6・やっと
リュディガー・アッヘンヴァル。
主に平民出身の騎士で構成された第二騎士団の団長を務める、国境戦争の英雄。二十二歳。
五年前に発生した隣国との国境戦争。その戦において数多くの武勲を立て、終戦後に若いながらも騎士団長に任命された、非常に優秀な騎士。
アッヘンヴァル家は世襲の爵位を持たないが、毎世代誰かしらが騎士爵を授与されている、由緒正しい名家だ。
前述の通り優秀な騎士を数多輩出しており、また過去に何度か王族が降嫁していることから、実質的には貴族として扱われている。家門の始祖は亡国の王族だったという噂もあるが、真偽は定かではない。
そんなアッヘンヴァル家の次男こそ、かのリュディガー・アッヘンヴァルである。
人柄はきわめて温厚で思慮深く、真面目だが柔軟な考え方をするので多くのことに寛容。非常に付き合いやすいタイプで、礼儀は尊守するが身分によって態度を変えないこともあり、貴族平民関係なく多くの人に慕われている。
武人としても非常に優秀。戦場においては状況に応じて、適切な判断を即決することが出来る。必要ならば非情なことも躊躇なく決断するため、普段の穏やかな人柄との落差に驚く者も多いらしい。
平時は纏う雰囲気がとても柔らかいため対面していてもあまり感じないが、その身長はとても高く、体付きは筋肉質で非常にたくましい。
……そして精神面においても、唐突に空から落ちてきた子供に慌てることなく、難なく受け止められるくらいに強靱なようだ。
初めて見る彼の顔立ちは、精悍だがどこか甘く優しげで、ビロードのように輝くつややかな黒髪は、動く度にさらさらと音が鳴りそうだ。
そしてなにより、驚きで見開かれた、木漏れ日を浴びて透き通る新緑に似た瞳がとても印象的で。
大きく丸くなった目の中、澄んだ薄緑に散った金色の光がきらきらと輝いている様子がよく見える。
……脳内で次々と更新されていく、団長さまのプロフィール。
頭のデータベース部門は非常に高速に、かつ勤勉に動いているが、感情と思考部門は完全に機能停止中だ。
お互いに目を丸くしたまま、無言で見つめ合う私と団長さま。
どうしてこんなことになったかと言うと、詳しく言うまでもなく魔女のせいである。
協力してもらう手前、文句は言いたくないが、さすがにこれには一言もの申したい。
なんの相談も説明もなく、唐突に人を魔法で空中にポイするのはやめろ。
「お着替えしましょう」
突然、魔女が言った。思わず窓の外を見る。太陽は既に沈み、空の端には星が瞬き始めている時分、つまり宵の口。
今日は騎士団の訓練が休みだったので、朝から部屋着のワンピースを着ていた。一日中部屋で大人しく本を読んでいたので、特に汚れてはいないと思うのだが。それなのに着替えとは、いったい。
「お着替えしましょう」
困惑する私に、同じ台詞を繰り返す魔女。顔は見慣れた無表情なのだが、目にまったく余裕がない。なんで怒っているんだ、彼女は。
「これに着替えてください。私も準備してきますので」
言葉を探している私にぽいっと服を投げ渡し、魔女は部屋を出ていった。
渡された服は、騎士や兵士の訓練服に似たもの。一切装飾のない麻のブラウスと、ポケットがたくさんついている厚い綿のズボン。
……私に何をさせるつもりなのだろう。
魔女が戻ってきたら絶対に説明させねばと心に決めて、さっさと渡された服に着替えた。世話を放棄された歴が長い私、もちろん着替えは一人で可能だ。
子供サイズなのは分かるが、やせ細っている私にはそれでも大きすぎる。姿見で確認すると、完全に服に着られていた。
「我ながら、情けない姿だな」
だが魔女が私の世話をしてくれたおかげで、当初の骨皮王女よりは見られるようになったと思う。血色が良いかどうかだけでも、印象がかなり違うものだ。
……団長さまにまだ会えていないのは、ある意味幸運なのかもしれない。こんなみすぼらしくて情けない姿、団長さまに見せられない。
「お待たせしました」
少しして部屋に戻ってきた魔女は、先ほどとは一転して楽しそうに笑っていた。……相変わらず目は笑っていないが。
「着替えたぞ。それで魔女、何をするつもりだ?」
「ごめんなさい、時間がないの。髪は自分で適当に縛って。あと身体強化を発動させてちょうだい」
「いや魔女? なんの説明もないのは流石に……」
問いつめる私に持ってきた髪紐を押し付け靴を履かせながら、魔女は苛立ち混じりに吐き捨てる。
「いいから! 今からあなたの愛しの騎士団長に会わせてあげるって言ってるのよ」
「は? 言ってない! 言ってないから!!」
え、こんな格好で? いや着飾りたいとは思わないが。そもそも私はまだまだ骨と皮ばかりのみすぼらしい姿なんだぞ?
「いやいやいやいや待て待て待て待てもうちょっと見た目が普通に近づいてからじゃないと心の準備がというか本気か魔女いやいやいや……」
「ああもうっ、時間がないって言ってるでしょ?! 術式展開終了! 同調開始、中和反応を確認…………今!」
「おい人の話を聞けーっ!」
逆ギレしつつ魔女が私の手をつかんだ。反射的に身体強化を展開する。それと同時にまぶしい光に包まれて、魔女の手の感覚がするりと消えて。
「魔女!!」
怒りの声をあげて、無理矢理に目を開ける。光が全てを白で塗りつぶす直前に見えた、魔女の表情は。
「いってらっしゃい」
とても優しくて、とても寂しい、今にも泣きそうな顔だった。
「魔女……!」
思わず魔女へと手を伸ばす。しかし私の手は何も掴むことなく。
白に支配される世界と、一瞬の浮遊感。そして視界がぱっと晴れる。そうして目の前に広がったのは、紅が同居する、星が瞬き始めた広い空。
空が、近い。
そう思った次の瞬間、ぐっと体が重くなった。そして。
「なっ!」
ぐらりと傾く体。下へと引っ張られる感覚。ひゅっと耳元で音がした。
もしかしなくても、ここ、空中。
背中を下にして落下していく私。ちらりと下を伺えば、鬱蒼と茂る木々が見えた。
身体強化には体力の増加はもちろん、肉体の耐久力も上げる効果がある。貧弱すぎる私でも、木立の枝がクッションになってくれれば、地面に衝突しても生き残れる、よな?
城に帰ったら魔女に説教をする。絶対にだ。
体が勝手に縮こまる。背中に枝が当たり、ばきばきと折れていく衝撃を感じて。これが終われば次は地面だ。
ふっと途切れる枝の感覚。思ったよりも落ちていないスピード。
……痛いのは、嫌だなぁ。
目を閉じてそんなことを思うのと。
「っ!」
誰かが息をのむ音が聞こえたのは同時で。
結局、覚悟していた衝突はやってこなかった。私を迎えてくれたのは固い地面ではなく、柔らかなぬくもり。
誰かが私を、受け止めてくれた。誰がなんて、考えなくても分かる。感じる。
おそるおそる、目を開ける。真っ先に飛び込んできたのは、会ったこともない、けれどずっとずっと焦がれていた、あの方のお顔。
ああ、やっと。やっと、ようやくお会いできましたね、いとしいあなた。