第三十五話 噂
ヒトカゲに逃げられ、時間も時間なので代美の元に帰る。代美は腰に手をあて、さぞご立腹だった。
「どこ行っていたんだ。どうせ鍛練だろうが、声はかけてくれ。慌てるし、探すのが大変だ。
声をかけたら、鍛練は阻止していただろうに。
大量の山菜が、金策に夢中になっていた証左だった。言葉通り慌てたのか、探したのかは怪しい。
「……ノエル、何かあったか?」
黙っていただけなのに、気落ちしていたのを気付かれる。初対面のときと比べて、ノエルの機微に察しがついていた。
「ヒトカゲがいた。けど、逃げられた」
その事実に結構凹んでいた。
予想以上に弱い個体だったことで、試し切りで思う存分遊んでしまった。気の緩みは、普段のノエルならば犯さない間違いを起こすことになった。
「ヒトカゲはどこに逃げていった」
「影の中。山の木陰だったから広すぎた」
「そこまで案内してくれ」
なぜ。どうせ無駄足になるのに。
「被害が出ることを想定しろ。無駄だとしても追いかけるんだ」
話しつつ、手早く荷を纏めていた。葛藤するも、最終的には邪魔だから山菜を置いていったのは代美らしかった。
ヒトカゲの情報を伝えながらに移動していると、代美はぽつぽつと言う。
「どんなヒトカゲだろうと私を呼べ。だから好一対を組んでいるのだし、私だって逃がさぬよう立ち回りぐらいできる」
やはりヒトカゲは見つからなかった。代美が逃げた先を予想してしらみつぶしに探していったが、影の中に入れるヒトカゲ相手では無茶があった。
「被害がなかったから、一先ずよしとしよう」
山にいる可能性が高いので、近くに住まう者に注意喚起して回ることになった。逃げたことで凶暴化しているかもしれないので、手出しはしないようにも伝える。
その中で、この噂を聞いた。
「きゅうけつき?」
「そうとも。吸血する鬼って書いて、吸血鬼。ここらに出るって話さ。灰身上なら、どうにかしてくれないかい?」
村人が意気軒昂に詳細を話し出す。
恐がっているように見えないのは、話好きのせいだろうか。話半分に、代美と聞いておく。
吸血鬼というのは、鋭い牙でもって人の生き血を吸うらしい。吸われた者は眷属化されて、同じ吸血鬼となってしまう。
その他にも特殊な能力を持っていて、永遠を生きられる不老、大岩を持ち上げる怪力、蝙蝠や霧への変身などなど。
そんな有能な吸血鬼は、蒼白で痩せた体躯の男らしい。窪んだ目で、獲物となる人間を探しているのだという。
「だが、所詮噂だろう? 見られただけでは、被害者とは言わないからな」
「まだ話は終わっていないよ。特に問題なのが、その吸血鬼に影がないっていうんだ」
「……なに?」
「ヒトカゲは影から生まれ、その身を操るとも言うじゃないか。影という一点だけだが、関連性があるだろう? 灰身上というもの、噂と判断するのは早計ってもんじゃないかい?」
「……」
黙り込んだ代美に、村人は追加であれこれと吹き込む。ノエルとてずっと黙っていたが、そこまで構ってはこない。どうやら、反応がないノエルより、顔色を変えていく代美の相手の方が面白いらしい。
これ幸いと、対応と情報収集を任せておく。
そして、代美はおかしくなった。金策にのり元よりそうだったが、別方向でのおかしさとなった。
「代美…………臭い」
「し、仕方ないだろっ。吸血鬼対策だ! これがよく利くっていうんだ!」
大量の山菜の次はニンニクだ。そんな極端にならなくていいのに。
安価故によく行く一膳飯屋では、最近売れ行きの料理とされていた。
あまりの臭さにノエルは別のものを選んだので、隣を歩く代美の息からは強烈な臭いを発している。
代美は涙目になりつつも、生のニンニクまで買おうとしていた。ノエルは強制的に連れていき、阻止する。この臭いに付き合わされるこっちの身を考えろ。
「噂の吸血鬼はヒトカゲかもしれないんだ。人間の姿から間違いの可能性は高いが、放っておくわけにはいかない。そうなると、日の元で動けるということはかなりの強敵と思われる。私はノエルのように強くないから……磐石の備えが必要なんだ」
真面目な顔をしているが、そのための費用を惜しんで粗悪な十字架を手作りするのはいかがなものか。吸血鬼の心臓にぶっさせば有効だという杭なんかもいくつも作って、ノエルにも寄越してきた。いらない。刀で貫けばいいよ。
「ニンニクは嫌」
「だがな――」
しつこい代美なので、仕方なく正論を述べてやる。
「ニンニク食べたら、吸血鬼は逃げていく。わたしと代美は灰身上。討伐する前に探さないといけない」
ニンニクは弱者のためのものである。戦えないから、吸血鬼を遠ざけてようとした。
杭と十字架はいいが、ニンニクはこんなにも臭いが強烈なのだから、見つける前に吸血鬼側が見つけて逃げてしまうかもしれない。
代美は間抜けにも口を開けつつ、納得だと横手を打った。
「なら食べるのでなく、身に付けておくべきということだな」
代美の馬鹿っ。
道を戻ろうとするので手首を握りしめて行動を制限し、吸血鬼を探していく。痛い痛いと言っているが、聞こえない振りだ。代美は馬鹿なので、ニンニクの購入を諦めるまではそのままとなった。
ニンニクは生だとそこまで臭わないが、金策中の代美なんだから勿体ないと食べてしまうことは目に見えていた。ならば、最初から買わなければいいことだ。
未だ諦め悪く、吸血鬼と並行して野生のニンニクがないか探している。ノエルは呆れつつ、馬鹿な代美のために自明の理を言う。
「もしも吸血鬼がいるなら、わたしが斃す。代美は心配しなくてもいい」
沈黙がその場を占める。
なんにも反応が返ってこないのでちらりと見遣れば、なぜだか瞳が潤んでいた。
「ノエル、お前…………格好いいな」
急に何を言っているのだろうか。
医者に見せる必要が本格的に必要になってきたかもしれない。もう手遅れな気もするが、このまま吸血鬼が見つからないならそうしよう。そして空いた時間に鍛錬をするのだ。
そんなこんなで歩き回って数日、遠くから手を大きく振ってくる者がいた。おーいと大きな声を出しているので、どうしても気が付くことになった。
「代美、ノエル。久しぶりやなあ」
「リビー! こんなところで会うとは奇遇だな。それと仁も」
「ああ」
「元気そうでなによりや。ノエルも、いつも通りの仏頂面やしな」
それはどういう意味なのか。後、代美は元気だが頭が変になっているが。
勿論口に出したりはしない。長ったらしい説明を求められることになる。
仁と目を合わせて軽く挨拶しつつ、これこそいつも通りの二人の会話がなされる。
「二人はやっぱり仕事か?」
「仕事終わりってところやね。ようやくうちらにも仕事が回って来たんよ。前みたいに忙しいのとはいわんけど、静かなのも暇で持て余すわ」
「灰身上が暇なのはいいことだろうけどな」
「急にヒトカゲがいなくなったからなあ。不穏で、嵐の前触れみたいで嫌やわ。それはそうと、二人は旅を続けてるん? 武器込みにしても、なんかやけに荷物多いやん」
「ああ、これは吸血鬼対策でな」
「その話、信じてるん? 眉唾物やろ?」
「どうにも吸血鬼と言われる男の影がないらしいんだ。目撃者の情報から元となっている男は存在しているみたいだし、確認のためにもな」
「ふうん?」
吸血鬼はともかく、目撃者はそこそこ見つけていた。影のあるなしはそこまで詳しく見ていなかったとのことなので、疑いは晴れぬから探し続けていた。
リビーは代美から詳しく話を聞いて、あっけらかんと答える。
「噂なのにようやるなあ」
「仮に違ったとしても、不安を払拭できるからな」
「ほんと、代美はいい子やなあ。これで散々に悪口言われているのが信じられんわ」
リビーと仁は積極的に探しに行くほど興味はないようだ。何か情報を手に入れたら連絡するとだけ言って、本部に帰還していった。




