髪碧眼
ヘルン コランの姉 王女 金に近い茶色の髪 碧眼
ロナルド(ロニー) カーラの兄
プラシノ 風の精霊
白 沼地に住む魔物 人の姿をしている
ハクリ 白の執事 白蛇の姿をしている
トッチョ 白に救われた少年
キャンディ 帝国第七王女
「ーー魔力阻害?」
コランが眉を顰め、聞きかえす。
白は首肯して、説明を続ける。
「ああ。我がユルグの森から逃げ出した理由だ。恐らく、魔力を阻害する何らかの武器を、帝国側が持ち込んで実験を行っていた。そのせいで、我の魔力も不安定になり、他の棲家を探すことにしたーー」
「その武器が、使われたとしたら」
「いくらヘルン殿やカーラ殿といっても、油断はできないだろうな」
「覚えておこう」
「まぁ、武力衝突をする前に決着がつけば良いのだが」
白の言葉に、レフは考える。
「ねぇコラン、いざという時はさ、圧倒的な力を見せてやれば良いのでない?」
たとえば、レフとプラシノとカーラなら。
「戦る気を削ぐぐらいに、圧倒的な力を見せつけてやれば」
「そうなのだけどね……。魔力阻害も気になるし、とりあえずは様子見だな。こちらからは手を出さない。ただし、出された時はすぐに対処する。無駄な血が流れるまえにね」
「ひとまず、休み備えましょう。ヘルン殿が到着するまで、まだ時間がある」
白はそういってから、それぞれを客室に案内するよう、ハクリに申しつけた。
※
眠れない。
夜になっても、疲れているはずの体は眠ることを拒否していた。
ひとりでいるのが落ち着かなくて、キャンディは部屋を出て少し歩く。
皆が集まっていた広い部屋。
いまは、この棲家の主人だけがひとり晩酌をしていた。
「それは、お酒?」
美しい白髪の背中に声をかけると、白が振り向いて少し笑った。
「我には水のようなものですが、あなたには強すぎるでしょうね」
猪口を置いて立ち上がって、棚から瓶に入ったワイン色の液体を取り出す。
「果実水はいかがですか?」
「ありがとう……いただきます」
「眠れませんか」
「今日は、いろんなことがありすぎて……。ひとりで眠ろうとすると、いろんな考えが浮かんでは消えるのです。実の父には、駒として殺されそうになりました。私が死んだ事になったら、そのせいで、戦が始まるかもしれない。これからもっと、たくさんの人の命が奪われるかもしれない。だったら、何がなんでも帝国に戻って、処刑されても父を糾弾してやろうと思いました。なのに、私は、怖がっている。まだ、死にたくないのです」
王族としての誇りは、死の恐怖にも負けるのか。
自分がとても小さい人間のようで、恥ずかしく思う。
「それの、何がいけない?」
思いがけない問い返しに、キャンディは顔を上げた。
「我も、帝国から故郷を捨てて逃げてきた。ただ生きるために」
澄み切った液体をひと口含んで、こくりと飲み込む。
「生きることに理由が必要と言われたら、我も困るな」
「理由……」
「そうだな、我の場合は……。静かに過ごせる棲家が欲しかった。それは、我自身が心地良いから」
ぽつぽつと、白は続ける。
「誰かと酒を飲むのが好きだ。相手との距離が、ぐっと縮まったような時間を過ごすことができる。研究も好きだ。自分の知らなかった世界を、自分の手で作り出せる。キャンディ殿の、好きなものは何だ? 心地良いと感じるものでも良い」
「私はーー私には、何も」
しなければいけない事をして生きてきた。
自らこれと望んだ事があっただろうか。
「素晴らしい!」
「え?」
「何かを好きになる喜びや発見を、これから感じられるのだろう?」
「でも、私は取り返しのつかない事をーー」
「コラン殿やカーラ殿は、失敗を許さない?」
「い、いいえ。昔ーー失敗からどう学ぶかを、教えていただきました」
「あなたを殺そうとした父の事を、どう思う? 彼のもとに戻りたいか?」
「……いいえ」
「ならば、あなたが縛られる理由はない」
そうーーなのだろうか。
生まれてから自由などなかったから、自分の気持ちのままに生きるということがピンとこない。
「戦は、もう始まっていると思うか?」
「いえ、まだーー。でも」
「では、簡単だ。止めれば良い」
にっこりと微笑む白の顔をみていたら、ほんとにそんな気持ちになってくる。でも、できるだろうか。そんな事が。自分にも。
「まだ、誰の命も奪われてはいない」
「はい……!」
自室に戻ったちょうどその時、壁にかけた鏡がゆらりと歪んだ。
白は鏡に手をそえて、魔力を注ぐ。
ゆらぎが消え、見慣れた美人が映し出された。
『白、聞こえる?』
「ああ。ヘルン殿。いまはどのくらいか」
『野営中よ。明日の朝にはそちらに着くわ』
ねぇ、と、珍しく真剣にヘルンが言う。
『そちらに、あちらの王女がいるのよね』
「ああ」
『呼んでくれる?』
「良いのか? この技術を見せてしまうことになるが」
『かまわないわ』
「承知した」
扉の外に控えていた執事へ、白は告げる。
「ハクリ、キャンディ殿をここへ」
「ヘルン殿下。この度は申し訳ありません」
鏡を見て驚いたキャンディだったが、すぐに頭を下げて謝意を示す。
『責任が取れると、思わない事ね』
キャンディの握った手に、ぐっと力が入った。
『あなたの国の民にとって、たかが15歳の王女の命にどれだけの価値があると思う?』
それは……わからない。自分にも。
それでも、王族として命をかけるのが筋なのだろう。
そう思ったキャンディだったが、続くヘルンの言葉は予想だにしないものだった。
『学びなさい。自分に足りなかったものは何なのか。備えるべきものは何なのか。あなたならわかっていると思うけれど、皇帝のためでは無いわよ。あなたの国の民のために。生きなさい。何年も何十年も。そして責任を背負えるだけの人物におなりなさいな』
真剣な顔も迫力があって美しいけれど、笑った顔は女神のように眩しかった。
『それだけは、今のうちに言っておこうと思ってね』
「はい……っ」
言葉が出てこない。再び頭を下げることしか。
『白』
「ああ」
『私が着くまで、頼むわよ』
「承知した」
『あなたは断らないわね。ありがとう』
その言葉を最後に鏡は沈黙し、再びこの部屋を映し出した。
「お見通し、なのですね。とても、大きいお方でした」
「さすがだろう? 我の飲み友達は」
「ふふ。はい」
※
「戦いに、なるのかしら」
この世界でも、太陽が朝を連れてくる。
朝焼けの頃、プラシノの気配がしたので、少し外の空気を吸いがてら、白の棲家から出て迎えにきたレフである。
高い木の上なら、潜伏した者たちに見つかることもないだろう。
年若い王女を、迷わず襲った帝国の人間。
いざとなったら、迷わない決意はしている。
でも平和な国で暮らしてきた記憶があるレフにとって、人を相手に戦うという覚悟が本当にできているのか、わからない。
意思疎通できないドラゴンとは訳が違う。
いざその時になってみないと、わからなかった。
「お前がどうなっても、俺は受け入れてやるよ」
何も言っていないのに、隣に座ったプラシノがそう言う。
そうか、精霊は念話ができるのであった。
隠し事などできないのか。
「そんな味方がいても、良いだろ」
「そうだね」
嫌な予感がするのだ。
首の後ろがぞわぞわとするような、嫌な気持ち。
記憶を無くす前のレフが、何かを訴えているような気がして、仕方がないのだ。
※
ひとり木の上に立つ少年がいた。
肌は浅黒く、髪は夜の闇のように深い黒だ。
ローブのような黒い布を纏っている。
目だけが朝日をあびて金色に光り、一点をただ見つめていた。
「みーつけた」
獲物を見つけた狼のように、牙を見せて嗜虐的に笑う。
臀部からのびた尻尾が、黒蛇の形をしてうねる。
蛇の口から溢れ出た液体が、木の枝に落ちた。
枝は朽ちて、カサカサと音を立てて地に落ちる。
風が吹いて、鴉が飛び立った。
後には何者の姿もなく、沈黙だけが続く。




