第七話 躾
「本当にやる気か? それなりに年は離れていないように見えるが、カティンカは何年も研鑽を積んでいるし、先生の弟子の中でも優秀なんだぞ」
代美は心配ばかりして、勝負をやめさせようと必死だ。放置して、手に巻かれた包帯を取る。邪魔であるし、傷は治りかけである。ない方がやりやすかった。
その包帯ともう一つの先生の小刀を代美に押し付ける。小刀については奪われても構わなかった。一応貰ってはいたが、憧れには不必要なものだ。
実際、代美が小刀をアヴェラに取り上げられていようとも不快感は少ない。アヴェラからは早々に目を離して、勝負に向けて集中する。
木刀は先生の刀に比べると軽く、刃渡りは短い。握った感触を確かめつつ、何回か振っておく。
「準備はいい?」
カティンカは余裕そうにただ待っている。ノエルは切っ先を相手に向けた。
「危なくなったら直ぐに降参するんだぞ! カティンカも、ノエルは素人だから――」
「うっさいわね、分かってるわよ。手酷くはしない。代美じゃないし、元々そのつもりだった」
誰もがノエルは勝ちえないと決めつけている。代美も、カティンカも、その仲間も。ただアヴェラだけは口にはしていないので分からない。
だが、そのようなことはどうでもいい。ノエルは先生の刀を取り戻せられればいい。
「勝つ」
「その意気込み、嫌いじゃないわ。実力をつけてから言って欲しいけど」
始まりの合図はない。事前に先手は譲られている。
間合いは五歩もない。ノエルは木刀を上段から振り下ろす。
「素人でこれなら、代美なんかより才能はあるわね」
木刀同士でカンっと打ち鳴る。反動で一歩下がってしまったのを、間を空けずカティンカは追撃する。
ノエルはカティンカの鍛錬していた様子を見ている。それと比べれば遅いものだった。防御を間に合わせるも、力の差が大きいことで手が痺れて後ろに大きく下がる。
仕切り直し、またノエルから木刀を振り下ろすのをカティンカは許した。三度繰り返した後、溜息をつかれる。
「同じ技ばっかり。まあ、こんなものよね」
強い衝撃で木刀が弾き飛ばされる。直ぐに取りに行こうとして取り押さえられた経験があったので、カティンカに注意を払いながら取りに行く。
「まだ」
「いいわよ。納得するまで付き合ってあげる」
それから同じことを繰り返した。最初の振り下ろしは簡単に防がれるが、変えようとは思わない。なんせこれは憧れであった技だ。先生はヒトカゲの最期に、上段からの振り下ろしでとどめを刺した。憧れの中で、一番鮮烈な記憶である。
ノエルはそれを繰り返し練習した。頭に思い浮かべながら何度でも。まずはそれだけに集中してできるように。
憧れの記憶は現実世界にも影響する。一本の線が見えるようになって、極少しだってはみ出さないようになぞる。やっていることはこれまでと同じだ。ただ振り下ろすべき道標ができ、やりやすくなっている。ノエルはカティンカとの勝負でも、同じことをしていた。
見える。だが未熟であるから、完全になぞれない。
それでも徐々に上達はしている。
一人でやっていたときと比べて、上達具合は速い。その分集中しすぎて疲れているし手は痺れるが、余分な力が体から抜けていい感じだ。このとき、振り下ろしの中の一点だけに手に力を加えると、速度と攻撃力が増す。
ああ、楽しいし、なんて嬉しい。憧れに近づけている。
「この……っ」
木刀が弾き飛ばされるが、その方向は上だ。カティンカは気が変わったのか、これまで木刀が手に離れてから追撃はしなかったのをやめる。目の前に突き付けられるのを、ノエルは手で掴んで地面に叩きつけた。
「はあ!? そんなのなしでしょ!?」
宙に上がっていた木刀を手にして、振り下ろす。体勢が悪かったことからかつてない程に線からぶれた。カティンカの頭を掠るだけに留まる。つけた傷を押さえた手には、血が付着している。
これだ。
代美では違った、求めていたものがカティンカにはある。
血に惹かれるのを自覚しつつ、ノエルは土を蹴った。
*
勝ち目などないはずだった。
最初はまさに予想通りの展開だったのに、と代美は唖然となって口を開ける。
ノエルは短い時間で急成長した。振り下ろしのただ一点に限るが、速さも力も段違いとなっている。それだけならもはや代美の技量を超えていて、カティンカに迫る勢いだ。実戦は圧倒的に経験値が高くなるが、物の程度があるだろう。ははは、と乾いた声が漏れる。
天才は凡人の苦労を知らず、軽々しくやってのける。
代美は惨めな気持ちにさせられる。この調子ならば先生の教えはあっという間に吸収してしまいそうだ。そしたら代美は用済みで、役立たずに成り下がる先まで想像できた。
「いい人材を連れて来たな」
アヴェラは代美に言ったらしい。横目で見れば目が合ってしまった。どうせ、代美にしては役に立ったと思っているのだろう。
代美はアヴェラが苦手だ。そもそも苦手でない者が大半だろう。一々偉そうだし、正鵠を射る、否定できない言葉で罵倒してくる。
先程一切合切が気に入らないとまで言われた上、隣に場所を陣取られて、代美はとても居心地が悪かった。だが文句は言えない。罵倒されるし、なにより誰からも認められる高い実績がある。
この場には先生の弟子が面々といる訳だが、その中でもアヴェラは一番弟子だ。先生の横に並び立つには不足なく、灰身団の中でも一目置かれている。ヒトカゲ討伐数ならば、一番であろう。先生は体が弱かったから、活動的に動くことはできなかった。
以上のことから、アヴェラは『鬼人』という通り名がつくほどに有名な実力者だ。勿論先生にもあって『雲隠れ』という。大抵は戦っている様から名がつけられるのだが、命を落として正に雲隠れとなってしまった先生は、縁起の悪い通り名となってしまった。
「さっそく争いになってるね」
「本部長」
「忙しいと常々言うくせに、観戦する余裕はあるのだな」
「ないよ! でも、俺にも原因はあるから。ああ、小刀の方は渡してくれたの」
代美はそこで気付いたのだが、当初と比べて人が増えていた。皆、騒ぎを聞きつけて観戦しているらしい。初めて見るノエルに興味があるのだろう。
見世物ではないのに。代美は勝負をやめさせたい気持ちに駆られたが、本部長に頼もうとも縁先に座り込んでしまっている。アヴェラと同じで、やらせてやろうという気なのか。代美自身にはとめられないと分かっている。その不甲斐なさに歯を噛み締めていると、観客からざわめきが起こる。
ノエルが素手で木刀を掴み取るのには、代美は驚かない。真剣を想定するならばありえない行為だが、あの常識外のノエルだ。だから、代美にとってはその後が不味かった。
ノエルの木刀がカティンカの頭を掠る。よく見れば、頭を押さえたカティンカの手は赤く濡れている。
ノエルは構わず、果敢に攻めていた。代美はそこで、ノエルが笑っているのを初めて目撃する。容姿端麗であるが常に無表情で、変わるとしても眉を少し顰めるぐらいだった。ノエルの笑みは少女に似合う可愛らしさよりも、作り物めいた美しさがあり、毒がある。
勝負ごとに負傷はつきものだが、場所が頭だ。カティンカは苦渋の表情で決着をつけようとするが、ノエルはここにきて粘り強さを見せる。木刀を決して離すことはなく、打ち合いが続く。
「さっさとくたばりなさいよっ」
ノエルは体に木刀を叩きつけられているのに、ものともしなかった。痛覚への鈍感さが、顕著に現れている。更に目を爛爛と輝かせていて、カティンカは怯んでしまった。ノエルが木刀を上段から振り下ろす。その場所はまたしても頭で、代美は咄嗟に駆け出した。
その一線は超えてはならない。人を殺めては駄目だ。だが、間に合いそうにない。間に合うとするならば、代美よりも速く動き出した男である。
「そこまで」
本部長が鞘に入れたままの自前の刀で、木刀を止める。それでもノエルは止まらなかった。カティンカにどうしても攻撃を加えたいようで、本部長は木刀を取り上げてカティンカに下がっているように促す。
「もう終わりだって。勝敗はそうだね、引き分けにしておこう。最後以外はカティンカに負けていたから、ノエルに甘い判決だよ。カティンカ、そういうことだけど納得できる?」
「……はい」
「ありがとう。で、それなのにノエルは何が不満なんだい」
「先生の刀はどうなるの」
「引き分けだし、どちらのものにもならない。俺が預かっておくかな」
ノエルは今度は本部長に木刀を向けた。なんて真似をしているんだっ。
本部長は甘い人間じゃない。正直言って侮りやすい風貌をしているが、本部長という立場は終幕の灰身団の中で実質上、一番上である。判断を下す人間は冷酷な思考を併せ持っているものだ。
「気は進まないけど。仕方ない、か」
躊躇いなくノエルが木刀を振り下ろすのに、本部長は眉を下げつつ対応する。刀の間合いから距離を詰めていた。木刀を握っていた右手の手首を掴み、そして腹を拳で殴る。
予想外の行動に、代美は瞠目する。
「は……ぅぐ」
「耐えてしまうんだね。これは……困ったなあ」
言葉に対し、行動は容赦がない。殴り続けていて、ノエルは意識を保っているものの朦朧だ。
代美はあまりの凄惨さに悲鳴混じりの声を上げた。
「もうやめてください!」
「見ていられない? でもね、代美さん。これは必要なことなんだよ。躾はしっかりとしておかないと」
「し、躾?」
「灰身団の秩序のためにも、俺たちの安全のためにも、ノエル自身のためにも、ね。まさか、こんなに危険な子だとは思いもしなかったなあ」
本部長は事務仕事だけでなく、ヒトカゲと戦っていた時期がある。そのときの通り名が『狂犬』なのだが、その所以がようやく分かった。
その行動が犬のように凶暴で、全くもって手が負えない。その獰猛さは年を得たことで鳴りをひそめていただけで、今も健在だ。
絶句している間に、本部長はノエルから手を離す。ノエルは無理やり立たされていた状態だったらしく、ぐったりと地面に倒れ込む。あれだけ殴られても動けるようで、本部長から離れようと後ずさる。その目は恐怖で塗りつぶされていた。
「灰身団に所属する者は身内になる。それは頼りになる仲間だったり、愛すべき家族だったり。とにかく無関係ではいられない。ノエルもそうなった訳だけど、君の場合は愛玩動物から始めようか。人を害さない、いいこでいられそうかい?」
「はっ……ぁ……」
再び一発殴られる。
「返事。口があんならできるだろ?」
代美にその拳が向けられたとしても、止めよう体が動いた。だが、いつの間にか近くにいたアヴェラに肩を掴まれる。その鋭い目に、代美以外に味方はいないと知った。
「ぅん」
ノエルは涙を一筋流しながら、か細い声で返事をする。本部長の纏っていた不気味な雰囲気は一変し、やんわりと笑いかける。
「ならよかった。俺が見ていないところでもいいこでいるようにね」
「んっ」
「ノエル!」
とめる者はもういない。
酷い有様となった少女の身は、見た目よりも心の傷が大きそうだ。ノエルは直りかけの傷が悪化した小さな手で、代美の着物をよせた。目に込みあがる涙を、辛いのはノエルなのだからと耐える。
「代美さん。一人でノエルを教え、育てると言ったんだ。異常性は知っていたようだしその覚悟に免じて、助太刀はもうしないよ。しっかりと世話もするように」
「は、はい」
ぜひそうして欲しい。人道的でない者は、本部長であっても願い下げだ。
「それと、先生のことについてちゃんと話した? 代美さんはあまりにも説明不足だから、周りから理解を得られないんだよ」