第三十二話 敵対の芽
代美は長い療養時間を経て、復帰を果たした。リビーは一足先に復帰していたので、ノエルや仁を引っ張って快気祝いに来てくれた。
ようやく灰身上の仕事を始められるわけだが、機能訓練として体を動かすことはしていたものの刀を振るう感覚は取り戻せていない。少し鍛錬をしてから、仕事に向かうことになっていた。
木刀を握ることが懐かしかった。感覚を取り戻すには苦労しそうだと、ノエルと共に刀を振るう。好一対である代美が鍛錬するならば暇を持て余すのは必然で、そうなったときのノエルの行動は鍛錬一択である。療養している内にも実力をみるみる伸ばしていたようで、元から差はあったのが更に広がることになっていた。
やはりノエルは凄い。感嘆と焦りを持ちつつ、熱心に励んでいく。やる気はあるものの体力がなくなっているようで、休憩を多く取らざるを得なかった。
そんなときに、本部長は姿を現す。
「ちょっと遅れたけど、復帰おめでとう」
「ありがとうございます」
多忙なのは本部長がよく言っていることなので分かっていた。その上で会いに来てくれることは、それほど目をかけてくれている現れだ。代美だけでなくノエルもそうなので、申し訳なさと感謝の半々であった。
「何か御用でもありましたか」
ただそれだけではないだろう。それだけならば、時間をかけて川辺にくる手間は取らない。病室にいたときに出向くことができなかったら、住まいの長屋に訪れればいいのだ。
「うん。そろそろ躾が必要になる頃かなって」
「そ、そうですか……」
温厚な顔を崩さず、躾と言ってのける本部長に顔が引きつった。愛玩動物ならばいいが、ノエルという人間相手である。
ノエルは本部長が来てからというもの、代美の背に隠れている。その前にキョロキョロと辺りを見渡していたので、他に何もないから代美という遮蔽物に逃げ込んだと思って仕方がなかった。人を盾にするんじゃないっ。
「今回は俺も木剣を使うよ。ほら、持ってきているだろう?」
ノエルが脇の間から顔を出すので、覗き込む。怯えの色が濃くなっていた。
「本部長…………打ち合い、ですよね」
「そうともいうね」
前は無手とはいえ、一方的に殴っていた。今回はそうならないようである。……ならないよな?
「そう」
表情が和らいだノエルは、いそいそと準備し始める。本部長は苦手だが、打ち合いはいいらしい。
木剣と真剣の夢幻の両方を持ってきていたので、本部長の様子を窺いつつどちらを用いるか迷っているようだった。なんてことはないと、それは一刀両断される。
「真剣でいいよ」
「……」
売り言葉みたいではらはらとする。少しの怪我は打ち合いだから仕方ないとはいえ、どうか心が傷つきませんように。
躾だから、本部長は狙っていることだろう。躾をする意味は理解しているが、代美としてはそう願わずにはいられなかった。
「今日は恐がらないんだ。いつも俺から逃げ隠れてるのに。もしかして――刀でなら勝てると思ったからかい? それは誤りだよ」
あ、これは駄目だ。
代美は悟った。そしてノエルはおそらく予定通りに、徹底的に痛め付けられた。
ノエルは短期間に見合わない成長をしている。事実、そのかいあって本部長と打ち合いにはなっていた。格上が胸を貸して、付き合ってあげる形として。
師範が厳しく稽古をつけているのに似ていた。容赦なく、欠点を穿つ。実際はそうでないので、指導する言葉はない。木剣でもって躾けていく。
翻弄して、軽くいなして、痛みで更なる追い討ちをかけていた。ノエルは横たわった状態で肩から呼吸をすることになる。
動く意思はあっても、体は限界を迎えている。ここで、本部長の言う躾は終わった。
代美の懸念ほど、つまり前回よりは酷く痛めつけられなかった。今回は実力差を分からせることに重点を置いたらしい。倒れているのも、打ちのめされたというよりも体力が長続きしなかったからだ。
ノエルとしては遺憾だろうが、代美にとっては安堵した結果だった。呆然とした様子に、受け止めるには時間がかかりそうだ。傷は気になるが、代美は平然としている本部長の元に赴く。
「やはりお強いですね。現役を引いたとは思えないです」
「最盛期と比べたら全然なんだけどね。……かなりギリギリだったから、そう見えたのなら良かったよ」
声を潜めて、冗談っぽく軽く言う。その目は笑っていなくて、代美は驚いた。
「それほどなのですか」
「うん。いやあ、強い強い! 予想以上で、正直焦ってる。あ、本人には行っては駄目だよ。躾の意味がなくなる」
「それはまあ……痛い想いをした意味もなくなるので」
本部長は超えることのできない大きな壁といてもらわなくてはならない。そうでないと、人を害することができない縛りがきかなくなる。絶対に本部長に逆らうことはできないと、思ってもらわなくてはならないのだ。
「手が負えなくなる前に、自主的に抑えられるようになって欲しいんだけどね」
「道義は教え込んでいるつもりですけど……」
憧れ一筋だからなあ。
「さっきの打ち合いで、遠慮なく急所を狙いに来るぐらいだからね。真剣なのに……俺が相手だからってこともあるだろうけど」
本部長を殺してしまえば、縛りも何もなくなるからだ。教え込んだ道義は全く効果がないことに頭を痛めた。
「まあ、でも当分は好きにやらせてあげて」
意図が分からなくて、眉を読む。
「なぜ、でしょうか」
「理性あるヒトカゲの出現もあるし、ヒトカゲの出現減少もあるし、支部長会議で得られた情報もあるし、反対に一向にノエルの身元に繋がる情報は得られないこともある。そんな色々だよ。一つ、付け加えて言うならば、ノエルの身元調査に関して、俺が指揮している訳ではない」
ヒトカゲの減少と開かれていた支部長会議は、茜さんから聞いているので既存だ。淡々と付け加えられた内容に、疑問を投げかける。
「任せているのではなく?」
「そうだね。俺はただ纏められた報告を聞くだけだ」
声を潜めているのは、聞かせたくない相手がノエルだけではないのだと察した。ノエルの身元調査は、ヒトカゲの謎の解明に繋がるものだ。そんな重要な調査を本部長の立場で主導できないならば、逆らうことのできない上の立場の者が行っていることである。
ああ、だから川辺まで来ていたのか。ここは見晴らしがいいから、話を聞ける距離まで近づけない。
そのまま遠方をさっと確認してしまって、「それじゃあバレちゃうよ」と注意される。
「現状、ノエルが鍵となっているのだから、当人に張り付いているはずだ。下手したら、僕にもついているかもしれない」
「確証はないのですか」
「たまに見られている感覚はある。だけど、見つけられない。忍びというものは、これほどまでに優秀だったんだね」
本部長の実力であってもそうなのだと絶句しつつも、与えられた情報を整理していく。確認のため、「そういえば」とさも今思い出したかのように尋ねる。
「一朔殿はもういらっしゃらないのですか? ノエルの刀の手配をしてくれたので、改めてお礼をしたいのです。ノエル本人もしたいでしょうし」
「……もういないよ。あの方は、俺以上に忙しいからね」
名を出した一瞬、顔は強張っていた。
対立しているという話は聞かないが、本部長は不満がある。大切な調査に関わらせてくれないのだから、当たり前のことだろう。本部長の立場は高い立場で、相応の誇りをもつものだ。
その事情から、本部長が求めていることを考える。ノエルには好きにやらせるようにというのだから、新たな展開を欲しているはずだ。つまるところ、囮だろうか。
理性あるあのヒトカゲは死んだが、一体いたのなら他にもいるはずだ。ヒトカゲもそう言っていた。ならば、ノエルのことを何かしら知っているものもいるはずだろう。
「何かあったら、直ぐ報告します」
「ありがとう。代美さんが利口で助かるよ」
ノエルと共にいる代美ならば、何かあった場合、一番に知ることができるし正確に報告も上げられる。
さぞ使い勝手のいい駒だろう。そのことに、代美は何も思わない訳ではない。だが、代美もこれを上手く使ってやる。これからもノエルの隣に居続けるために。それが一朔や彼が仕える当主に敵対することになっても、価値を見出してもらえる相手に味方に付いた方が得なのだから。




