8・笑い上戸ですか団長さま
……と、啖呵を切ったところまでは良かった。良かったのはそこまでだった。
「落ち着きましたか?」
「はい……ごめんなさい、軟弱で……」
現在、私は団長さまに抱き上げられている。団長さまの片腕に腰掛ける形で、しっかりがっちり抱き上げられている。
あまり整備されていない森の道を、私を抱えたまま団長さまは難なく進んでいく。私が自分で歩くよりもずっと速く、なにより安定した足取りだ。
……火が出そうなくらい顔が熱い。今なら顔の熱でお湯を沸かせるのではなかろうか。
そんな、見るまでもなく真っ赤になっているであろう自分の顔を、私は団長さまの首に抱きつくことで必死に隠す。
庭を散歩するようになって少しは体力がついたと思っていた。いや、少しはついたのだろう。一が二になった程度には。
一に十を掛けるのと、二に十を掛けるのは雲泥の差なのよ。
魔女はそう言っていたが、私基準では二に十を掛けた程度の体力で森の中を歩くことは無謀だったようだ。
決意も新たに啖呵を切った、その後。
私の答えを聞いて、団長さまは呆然と私の顔を見つめていた。そのぽかんとした表情はどこか子供っぽくて、思わず笑ってしまう。かわいい、だなんて本音はもちろん口に出さない。
顔は上げてくれたものの、立ち上がろうとしない団長さま。そろそろ立ってもらおうと、立てた膝の上に置かれた彼の手を、両手でそっと掴んで。そしてその手を持ち上げ引っ張り、立ってもらおうとしたのだけれども。
……まさか、持ち上がらないとは思わなかった。いくら頑張っても、最後の方は全力で引っ張ったのに、ぴくりともしなかった。
ちなみに団長さまは未だにぼうっとされていて、手や腕に力を入れている様子はない。むしろ力が抜けている状態だ。
だというのに、私の全力をもってしても持ち上がらなかったということは。つまり、純粋に彼の手が重くて、私には持ち上げられなかったのだ。
いやまさか、そんな。
もう一度挑戦するも結果は同じ。嘘だろう私。
己の信じられないくらいの非力さに、私まで呆然としてしまった。力がないにも程がある。
「…………、ふっ、……っ」
茫然自失状態の中、不意に聞こえた声。見れば団長さまがうつむいて、肩を震わせていた。
何かあったのだろうか。もしや、私を受け止めた時に怪我をして、今になって痛み始めたのか?
赤から一転、青くなる顔。慌てて持ったままだった団長さまの手をぎゅっと握る。
……団長さまの手、あたたかいな。とても大きくて、とてもかたい手だ。指はすらりと長くて、節々がしっかりしていて、ごつごつしている。
こんな状況だというのに団長さまの手を堪能し始めた私だったが、それも彼が私の手を掴み返してきたことで簡単に吹き飛んだ。
今度は団長さまが両手で、私の両手を包み込む。そのまま優しく、でも強く、ぎゅうっと拘束して、団長さまは自身の額へと手を押しつけた。
そんなに痛むのか? どうしたら、どうしたら……!
慌てふためく私は泣きたくなりながら団長さまを観察して、ようやく気付く。
「ふ、ふふ……くく、はははっ……! くっ、ははっ!!」
なんと、団長さまは笑っていた。それは見事な大爆笑だった。笑い茸を食べたのかと疑いたくなるくらいに、豪快に笑っていた。
先ほどまでの恭しい態度なんてかけらもない、純粋で男らしい笑顔に、私の心臓は大きく跳ねる。
団長さまが、笑っている。
難しいお顔も険しいお顔もぽかんとしたお顔も、ぜんぶぜんぶ素敵だったけれど。
この飾らない笑顔が、一等一番素敵です。
一瞬たりとも見逃してなるものか。じぃっと真剣な目で団長さまの笑顔を記憶に刻み込む。
そんな私を知ってか知らずか、団長さまはしばらくの間笑い続けて。ようやく笑いが収まり始めた頃に、そっと私の手を解放した。
ぬくもりが、離れていく。それがどうしようもなく、寂しい。
「ほんとう、に……申し訳、あり、ません……くくっ」
先ほどより落ち着いたとはいえ、まだまだ笑いが収まらない団長さま。それでも途切れ途切れに謝罪してくださった。
笑いすぎて少し紅潮したお顔はあまりにあでやかで、こちらまで赤くなってしまう。
「い、いえ……大丈夫ですか?」
「ふ、……ふぅー…………っ。はい、大丈夫です。本当に、申し訳ございませんでした」
何度か深呼吸をしたあと、彼は深く頭を下げて再び謝罪した。どうやら完全に落ち着いたらしい。
「謝っていただくことなどありません。こんな小娘が騎士団長さまをお助けするなんて言ったら、笑ってしまいますよね」
「いいえ、違います。私が笑ったのは、貴方があまりに可愛らしかったからです。通りすがりの天使さま」
ふわり、顔を上げて団長さまが笑う。
……さっきから団長さまの素敵な表情ランキングが次々と更新されていく。そろそろ私のデータベース部門も回転過多で停止しそうだ。
「本来ならば貴方を今すぐに、在るべき場所へお送りしなくてはならない。ですが、今の私はとある密命を受け、それを遂行中の身。申し訳ありませんが、しばしの間、私にお付き合い頂けますか?」
優しい笑みと優しい声と、優しい申し出。私は一二もなく彼の申し出を受け入れた。
……そして、体力問題が発覚するのである。
ひとまず進みましょうと、団長さまと共に森を歩き出してすぐ。数分で息が切れ始め、さらに数分後には、ひゅーひゅーと虫の息になった。
「大丈夫ですか?」
心配してくれる団長さまのお顔はやはり素敵すぎるのだが、強がりでも大丈夫とは言えない状態だ。
歩き出す前に髪を結んでおいて良かった。この状態で髪がぼさぼさだと本当に幽霊でしかない。
このままでは夜が明けてしまう。いや、むしろこうやって足を引っ張って目的地まで行かせないのも手では。
酸欠状態で、ぐるぐると取り留めのない思考を回していると。
「失礼します」
そんな声と共にふわっと体が宙に浮いて、ぽすっと何かの上に座らせられた。顔を上げると、すぐ目の前に団長さまの顔があって。
「不快かもしれませんが、ご容赦を。この方が楽でしょう?」
「不快だなんて! も、もももも、申し訳、ございません……っ!」
「いえ。こんなにも可愛らしい天使さまの足となれて、光栄の極みです」
「はうっ」
団長さまは私を殺すつもりなんだろうか。こんな間近でそんな笑顔を見せられては……眩しさで目が潰れそう……。