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二話⑥

「も、もう無くなったんですか?」

「はい! 交易のために出向いていた大商人の方が、目を引いて下さって!」


翌日、ロゼッタの仕立て屋を訪れたソフィー達は、目を丸くする。

なんと彼女達が来るよりも前に、例の刺繍が全て売り払われていたのだ。

昨日はあの後で二枚ほど縫ったので、結果としては計三枚。

柄を変えた程度だったのだが、確かに置いた筈のスペースには何もなかった。

ソフィーはロゼッタと空きのスペースを交互に見比べる。

ハンカチは日用品ではあるが、簡単に売れる程に需要があるものだっただろうか。

彼女が言うには、相手は海を渡って来た商人だった。

朝一の市場が開かれるまでの時間に、この仕立て屋へ来たようだが、そこで直ぐにソフィーの刺繍に目を付けたらしい。


(ここまで精巧なものは久しぶりです。一枚、買わせて頂きましょう)

(これをお選びになるとは、流石お目が高い! 私達が八方手を尽くして仕入れた逸品ですから!)

(……一体、誰が縫ったのですか? もしかして、この街の者が?)


目利きの良い商人は、直ぐに刺繍の価値を見抜いた。

だがそれ以上に、作り手の存在が気掛かりだったらしい。

名の売れた人物だと思ったのかもしれない。


「仕入れたのなら、製作者の名前くらい知っているだろうと言われたので。忠告の通り、偽名を伝えておきました。エリーゼ、と」

「……ありがとう、ロゼッタ」


騒ぎは起きなかったようで、ソフィーは安堵する。

万が一、という時のためにソフィー達は名を偽ることにしていた。

未だにそこだけは抵抗があったのだ。

いきなり真実を明かして騒ぎを起こすのは、本人の意志ではない。

あくまで無名の人間として、刺繍を出すことで固まっていた。

するとそれが功を奏したのか、していないのか。

大商人につられて買いに走った者が続き、あっという間に無くなったらしい。

意外な結果にスヴェンも喉を唸らせる。


「これは、予想以上だったな」

「無名の筈なのに、こんな……」

「名前や素性なんかより、良いモノは良いって評価された訳だな」


ソフィーは自分が縫ったハンカチを思い浮かべた。

自信がなかった訳ではない。

以前よりも自由に、気楽に縫えた。

満足感がなかったと言えば嘘になる。

そしてそれはスヴェンやロゼッタだけでなく、見ず知らずの商人も見抜いた。

客観的な事実がそこにあった。

昨日も感じた僅かな温かさに戸惑っていると、ロゼッタが彼女の元に進み出る。


「ソフィーさま、こちらをどうぞ!」

「これは?」

「対価として頂いた貨幣です! 貴方への正当な報酬ですよ!」

「い、良いんですか? 元はこのお店の材料を使ったものなのに……」

「構いませんよ! 従業員たちも了承済みです! 受け取って下さい!」


ロゼッタは紙幣を握らせる。

貴族という身分からすれば、大した額ではない。

だが、ソフィーには違って見えていた。

手中に収まったそれらは、自分の価値を示すもの。

自分が無価値ではないという証明だった。

この温かさは、喜びだ。

思わずソフィーは、スヴェンの方を振り返る。


「スヴェンさん!」

「んん?」

「頂きました……! 私の刺繍が……こんなに……!」

「はは。良い顔をするじゃんか。試して良かっただろ?」

「はい……!」


彼の笑みに対して、大きく頷く。

一時はどうなる事かと、昨日の夜は寝付けなかったほどだが、過去に感じた恐れは何処ない。

部屋から一歩も出られなかった頃が、塗り替えられていくのを感じる。

これも場を整えてくれたロゼッタや従業員の人々、そして踏み出すよう進言したスヴェンのお蔭だった。


「ここからでいいんだ。ここから一歩ずつ進んでいけばいい。何を伝えるのか、何が伝わるのか。今度はそれを考えながら、妹さんに向けて縫ってみるのも良いんじゃないか」

「カトレアに……」

「大商人が作り手の名前を聞く位だ。絶対に、響くものがある筈だぜ」

「そう、ですね……! 分かりました! やってみます!」


背中を押される気分のまま、意気込みは衰えない。

意味は作り出すものだ。

今度は自分のためではなく、カトレアのために縫ってみようと彼女は考える。

簡単に認められはしないだろう。

高望みはしない。

せめて彼女の迷惑にはならないと、伝えてみせよう。

ソフィーの明るい声に、スヴェンも満足そうに頷く。

しかしその前に、やりたい事がある。

彼女は手の中にある紙幣を持ち上げた。


「それでは、まずは……」

「……?」

「スヴェンさんの好みを教えて下さい! 高価なものは買えませんが、私が差し上げます!」

「お、おいおい……昨日のお返しのつもりか……? それはソフィーが、折角手に入れたモンだろ。大事に取ってなよ」

「大事だからこそ、今ここで使いたいんです!」

「……ったく、仕方ねぇな」


意味を教えてくれた人だからこそ、この喜びを分かち合いたい。

思いを口にすると、スヴェンは照れくさそうな顔を見せた。

常に余裕がある態度なので、こういった反応は珍しい。

何故だかソフィーまで恥ずかしくなってしまう。

そんな顔をしてほしいような、ほしくないような。

互いに奥手な雰囲気が流れると、横で見ていたロゼッタはにこやかに、どれが好みかと勧め始めるのだった。







「それでは皆さん、ごきげんよう」

「ごきげんよう、カトレアさん」


夕暮れとなった王立学院は、下校の時間となった。

殆どの子息令嬢は、隣接する高級寄宿舎へと向かうのだが、カトレアの場合は任意のような状況にある。

屋敷に戻る事も出来れば、寄宿舎に自身の部屋も用意されている。

特待生であるが故の特権でもあるし、誰もそこに異を唱えたりはしない。

全ては彼女が手にした実力である。

解散となった講義室にて、あくまで優雅に踵を返すと、同級生の令嬢達が密かに話し始める。


「それにしても、勤勉さを絵に描いたような人ですわ」

「本当に。以前はまだ隙がある方でしたのに、何だか無理をしているようにも見えます」

「それはやはり、リーヴロ家の御令嬢だからでは?」

「いえ……それだけではありませんわ。きっと……」


その先はカトレア自身が遠ざかったために聞こえない。

聞く必要もなかった。

思い出すのは、昔の光景。

幾度となく聞いた、耳障りで無責任な言葉の数々だった。


「姉さまは……関係ない……」


尊敬していた姉は、あの頃を境に変わってしまった。

人との接触を怯え、何者も拒絶してしまった。

見る影もないとはこの事だろう。

カトレアの知っている姉は消えた。

あの時、周囲の反応は示し合わせたかのように一致していた。


(お聞きになった? リーヴロ家の御令嬢の話)

(えぇ。学院を拒否したそうですね)

(まさか……そんな畏れ多い事を……?)

(どんな訳があろうと、自分勝手な振る舞いが許される訳がないでしょうに)

(そう言えば、あのリーヴロ家には次女もいらっしゃいましたよね?)

(もしかすると、そのお方も同じような……?)


周囲の目は哀れみとは違う、警戒の色を帯びていた。

同じように道を踏み外すのではないか。

そんな無責任な目が、堪らなく嫌だった。

自分は姉ではない。

それなのに何故、同じような目を向けられなければならないのだろう。

当時は両親が事態を重く見て、周囲に牽制した事で沈静化したが、未だにカトレアの心は燻ぶり続けていた。

自分は姉とは違う。

そんな思いが、今の姉妹の関係を築いてしまっていた。


「私は違う……私は……」

「カトレアさん、少し宜しいかしら」


直後、不意に声を掛けられる。

振り返ると、そこにいたのは見覚えのある貴族令嬢。

カトレアと同じ特待生の少女と、その取り巻き達だった。


「バーバラさん? それに皆さんも……私に御用ですか?」

「えぇ。貴方に頼みたい事がありまして」

「何でしょうか?」


バーバラとは関わり合いが多い訳ではない。

相手は学院だけでなく、貴族としての立場も高い人物だ。

下手を打つつもりもなく、所謂、同級生以上のものはない。

そのため、向こうから申し出ること自体が稀な話だ。

何事かと聞くと、バーバラは大袈裟な手振りを始めた。


「私達は在学する生徒の中でも誇るべき優等生。以前に表彰されたばかりですわ」

「はい」

「だと言うのに、お互いの距離は開いたまま。そうは思いませんか?」


彼女は問いを投げると共に笑みを浮かべる。

カトレアが返答に困っていると、続けてこう進言した。


「明日、パーティーをしましょう!」

「え?」

「お膝元であるリーヴロ家の御屋敷で! 優れた者同士の親睦を深めるため、お祝いをするのよ! 無論、出資は全て私が持ちますわ!」


唐突にパーティーの開催を依頼される。

どちらかと言えば、懇親会だろうか。

明日が終われば連休に入るので、それを見越しての申し出なのだろうか。

バーバラは振り返り、取り巻き達へ話を広げていく。


「皆さん、素晴らしい案でしょう?」

「仰る通りですわ!」

「バーバラさん、何と寛大なのでしょう……!」


少女達の歓喜の声が聞こえる。

取り残されていたカトレアは少しだけ考える。

別にパーティー云々自体に問題はない。

リーヴロ家は学院からも近いが故、それを想定して貴族の宿泊施設を用意している。

親睦会と評して急遽パーティーが開かれる事はあったし、今で言えばヴァンデライトの次期当主も、同じように招待されている状況だ。

そして今の誘いは、姉達との会合と重なってしまう。


「お言葉は有難いのですが、既に先客が……」

「……それはもしや、貴方のご家族の事ではなくて?」

「……!」

「やはり、ですわね。リーヴロ家の事は、失礼ながら調べさせて頂きました」


リーヴロ家、ひいては姉の事を指しているのだと気付き、カトレアは強張る。

周囲の目は既に、彼女から興味を失ってしまったが、学院は過去の在学生の経歴を取り纏めている。

学院の内部に立ち入れる貴族なら、簡単に調べ上げられるだろう。

そしてそれを知った上で、バーバラは問うているようだ。

そんなものに気兼ねする意味が何処にあるのかと。

バーバラは一歩踏み出し、カトレアに近づく。


「カトレアさん、貴方の立場は分かります。ですが私達は、広大な土地を担う貴族の娘。そこには傍にいるべき相応しい者と、相応しくない者があるでしょう?」

「……」

「それが分かっていたからこそ、貴方は努力を重ね、学院に認められたのではないですか?」

「そ、それは……!」


思わず力が込められるが、それ以上は言えなかった。

事実ではある。

自分は姉のようにならないと、それだけを考えて今の立場に収まった。

貴族は人の上に立つ者として、責務を忘れてはならない。

責任と体裁、それこそが貴族が果たすべき義務。

バーバラが突如パーティーを行うと言い出したのも、それをカトレアに自覚させるためだったのか。

明日という時期も、或いはわざと狙ったのかもしれない。


「責務から逃げた者など放っておきなさい。人付き合いは選ぶべきですわ。例えそれが肉親であっても。私は貴方のためを思って、言っているのですよ?」


バーバラは優し気に、それでいて試すような態度を見せる。

本来ならば即答できるものではない。

両親にも相談しなければならない事だ。

しかし姉を遠ざけていたカトレアに、自分一人で歩み続けて来た彼女に、否定するだけの理由が見つからなかった。

込められていた力を、彼女はゆっくりと解いた。

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