第二十二話 代美のいない生活
ヒトカゲとの戦闘により、代美が負傷した。完治には何カ月もかかる重傷で、自宅である長屋では生活ができぬほどだ。
ノエルは長屋での一人生活を強いられていて、まだ日の光が乏しい時間帯に目覚める。背を伸ばしたい希望のため、規則正しい生活だ。代美がいたときから自力で起きていたのだが、このことを驚かれたことがある。
その相手が軽く扉を叩いてから、無遠慮にずけずけと長屋に入ってきた。幼子といえる、小さな女の子である。
「おはようございます」
「……」
面倒な。ノエルはまだ体を起こしただけの、布団に半分入った状態だ。とても早すぎる。
「起こす苦労がないのはいいですが、その後の支度もやってください。まずは寝具の片付けです。その次は身支度。さあ、朝食までに間に合わせますよ」
「……」
「早く行動してください。何度ご飯を冷めさせるつもりですか。貴方だけならともかく、私まで巻き添えとなるのです。ほら……行動!」
ノエルはのろのろと動き始める。見るだけで何も手伝ってくれない、小さな奉公人を恨みつつ。
ノエルには生活能力がない。自分はそれでいいのだが、他者はそれをよしとしない。自力で生活できるようにさせてくる。
代美がいた頃は頼りきった生活をしていた。口ではあれこれ言ってくるが、仕方ないなと結局ノエルの分もやってくれる。うるさいのを我慢すれば、ノエルはとても楽だった。それが代美の負傷によりなくなる。
ノエルとしては代美がいなくとも、それはそれでよかった。鍛錬が重心的な生活を送ることができる。他者が要求する生活能力など放って好き勝手できる。
だが、代美はそんなノエルを予期して、寝床から動けないながらも手を打っていた。代美代わりの世話役を、奉公人に頼みやがったのだ。そうしてやって来たのが、この小さな奉公人だった。
「……奈々子」
「駄目です。自分でやってください」
敬語を使っているが礼儀正しさは口だけの奉公人である。譲歩してくれない厳しい眼光により、ノエルは渋々髪をまとめにかかる。櫛で梳くのは面倒くさいのでなしだ。眼光がより厳しくなったが気にしない。髪を片手で掴んで、簪を入れてぐるぐる、最後にはぶっさす。
見なくとも、触り心地で分かる。ぐっちゃぐっちゃだ。邪魔だから髪をまとめているのに、これならおろした方がマシだった。
「はあ。何度やっても下手くそですね。今日も一緒にやりますよ」
「ん……」
「全く、損な立場です」
櫛を一緒に持ち、丁寧に梳いていく。髪は腰までの長さなので時間がかかる。代美みたいにばっさり切りたい。丁度使えそうな小刀が視界にある。
「切らないですよ。そう言われていますし、私から見ても勿体ないと思います」
「そう」
「はい。羨ましいぐらいです。日本人にはない色ですし、金髪とかではないにしろ黒の中に灰は映えます」
内心同意する。終幕の灰身団の敷地内にいると外人は多いように感じるが、一歩外に出れば日本人ばかりで黒髪一色だったりする。
灰身団は身寄りのない者を引き取っている。外人が多いのは、親族が日本にいないことで引き取り手がいないからだった。日本への侵略者という印象が強かったりするので、なおのことらしい。
「灰は、見ない」
「……外人でも、確かにそうですね。私はノエル以外、見たことがありません。まあ、この年ですし、灰身上と違って各地を旅していないので見なかっただけかもしれませんが」
ノエルは欠落した記憶でも残っていた、母か姉を思い返す。ノエル自身と見間違えたぐらい似ていた。灰の髪はまとめ上げていて、多分同じくらい長い。
容姿以外さっぱりな人物に、考えるのを早々にやめる。奈々子の手を文字通り借りて、四苦八苦するも髪はまとまった。
「その簪、代美のですよね」
「ん」
「とても高価な品だと思うので、大切にした方がいいですよ。髪飾りに相応しい身なりを心掛ける、とか」
「……」
「嘘でも、返事くらいしてください。はあ。朝食をもらいにいきますよ。今日も結局冷めているでしょうね」
髪だけでなく、着物を着るのにも時間はかかっている。
奈々子についていき、別の奉公人がまとめてつくってくれている朝食を、食堂の広い部屋で口にする。時間が時間なので、人はまばらだ。元々は住まいの長屋でとっていたのだが、何かと人に絡まれる代美がいないため、持ち帰る手間がないこの部屋を利用していた。
朝食を取った後で、ようやく奈々子から解放される。奈々子はノエルの世話役の他にも、元々の仕事であった侍女を兼ねている。ノエルの仕事である灰身上の仕事は最低好一対の二人を満たしていないと許されていないため休止中、自由時間だ。勿論、憧れをなすために鍛錬に注いでいく。
川辺に行って、刀を取り出す。代美の真剣だ。ノエルのは折れてしまって使い物にならなくなっている。
代美がいたら、木刀を使えと取り上げるだろう。だが、代美はいない。代美がいないと不便はあるが、逆もあった。甲乙つけがたいことだ。
鍛錬の内容は体力づけのために走り込みもするが、専ら素振りだ。これまでとなんら変わりはないが、剣技の腕前が上がったことで詳細は異なる。
実戦の経験もあって見えが良くなった、幻の線をなぞっていく。憧れ時の先生の刀の軌道だ。最初から最後まで繊細に、それでいて恐れず刀を振る。ピタリと曖昧なところで勢いはとまるが、憧れ時は手強い相手がいて、同じように刀のようなもので張り合っていたのだ。ノエルは一人で演じることになっていて、ときには刀を弾かれたかのようになっている。
とはいえ、止められなかったり、弾かれなかった型を想像して、刀を振りきったりもする。先生の立場になりきって、相手の幻も作り出してどこを狙っていたのか、どんな風に剣技を繰り出すのか。だが、この場合、ノエルは幻相手にこてんぱんにやられる。
先生と戦っていた相手は、先生ほどではないにしろ強かった。ノエルの腕前はまだそこまで到達していない。幻は精緻だ。しかと目に焼き付けたおかげで、日が立っていても憧れの記憶を思い出せ、それを元に作り出せる。
「もうお昼ですよ。今日は食べましたか」
「まだ」
「ならば行きましょう。私もまだなのです」
奈々子が昼食をとったか、確認しにくる。そこで鍛錬は一旦区切りだ。身長と力の源のため昼食は抜かないようにしているが、鍛錬をしていたらどうも時間を忘れる。今更に真上に日があると知った。
奈々子に真剣を用いた鍛錬を目撃されているが、灰身上でなく奉公人なのが幸いで、危ないとは言われない。そういうものかと思っているようである。
昼食後は川辺に戻って鍛錬の続きを行う。次は『姿勢』だ。
代美の姿勢を見て、静止状態ならばできるようになった。だが、動きがつくと、どうも姿勢が解除されているようである。本人では感じることが難しいので、一人の鍛錬に向かない。昼前の鍛錬と同じような素振りとなってしまうことが多かった。
そうならないのは、ノエルの鍛錬に興味を示した子どもが見に来るときである。わあ、凄い、と騒がれるのは嫌ではない。憧れのために全力を尽くしているノエルは、憧れの凄さを共感してもらっているようでほんのりと嬉しかった。
閑話休題。見るだけでは何なので、ノエルは姿勢がなされているかを言ってもらっていた。
「ん~、今ちょびっとなってたかも? いや、気のせい? よくわっかんね!」
適当なことを、というよりノエルが未熟なことで、直結に思ったことを言うのは正吾だ。毎度見にきていて、かつ、子どもの集団の中で人目置かれていてよく名前を呼ばれているので覚えていた。
「もっかいだ!」
「ん」
ノエルは素直に応じる。快く見て、判断してもらえるは好都合だ。
余分な力を抜いてから息を吸って、吐く。いつも通り、無自覚に呼吸をしていく。特別に大きく息を吸うことはしない。それは、一瞬しか姿勢はならない。
ここまではいい。正吾を筆頭に、手ぶりでできていることを教えてくれる。雲をつかむような、あるようでいない存在となる姿勢の鍛錬から、雰囲気に呑まれてこのときは無言になるのだ。その分身振り手振りが激しくなるので、無言でいながらも騒がしい様子は見られる。
ノエルは目を閉じてから、刀を振ってみる。その方が、余分な情報に気をとられなくて集中しやすかった。結果は駄目だったらしいが。
「できてなかった!」
「全然上達しないなあ」
「素振りはあっという間に上達してたのにね」
正直な感想に、ノエルも異論はなくて参ってしまう。最初に教わったときは苦労がなく一発でできたのだが、代美が手本を見せてくれたおかげだったらしい。ノエルは目に自信があり、一挙手一投足を逃さず模倣できる技量があった。だが、その手本がなければ、こうして行き詰まることになってしまう。
「手本……弟子……カティンカ?」
代美以外の弟子と言えば、先生の刀を賭けて勝負をした少女のことを一番に思い出した。また先生の一番弟子であるアヴェラと、弟子ではないが連鎖的に本部長まで。ノエルはそれだけで身震いをすることになった。代美がいないからか、以前に増して顔を見に来るのだ。いい子にしているのに、入念な奴である。忙しく言うなら、仕事でずっと忙しくしておけ。
本部長の顔は追い出し、問題はカティンカとアヴェラである。二人は優秀で、後者に至っては先生と並ぶほどの実力らしい。ノエルの見立てでも、そのぐらいの存在感はある。
どうにか姿勢を見られないものか。カティンカでも代美より実力者なので、多少なりとも姿勢を身に付けているだろう。
自力での鍛錬は打ち切りな部分があるので、二人に会う方法を考える。カティンカならば、灰身団の敷地内でたまに見かける。なんとか探し出し、姿勢を見せてもらおう。
さっそく行動を起こし、本部までやってくる。最初に出会ったのは、本部の屋敷内の武芸場だった。本部長がいるはずなので屋敷内に入らず外から行こうとすると、仁と出くわした。ノエルとしては用事がないので通りすがろうとしたが、相手はそうではなかった。
「丁度いいな。ノエル、ついてこい」
「……む」
「無理とは言えないぞ。強制だ。お偉い様からの、呼び出しだからな。これからも灰身上をやっていくなら、無視しない方がいい」




