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最終話⑱

「それで? エリーゼは見つかったのかね?」

「えぇ。ある程度の目星は付きました」


数週間が経ち、ジクバールは帝国の同業者たちの元へと集う。

展覧会は無事に終わり、王族達との会食を経て帝国へと帰還したのだ。

何もなかったと言えば嘘になる。

妬みや恨みに巻き込まれ、片足を踏み込んでしまった。

だが刺繍ばかりに気取られていた彼にとって、それは初心を思い出す新鮮な経験だった。

だからこそ、騒動を起こした彼女達に罰を与える気などない。

収まるべき所へと収める。

そして彼らから託された調査を報告しない訳にもいかない。

突如現れたエリーゼとは何者なのか。

その者の目的は何か。

彼らはその報告を受けて様々な意見を出し合う。


「やはり王国のご令嬢だったのか。しかし、彼女は帝国に来ることを拒否したそうじゃないか」

「君の誘い方が強引だったのではないかね?」

「あれ程の才能を野放しにはしておけん。より良い条件を出して、再度話し合ってはどうだ?」


彼らの耳にも展覧会の結果は届いている。

それを踏まえても尚、エリーゼを手に入れられないかと思案しているようだった。

何れは敵になりえる。

そんな可能性の話を持ち出し、取り留めもない話を繰り広げる。

かつてのジクバールならば、その輪に入っていたかもしれない。

しかし彼は首を振った。


「ご安心を。彼女は私たちの敵にはなり得ません」

「おや。君がそれ程の事を言うとは、何か根拠があるのかい?」


心境に変化があったと見抜いたのか。

その場にいた最高齢の女性が、ゆっくりと顔を上げる。

何てことはない。

あの少女には、誰かと競うなどという意志はなかった。

あるのは己との決別。

過去の自分に勝つということだけ。

他者と競うばかりで、いつの間にかそんな簡単な話を見落としてしまっていたようだ。

そしてジクバールは答える。


「己が才能よりも、大切なものを見つけたようです。彼女は私達のような芸術家ではなく一人の淑女だった、という事ですよ」


そう言って、今までに彼らに見せなかった柔らかな表情を浮かべた。







「一時はどうなるかと思ったけれど、これで一区切り付いたわね」


夕暮れ時、リーヴロ家の屋敷にて。

身支度を済ませたカトレアは、一息ついて呟く。

数週間前に起きた王都の騒動は収束した。

当時は早馬を出す程に屋敷中が慌てたものだったが、今では元の静けさを取り戻している。

罰せられるべき者も罰せられた。

付き添っていたスヴェンが巻き込まれたのは釈然としないが、過度な報復は望んでいない。

皆、あるべき場所に戻っていく。

カトレアだけでなく、姉自身もそうだろう。

少し感慨に浸る彼女に、ロゼッタは複雑な表情ながらも頷く。


「幼い頃を知る私としては、少し寂しくもありますね」

「お母さまはともかく、お父様なんて大泣きしていたわよ。自分から見合いの催促をしておいてこれだもの……」

「それが親心なのでしょう」


本当にあっという間だった。

外に出る事を拒んでいた姉は、気付けばリーヴロ家の屋敷から離れていった。

人の心とは、こうも変わるものなのか。

カトレアは直にそれを見ていたからこそ、強く実感する。

そして、父があそこまで涙もろいとも思わなかった。


姉のように、と張り合う気はない。

優等生としての立場にも、しっかりと誇りを持っている。

ただ、自分はどうなるだろう。

焦がれるような思いは、変われるような熱は来るのだろうか。

赤い夕焼けが映る窓の外を見つめ、彼女は溜め息をつく。


「恋か……私にも出来るのかな……」

「カトレア様、恋に恋をしてはいけませんよ。目を向ける相手は恋そのものではありませんから」

「ロゼッタにも経験があるの?」

「私にも、若い時がありましたからね」


何とも言えない顔をするロゼッタ。

彼女にも同じような切っ掛けがあったのか。

そして変わったからこそ、今こうして此処にいるのかもしれない。

妙に納得していると、屋敷の従者がカトレアに一報を入れてくる。

客が来たようだ。

既に準備は整っていたので出迎える。

現れたのは学院の同級生であり、同じ優等生でもあるご令嬢だった。


「ごきげんよう、カトレアさん」

「バーバラさん。ごきげんよう、今日はお早いですね?」

「勿論ですわ。何せ今日は、絶好のパーティー日和なのですから」


穏やかな雰囲気を纏わせながら、バーバラは微笑む。

以前のような強引さはない。

一度スヴェンに窘められて以降、彼女は自分を見つめ直したようだ。

貴族である以前に、大切なものがあるのではないかと。

そんな彼女は、刺繍展覧会でソフィーの作品を評価した。

どんな心境だったのかは分からないが、確かにその存在を認めたのだ。

直接言う機会もなかったので、カトレアは改めて感謝する。


「展覧会での審査、ありがとうございました」

「私は私の眼で、正当な評価を下したまでです。礼を言われる程の事ではありません。それと……」

「?」

「良い作品だった、と思いますよ」


彼女が誰かを評価する事は滅多にない。

心境の変化というべきか。

一歩を踏み出したようにカトレアには感じられた。

既に自分だけでなく、彼女も切っ掛けを得ていたのかもしれない。

すると気を取り直したように、バーバラは咳払いをする。


「今日のパーティーは多くの方が参加なさいます。私達は、貴族としての務めを果たしましょうか」

「務め、ですか」

「えぇ。新しい出会いを探しに、ね?」


バーバラは少しだけ楽しそうに言う。

リーヴロ家に来たのは他でもない。

以前と同じように、同級生たちや他の貴族達とのパーティーを楽しむ。

そしてそこで新たな繋がりを見つけ出すのだ。

微笑ましそうにしているロゼッタを見つつ、カトレアはしっかりと頷いた。







晴れ渡る空の下、ヴァンデライト家領は照らされていた。

かつては荒野が続いていた土地も、僅かな草の芽が生え、その色を緑に変えていく。

その中で、シャルロット・ヴァンデライトはとある場所に赴いていた。

白い十字架が立ち並ぶ、静寂の地。

彼女はその中でも一際大きな場所に佇んだ。

表情に深い悲しみはない。

暫くしてそこへ一人の老爺がやって来る。

彼の来訪を知り、シャルロットは丁寧にお辞儀をした。


「お久しぶりです。セルバリウス様」

「いやはや、本当にお久しぶりです。こうして会いに行ける時間も少ないもので」

「構いません。ご多忙の中で来て頂いただけでも、私達にとっては十分過ぎる程です」


現れたのは空剣・セルバリウスだった。

決闘の時とは違い、好々爺のような穏やかな表情を見せている。

こうして彼が来ることは本当に少ない。

王家を守護する役目がある以上、簡単にはその場を離れられないのだ。

それでも王家に許可を取り、かつての弟子の元を訪れてくれたことに、シャルロットは感謝する。

そして、この場にいるのは二人だけではない。

アルベルトが花束を持ちながら、明るい表情で駆け寄る。


「セルバの小父さま!」

「おや、アルベルト君。貴方も随分大きくなりましたね。以前、お会いした時はまだまだ小さかったのに」

「ボクも男の子です! 沢山成長するんです!」

「はは。これは失敬」

「……兄さまとのケットウ、大丈夫でした?」

「ご安心を。もうすっかり治りましたよ」


曲がりなりにも自身の兄と戦った相手を、しっかりと気遣う。

セルバは問題ないように振る舞った。

決闘時の傷は既に完治しており、今まで通りに剣も振るえる。

そう言って彼は、アルベルトに道を譲った。

譲られた幼い少年は、ペコリとお辞儀をして花束を抱えて進む。

目の前の十字架に花を一輪ずつ飾っていくのを見つつ、彼は神妙な表情で奥方に問う。


「……私を恨んでいますかな?」

「それは筋違いですよ。あの人も私も、覚悟していました。ですが今までの私には、そこから先に進むだけの気が持てなかった。過去を見るばかりで、成長するあの子達を見ていなかったのです」


シャルロットはアルベルトの後姿を眺め、当主となるスヴェンの姿も思い浮かべる。

子供たちが育つまでの間、彼女はヴァンデライト家の維持に務めていた。

家系的にそのような役目などなかったのだが、頭を下げて頼み込んだ結果だった。

必死だったのだ。

そしてスヴェンが次期当主となって以降、彼女は遂に目的を失った。

託されたものは、全て手から離れていく。

母親らしいことが出来たのか、それも分からない。

それでも彼女は少しだけ目を細めた。


「人の成長は、眩しいものですね」

「確かに、その通りですな。そして此処まで育て上げたのは他ならぬ貴方です。きっと彼も、喜んでいますよ」


セルバは空を見上げた。

彼自身、悔恨がなかった訳ではない。

王を守る役目のため、当時は共に戦うことすら出来なかった。

だからこそ、自分には出来なかったことを成し遂げたシャルロットを讃える。

それを聞いた彼女が少し安堵すると、参りを済ませたアルベルトが近づいてくる。

幼い瞳は若々しい輝きに満ちていた。


「小父さま、またボクを鍛えてくれますか?」

「おやおや、これはどうしたものか。教示を頼まれるのは二度目ですからね」

「にど?」

「ピエール・バートンですよ」


意外な名前が飛び出し、シャルロットが不思議そうに聞き返す。


「あの方が剣を?」

「少し前に、私に土下座をしてまで頼み込んできましてね。自分を強い男にしてくれ、だとか。全く困ったものです」

「……侯爵以上ともなると、どうにも変わった方ばかりですね」

「それは否定致しませんよ」


呆れた様子の彼女に対し、セルバは苦笑する。

どんな心境の変化があったのかは知らない。

ただピエールは、自分を改めたいと言った。

決闘に事実上敗北し、今までのように公然と動けなくなった中で出来る事を探したのだろう。

最近は剣を抜くことも減ったセルバではあるが、新しく弟子を取る気は薄い。

本当に、困った人である。

するとそんな話を聞いて、アルベルトは意気込んだ。


「じゃあボク、その人より強くなります!」

「アル、バートン家はスヴェンに決闘を申し込んだ人よ?」

「それでもです! ボクも兄さまみたいに強くなりたいんです!」


幼い少年はあくまで真っ直ぐだった。

窘めるシャルロットも、打算のない言葉に自然と苦笑する。

彼女達の姿を見て、セルバは思う。

この剣は、受け継がれるべきものなのか。

他者を不幸にするものではないのか。

空剣の称号を持つ彼であっても、それらを見極めるのは難しい。

だからこそ、人とは歩むのだろう。

立ち止まった所で、何も変わりはしない。

老いた己にも、歩める道は続いているのだと。

新芽の息吹を感じ取り、空剣も前に進む意志を抱いた。







ここ最近、王都を騒がせていた事件も収束した。

一般人としても殆ど関わり合いのない出来事ばかり。

日常は今まで通りに流れていく。

公爵であるクライトネス家も、それは同じだった。

温情ある処置を求めるために勤しんでいた当主達も、ようやく自らの椅子に腰を掛けられたようだ。

そしてそんなクライトネス家の屋敷に、訪れる者がいた。

謹慎として自室で軟禁している少女にその者、第三王子のルーカスは面会する。

既に彼は謹慎を解かれている。

外出を許され真っ先にやって来たのが、自らの婚約者の元だった。


「気分はどうだ」

「ルーカス様……」

「直に君の謹慎も解かれる。改めて婚姻の手続きも進められるだろう」


アンジェリカは彼の来訪を静かに受け入れる。

少しやつれているようにも見えたが、無理もない。

今回の一件で、彼女は家族から多くの叱責を受けた。

形だけの処分だけでなく、クライトネス家の名に傷をつけたのだ。

一時は修道院行きすら、一つの提案として挙がるほどだった。

それでもルーカスは、婚約を解消しなかった。

責任の一端は自分にもあるとして、王家に頼み込んだのだ。


結果として、彼女達の処遇には温情が与えられた。

それでもアンジェリカの胸中には迷いばかりが渦巻いている。

醜い嫉妬のあまり、多くの者を巻き込んでしまった。

こんな自分に婚姻など許されるのか。

歩み寄るルーカスを前に、彼女は視線を落とした。


「こんな私で良いのですか。私には、もうそんな資格は……」

「確かに、今までの行いが許された訳ではない。だが私も同罪のようなものだ」


彼の声色は相も変わらず無機質。

だが、その中でも僅かな感情が伺えた。


「彼女の刺繍に心が動いたのは事実だ。だが、それはあくまで切っ掛けに過ぎない。私はそれに固執するあまりに見失いかけていた。スヴェンの言う通り、心の何処かで恐れていたのかもしれない。私では理解できなかった、人の心に歩み寄ることを」

「……私も同じですわ。本当ならば直接伺えば良かった話。それを此処まで引き摺り、ソフィーさん達を傷付け、クライトネス家の名にも泥を塗ってしまいました」

「似た者同士、か」

「そう、かもしれませんね」


アンジェリカは僅かに笑みを見せ、過去を思い返す。

結局の所、自分は彼と向き合っていなかった。

婚約という関係になっても尚、心の何処かで近づくことを恐れていたのだろう。

その恐れが歪んだ嫉妬に変わり、多くの人に迷惑をかけてしまった。

本当に情けない。

今では目が覚めたような感覚と後悔ばかりが、身体を取り巻いている。


ルーカスも同じだった。

自らを空虚だと思い込み、その立場に甘んじていた。

あらゆる出来事を片手間に済ませていたがために、自ら踏み出す方法を知らなかったのだ。

それをスヴェンに咎められ、理解する。

勇気という感情を、自分は知らなかったのだと。

婚約関係だったアンジェリカに対しても、決して興味がなかった訳ではない。

どう手を差し伸べれば良いのか、分からなかっただけ。

そして今は違う。

彼は視線を部屋の奥へと向ける。

そこには展示が叶わなかった深紅のドレスが今も尚、飾られていた。


「そのドレス、直すつもりで持ち帰ったのだろう。既にその跡も残っている」

「!」

「少々手間は掛かるだろうが、決して修復できないものではないようだ」

「そう、なのですか?」

「私にも心得がある。だからこそ、言える」


彼は断言する。

人間国宝は刺繍の腕すらも、芸術家に匹敵する程の才能がある。

その上で取り戻すことは出来ると言い切った。

自らの行いで台無しになったドレスにも、再び陽の光を当てられると。

アンジェリカが顔を上げると、ルーカスは僅かに表情を緩める。


「終えた暁には、そのドレスを着て見せてはくれないか」


その言葉を、彼女は一番欲していたのかもしれない。

ようやく互いに歩み寄れたような、そんな気がしたのだろう。

だからこそ、彼がまだ受け入れてくるのなら、どんな形であっても期待に応えたい。

今のアンジェリカには、それ以外の思いはなかった。


「必ず……必ず仕上げます。今ある全ての、思いを込めて」


少女は両手を握り締め、強い決意を抱いた。







誰もが一歩ずつ、前へと歩み出す。

踏み止まっていた過去から、新しい未来へと。

そうして人は成長するのだろう。

切っ掛けはどんなに些細であっても、それは捉え方次第。

踏み出す勇気で叶えられる。


その日、王宮へと向かう馬車が一つあった。

煌びやかな雰囲気を纏いながら、人通りの多い街道を悠々と進んでいく。

都内の人々は相変わらず賑やかだった。

以前の決闘や刺繍展覧会も、彼らにとっては話題の一つ。

次第に過去へと流れていく。

そんな活気ある様子を、馬車の中から一人の令嬢が眺めていた。


「やっぱり、王都は人が多いかな」


ソフィーは少しだけ楽しそうだった。

以前のように、人混みに気圧される事もない。

ようやく慣れてきたという所か。

今日ばかりは酔い止めも胃薬も飲んでいない。

それどころか高揚感すら抱いている。

王宮の前まで辿り着くと、彼女は馬車から降り立った。

空を見上げ、眩しい日差しに少しだけ目を細める。


「いい天気。晴れて良かった」


雲一つない晴天。

晴れになる事を祈っていたソフィーだったが、無事に願い通りになった。

安堵しつつも、彼女は嬉しく思った。

なぜなら今日は、大切な日なのだから。

後から降りてきた青年、スヴェンが声を掛けてくる。


「此処の空気にも慣れたか?」

「ある程度は、ですね。王宮ともなると、やっぱり身が引き締まります」

「程よい緊張感が一番だ。俺みたいに慣れすぎるのも良くないからな」


王宮の威厳に衰えはないが、彼は自嘲気味だった。

何度も足を運んだ身からすれば、既に周りの空気に慣れてしまっているようだ。

見る限り、それ程の緊張は見られない。

だがそんなスヴェンにとっても、欠かせない日であることに変わりはない。

表情には、余裕とは異なる晴れやかさがあった。


「やっと、スヴェンさんも正式な当主になれますね」

「色々あったからどうなる事かと思ったが、これで部下達からも小うるさく言われなくなる。清々するぜ」

「騎士の方達ですね? あの方々もスヴェンさんを心配しているんですよ。私にも、そう仰っていました」

「アイツらが? いつもは暑苦しい連中なのに、こういう時は過保護になるからなぁ」

「愛されていて、良かったではないですか」

「あれは色んな意味で暑いだけだろ……」


少しだけ面白がるソフィーに、困った様子を見せる。

あれから彼女も、ヴァンデライト家の騎士達と顔を合わせるようになった。

彼らはとても忠義に厚く、盛大に歓迎してくれた。

寧ろ、何故か感謝までされてしまった。

暴走しがちなスヴェンの身を案じ、引き戻してくれたことに恩義を感じていたのだ。

主の行動は間違っていなかったからこそ、彼の傍にいるのは貴方が相応しい。

騎士達はそう言ってくれた。

当のスヴェンも、こうは言っているが彼らを邪険にしている訳ではない。

ただの照れ隠しだ。

そんなこんなで今では剣の稽古も、時折だが彼と行うようになった。

木刀を振るばかりではあるが、身体を動かすのも悪くはない。

刺繍と同じく、やってみると案外楽しめたりもする。

結局は、心の持ち方次第なのかもしれない。


「不安はないのか?」

「大丈夫です! これから先も忙しくなりますし、へこたれていてはいけません! 領地開拓の件も、微力ながら協力いたします!」

「ブドウ園の件だな。ただあまり気負い過ぎるなよ。無理をし過ぎて体調を崩したら大変だからな」


心配事などある訳もない。

ソフィーは強く意気込む。

いつもの話だが、スヴェンは人の事ばかり気にする。

それは長所でもあるが、今の彼は昔とはまた違った様子を見せていた。

より近くにいるからこそ、分かるものなのか。

歩き出す前に、彼女は尋ねる。


「スヴェンさんって、それが素ですよね?」

「ん?」

「畏まった時も、少し乱暴な時も、どちらも取り繕っていただけ。本当の貴方はもっと柔らかい雰囲気があって……今になって、それが分かってきた気がします」


スヴェンは割と無理をしがちな所がある。

衆目の前での貴族らしい一面も、粗暴な一面もその延長。

本当の彼は、ソフィーを受け入れたあの瞬間にあった。

いや、それ以前にも垣間見えていたのだろう。

躊躇いながらも前に進もうとする、見た目相応の青年らしい姿。

普段は先導して引っ張っていくような性格だが、彼も同じなのだ。

迷いつつも、それでいて迷いを振り切っていく。

彼女自身、そんな彼に惹かれたのだ。

指摘されたスヴェンは、自分でも気づいていなかったのかもしれない。

意外そうな表情をした後、思い付いたように笑みを見せた。


「言われてみれば、そうかもな。でもそういうソフィーも、まだまだ取り繕っているだろ」

「えっ」

「さん付けは、取ってもいい頃合いなんじゃないか?」

「う……そ、そう言えば……」


至極当然な指摘をされて口ごもる。

未だにソフィーは彼を前に敬語が抜けない。

たとえ今のような関係になっても、慣れがあったのだ。

しかしこれは良くない。

他人行儀な態度が苦手だと言っていた自分が、他人行儀のままではいけない。

一歩踏み出さなければ。

そう考えたソフィーは迷いつつも、おずおずと言ってみる。


「す、スヴェン」

「おう。どうした、ソフィー」


やっとの思いで呼び捨てにした彼女に対し、スヴェンは軽い調子で答える。

分かった上でやっているのだ。

触れなくても、ソフィーは自分の顔が熱いと自覚する。


「顔から火が出そう……」

「慣れろ慣れろ。そっちの方が、らしさが出てるしな」


何故か微笑ましそうに励ましてくる。

少しでも近づいてくれた事が嬉しいのかもしれない。

そんな流れのまま彼は王宮を見上げる。


「まぁ、後は俺に任せてくれ。王族との謁見も、あまり深く考えずに居てくれればいい。こういう事には慣れてる」


また彼はそんな事を言った。

王族と会うのは中々に骨が折れるが、それは全て引き受ける。

気に病む必要はないと仄めかしているようだ。

見るからにスヴェンは余裕そうな態度すら見せる。

だがソフィーには、少しだけ気になるものがあった。

単純な話だ。

要は気持ちの問題。

顔の熱は収まらないまま、ソフィーは前に進もうとする彼の手を掴んだ。


「慣れちゃ……駄目……」

「!」

「だってこれは、最初の宣誓だから……。今だけは、高鳴っていてほしい……」


ソフィーは大きな手をしっかりと握り締める。

王宮に来た目的は、当主選定の儀だけではない。

一つの繋がりを証明するため。

二人の婚姻を申し出るためでもあったのだ。

大事な、そして大切な約束を交わす日。

だからこそ、ドキドキしておいてほしい。

そんな真っ直ぐな思いを聞いて、スヴェンは視線を逸らす。

彼女を直視できない程に、物凄く照れているようだった。


「……ホント、ソフィーには敵いそうにないな」

「そう、かな?」

「でもそれで良い。それが、良いんだよ」


スヴェンは恥ずかしそうに笑いつつ、優しく握り返してくる。

温かな感触に、ソフィーの鼓動は高鳴り続ける。

でもそんな感覚が何処か心地いい。

彼の心を解きほぐせるのなら、支えになれるのなら、そんな恥じらいも構わない。

手を取り合ってこそ、傍にいられるのだ。

そうすれば今度からは彼を茶化せるかもしれない。

そんな期待も込めて、彼女は並び立つ。


「それならこれで、スヴェンさんと私で一勝一敗ですね」

「……そう言いたいが、今ので俺の二勝一敗だな」

「!?」

「さん付けをする度に、俺の勝ちとする」

「そ、そんな!? 横暴……!」

「はは。それは誉め言葉みたいなモンだな」


無理そうである。

果たしてスヴェン相手に勝ち越せられるのか。

茶化せばその倍くらいの量が返ってきそうだ。

それでも負けっぱなしも納得いかないので、彼女は少しだけ意地を張ってみる。


「い、良いですよ! それなら慣れるくらい、沢山呼んであげますから!」

「それなら俺も同じくらい呼ぼう。これから先も、ずっとな」


すると気付く。

余裕そうな返答でありながら、スヴェンは僅かに頬を染めていた。

これは実質引き分けではないか。

そう思うソフィーだったが黙っておく。

焦る必要はない。

今は前に、少しずつでも分かり合えば良い。

それがきっと、確かな絆に変わっていくはずだ。

温かな日の光を受けつつ、二人は笑みを見せながら、王宮に向かって歩き出した。




踏み出す勇気には、必ず恐れが付き纏う。

だが何もしなければ、何も変わらない。

自分の道は、自分で決めるものだ。

そして幸せとは、与えられるだけでなく分かち合うもの。

その思いが新たな道や、新たな繋がりを生み出す。

擦り切れそうになったとしても、思いが続く限り、糸は紡がれる。




だからこそ少女達は、今も赤い糸を紡ぎ続ける。

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