第13話 亡国の花
「そろそろ、行こうか。見つかる前に」
まずトッチョがあたりを見回し、外に出た。
続いて少女がうろから出て、歩き出す。
方向はわかっている。あとは進むだけだ。
ビュオッ
風をきる音がした。
それが矢の音だと気づいたのは、視界の端で赤い血が流れたからだ。
「ーーっ」
少女の左上腕が裂けていた。
押さえた指の間から、赤い血がしたたる。
声は上げない。見つかるからだ。
悲鳴もうめきも噛み殺す少女の精神力に、トッチョは己の不甲斐なさと比べて奥歯を噛み締める。
(頭、さげて。しっかり傷を押さえてて。あと、少しだから)
肩を貸しながら囁く。
励ましながら、共に走ることしかできない。
ヘルン王女だったら、白だったら、きっと悪いやつを退治したりできるのに。
トッチョは、逃げる事しかできない。
だったらせめて、最後まで逃すんだ。
白のところまで。
白が、きっと、なんとかしてくれる。
(白、たすけて!)
そんなに長い時間ではなかったはずなのに、何時間も走ったような疲労が身体じゅうを襲う。
森を抜けて、沼地が見えた。
息が苦しい。喉が痛い。少女に貸した肩だけが熱い。
立ち止まらずに沼に走り込もうとするトッチョだが、ためらった少女の足取りは重く、体が後ろに引っ張られる。
「大丈夫だから! 飛び込んで!」
矢が届く距離に追っ手がいるのだ。滴った血も道標になっているだろう。一刻の猶予もない。
トッチョは、武器も防具も、もってはいないのだ。
もう一度射られたら、おしまいだ。
少女は意を決した様に、一歩を踏み出しトッチョに身を預けた。
「俺を離さないで。いくよ」
「はいっ……」
いまから何が起こるのか説明する時間も余裕も、トッチョにはなかった。
少女の身体が自分から離れないよう、はぐれないよう、繋ぎ止めるだけで精一杯だ。
ふたり同時に、沼の中に飛び込む。
足元からのぼる光につつまれる。
何度やっても慣れないなと思いながら、トッチョは浮遊感に身を委ねた。
「白様! 怪我人です!」
ハクリだ。
床に倒れ込む少女とトッチョ。
「……大丈夫だよ」
もう、大丈夫だ。少女の肩をさすりながら、慌てて走ってきた白を見上げる。
「勝手に連れてきてごめん。この子、矢に射られて……! 助けてあげて」
そこは泥の中ではなく、白の棲家だった。
白が許可している者は、自動的にここに転送されるようになっている。
トッチョと触れていたから、少女も一緒に転送できた。
それでも仮に敵意があれば弾かれるので、少女はトッチョや白に敵意をもってはいないという証明もできた。
「レヴィ……?」
白が驚いた顔で呟く。
「白?」
トッチョの問いに、白ははっとしたように瞬きをして、少女の傷の方を見た。
「ーーいや。矢傷か。見せてみろ」
「ーーっつう……」
「見た目より傷は浅いな。痛むが、少し我慢を」
白が手で傷口を圧迫する。
しばらくそのままでいたが、少しずつ、少女の顔から苦悶の色が薄れていった。
トッチョは安堵のため息をつく。
もう、大丈夫。
ハクリとミルズが水を持ってきてくれた。
受け取ろうとした手がまだ震えていて、水を少しこぼしてしまった。
少女は服装をーー可能な範囲でーーととのえて、白に向き合った。
「ありがとう……ございます。見ず知らずの私に、ここまでしていただいて。私の名は、キャンディと申します。ここはーーあなたの空間なのですね。神か魔物か、追求はいたしません。いまはこの身一つ、何も返せるものがございませんが、いつかきっと御恩に報います」
まだ治りきっていない腕をついて、頭を下げる。
その仕草がとても綺麗だと、トッチョは思った。
「……聞き間違いでなければ。先ほど、レヴィとおっしゃいましたか?」
顔を上げた少女が問う。
「ああ、すまない。あなたの髪の色とよく似ていたもので……昔の、知人が」
「それは、母の出身地によくある名前ですね」
「お嬢さん。国は、どちらかな?」
「生まれは帝国でございます。母の出身地は……今は亡き国でございます。ひと昔前に、帝国に、編入されました」
「初夏になると一面に紫色の花が咲き、その香りが満ちる場所だと、聞いた事がある」
「よくご存知ですね。その花畑は、健在です。一度戦火に燃えはしましたが、人々は諦めずに再び花を咲かせました」
「そうか。そうかーー」
頷く白の顔を見ていたら、『昔の知人』はとても愛おしい人だったのかなと想像が膨らんだ。
今その表情をさせている相手が、白のそばにいないということは、悲しい思い出でもあるのかもしれないけれど。
トッチョは白の事をまだ全然知らないのだな、と思う。
いつか、話してくれるだろうか。
「懐かしい話が、できてよかった。恩など忘れてくれて良い。我には、何よりの土産だよ」




