最終話⑰
「謹慎処分、ですか」
「……はい」
後日、ジクバールに顛末を話し終えたソフィーは、申し訳なさそうに俯いた。
開催前に起きた一連の出来事は、当然だが周囲に伝わった。
王族を巻き込んだ騒動が起きた事。
アンジェリカの作品が出展中止となってしまった事も。
主催者には知る権利があり、その役目としてソフィーは改めてあらかたの内容を告げる。
開催前の会場で騒ぎが起きた点に、ジクバールは特段怒りを見せる様子はない。
ただ少しだけ不思議に思ったようだ。
「よくその処罰のみで収束しましたね。王族との争いごとなど、大事になっても不思議ではないのですが」
「ルーカス様が、自ら勝負を仕掛けたと公言してくれたのです。そのお陰で、戦いの件は穏便に済みました。ただ、アンジェリカさんの一件までは隠しきれず……」
「数日前の、ドレス強奪未遂も露見したのですか。結果として、貴方以外の御三方に謹慎の処分が下ったと」
「お騒がせしてしまい、申し訳ございません」
「いえ。最近感じていた妙な空気の正体が分かり、私としては腑に落ちた気分です」
あの雨の日、互いに武器を振るった戦いは、ルーカスが気紛れに挑発したという形で収束した。
王族である彼が、ようやく他者を庇うようになったのだ。
本来そんな言い分が通る訳はないのだが、相手は人間国宝。
学院時代にスヴェンに戦いを申し込んだ時や、ソフィーを王宮に招いた時と同じように、今までも突拍子のない行動はあった。
とは言え、それが真実だとしても学院の頃とは違う。
無用な争いをした事で、ルーカスだけでなく応戦した(ことになった)スヴェンも同様に罰が与えられた。
加えて、アンジェリカの一件までは隠し通せなかった。
嘘で塗り固められるようなものでもない。
先日起きたドレス強奪未遂も、アンジェリカが手を回していたと自ら明らかにしたのだ。
公爵令嬢でありながら他の貴族に危害を加え、帝国貴族の主催する展覧会を台無しにしかけた点は看過できない。
厳罰も有り得た。
それでもソフィーは王家に宥免を願い出た。
彼女は既に罰を受けている。
たとえ「優しすぎた貴族」が間違っていたとしても、悲しみと後悔に打ち震えていた姿に追い打ちなど掛けられない。
王家は一番被害者だったソフィーが進言した点、哀れにも自身の作品のみを失ったという因果応報な結末も含め、アンジェリカへの宥免を認めた。
それに乗じて、ドレスを強奪しようとしたゴロツキも、市中引き回しはされつつも極刑だけは逃れられたようだ。
結果、ソフィーを除く三人は暫くの謹慎を言い渡される。
スヴェンについても、王宮で賜る筈だった当主選定の書が先延ばしになったが、解消という事態だけは免れた。
そしてそれはルーカスとアンジェリカの婚約も同様だった。
「嫉妬という感情は、とても脆い。脆いが故に捻じ曲がり、時には折れてしまう。私も国王の礼装を仕上げる役割を担った頃には、上の者から下の者にまで妬まれたものです」
「それでも尚、今の地位に上り詰められたのですね」
「お蔭で簡単には荒稼ぎ出来なくなりましたがね」
ジクバールは笑う。
彼もソフィーの周りを取り巻く異様な雰囲気には気付いていた。
同じような嫉妬を受けてきたからか、少しだけ自嘲気味な様子すら見せる。
そして不運にも出展できなかった作品を思い返し、彼は残念がる。
「アンジェリカ嬢の作品が、あのような結果になった事は残念ではあります。発端が何であれ、あのドレスは間違いなく評価されるべきものでした」
「……私にも、分かる気がします」
「殊勝ですね。彼女は貴方を貶めようとした方ですよ?」
「たとえそうであっても、あの人のドレスへの思いだけは本物でした。私と同じ、前に進もうとする心を映していたのです。それを否定する権利は、私にはありません」
アンジェリカに対する怒りはない。
寧ろ本心を聞けて、胸がすくような思いだった。
それに彼女は、あの後すぐにソフィーへ深く謝罪したのだ。
本当に申し訳ない事をした。
貴方が望むならどのような罰も受ける。
自分はそれだけの事をしてしまったと。
きっと彼女も傷ついたのだろう。
スヴェンやルーカス、周りの者も同じように傷ついてきた。
切っ掛けがなければ、前に進めなかった。
ようやく動乱の世代は、その一歩を踏み出したのかもしれない。
するとジクバールが思い出したように問う。
「それにしても、どちらの作品が勝っていたか。既に選評は終えていたのですが……」
「……」
「お聞きになりますか?」
「……ありがとうございます。ですが今回ばかりは、遠慮しておきます」
勝ち負けの話でもない。
望んでいたものでもなく、今更それは必要ない。
ソフィーは自信を持って答えると、彼は満足げな顔をした。
「その信条、大事になさって下さいね」
それだけを言って会釈をした後、彼は会場の奥へと去っていった。
忘れていた場の空気が戻ってくる。
刺繍展覧会は既に始まっていた。
先日の雨が嘘だったように空は晴れ渡り、明るい日差しが窓から差し込む。
各々が造り上げた作品が展示され、観客達の目に留まっていく。
そのどれもが素晴らしい作品だ。
一つ一つに思いが込められているのが、ソフィーにも分かった。
自分がそうだったように、きっと思いを伝える力が宿っている。
そんな気にさせられる。
少しだけ誇らしく感じていると、不意に後ろから声を掛けられた。
「もし」
「何でしょう?」
「あのドレスは、もしや貴方の作品ですか?」
振り返ると、貴族然とした女性が傍のドレスを指差す。
そのドレスはソフィーが造り上げた作品だった。
騒動などなかったかのように、悠然と飾られている。
意外そうな顔をするご婦人に頷くと、周りの人々がソフィーの姿を捉えた。
「噂には聞いていたが、このドレスは……」
「まさかあの、エリーゼ!?」
「彼女はリーヴロ家の御令嬢。最近は音沙汰がなかった筈なのですが、意外な所でお目にかかりましたね」
元は引きこもりの令嬢。
表舞台に姿を見せた事に驚かれる。
そして純粋に評価する者もいるようだ。
過去の経歴を抜きにして、エリーゼの正体を探ろうとする。
既に分かっていた事だ。
ソフィーは肯定も否定もせず、やんわりと躱すだけに留める。
やがてホール一帯に男性の声が広がった。
「ご観覧の皆さま、本日はお集まり頂き誠にありがとうございます。非常に多くの方々にご参加いただき、こうして5回目の展覧会を開催できたことは恐悦至極に存じます」
壇上に司会者らしき人物が現れる。
一斉に視線が集まり、同時に緊迫した空気が流れ始めた。
よく見るとこの場には観客だけでなく、作品を手掛けた製作者も同様に集まっていた。
理由は他でもない。
毎回行われる作品たちの選評結果が発表されるからだ。
ソフィーもその一人として、この場にいる。
自身が参加した展覧会を最後まで見届けるつもりだった。
「それでは厳正なる審査の結果、見事最優秀の座を獲得しました作品をご紹介いたします!」
ジクバールを含めた審査員の紹介と式辞の後、メインイベントに移る。
名誉ある最優秀賞には、王家が座す王都の中で表彰される。
辺りは静まり返り、ソフィーはそれを俯瞰した。
自分は今、此処にいる。
これが、閉じこもっていた部屋の扉を開けて踏み出した結果だった。
悲しいことはあったし、辛いこともあった。
それでも此処まで辿り着けたのなら、暗い過去と決着がつけられたのなら、それ以上に勝るものはない。
欲しかったのは、地位でも名誉でもない。
たった一つの勇気。
既に彼女には覚悟が出来ていた。
本当に望んでいたものは何か。
伝えるべきものは何か。
シャンデリアが灯す光を見て、少しだけ目を細める。
「栄えある最優秀賞は――!」
●
「顛末書とか……学院の時みたく反省文を書かされるとは思わなかったな。てか、何書けばいいんだよ、面倒くせぇ」
刺繍展覧会が幕を閉じて一週間が経った。
最近は天候が荒れる事もなく平穏の一途だ。
穏やかな気候が、僅かに物寂しい。
スヴェンは自身の屋敷で王家に提出する書類を見つめながら、息を吐く。
あの雨の中での出来事は、ルーカス達が大体の責を負う形となった。
結果的に巻き込まれた側となったスヴェンだが、期間は短くも罰則は同じ。
それ故に何を書けばいいのか分からない。
自分は間違った事をしたのだろうか。
ただ一歩も動かないルーカスを見て、どうしても我慢できなかった。
手を差し伸べられるだけの近さにいながら、伸ばさない。
そんな無感情さに、まるで自分を見ているようで腹が立ったのだ。
全くどうしようもない。
学院時代、アンジェリカに食って掛かった時と何も変わっていない。
以前も言ったとおり、自分はまだ子供なのだろう。
そう思いつつ腕を組んで悩んでいると、小さな少年が執務室に入ってくる。
弟のアルベルトだった。
「兄さま!」
「ん? どうした、アル?」
「そふぃーさんの所、行かないの?」
「おいおい、俺は謹慎処分中だぜ。ここで領地外に出たら、それこそ首が飛んじまうよ」
「じゃあ、そふぃーさんを呼ぼう! それなら大丈夫だよ!」
アルベルトはそんな事を言う。
また彼女が遊びに来ると思っているようだった。
だが、それはもう叶わない。
スヴェンは書類を机に置き、諭すように言った。
「あのな。もうソフィーは来ない」
「え……」
「お前もあの刺繍を見ただろ。やっと才能が評価されたんだ。間違いなくソフィーは帝国に行く。そこでもっと、その力を輝かせることになるんだ」
「……」
「これで良かったんだよ。足を引っ張るつもりもないしな。まぁ、完全にお別れって訳でもない。文通くらいなら出来るかもだが」
あれからソフィーとは一切やり取りをしていない。
何かあった訳ではなく、何もなかっただけだ。
謹慎となった彼もそうだが、彼女も展覧会の関係で王都を離れられなかった。
そして事が終われば、帝国へ招待される。
ようやく過去を乗り切り、あるべき場所へ羽ばたく訳だ。
最早、自分に出来る事は何もない。
呆気に取られるアルベルトだったが、暫くして表情は徐々に変わっていった。
兄の決断に納得できなかったのか。
遂には怒ったような表情で声を張る。
「兄さまのバカ!」
「あ、アル!?」
「どうして止めないの!? 行かないで、って言えば良いのに!」
「そ、そういう問題じゃねぇだろ……」
「問題なんて、ボク知らないもん! 兄さまの、いくじなし!」
プンプンとした様子で、アルベルトは執務室を出て行った。
まるで自分の身に起きたかのような態度だ。
今までにない弟の反抗に、スヴェンは驚くばかりで追いかけも出来ない。
「何でアルがそんなに怒るんだよ……」
彼が怒る理由はないだろうに。
そう思いつつ難しそうな顔をするしかない。
代わりに入れ替わりで、母のシャルロットが入ってくる。
走り去ったアルベルトを見て、意外そうな顔をしていた。
「貴方達が喧嘩するなんて、初めてじゃない?」
「別に喧嘩したつもりはねぇけど」
「でも、少しは分かったでしょう?」
「何が……?」
「貴方は見かけによらず、憶病だってこと」
彼女も息子が気掛かりだったのか、同じような事を言う。
以前の心ここに在らずの様子はなく、何処か懐かしんでいるようだった。
「あの人もそうだったわ。だから私から求婚したの」
「……」
「今なら、まだ間に合うかもしれないわよ?」
助言のような何かを告げて、彼女はアルベルトの後を追っていった。
気を損ねた彼を宥めに行ったのかもしれない。
残されたスヴェンは複雑な感情のままだった。
家族である二人は、呼び止めれば良いと背中を押してくる。
だがあの日、自分が怒りに任せてルーカスと敵対したのは事実だ。
粗暴のままに事を荒立てた結果、彼女を泣かせてしまったのだ。
今更、どんな顔をして会えば良いと言うのか。
「あんなに派手にやらかしたんだ。どうしようもないだろ」
そもそも自分は屋敷の外には出られない。
呼び止める機会はとうの昔に過ぎ去った。
これで良かったのだ。
少し時間が経って、スヴェンは執務室を出る。
考えが纏まらず、気分転換がしたかったのだ。
屋敷の庭に足を運び、アネモネの花が咲く花畑へ赴く。
相も変わらず赤いアネモネは咲き誇っている。
勝利の赤としてだけではなく、何か別の意味すら感じさせる。
そうしていると、遠くから誰かがやって来る。
従者だろうか。
執務を途中で投げ出したので、忠告しにきたのかもしれない。
少しはこの場所で落ち着かせてほしいものだ。
一応そう言おうと向き直るが、それは従者ではなかった。
覚えのあるドレス姿、諦めようとしていた者の面影が目に映る。
だがそんな筈がない。
彼女が此処にいる訳がない。
まさかと思ったが、近づく姿がハッキリとした時、スヴェンは愕然とした。
「な――」
やって来たのは、ソフィーだった。
夢でも幻でもない。
青空と同じ位に晴れやかな表情で、彼の元にやって来る。
何故、こんな所にいるのか。
訳が分からず、迷った挙句にスヴェンは問う。
「ソフィー、なのか?」
「はい」
「ど、どうして此処に……」
「来ちゃいました」
「来ちゃいましたって……帝国に行ったんじゃないのか?」
「帝国、ですか?」
彼女は不思議そうな顔をしたが、直ぐに合点がいったようだ。
才能を認められ、帝国に連れ出されたのではないかと。
そんなスヴェンの疑問に、キッパリと答える。
「行きませんよ。ジクバール様にはしっかりとお断りしました」
「……」
「前々から決めていました。展覧会に参加したのも、自分を勇気付けるための切っ掛け。それ以上のものは、何もなかったんです」
「……それが、此処に来た理由なのか?」
「はい」
迷いはない。
彼女の真っ直ぐな言葉にスヴェンは目を逸らしかけた。
選んだのは自分の才能ではなかった。
才能以上に大切なものがあると、伝えに来たのだ。
それが闘技場で言えなかった、ソフィーの答え。
彼は少しだけ言い淀み、やっとの思いで言葉を並べた。
「ソフィー、お前は思い違いをしてる。その才能は、投げ捨てて良いものじゃない。きっと何十、何百年と語り継がれるだけの才能なんだぞ? ヴァンデライト家は戦いの中でしか生きられないような家柄だ。俺の所にいたら、きっとそれは叶わない。それどころか、辛い思いをさせる。芸術の才を重んじる帝国にさえ行けば、より高い場所へ羽ばたける。俺のような血生臭い男よりも、もっと良い奴だって沢山いる筈だ」
「構いません」
「!?」
「それでも、良いんです」
突き放そうとする物言いを押し返す。
やっと手に入るだろう栄光すらも、ソフィーには必要なかった。
だがスヴェンには、未だ迷いがあった。
それらを全て捨ててしまう程に、自分という存在に価値はあるのか。
粗暴で乱雑で、貴族としては歪なのがスヴェン・ヴァンデライトだ。
今回の一件でも、彼女とその周りを深く傷つけた。
この先も同じような問題は幾らでも現れるだろう。
果たしてそれは本当に幸せなのか。
彼女の才能を潰す程の意味があるのか。
「何故……もう過去も吹っ切れただろ? ソフィーの人生は此処から始まるんだ! わざわざ籠の中にいる必要は……!」
「違います。スヴェンさん、違うんですよ」
思わず声を荒げそうになったスヴェンに、彼女は首を振る。
まるで彼の考えていることが分かっているかのようだった。
「私にとって、此処はとても大切な場所です。踏み出す一歩をくれた、とても優しくて温かな場所。スヴェンさんが、それを教えてくれました。決して、辺りを囲っていた籠ではありません。だから、あの時に言えなかった思いを伝えます」
ソフィーは目を逸らさない。
祈りを捧げるように両手を握り締める。
真っ直ぐな瞳が、陽の光に照らされた。
「刺繍の才能も、周りの評価も、私には必要ありません。もっと大切なもののために、私は此処にいるんです」
「……!」
「もう逃げたりなんかしません。私は返したい。ただ、貴方と共に歩いていきたい」
過去を背負うでもなく、捨て去るでもない。
隣に、傍にいる事を望んだ。
触れられる近くで手を取り合い、共に歩む。
それこそがソフィーが望んだ、たった一つの願いだった。
彼女の答えを聞いたスヴェンは、何かに気付いたようにハッとした後、笑みを零す。
今まで諦めようとしていた本当の思いが、零れ落ちたかのようだった。
あるのは確かな温かさ。
その温かさが、抱えていた本心を引き出していく。
「勘違いをしていた。ソフィーは俺なんかよりも、ずっと強かったんだな」
「!」
「今も昔も、俺は間違えてばかりだ。そうした危うさが、知らず知らずに周りを傷付けた。でも、ソフィーと一緒ならそれも正せるかもしれない。あの雨の日、俺を引き止めたみたいに」
一歩ずつ歩き出す彼女に、取り残された気分になっていたのかもしれない。
だがもう、逃げるのは止めた。
引き摺る気もない。
スヴェンも同じように、その一歩を踏み出す。
「俺からも、もう一度言う。ソフィー、俺の傍にいてくれ」
遠回しではない、確かな思いを伝える。
もう二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、その隣に立つ。
そして、ようやく互いの思いが通じ合ったためか。
ソフィーは本当に嬉しそうな顔をすると共に、僅かに瞳を潤ませた。
「何だか、いつも泣かせてばかりな気がするな」
自嘲気味に言うスヴェンに対し、ソフィーは首を振って笑う。
涙を流すのは悲しい訳ではない。
思いが叶ったからだ。
受け止めきれなかった思いの丈が、そのまま涙となって流れただけ。
何も恥じる事などない。
彼女は目元を拭う。
そうして互いに歩み寄り、二人は優しく抱きしめ合った。
「もう、離さないからな」
「はい。ずっと、一緒に」
そよ風が流れ、アネモネの花達が微かに揺れ動いた。




