第三十四話 下下
まどろむ中、声を聞いた。
「使えない」
「処理が面倒だな。一体ぐらい、いいか」
そして、意識が芽生える。
ぬくもりがない、少々寒いところだ。影の上に立っていたのを、気の赴くままに歩いていく。ずっと闇の中にいたから新鮮だった。色があって、形があって、感触があって、匂いがあって、とにかく全部体験したことがない。
そのヒトカゲははしゃいで、日の差すところにも飛び出した。あったかい。ちょっと熱いぐらいだ。それさえもはしゃぐ要因となって、黒い体をいっぱいに使って動き回る。
疲れてきたところで、影の中で眠ろうと思った。闇しかないが、心地よい暖かさに包まれて安心感があった。
そこに烏がやってくる。声を発する、動く大きな生き物と出会ったのは初めてだった。
手を広げて、歓迎する。烏はヒトカゲに気付き、食用と見なした。
突いてくるのが少し痛かった。だが、ヒトカゲにとってそれは痛痒で、じゃれ合うのをやめるぐらいではない。とはいえ、集団だと一方的にやられることになった。人間がやってきたのは、そんなときである。
烏が一斉に飛び去る。烏に埋もれていてまだ人間に気付いていなかったものだから抵抗できなかった。じくじくと痛み始めた場所を見ると、左腕がなくなっていた。
意味が分からないでいると、なくなった左腕を返される。どうやら人間が持っていたらしい。
「あそんであげる」
人間は、ヒトカゲを見据えながら薄っすらと微笑んだ。悪い予感がして、急いで左腕を元に戻そうとする。【修復】の仕方は本能で分かっていた。だが、刀でもって攻撃してくるものだからその集中が乱されて、また新たな痛みが発生することになる。
致命傷なのが最初に食らった斬られた左腕なので、逃げ回りながら右腕を使って元ある位置にぎゅうぎゅうと押し付ける。欠けたまま力を取り戻さないことは、大幅な力の低下に繋がる。
木影に入り込む隙を見つけて、そこから人間から逃げた。影の中であっても、安心などできなかった。全力で逃げて逃げて、逃げ続けていたら影からも出ていた。
「そんなに急いで、どこに行くんだ?」
恐怖で混乱していた。人間から離れることしか考えていなかった。敵意のない陽気な声は、落ち着きを取り戻すものだった。
布を纏っているから人間だと思った。実際、菅笠で見えなかったその顔は肌色を基調としている。同族のヒトカゲではない。
そのヒトカゲにとって、人間とは恐怖の対象となっていた。逃げ出そうとしたところ、その人間はその手を手早く黒く染めかえた。
「驚かせたな。こう見えて、俺もヒトカゲなんだぜ」
「あーあ、驚かせたら駄目なんだあ。ネロってば、悪い奴―」
ネロの背からひょっこりと少女が現れる。同じ菅笠を被っていてこれまた人間に見えるが、その影がゆらゆらと不自然に動いていることからヒトカゲだと分かった。
安堵したことで力が抜け、尻餅をつくヒトカゲに、少女姿のヒトカゲは興味津々に近づいてくる。
「ねえ、大丈夫? 驚きすぎて、声も出ない?」
「セン、喋れない可能性だってあるぞ」
「ああそうだった! ネロとお喋りしすぎて、すっかり頭から抜けてたよ! あたしも前までできなかったのにね」
喋ったことはなかったが、その様は楽しそうだった。やってみようと試みて、喉を震わす。
「――ぁ」
「おっ」
「しゃベルの、できテる?」
「できてるできてる! もしかして、初めてなの?」
「あぁ」
「わあーっ!」
目を爛爛と輝かせて迫ってくるセンに、思わずのけぞる。そのまま押し倒され、体の上にまたがられた。
「ねえねえ、あたしと友達になろ? そして一緒に遊ぼ?」
「あそぶ…………ッいヤだ!」
思い出したのは、あの恐怖の人間である。同じことを言ったセンを押し倒して、距離を取る。警戒しつつ、形のない目で睨みつけた。
「ええ!? な、なんでなんで? 遊ぶの楽しいよ?」
「いヤだいヤだいヤだいヤだいヤだいヤだ! わたしは、あそんダりなんかしナいっ」
「……ふぇ、ネロ~」
「全く、まだまだ手間がかかるな」
ネロは抱えてやって、あやしていた。センはぐすぐすと泣きつつ、首に手を回している。
「センがすまなかったな。悪気は一切なかったんだ」
「……ああ」
「何かしら事情があるんだろ? 走って逃げていたようだしな。同族の誼だ、よかったら話してみろよ」
センは目を赤らめつつも、ヒトカゲの反応をこっそりと窺っていた。気分は落ち着いてきているようだ。泣かせてしまった立場としては後ろめたい気持ちがあった。
遊ぶという言葉に語弊があったかもしれないので、ヒトカゲはぽつぽつとその経緯を話した。声によって目覚めたこと。気の向くままに歩いていて、烏とじゃれ合っていたら人間が攻撃してきたこと。そこから必死に逃げ出して、ネロとセンに出会ったこと。
「その人間が遊んでやるって言って、虐めてきたんだな。すぐ殺しにかからないところ、性格が悪い。そいつ、灰色の羽織を着てたんじゃないか」
「なぜわカった?」
「ヒトカゲに嬉々として近づいてくるのは灰身上ぐらいだからな」
「灰身上ってね、近づくだけで、斬りかかってくるみたいなの。あたし、人間は皆大好きだけど、灰身上はちょっと怖いなあ」
センは先程の仕打ちをすっかり忘れたようで、気にせず接してくる。
「それにしても単身でか……他に人はいなかったのか?」
「イなかった」
「そうか……かなりの自信家か、よほどの実力者か? 特徴とかあったか? そうだな、例えば髪色とか」
「はイイろだ」
髪と羽織が同じ色なので、全身灰色一色に染めたようだった。
「へぇ」
気安い空気に、剣呑さが混じる。その雰囲気を感じ取って、訝しげにネロを見遣る。
「そいつ、女だろ。しかも、まだ子どもの」
「……しりあイか?」
「ああ。なんせ、一度ヤりあったぐらいだからな。勿論、戦闘の意味でだぞ??」
「? そうなのカ」
その他の意味が何か考えていると、ネロが肩を叩いてきた。意識を向けたところで、含んだ笑みをにやりと見せつける。
「ノエルって名前なんだぜ。他にも、多少は知っていることがある。それで、お前はどうしたい?」
「どウ……?」
「ちなみにお前が生き残ったのは、かなりの幸運だ。ノエルの実力からして、お前ぐらいのヒトカゲなんかは本来なら瞬殺だった」
冷静に考えてみて、その通りだと同意する。ノエルは遊んでいたから、ヒトカゲを最後には逃がすことになった。
「だが、幸運のおかげだけでもない。お前が精一杯抵抗した結果もある。だから逃げ出すことができ、こうして俺と出会えた。ノエルを知る同族に、これまた幸運にもな」
それをどう生かす?
ネロは、ヒトカゲに考えさせる。その時間が長かったせいか、選択肢を提示した。
「さっきと同じように逃げるか?」
「イや、」
「なら、復讐でもしてみるか?」
「……」
即答できないのは、安全地帯によって恐怖が怒りに変わったからで、そうしたいのは山々だが、その力がなくできないからである。
だが、ネロの存在がある。ネロは友好的なのもあって請えばノエルの情報を教えてくれるだろう。また、過去にヤりあって生きているのだから、這う這うの体で逃げ出してきたヒトカゲよりは力がある。それもまた、教えてくれるはずだ。
故に問う。
「わたしはかてルか?」
ネロの助力を得た上で、その実力がヒトカゲに身につくのか。
「さあな」
軽薄に言ってのける。
飄々とした性格が、そんか答えもあって不満だった。
「だが、今よりは強くなれるぞ」
「ならば、わたし二いろいろとおしえてほしイ」
「よしきた!」
その言葉を待っていたと、ネロは気分よく言う。
「んじゃ、魔改造といこうか。なに、理性があるなら楽勝だろ」
ノエルに復讐できるほどに。
それを目指して、ヒトカゲは復讐心の火をつけた。




