二話④
王立学院。
かつてソフィーが在籍していた、貴族の子息令嬢が通う由緒正しき学び舎。
伝統的な建築術で建てられた学院は、貴族にとってステータスの一つだった。
人々を導く立場として、模範的な知識と教養を得る事こそ彼女らの努め。
関門でもあった。
そんな学院でリーヴロ家の令嬢、カトレア・リーヴロは書物を読んでいた。
早朝から書庫で借りて来た難解な学術書を、次々に目を通していく。
続いてやって来た同級生のご令嬢達も、講義室に一早く就いていた彼女に挨拶を交わす。
「皆さん、ごきげんよう」
「ごきげんよう、カトレアさん。今日は朝早くから書物の閲読ですか?」
「はい。学内の方が、落ち着くので」
カトレアはご令嬢達に僅かな笑みを見せる。
優等生としてあるべき立ち振る舞いを崩さない。
驕りも、嘲りもない。
令嬢達も、そんな彼女に一種の憧れを持っているようだった。
「流石、この学院で特待生に選ばれるだけの事はあります」
「同級生として誇らしい限りですわ」
「そのお言葉、有難く頂戴します。しかしリーヴロ家は距離も立場も、王立学院のお膝元に当たります。創立なさった王族の方々に向けて、私は貴族として、恥ずかしくない行動を示さなければなりません」
彼女達の言葉にカトレアは粛々と答える。
学院が属する王都は、リーヴロ家領に隣接する形。
他の人々と違って、馬車で行き来できる距離にある。
言わば設立した王族達の息がかかっているようなもの。
だからこそ、貴族令嬢として正しくあるべきなのだろう。
カトレアの言葉には、そんな考えが汲み取れる。
すると令嬢の一人が、思い出したように視線を宙に向けた。
「そう言えば……リーヴロ家にはもう一人、ご令嬢がいらっしゃったような……?」
「あら、そうでしたの? もしかして、今年から在学する方の中に?」
「貴方達、少し失礼ですわよ? 人の事情を詮索するなど……」
在学する令嬢たちは、詳しい事は知らない。
風の噂を互いに確かめ合う。
しかし、そこに誉れあるものはない。
あるのは過ぎ去ってしまった、薄暗い記憶だけ。
ピクリと身体が動いたカトレアは、誤魔化すように席を立つ。
「……姉は、関係ありませんので」
少しだけ感情の込められた一言が聞こえる。
怒りか、悲しみか。
令嬢達が不思議そうにする中、彼女はそっと本を閉じた。
●
翌日。
約束通り、ソフィーとスヴェンは旅亭内の喫茶店で待ち合せる。
木造の内装からシャンデリアがぶら下がる物静かな空間だ。
窓の外には、緑が美しく映える庭が広がり、陽の光を遮りつつ店内を照らしている。
元々、貴族が立ち寄るような高級旅亭という事もあって、使う人間も限られている。
そんな中、二人は紅茶を頼みつつ件の話を持ち出した。
「妹さんかぁ」
「はい。昔は私と一緒に、刺繍を嗜んでいたんですけど……今では会話もままならない状態で」
「喧嘩でもしたのか?」
「喧嘩、なのかもしれません。言い争った訳ではないんですけど……ただ……」
「……ただ?」
「原因は、私が学院から離れたせいだと、思います」
ソフィーは視線を手元に落とす。
ミルクを入れた紅茶は、既に白い渦を巻いていた。
昨日仄めかした相談とは、妹であるカトレアとの不和だった。
既に自覚している事だが、彼女はソフィーを遠ざけている。
理由は考えなくても分かる事。
カトレアは学院の優等生で、ソフィー自身は真逆の立場にいるからだ。
「きっと妹にとって、今の私は目の上の瘤、なんだと思います。それも当然です。私は学院を自主退学したようなもの。特待生の妹からすれば、マイナスのイメージしかありません」
「……成程な」
「でも、スヴェンさんと改めて話して気付いたんです。今のままではダメだと。一歩でも自分から踏み出さないと、きっと何も変わらない」
「それが、昨日言っていた相談か」
「父や母も、考えあぐねているみたいで……。なので、何をすれば良いのか……スヴェンさんなら、何か思いつくことがないかな、と」
正直な所、どう考えても見合い後に取り上げる話ではない。
しかし友達もいないソフィーにとって、こんな事は彼以外に頼めない。
今まで塞ぎ込んでいた自分を変えるための一歩として、与えられた勇気を振り絞る。
スヴェンが気にした様子はなかった。
紅茶をストレートで飲みつつ、真剣な面持ちで考える。
「俺も喧嘩って言う程の経験はないからなぁ。学院の頃に例の坊ちゃん達に絡まれた位で、仲直りに長けてるって訳でもねぇ」
「そう、ですか……」
「でも、ソフィーの言う通りだ。何もしないままじゃ、何も変わらねぇ」
彼はソフィーの意志を無下には扱わなかった。
そして暫く間を置いて、一つだけ提案する。
「先ずは妹さんの事を考えてみたらどうだ?」
「あの子を、ですか?」
「彼女が何を考えて、何をソフィーに望んでいるのか。思い返してみれば良い。俺がアルの菓子を食べちまった時は、同じ菓子を買ってきたモンだがな」
「……」
「紅茶、そろそろ飲まないと冷めるぜ?」
「あっ……そ、そうですね」
白い渦を巻いていた筈の紅茶は、既に完全に溶け込んでいた。
気付いたソフィーは頷きつつ、少しだけ喉を潤す。
熱くはないが、温いという程でもない。
そんなどっちつかずの温度。
彼女はカトレアが自分に望んでいる事を考えた。
続いて思い出す。
以前は姉妹仲良く、取り留めもない話で笑い合っていた。
昔のカトレアは少し抜けている所があった。
真面目な性格なのだが忘れ物はするし、刺繍でも失敗することもしばしば。
今ではそんな雰囲気は全く感じられないが、ソフィーを頼る場面は何度もあったのだ。
きっとあの頃のカトレアにとっては、彼女は頼れる姉だったのかもしれない。
「カトレアが望んでいるのはきっと、昔の私。だから……私が、学院にもう一度戻れば……?」
「ん~、それは流石に厳しいだろうな。学院の規則上、再入学は認められてねぇ。何より、ソフィー自身が嫌だろ?」
「でも、それ位は踏み出しても」
「真面目過ぎだ。わざわざドブの中に足を突っ込んでどうすんだ」
「ど、ドブ……」
「おっと。そ~いえば、一つ思い出した事があるぜ」
王立学院をドブ扱いしつつ、スヴェンは妙案とばかりに人差し指を立てた。
「俺が、問題児と言われていた時の話な」
「……!」
「今じゃ、それを面と向かって持ち出す奴は殆どいねぇ。何故だと思う?」
「そうですね……あの表向きの顔が役に立っているとか?」
「ま、まぁ、確かにそれもあるかもだが……てか、表向きとか言うな。仕事フェイスと言え」
ソフィーの答えに何とも言えない顔をする。
実際の所、学院時代の彼を知っている人なら、そう答えるだろう。
本人は気付いていないかもしれないが、例の仕事フェイスには、腹黒さすら見え隠れする。
そんな顔を前に、悪口を直接言う者などいない。
学院での一件以降も、彼の悪い噂はパッタリと消えている。
しかしそれ以外にも、理由はあるようだ。
小さく咳払いをして、スヴェンは取り繕う。
「ともかくだ。大きな理由は、別の事で認められ始めたからだ。俺は武器を使う事しか能がねぇから、それを突き詰めたのさ」
「スヴェンさんの領土は、確か……」
「まぁ、俺からすれば国境のいざこざを諫めただけなんだが、国防の一つだからな。悪く言う奴なんていやしねぇ」
「つまり、それと同じ事を……私にも……?」
「そういう事さ。ソフィーは何が得意だ?」
そう言われて、ソフィーには思い当たるものが一つだけあった。
一時期は自ら手放した唯一の特技。
彼から認められた刺繍の才だ。
確かに今の自分には何もない。
令嬢としての役目すら放棄した自分が、他者から認められるとは思えない。
だからこそ、新たな切り口が必要だった。
出来る事を突き詰めて伸ばす。
それが無色な自身の色を染めていくかもしれない。
スヴェンが例えに挙げた程にはならなくとも、何もしなければ始まらない。
武術を極める事と同じように、カトレアとの間に生まれた亀裂を結ぶためにも、糸を紡ぐのだ。
「先ずは活かしてみようぜ。ソフィーには間違いなく素質がある。そもそも、それを伝えるために、俺は連れ出したんだからな」
「スヴェンさん……」
「それに、昔は一緒に嗜んでいたんだろ? だったら、伝わるものだってある筈だ」
スヴェンは彼女の背を押そうとしている。
不安がない訳ではない。
以前のように、人前で馬鹿にされたらどうしようと、そんな考えも過ぎる。
だが彼はソフィーの刺繍を認めた。
ここで立ち止まるのは、そんな思いを無駄にしてしまう。
今はその期待に応えたい。
そして思い出す。
幼い頃、カトレアがソフィーの刺繍を見て、嬉しそうに褒めてくれた時の事を。
両手を握り締めた彼女は、顔を上げて頷いた。
「や、やってみます……! 出来る事から、少しずつでも……!」
「よし。目標は決まったな。だったら次は方法を考えようぜ。善は急げ、って言うしな」
スヴェンは屈託ない笑顔を見せる。
背を押されて、歩み出す。
ついでに残っていたミルクティーを、ソフィーは一気に飲み干した。




