梅咲く頃
この作品は史実を基にしたフィクションであり史実とは異なる箇所があります。
梅の花が咲き桜のつぼみも膨らむ頃。お茶屋さんへの挨拶回りを終えた私は昼下がりの静かな京の花街を歩いておりました。
(……きっと、お日様が沈む頃には私も舞妓としてお座敷で舞うのでしょう)
春の日差しが心地よくて少しだけ目を細めながら、私はゆらゆらと立ち上る陽炎の中を歩いてゆきました。
「ただいま帰りました」
私が置屋の前で声をかけると、カラカラと音を立てて開く玄関の戸。お母様が中から出迎えてくれたのです。
「お帰りやす。もう男っさんがきてはりますえ」
お母様の言葉に私はゆるりと頷き、早速お座敷の準備に取り掛かりました。お化粧に、お着物に、そして結い直されてゆく自身の髪。
(……まるでお人形のようだわ……)
私は鏡を見つめながらそんな事を思いました。それでも、女として我が身を着飾れる事はこの上無き幸せなのでしょう。そう思うと、少しだけ胸が躍りました。
お座敷の準備が終わる頃には外はもうすっかり暗くなっており、だんだんと人々で賑わい始める夜の花街。お酒のほのかに甘い香りがふわりと鼻を掠めました。
「ほな、行ってきます」
私はお母様にご挨拶をして、真っ白な提灯で華やぐ花街へと出かけてゆきました。
暫く歩いていると、目の前に見ゆる柿色の暖簾。私がそれをひらりとめくり中へと入ってゆくと、そこにはお姉様達とそのお客の方々でしょうか。漆黒の軍服を着た男の方々と何やら楽しげにお話をしている姿がありました。
ふと、こちらに気づいた一番上のお姉様に手招きをされ、私もお座敷へとあがりました。
「この娘が新入りの舞妓ちゃんどす」
「よろしゅうお頼申します」
私が小さくお辞儀をすると、凛とした切れ長の目の殿方がこちらを見つめて言いました。
「今宵は君の晴れ舞台と聞いた。ぜひ僕も君の舞が見たい」
鋭い眼差しに射抜かれ、私はただ茶色い瞳に映る自身の姿を見つめる事しかできませんでした。
「……へえ、どうぞごゆるりと見ていっておくれやす」
今宵、私は桜の如く舞い踊ります。美しく、そして、華やかに――。
これは、昔々の物語。まだ花開く前の小さな桜のつぼみと満開に咲き誇る梅の花の、淡く儚い恋物語。
[参考文献]
アジア歴史資料センター・大英図書館共同インターネット特別展. "1. 発端と背景:朝鮮の混乱と日清両国の動き~甲午農民戦争". 描かれた日清戦争 〜錦絵・年画と公文書〜. 2021.
https://www.jacar.go.jp/jacarbl-fsjwar-j/smart/about/p001.html