2・魔女とごはんと魔法
「私は魔女。偉大なる大魔女さまと、ヒトには呼ばれているわ」
突然現れた女性は、呆れた顔をしながらそう名乗った。
私は彼女が恵んでくれたサンドイッチを頬張りながら、この女性がおとぎ話や伝承に出てくる「魔女」なのかと納得する。ドアも窓も開いた気配がなかったのに室内にいたのは、きっと魔法だったのだろう。
ベッドに腰掛けた私は、行儀悪くもそこで食事をしていた。部屋にある古びた机と椅子は大人用で、子供が使うには大きすぎるのだ。
そんな私の行儀の悪さを魔女は気にした様子もなく、部屋を見回しては顔をしかめていた。
確かにこの部屋の状態はないよなぁと思いつつ、私はもぎゅもぎゅと野菜と鶏肉のサンドイッチを咀嚼する。
しゃきしゃき野菜と甘辛いソースで味付けされた鶏肉が、互いを引き立て合い、絶妙のハーモニーを奏でている。白パンもしっとりもちもちで柔らかく、ほのかに甘くてこれだけでも食べたいくらいの美味しさだ。
おそらく、今世で初めて食べたまともな食事だ。空腹というスパイスも過剰に効いているおかげで、泣きそうなくらい美味い。
「おいしい?」
ひたすら無言でもっぎゅもっぎゅしている私に、魔女は苦笑しながら問うてきた。私はこくこくと何度も頷く。どうしても食べる動作を止めることが出来なかったのだ。
そんな私を咎めることはせず、魔女は腰のリボンベルトにつけている小さいポーチから水筒を取り出した。
サンドイッチもそこから取り出していたが、見た目の容量と取り出した物の体積が全く釣り合っていない。
「空間魔法がかかっているのよ」
私が不思議そうに見ていたからか、魔女が教えてくれた。水筒と一緒に出したカップに中身を注いで、サイドチェストに置く。
「保管空間に入っている間は時間が止まるから、食品は腐らないし飲み物も冷めない。あたたかいうちに飲みなさい」
ふわりとのぼる湯気と芳醇な香り。咀嚼を止めてカップを手に取れば、じんわりとぬくもりが手に伝わった。そっと口を付ける。あたたかくてほんのり甘い、とても美味しい紅茶だ。
ああ、なぜだろう。とても懐かしい味だと思った。
なんだか泣きそうになって、それを誤魔化すため再びサンドイッチに戻る。
大きめのサンドイッチを完食し、紅茶を二杯飲んで。ようやく落ち着いた私は魔女に頭を下げた。
「ありがとう、とても美味しかった。この恩は必ず返す」
「どういたしまして、期待しないで待ってるわ。それで、これはどういうこと?」
どういうこと、と問われても。私の現状はどこをどう取ってもおかしいことだらけだ。
首を傾げる私に、魔女は質問が悪かったわね、と頷いた。
「私がここに来たのは、異変を察知したからよ。空間がねじ曲がった気配がして、次の瞬間、全てを壊しかねないほどの強い力が世界を走った。それは一瞬の出来事だったけれど、確実に何がが起こった証拠。だからそれを確認しに来たのだけれど……」
魔女が顔をしかめる。
ああ、異変を確認しに来たら、虐げられた王女を見つけてしまった、と。私の現状は見る者を不快にさせる。それは災難だったなぁ。
「……何をしみじみとした顔をしているの? 異変の原因はあなたよ」
「私?」
「ええ、あなた。あなたのその態度、とてもじゃないけど、世話を放棄された子供のものではないからね?」
「あー、そうだなぁ。それもそうだ」
しかし私が異変の原因とな?
「ふむ……もしかすると、死んだと思ったら過去に戻っていたのだが、それだろうか」
「もしかしなくてもそれね」
魔女は額を押さえて深くため息を吐く。幸福が逃げるぞ。
「それに、今この状況は……いえ、まずは詳しく話してもらえる?」
「ああ、恩人の頼みとあらば喜んで」
あんなに美味しい食事の恩を思えば、それくらいお安いご用だ。
私が簡単に事の経緯を説明すると、魔女はうなだれた。それはもう深く重く、すべてを後悔しているかのように、ひどくうなだれた。
「なんてこと……そんなことになっているのに、誰も気付かなかったなんて……!」
「まあ、よくある話だ。滅亡した王族あるあるだろう?」
「そんなのあってたまるか!」
反射的に顔を上げて突っ込む魔女。うんうん、落ち込んでいるよりはその怒り顔の方が良いぞ。
にこにこと笑う私に、魔女は本日何度目か分からないため息を吐いた。そして、呆れかえった目で私を睨めつける。
「ところで、あなたのその言動と思考、基本は王族っぽいのに、ところどころ庶民臭いけれど、どうして?」
「生まれた時から一応王族だぞ、私は。まあこの話し方については、女王として即位することを前提にした教育を受けたからだな。庶民に近い感性を持っているのは、たびたび城下に行っていたおかげだ」
「城下に行くって……よく貴族連中が許したわね」
「ははは、性悪貴族どもが許すわけなかろう? ひとりで行って、ひとりで行動して、ひとりで帰っていたに決まっている」
「……王女さまが、ひとりでこっそり、城下へ通っていた? 護衛もつけずに、たったひとりで?」
「ああ。その方が楽だったし、城にいる者は誰ひとり信じられなかったからな」
そう説明すると魔女は辛そうに顔をしかめ、ようとして固まった。
「……楽? 楽ってなによ?」
「そのままの意味だが」
「待って。そもそも離宮に幽閉状態とはいえ、子供がそう簡単に城下にいけるわけがない。手引きしてくれる使用人がいない限りは。でも……」
「はは。国王代理が邪険する、世話を放棄された厄介者の王女だ。自身の命を賭けてまで協力する者など、いるはずもないだろう?」
……たったひとりだけ、命を賭けて私を救おうとしてくれた人がいた。
あの方だけが、私を見てくださった。だから、死んでしまった。殺されてしまった。私のせいで。そう……私の、せいで。
「じゃあ、どうやって外に出ていたの?」
魔女の声に、思考に沈もうとした意識が浮上する。
会話中だというのに、駄目ではないか。どうやら私も平常心ではないようだ、事情説明を終えたら休むことにしよう。
「見つからないように離宮を抜け出し、城壁をこっそり上り下りして、外に出ていた」
「……ごめんなさい、理解できないんだけど。主に城壁のくだり」
「ん? ああ、そうか。すまない、説明が足りなかったな。私は身体強化らしき魔法っぽいものが使えるんだ」
「は?」
魔女が呆気にとられた顔で私を凝視している。驚くよなぁ、私も最初は驚いた。
この世界における魔法とは、はるか昔に失われた強大な力だ。大昔は、目の前にいる魔女のような、魔法を行使できる存在がそこそこに溢れていたらしいが、現在はひとりもいなくなってしまった。
傲慢で残酷なヒトに見切りをつけ、彼らは姿を消してしまったのだと、そういう風に言い伝えられている。
しかし今、私の目の前には本物の魔法を行使する魔女がいる。彼らは御伽噺の住人ではなかったのだ。
それに、私自身も魔法のようなものが使えたから、彼女の魔法もすんなりと信じることが出来た。
「私は身体を強化したり、一時的にだが飛躍的に能力を向上させることが出来るんだ。それを使って抜け出していた。ちなみに、自分にしか使えない」
もちろんこの能力のことは秘密にしていたが、周囲に一切バレることなく、生涯を終えた。それだけ周りが私に興味を持っていなかった証拠でもある。
「そう……その力が発現したのはいつ頃? 今も使える?」
「発現したのは栄養失調から回復したあとだから……十三歳頃だな。即位してからもお飾り女王は暇だったから、よく抜け出したものだ。年齢的に考えると今の私では使えないと思うが……」
目を閉じて、体内を巡るあたたかいものを探る。見つけたそれらを心臓の方へ集めるように、意識を集中する。むむ、力が動く手応えがあるな。
そっと目を開けて、手のひらを見る。
骨と皮だけの貧相な手を包む、私にだけ見える仄かな光。それはすぐにふわっと消えてしまったが、身体強化はまだ私の体に残っている。おかげで重かった体が軽くなった。
「ふむ、使えるようだな」
不思議だなと笑えば、魔女は不思議じゃないわと言った。
「あなたの言う魔法は、魂に結びついたもの。魂が遡行しているのなら覚醒した力を、今のあなたが使えても不思議ではないわ」
「そういうものなのか」
「そういうものなのよ」
魔女の説明で身体強化の件は納得した。ならば次は、幼少時に戻ってきた原因を考えたかったが……。
「ふわぁ……」
眠い。とても眠い。栄養失調の子供の体だ、体力も皆無。満腹になったら眠くなるのは当たり前か。
「その体もだけど、魂もひどく疲弊しているわね。眠いなら無理せず眠った方がいいわ」
「ああ、そうさせてもらう。その前に魔女。あなたに頼みがあるのだが……その……」
「大丈夫よ、私はあなたを見捨てない」
私が言おうとした、我が儘すぎる願い。
やっと出会えた、私を邪険にしない人。もっと話がしたい。もっと一緒にいたい。……もう、一人は嫌だ。
それを彼女は察して、力強く頷いて受け入れてくれた。
「ともかく、少し眠りなさい。ちょっと気になることがあるから出掛けてくるけど、夕方には戻ってくるから」
「……ほんとうに?」
「ええ、約束するわ」
「うむ、約束……約束だな」
魔女がさっと手を振ると、部屋のホコリが消え去った。
「簡単な浄化魔法よ。あんまり使わないようにしているんだけど、緊急時だしね」
体に悪そうだし、と魔女は笑った。
「ほらほら、よい子は寝る時間よ」
「今は朝だろう? 起きる時間だ」
「屁理屈を言わない。弱った子供はたくさん寝て元気になるのが仕事なのよ」
確かに。
ベッドに潜り込むとすぐに睡魔がやってきた。非常に強力なそれに抗うことも出来ず、目を閉じる。
「……おやすみ」
「はい、おやすみなさい。良い夢を」
おやすみに返る声がある。それは生まれて初めてのことで。
ああ、うれしいな。
喜びに満ちたまま、眠りに落ちる。それは初めて体験する、とても心穏やかで幸せな、ひどく優しい寝入りだった。