第四十八話 帰還
朝日が昇り、ノエルは目を細める。何事もなく夜は過ぎた。ネロはやはり逃げなかった。
「ヒトカゲも睡眠をとるんやな」
警戒心なくぐっすりと眠っていたセンを見て、リビーが言う。
ネロは目をつぶっていたが、眠っていたかは怪しい。
「いつもそうなん? 今まで見たことないけど、影の中でとか?」
「小鈴はよく影の中にいるけど……」
「それはダーヴェスを嫌ってやろ」
「ヒトカゲも眠るよー」
寝ぼけ眼のセンが、間延びした声で答える。
「影の中で?」
「うん。でも誰かと一緒に眠りたいときは外かなあ」
「じゃあどっちでも疲れは取れるってことか?」
「影の中の方が疲れは取れやすいけどな」
朝から騒々しく皆で喋っている。物言えぬ小鈴もその中に入り込んでいて、ノエルは一人離れたところでいた。それを代美が見つけ出して、手招きする。
要件は眠るために下ろしたノエルの髪のことだろう。素直に従って、髪をまとめてもらう。ネロがいるせいか、文句を言わずにささっと終わらせてくれた。
「頼りにしているぞ、ノエル」
ノエルは代美とともにセンの監視をすることになった。ネロは逃げないので、センも奪いとることもないだろう。
そのことをわざわざ代美に言うつもりはなかった。仲良しこよしにならず、警戒してほしいからだ。
代美は利き手でない左手でセンと繋いでいるので、最低限弁えているようだ。ノエルはセンが真ん中にして挟むように配置につく。
「えへへ。よろしくね」
「……」
センとは手を繋ぐつもりはない。利き手が塞がれ、咄嗟に夢幻が抜けなくなる。
持ち上げられた左手は無視し、監視できるようにある程度の距離は明ける。センはよく喋りかけてきたが、無言か短い返答のノエルである。そのうち代美が気を利かせて、二人で喋るようになった。
それでも代美が食事の用意などで、ノエルがセンの相手をする場面は出てくる。面倒くさい気持ちが伝わっていたのか、もじもじとして喋りかけるのを躊躇っている。
代美がいないときならば、ノエルは話すことがある。先だって考えておいた文章を紡ぐ。
「わたしは監視している。センとネロが逃げ出さないように。本部まで連れ帰れるように。……状況、分かってる?」
ノエルはネロを諦めた。戦いたいが、どうしたってその気がないのなら無理だ。
だからといって、それは戦いを諦めたことではない。まだセンがいる。小鈴もいるが話ができず誘導が難しいことから排除する。
センは楽観視しているようなので、状況を正しく理解してもらう。そうでなかったら監視者と手を繋ごうとし、親し気に喋りもしない。
「本部に遊びに行くつもりなら間違い。灰身上はヒトカゲの情報収集のために、センを利用する。そのために酷いことする」
本部長なら絶対にそうするはずだ。
「このままでいいの」
さあ、逃げろ。抗うために戦え。
「いいよ」
迷いがない即決だった。
予想外で、ノエルは軽く目を見開く。
「状況は分かってるよ。あたし、馬鹿じゃない」
「……そう」
「ヒトカゲのことを知って欲しいの。そのために話せることは話すよ。あたしはヒトカゲだけど、人間と仲良くしたい。そのためにできることをする」
「ネロは違う」
「あたしはネロを信じてる。人間を傷つけていても、何か事情があったんだって。そのときは務めのためだと思うけどね」
「ネロがカカの助力をしたことも?」
「それは喧嘩でしょ?」
「……」
馬鹿じゃないと思った矢先、馬鹿に戻った。
「あれは戦闘。それか死闘」
「ネロはカカちゃんの味方をして、喧嘩になっただけだよ」
「……センが【分身】して遊びと称したのも、戦闘だった」
「あたし、皆のことを嫌って戦ったんじゃないよ」
「…………」
センにとっては戦闘が遊びと通じるらしい。戦闘は戦闘だろう。遊びは遊びだ。鍛錬で戦うことはあるが遊びのように悪ふざけですることではない。自身の実力を高めるためで相手を嫌って戦っているわけではないが……あれ、それならセンの言う遊びと通じる。
訳が分からなくなったので、ノエルは思考を放棄した。都合の悪いことは、これ以上考えないにすぎる。
「逃げない?」
「逃げないよ」
「戦わない?」
「今は本部に行くんでしょ?」
その言い方だと本部に着いたら戦ってくれるのだろう。遊びと称したら、快く付き合ってくれそうだ。ただ人間と変わらず、倒すことはできないが。
思わず溜め息が漏れる。それだったら、リビーと戦った方がいい。センは現在弱くなっているのだから。いや、特性を使ってくれるのなら楽しいだろうか。
「お、怒った?」
「いや?」
「なら、カカちゃんのことは?」
センは淀みなかった先程と違ってまごついていた。
「カカちゃん、謝っても許してくれなかったでしょ?」
「別に……」
それよりもカカを逃がしてしまったことだ。怒っていないが、倒すことが叶わなかったので勿体ないことをしたと思っている。ダーヴィスに倒されなかったのは僥倖だが、再三会うことはできるのだろうか。
「今度は仲直りできるといいね。カカちゃんがもう怒っていないといいけど」
「……ん」
もうそういうことにしてしまえ。
センの相手は言葉が通じないし、たくさん話したので疲れていた。
ネロもセンも逃げるつもりがないのなら、とノエルは今夜から眠ってしまうことにした。睡眠をとらないと消耗が大きい。これほどだとは思わなかった。
本部に近づいてもそうすることになる。ネロは警戒を強める灰身上に対し、煽ることを言うが行動には移さない。ノエルはもう歩きながら憧れについて考えていたし、鍛錬だってした。代美は叱るが、本部には無事到着した。
「おっきーい! すごーい!」
本部の屋敷を見てセンがはしゃぐ。ネロは「おーおー」とよく分からぬ反応だ。
「本部長を呼んでくる」
「代美。頼んだで」
「ああ。リビーたちこそな」
終幕の灰身団の団員は奉公人と非戦闘員がいるので、ネロが何かしでかさないように屋敷外で待機する手筈となっている。
「結局、小鈴は喋ることはできなかったね」
「やっぱり変異体なんだろうな。どこか欠陥してるんだろう。いくら時間が短かったとはいえ、普通何かしら言えるようになる」
惜しむダーヴィスの肩をネロが叩く。代美に言わればかりだとういうのに、早すぎる。
ネロは逃げなかったが、そうする必要がなかったからだ。本部に何か目的があるかもしれないので、ノエルだって警戒を戻している。ダーヴィスはこういう感じに警戒が散漫になるのでいけない。
「俺はコツは教えた。あとは小鈴次第だろう」
「できるかもしれないの?」
「さあな。練習すればできるかもしれないし、できないかもしれない」
「うちは無理してまで話さんでもいいと思うけどな。今のままでも言いたいことはなんとなく分かるし。ノエルと比べてみい。無表情な上、最低限しか話さんで。何考えてるかさっぱりや」
話しているだけいいだろう。鬱陶しくなければ、ずっと無言でいたはずだ。
灰身団の敷地内にいるので、部外者のネロとセンがいて一目を引いていた。
団員でない部外者は、大抵ヒトカゲに困って尋ねてくる要件をもっている。そこまで怪訝にされはしないが、立ち止まり喋っているとどうかしたのかと絡んできたりした。その度にリビーが「大丈夫や」と退ける。
「代美遅いね」
「手こずってるんやろうな」
「事情が事情だしな」
「あんたが言う?」
「あ、来たみたいだよ」
「本部長ではないな。けど、上等や」
ダーヴェスは頷いて同意するが、ノエルは初めて見るので誰なのか分からない。
「この二人がそうなのか」
「はい」
真面目そうな男だった。背がピンと伸び、歩いているだけでもきっちりとした規則正しさがある。ネロとセンを見定めていて、張りついた雰囲気を感じさせた。
「ここでは目立つ。場所を変えよう……と、ああ。まだ名乗っていなかったな」
ノエルではない。誰だろうという表情をしていたセンがそう気付かせた。
「副本部長を務めているディマリアスだ。本部長に代わって、私が話を聞かせてもらう」




