第一話 欠落少女は憧れを胸に抱く
さ迷い続けて、行きつく先は檻の中だった。宛などないので、感慨もなく座り込んでおく。捕らえた側の全身黒の人の形をした化物が二体、格子越しにちらりちらりと見ているようだった。
全てに関心がなかった。記憶が欠落してしまっている少女自身についてもだ。
何かがない。何もかもがない。
例えるならぽっかりと穴だらけで、一つの大きな穴となっている。記憶は極少しありはするが、なんとなく悲しさを感じるだけのものだ。
ないものを考え込んでも仕方ない。とはいえ、檻の中では他にすることもない。
つまらない。
悲しさの余韻もなくなって、欠落少女は徒に時を過ごす。変化は檻の外からもたらされた。
喧騒が耳に障った。視線を遣れば、思いもよらぬ光景がある。
白銀が煌めき、真紅と共に飛び交っている。それをなすのは化物二体と、もう一人。肌や髪などに様々な色をもつ、正真正銘の人間だ。
人間は男で、血を流しつつ二体に刀で斬りかかっている。一体はあっという間に地に倒れ、もう一体とは渡り合う。
化物は刀に対してその身を武器とした。同じ形状の刀なのだが、質以前に技量で劣ることから徐々に傷を増やしていく。灰がさらさらと流れ出していた。
欠落少女は大きく目を見開く。
「――きれい」
刀の振るいを、血が鮮やかに彩る。それをなす男は元々血を流し続けていたせいか、顔面が蒼白だ。
命を懸けて戦っている。いつまでも見ていたいが、終わりが近いらしい。より一層集中して、しかと目に焼き付ける。化物の耳に円環の耳飾りがあるのは、そのとき気付いた。
両者距離をとっていた状態から、先に化物が動き出す。真っ向からの振り下ろしを、男はその場から片足を一歩後ろに下げて受け流した。そのまま斬り込むところで、化物は強引に腹の底からの声が気迫となって速度が上げる。初めて男に小さな傷をつけたところで、とどめは刺された。
斬り込みは流れるように、上段から振り下ろされた。一際強く刀が輝きを放って両断されると、耳飾りを除く、化物の全てが灰となって宙に消える。
男が一息ついたときに、倒れ伏せていた化物から奇襲を受けた。小石の影が針となって腹を貫く。男は一瞬の判断で刀を投擲することで、その化物も灰となった。針が元の影に戻るが、受けた傷は当然そのままである。
ふらつきながらも、途中刀を杖代わりにして男は近づいてきた。
「どい、ててね」
欠落少女にとって邪魔になっていた檻は斬られ、大きな出口が出来上がる。男はそこで力尽きた。灰とならない代わりに、血が染みとなって大きく広がっていく。
欠落少女は刀を拾い、男の屍を超えて檻から出た。朝日の眩しさに目を細めつつ、剣の煌めきはその反射のおかげだと理解する。
化物と男の死闘を中心に、記憶した光景を一つ一つ確認してから男の戦いぶりを真似る。
欠落少女の身にとって刀は重く、手から取り落とした。それでも諦めずに、一心に剣の軌道をなぞる。見入られてしまったから、何度も何度も繰り返す。
「わたしも、あんな風になりたい」
そうして憧れとなる。欠落した記憶に、忘れられない新たな記憶ができて、感情が湧いて溢れていた。
男を先生と慕う弟子と出会うのは、その後のことだ。
*
先生が帰ってこないまま五日がたった。
「この辺りは本当に危険だから、ちゃんと待っているんだよ」
足手まといなのは分かりきっていた。それでも今まで供としてついていったのは、先生のなすべきことを見て吸収するためで、また諦めの悪い意地でもある。
彼女――代美は弱い。先生に守ってもらわなくては、まだ比較的安全であるこの場まで来ることもできなかっただろう。
覚悟はできているので、危険なのは構わなかった。だが、ついていくことで先生にまで危険にさらすほどとなれば、言われた通り待つしかない。
何度も先生を追いかけたい衝動に駆られた。もどかしさに苦しみながら五日も待てたのは、代美にとっても驚きだ。
紙に言葉を書き残し、廃屋を出る。ここら一帯に住まう者は誰もいない。
もし代美さえも戻らぬことになっても、これで大丈夫だろう。廃屋に来るまでに地元の人と話を交わしている。時間はかかれども先生と代美の足取りを追って、事情を把握できるはずだ。
朝であるのに化物が徘徊している。代美は身を隠して戦闘を避けた。刀を大小――打刀と小刀を帯びているが、この強い個体には敵いはしない。決して見つからぬようにして、人の通った跡である踏み締められた草を頼りとする。
途中で化物の足跡と混ざってきて、宛にできなくなってくる。それでも先生のものであろう跡を信じて辿る。
日が真上に昇った頃に聞き覚えのある音がした。剣を振るったとき、空気を切り裂く音である。
「先生……っ!」
視界を阻む草木を駆け抜け、開ける。期待は裏切られることになった。
灰色の髪をしていた。腰まであるのだが、台無しにもボサボサに乱れていて薄汚れてもいる。
そんな少女は一心に刀を振っていた。その刀は見覚えがあり、少女の後ろに隠れていた倒れている先生を見て、代美は悲鳴を上げる。先生を中心に、地面が血で染まっていた。
嘘であって欲しい。
いつの間にか近くまで歩んでいた。触れて確認するまでもなく、死んでいることが分かってしまう。
表情は安らかで、ほんのりと口元が弧を描いている。そして少女は先生をそのままに、代美も気にすることなく刀を振り続けている。
少女との関係性はよく分からないが、化物が関わっているのだろう。だが、それを加味しても、看過はできない。
「おい…………おいッ! もう止めろ!」
柄を掴み、無理矢理刀を静止させる。
少女の灰色の目は底冷えとしていて、肌が粟立つほどだ。それでも屈してたまるかと、力づくで刀を抑え続ける。
こうして欠落少女との出会いは、先生の弟子にとって最悪の形でなった。