第八十二話 母か姉か
ヒトカゲ討伐の出立の日をようやく迎え、副支部長が指揮をとることから第二支部に居残る倖女が見送りの言葉をかける。
「しっかりと務めを果たしてくるのよ。――無事を祈っているわ」
倖女の周りにはたくさんの人で溢れかえっている。最後の別れかもしれないからと長い時間をかけて別れを済ませていて、その中にはリビーが混ざっていた。
暇を持て余したノエルは、まだ終わらないのかとリビーの元に突撃する。何を言わずともリビーが「分かった分かった」と適当に誤魔化すのを、共にいた沙弓とやらが頭をごしごしと撫でて援護する。
「よしよし。ノエルは寂しかったんかな。リビーのお姉ちゃんであるうちが、代わりにかわいがってあげる」
「ノエルに限ってそんなことはないと思うけどなあ。……そうだったりするん?」
「いや」
いつまでも撫でる沙弓の手をどかすと、今度は違う手が伸びてきた。乱れた髪を直しているのか、丁寧な撫で方だ。沙弓とはずいぶんと手つきが異なる。
ノエルは顔を上げて、倖女を見る。柔らかい表情で、優しい声だった。
「ノエルも、どうか無事で帰ってくるのよ」
「……ん」
既視感をもったが、それが何かは分からなかった。
ノエルは視線を敏感に感じてその方向を見ると、複雑そうな表情でノエルを、いや、倖女を見ている代美がいた。
編制された班でまとまって移動をするのだが、第二支部からヒトカゲがいるという場所は三日ほどの距離にある。ヒトカゲは相当な数がいるというので、それに合わせて大人数で臨むことから、歩みを合わせていくとそれほどの時間がかかるというのだ。
徒歩でなく、馬に乗っていけば早く着けるのに。
ノエルと代美で第二支部まで乗ってきた馬は預けてきている。リビーと仁の馬も同様だ。だが、ただ一人エレオノーラは黒鹿毛の馬を手綱を引いてきている。どうにか奪えないものかと一瞥すると、エレオノーラはそんなノエルに気づいて大袈裟に手を広げて馬を守るようにする。
「あげないからね。まず私以外に乗れないだろうし」
「そうなのか? 大人しそうな馬に見えるが」
代美が横から口を挟む。
「背に乗せることだけは、私以外は拒絶して乗らせたことはないからね」
「やってみないと分からない」
「挑戦してもいいけど、帰ってからね。ここではやらせてあげない」
「なら、一緒に乗っていこ」
「私と一緒ならこの子は乗らせてくれるけど、皆に怒られるからやんないっ」
エレオノーラは意見を翻すことがなく、油断もしない。こっそり奪って一番乗りすることも許さないだろうから、ノエルは諦めて黙々と歩くことにする。
その一方、いつも通り代美たちは賑やかだ。
「それにしても、これほどの人数が集まるとは思わなかったな。安茂は第三支部から来ているのだろう? 遠いし大変だったのではないか?」
「そうですね。かなり大変でした」
「第三支部ってどこにあるんやっけ?」
「筑前です。日本の端から端へ来たようなものですかね」
「うへえ。そりゃ大変やな」
「でも、旅している中で話を聞いて来ましたから、そこまでではないですよ」
安茂も結構喋るたちらしい。にこやかに代美やリビーの話に応じている。
「だからか。第三は他に見かけないのは」
仁がそう言う。
「第三支部は遠いから、間に合わんと人はやらんかったんやない? その分、近いところにいっぱいやったみたいやけど」
「本部や第二支部の灰身上の他にもいるからな。農民もいるし、どこぞの武家もいるぞ」
「灰身上の人手不足もありますが、それほどまでにヒトカゲの数が異常なのでしょうねえ」
ノエルとしてはその方がよりヒトカゲが斬れるのでいいと思う。ただ数に囲まれて死ぬことがないよう、ある程度の人手はいてもいいとも思う。
進んでいく先は人間の支配圏でない、ヒトカゲが蔓延る一帯となる。そのために移動中は大勢いる人につられてヒトカゲが寄ってくるのだが、ノエルの班の位置は悪く、直接斬り合えることはなかった。
一時の休息や食事や就寝のための哨戒時はどうかと期待するが、これも三日の内には出番がやってこない。その程度の人手は足りているか、または女子どもが多いからと配慮されているのではないか。そんな代美の見解が確かだとすれば、なんて理不尽なのだろう。
ただひたすら歩くだけでいたノエルは鬱憤が溜まっていた。せめて休息時などに鍛錬をしようとすると、体を休むことも大切だぞと親切に見せかけて言ってくる者がいるのでなおさらだ。
そのために夜の寝静まった頃に抜け出して、鍛錬をすることにする。数日なら寝なくとも身長の伸びには影響しないだろう。
「…………目の届くところにはいろ」
意外なことに、代美はノエルの動きによって起きた。寝ぼけながらにも言ってくるが、鬱憤を晴らす邪魔はしないでくれる。
その他にも、声は掛けぬがエレオノーラが起きているようだ。こっそりとついてきて、危険がないように警戒している。カーヤとの一件で感知能力を上げたことで、エレオノーラも感知できるようになっていた。
ノエルは憧れである和人の剣筋をなぞって、夢幻を振る。もう何百も何千回も繰り返してきたことだ。体が覚えるほどになっても、飽きることはない。
夜の暗さはノエルの幼さと性別を隠した。誰かが刀を振っていると気付いていても、とめられることはない。
ヒュン、と空気を切り裂く音が鳴る。剣技は冴えている、とノエルは認める。和人の剣技に辿り着く日は近い。
だが、いつになっても『姿勢』ができることはない。目の前にいると見えているのに認識ができなくなるのだが、代美に教えられたころから進展がなかった。
エレオノーラのように隠れ潜むのではない。その身を隠すことなく、その場に溶け込んで認識できないようにする。
「難しい」
手本があればよかったが、過去にカティンカには拒絶されており、他の者は出払っていて交渉すらできなかった。
何度か挑戦するも失敗して、もう寝ようかと今日のところは諦めようとする。そんなときにノエルに近づいてきた者がいた。
「やっぱりノエルか」
仁は寝床となる場所とは正反対の方向から来ていた。眠たそうな顔つきでもない。
まさか、と思ってノエルは問いかける。
「どこに行ってたの」
「あー……ちょっと、な」
「どこ行ってたの」
ずずいと迫れば、仁は白状した。
「……ったく、哨戒だ」
「なんで」
「お前らは女子どもだから、配慮して外されてるんだよ。でもそれに合わせて俺もやらなくていいってのはずるいって言われてな」
やはり代美の見解通りだったらしい。なんて理不尽だ。
「ずるい」
「あのなあ。俺だってやりたくてやってんじゃねえよ。ここら辺のやつらは強いからな。人付き合いがあるからやってきたが……死ぬ可能性があるってのに、誰が好き好んでやるか」
「わたしはやる」
「ノエルは例外だ」
「そう……なら、なんでここまで来たの」
これから行うヒトカゲ討伐は任意だったよね?
「それは……リビーにしつこく頼まれたからな」
「ふうん」
人付き合いはとても面倒くさいね。
*
人間がぞろぞろとやってくるのを、蒼は廃墟から眺めていた。時刻は早朝。ヒトカゲの殆どが影の中に潜み、活動できない時間帯だ。実際、蒼の戦力の大部分がその状態にある。
だが、蒼はなにも不利に感じることはなかった。元よりそこらで拾ってきた雑兵にはそこまで期待していない。
「準備はできているな」
魑魅魍魎のヒトカゲがそこにいた。新たに戦力に加えたカカは、頼もしいことに大剣と武器を持っている。
蒼は人間は好かない。弱い人間などは支配し、ヒトカゲの世界とする。
その手始めに終幕の灰身上である第二支部を落とすことにした。蒼はヒトカゲを揃えた廃墟で、灰身上を待っていた。
ヒトカゲ討伐だとまんまとやってくる灰身上を殺す。
誘き出すために待っていた間に人数を増やしてこようとも、勝利は揺るがない。
数は圧倒的にヒトカゲが勝っていた。質が良いのも作っている。
蒼の指揮により、ヒトカゲは動き始める。
そして、ヒトカゲ側に有利な戦いが開かれたのだった。




