第六話 何も知らないから
先生の刀を渡しはしない。代美であっても、本部長とかいう男であっても、それは変わらない。
ノエルはととと、と足音を立てて二人の下から逃げていた。だが、如何せん来た道を覚えていない。屋敷内には本部長や茜以外にも人が多くいたので、素通りしつつ様々な部屋を経由する。最終的に玄関まで辿り着いた。
ここからどうしたものか。
逃げる前、代美は慌てていたが、本部長は泰然としていた。追いかけられている気配がなかったなと足を止めて考えてみる。本部である屋敷から遠ざかった方がいいと思ったが、聞き覚えのある音がしていた。外から回ってみると、庭で年若い五人の男女が木刀を振っている。
気になったので、遠巻きから眺めてみる。隠れはしなかったので、彼女らは直ぐに気付いた。
「あんた誰? 新入り?」
あっという間に取り囲まれ、じろじろと観察される。最低でも頭一つ分以上の身長差があって、五人の内少女が頭目であるらしい。あれこれと質問される。
「今日初めて来たの?」
「ん」
「ふうん。灰身上になるの? 刀持ってるし」
「多分?」
「何それ。あんた、どういう経緯で本部にいるの? 一人でいるし、ちょっと説明してみなさいよ」
誰もが説明を求めてくる。代美にし、本部長にもしていた。道中でも見知らぬ者が聞いてきたりしたので、繰り返すのは面倒臭くてしたくない。それよりも、彼女らがしていたことだ。
「鍛錬してた?」
「そうよ。それよりさっきの答えは? 灰身上になりに志願して来たの? それとも孤児で仕方なく?」
「どっちも違う?」
「じゃあ何よ」
「連れられてきた」
「ええ? ううん、外国人だしやっぱり孤児じゃないの?」
「分からない」
「はっきりしないわね……。状況がよく分かっていないのかしら」
話し合っていたかと思うと、彼女も説明してくる。
「終幕の灰身団は身寄りのない子どもが、あんたみたいに連れてこられたりするのよ。私達の役目は主にヒトカゲの討伐だけど、根本は安全確保のためにやっているから、必要なら保護したりする。保護は大体ヒトカゲに両親を殺されて、一人ではどうにもできそうにない場合ね。で、本人の意思と適性を見て、灰身上か奉公人になってもらう」
話が長いと、聞く気がなくなって全く頭に入ってこなくなる。
ここならば刀を振れるのでは?
代美がいないので、邪魔はされない。そこで柄をまだ変えてもらっていないと思い出した。
褒美と言われ、ノエルとしては十分我慢して大人しくしたつもりだ。最後の最後には逃げ出したが、褒美にしてくれるのではないか。
だが、代美は言い分をコロコロと変える。
弔いや体を洗えなどやれと言ったことを、結局代美がやったり。柄を変えると言ったら、代美自身にはできなかったり。先生と呼ぶなと言って、代美から間接的に教わることになるから先生呼びを許可したり。刀をくれたら、返せと言ったり言ってこなくなったり。
ただ最終的にはノエルの気持ちに沿う形となっているので、いまいち信用が置けない。代美に対する印象は、そんなところである。
血の汚れが残る柄を見つつ、ノエルは考え込む。
「まさか、その刀って――」
「やっと見つけた! ノエル!」
「……代美」
本部長に同調して、刀を取り戻してきたかもしれない。背に隠すと、力づくで奪われた。
質問尽くしだった彼女が、鞘から先生の刀を抜く。
「……なんで、あんたが先生の刀を持ってんのよ」
「返してッ!」
飛び掛かるも、少女は後ろに下がってその他の者がノエルを取り押さえる。四人がかりとなれば抗えない。
「寄ってたかって何をしているんだ!」
「あら、代美。久しぶり。見ないうちに随分と成長したのね」
「カティンカ……」
「この子、ノエルっていうの? 知り合いなのね」
「ああそうだっ。だから今すぐノエルを離せ!」
「必要があるから押さえていただけよ。ほら、今も暴れているし」
「私が言い聞かせる。だから手荒なことはやめてくれ」
ノエルは地面にまで押さえつけられている。力を入れるが、少し起き上がれることしかできない。
「一先ず落ち着いてくれ。刀は……諦めるんだ。本部長が新しいものを支給してくれると言っている。別に先生の刀にこだわらなくてもいいだろう」
そんなことない。先生の刀は憧れのために必要なのだ。刀はよく見ると、一つ一つ異なる。憧れに近づけさせるためには手放せない。
起き上がる力をも押さえようと頭に手をやられる。ノエルはその指を噛みついてやった。
「いてえ! このあま!」
一瞬力が弱まったが他の者もいて、殴られもしたから抜け出すことはできなかった。もう指を噛む隙も作ってくれない。
「やめろ!」
「ねえ、代美。なんで先生の刀をこんな子どもが持っているの? 先生は、今どこにいらっしゃるの?」
「先生は…………死んだ。ヒトカゲを斃してノエルを助け、それで……」
全員の力が弱まった。ノエルは一気に力を入れて、今度こそ抜け出すことに成功する。
「あんたじゃなければ!」
そのまま刀を奪い返そうとして、カティンカが代美に木刀で叩きつけようとしていた。代美は分かっていながらも、避けようとしない。
先生の剣技を教えてもらえなくなるのは困る。駆けた勢いで、代美と木刀の間に入った。
「ちぃ――」
痛みは少ない。カティンカはギリギリで木刀を引いたようだった。
「なっ私を庇って……おい、平気か!」
代美が打たれた肩を見てくるが、押しのける。刀がなによりも先決だ。
睨みつけて様子を窺っていると、カティンカは怯んでいたが気を取り直す。
「先生は、あんたのせいで死んだのよ。あんたじゃなければ先生は死ななかった」
どこかで言われたような言葉だった。だが、カティンカは代美に対して言っているらしい。ノエルには目線すら向けてこない。
「……すまない」
「このッ!」
今だ。カティンカは代美だけに執着し、片手を振りかざす。その分仲間の四人が警戒しているが意識が散漫としているし、本人があの有り様ならどうにかできる。
ノエルが先手を打とうとしたときだった。
「何を騒いでいる」
背中が斬られたかのような、鋭く冷え冷えとした声である。肌が一気に粟立って、その男を見ずにはいられなかった。
すらりとした体躯が印象的であるが、引き締まった筋肉でいるだけだ。銘々を余すことなく睨み付け、明らかに不機嫌でいる。
「アヴェラ……」
「……あんたには関係ない話よ。口を挟まないでくれる?」
「それは本気で言っているのか」
一身に鋭い眼光を向けられ、カティンカはビクリと体を揺らす。今なら刀を奪い返すのは容易だが、ノエルはその場から動くことはできない。
「騒がしくした分際で自覚がなく、同じ門弟であるのに関係がない? ハッ。こうもお前が話が通じない阿呆だとは思いもしなかった」
「な――ッ」
「その上、大した実力はないくせ俺に逆らい、また群がって下の者に威張りつける。全くもって嘆かわしい。先生があまりに不憫だ」
「何も知らないで偉そうに!」
「ほう?」
「アヴェラでもまだ話は聞かされていないようね。いいこと?、先生は……死んだのよ。あたしよりも弱い代美がついていたから、こうも突然に。呆気なく! 死んでしまった」
アヴェラは動きをとめる。そして、言いはなった。
「しょうもない」
「ッ!?」
「お前の言葉がその通りであっても、先生が供に選んだのは代美だ。例え、ずっとお側についていながらも実力が身につかない凡人でも、尊き身分の道楽でも、反論もできぬ腰抜けでも、一切合切が気にくわなくても。それらは俺ら門弟の不満なだけだ。先生は承知の上で供としたのに代美だったから死んだなど、先生の考えを侮辱しているのか?」
「な……あ……」
カティンカは魚のように口をパクパクと開閉する。一つ一つの単語は繋げても意味がなっていない。
代美がノエルに近づき、小さな声で囁く。
「ノエル、今のうちに行こう」
「やだ」
「ノエルっ」
「柄、変えてくれるって言った」
「……変えてはやる。ノエルの手元には残らないが」
「屁理屈」
「好きなだけ言え。相手が不味いんだ。これ以上、私の事情に巻き込みたくない」
「代美だけじゃない。私も関係ある」
ほら、この通り。
「なら、先生の刀を持っていたこいつはどういうことよッ!」
「そんなもの、俺に言ったとて分かるはずないだろう」
そして全員の視線がノエルに向く。
「貰った」
「先生にか」
「代美に」
「その返答は不味いだろうぉ……」
代美は頭を抱える。ノエルは先生の刀を見続けていると、カティンカは挑発的に言ってきた。
「いい御身分ね。でも、今は私が持っている」
「返して」
「いいわよ。あたしに勝てたらね」
カティンカは木刀を投げてくる。ノエルは受け取り、カティンカも仲間から新しく譲り受ける。
「勝負よ。先生の刀を持つに相応しいか、あんたの実力次第では認めてあげる」
「駄目だ!」
「代美の意見は聞いてない」
「だが、ノエルは全くの素人なんだぞ! 怪我をしたらどうする! そもそも、アヴェラが許すはず――」
「やってみろ」
「っ! ……正気か?」
「本人がやる気なんだ、やらせてみればいい」
ノエルは闘志に燃えていた。先生の刀を返してくれるなら、勝負に受けてたつ。ノエルは「やる」と言葉にして、カティンカを見据えた。