第四十五話 逃走
ノエルはネロに一刀を浴びせていた。片腕が飛び、大きくよろめいている。
「逃げろ、カカ!」
ネロは仲間意識が高い。人間に攻撃する一方、ヒトカゲは助け守ろうとする。
ただこの叫びが、ネロの危機的状況によるものとは限らない。代美が強くないから小手先を弄するのに対し、ネロは強い上に弄しているのだ。
代美は自身ならどうするか考える。触手男ならぬネロの気持ちになってみることに不快だったが、打ち倒すために手段を選ばないネロは代美に近い考え方なのだ。こういうときに役に立て。
ネロはカカを逃がしたい。だが、ネロ自身やセンはどうなのだ。囮となって犠牲になる精神を持ってはいないだろうし、あれほどセンを取り戻したかったのだから同じように逃がしてやるつもりだろう。
そのためのきっかけを作るはずだ。
カカはダーヴィスによってヒトカゲにも致命傷と相当する傷を負わせている。センはどうやら出会ったときの遊びで力の大半を使ったようで、千ほどの【分裂】はできずに小鈴相手に手こずっている。
ネロが何かをしなければ、逃げることは叶わない。それ以上の先読みができなかった以上、なによりもネロの言動に集中する。
油断ないノエルによって【修復】を防ぐためか、飛ばした片腕を足蹴にされつつ胴体を切断されていた。口角を歪なほどに吊り上げた気味の悪い笑顔は、企みが上手くいっていることを示している。
警戒が高まる中、それを嘲笑うように地面が揺れて体勢が崩れた。なんだとは言わない。ネロの仕業に決まっている。
「ちんたらしていたら崩落するぜ」
地面だけでなく天井や壁と、洞穴全体が揺れていた。ネロはもう切断された胴体を【修復】させて元通りとなっている。
どれだけの力を持っているのだと湧いた恐怖を、灰身上としての使命や代美自身の気力で塗りつぶす。
「お前の思い通りにはさせない」
洞穴の揺れはネロが起こしていることで、崩落だって思い通りにできるはずだ。阻止するために、代美はセンに目を遣った。小鈴と一緒になって、地面に尻餅をついている。状況がよく分かっていない様子だ。
そして目の前が暗くなり、視界が効かなくなる。ぶら提灯の明かりがなくなったのだ。
「代美!」
ノエルの警告。それでもネロの企みを上回るためには、危険を冒す必要があった。生き埋めで死んでしまうなんてごめんだ。
「前のようにはいかないからな!」
ネロの操り人形にされた。代美を侮辱するにとどまらず、仲間の足を引っ張ったことは強く後悔している。二度目は起こさない。
安全地帯の確保のために、ぶら提灯は足元近くに置いていた。拾い上げて、ひた走る。ぶら提灯は崩落によって潰された訳ではない。それでもネロの仕業に変わらず、ついさっきまでそこにいたはずだ。
普通避ける道程を逆に突いたのが良かったらしい。不自然に吹いた風を感じつつ、今だ暗闇に慣れぬ目と手触りでひしゃげたぶら提灯を把握する。良かった。必要な部分は無事だ。
「セン、どこだ! 返事をしろ!」
「代美?」
仲違いしても、純粋な心はなくならない。疑うことを知らず、声が上がった。それを頼りとして、抱え上げる。
「わあっ!?」
「ネロのためにも協力してくれ。暫く自分の耳を手で塞ぎ、目も閉じられるか?」
「う、うん」
ズキリと心が痛む。センへの罪悪感は今更だ。
代美は許されないことをする。センに刃を押し当てて、思いっきり息を吸い込んだ後「動くな!」と叫んだ。
「センに手出しされたくないなら崩落をとめろ! そして姿を現し、投降するんだ!」
ぶら提灯は仕込み提灯だ。武器でないように見えて、これも立派な武器だった。柄に短刀が仕込まれている。
代美の武器は鎖鎌に加え、今だって刀を大小と佩いているが、ネロの油断を誘うためにぶら提灯は最適だった。だから現にセンを正真正銘人質ならぬヒトカゲ質として、脅しをかける。
「私は本気だからな。したくはなかったが、生き埋めになるよりはマシだ」
代美は慎重に洞穴の入り口まで歩を進める。いつまでも崩落しそうな場所にいたくはないし、暗闇に目が慣れてきた頃だが明るい方が良かった。
「代美」
「ノエルか。ネロを警戒してくれるか?」
「ん」
「僕もするよ。ごめんね、カカは逃がしてしまった」
「は?」
「危うく死ぬ羽目になりそうだったんだ。仕方ない。そうだろう、ノエル」
「…………」
「代美、まだー?」
「あともう少しだ。もうちょっと頑張れ」
「分かった!」
「……こんなことをさせてしまってごめんね」
「いいんだ。私が決めたことだからな」
ノエルの隣に、実力不相応な代美が立つためになんでもすると決めた。虚言や騙し、ヒトカゲ質とすることなども、必要に駆られたらだがやってやる。
「お前、いい度胸しているな」
洞穴を出て直ぐ、ネロは現れた。顔は笑っているが、心底怒っている。とはいえ、センがいるので手出ししてこない。
さて、どうしたものか。
危機は抜けていない。センが手をどけ目を開けたら、ネロの言い分により戦闘再開になるだろうか。
情報収集を期待して投降しろと言ったがヒトカゲを捕縛する方法がない以上、隙を見て逃げ出すか攻撃してくるだろうし、代美とて信用できない。
小鈴の場合は特殊だからな。とことこと呑気に洞穴から出てきたのを、視界の端で捉える。
逃がすとしても、多少なりとも情報収集はしたい。状況はこちらに有利なのである。センより確実に色々知っており、しでかしていそうで現にしたネロだ。
「もういい? いいよね?」
センは我慢できず、返事を待つことがなかった。
代美はまだ短刀を当てているのだが、気付くことなく「あ!」と目の前のネロを見つけた。万事休す。
「ネロ、謝って!」
「セン、状況分かってるか? お前、捕らわれの身なんだぞ」
「いいから早く!」
「すまん。これでいいか?」
「次は代美たちも!」
「え?」
「ごめんなさいだよ!」
「ご、ごめんなさい」
「ごめんね」
「ん」
小鈴も喋れないなりに、深々と頭を下げる。
「あたしもごめんなさい。これで皆仲直りだね!」
こんな面々の謝り方で満足らしく、センはにっこりとお日さまのように笑う。
微妙な雰囲気の中、センを除いた面々は顔を見合わせることになった。
*
カカは一人逃走する。影に潜れば、男の灰身上に手酷くヤられていようとも追い付けない。
ノエルとの三度目の邂逅が起きぬように、どこまでも遠く離れることを考える。もはや人間の姿に化けられなくなろうとも、意識が途切れてしまいそうになりながらも。次会うときは、カカの意志によるものだとするために。
なんて惨めなのだろう。
逃げないと咆哮した。燃え滾る復讐心が、恐怖がなくなるほどの圧倒的な力への自惚れが、惨めな過去を乗り越えたい渇望が、そうさせた。
だというのに、逃げる羽目になっている。
ノエルは強かった。【強化】による単純な力はカカが上回っていたが、それ以外はてんで及ばない。
次に勝てるよう、原因を考える。技術が足りなかった。経験が足りなかった。疲れが溜まっていて体の調子が悪かった。そしてなにより――状況が悪かった。
それはノエル以外にいた仲間のことではない。奇襲を受けたことでもない。
ネロがいたからだ。ネロがいたからこそ、カカは負けた。
『俺はお前たちヒトカゲの味方だぜ。だからカカにだけ優遇し続けることはできないが――どうにかして、お前の復讐心が晴れることを祈っておく』
ネロの独り言を、カカはよく覚えていた。だから今回の戦いの中で思い出すことになり、逃げだすと決めたのだ。そうでなければ、力及ばずともノエルに挑み続け、死んでいた。
決して、ネロの逃げろという叫びによるものではない。それは見切りをつけるきっかけになったが、ネロがカカの絶対の味方でないと理解した以上、一人逃げてきたことによる気後れなどもなかった。
ネロはノエルを倒すことを望まない。だからネロがいるところでカカはノエルを倒し、復讐をなすことはできないのだ。
ネロに洞穴を崩壊させるような力があって、ノエルからああも攻撃を受けるだろうか。逆に、ああも攻撃を与えることはできないだろうか。
カカの復讐のために手を出さないでいたとも考えられるが、見たのだ。ネロがノエルに傷つけられないと確信できるものを。
真っ黒な体を、潜っていた同じ色の影の中に溶け込ませる。より一体となって、急速に意識が薄くなっていた。それでも目を覚ましたときは、この想いは強くあり続けるはずだ。
「必ずノエルを倒してやる」
ネロの親切は感謝している。今回はカカの力が足りなかったので、邪魔立てはされず、逃がしたことで次の機会をくれた。
だから許す。だが次は許さない。
カカが力をつけ、ノエルを倒す力を得たときの邪魔立てをするならば、ネロごとたおしてやる。この復讐心が、カカの生きる意味なのだから。
第二章完。
第三章前に幕間と閑話を挟みます。
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