二話①
日が昇り、リーヴロ家の屋敷に温かい光が差し込む。
窓の向こうでは小鳥の囀りも聞こえてくる。
もう朝だ。
目覚めたソフィーはベッドから起き上がり、真っ暗な自室を歩く。
ぼんやりとした思考で恐る恐るカーテンを開けると、彼女の目に朝の光が舞い込んだ。
「う……日差し、眩し……」
未だに慣れずに、思わず目を瞑る。
ソフィー・リーヴロは、所謂引きこもりである。
とある一件を境に屋敷から外に出なくなり、通っていた名門学院も登校拒否。
自室にこもるばかりとなっていた。
その延長で部屋のカーテンを殆ど締め切っていたので、開けるという感覚が抜けきっていたようだ。
真っ直ぐな光は、今の彼女には毒かもしれない。
しかし、カーテンは閉めない。
降り注ぐ光と共に、部屋全体が鮮やかな色に包まれる。
ぼんやりとしていた思考も、徐々に冴えてくる。
このまま二度寝する気はない。
ちゃんとした目的が、ソフィーにはあったからだ。
「今日は早起きしないと……」
ソフィーは着々と着替えを済ませる。
朝早くから身支度をするのも久しぶりだった。
ヴァンデライト家との見合いは無理矢理感が否めなかったので、自分から積極的に動いたのは、学院にいた時以来かもしれない。
鏡で何度か自分の姿を確かめつつ、大丈夫だろうと彼女は頷く。
そうしてゆっくりと部屋を出た。
すると彼女を待っていたのか、扉の前で控えていたメイドが、即座に頭を下げた。
「ソフィーお嬢様、おはようございます」
「おはよう、ございます。もしかして、ずっとそこに……?」
「いえ。起床のお時間は伺っていましたので、ほんの十分程前からです」
「そ、そうですか。何だかごめんなさい……」
「滅相もございません。お嬢様が自ら一歩を踏み出したのです。従者一同、心より歓迎いたします」
「そ、そんな仰々しいこと……」
「朝食の準備は出来ております。どうぞ、こちらへ」
メイドは言いつけ通りに部屋の前で待機していた。
仮に時間になってもソフィーが起きない時は、起こすように頼んでいたのだ。
慣れない事を命じたために、慣れない受け答えをしてしまう。
従者達は彼女が部屋から出てきた事を、嬉しく思っているらしい。
ソフィー自身が思っている以上に、他の人達に心配を掛けてしまっていたようだ。
少しむず痒い。
そう思いつつ、彼女はメイドに案内されて一階へと降りていく。
先ずは腹ごしらえだ。
アール状の階段を行けば、ダイニングルームは直ぐそこだ。
きっと両親も待っている事だろう。
そう思っていた。
そこへ向かいの通路から、見慣れた少女が現れる。
「あっ」
先の声を上げたのはソフィーだった。
鉢合わせる形で対面したのは、金色の髪を腰まで伸ばした、自身より数歳年下のご令嬢。
ソフィーの妹、カトレア・リーブロである。
彼女と会うのも、久々な気がした。
学院の一件から、殆ど顔を合わせていなかったのだ。
懐かしい感覚すらある。
しかし当のカトレアは、姉であるソフィーを一瞥するだけ。
無表情のまま視線を合わせようとはしなかった。
「か、カトレア……」
「……」
「お、おはよう」
「……おはようございます」
おずおずと挨拶をするソフィーに、カトレアは素っ気ない態度で済ませる。
とても余所余所しい。
明らかに避けているような態度で、姉妹という感じもしない。
傍にいたメイドは二人の様子を見て、悲しそうな顔をするだけだった。
「お先に失礼します」
ソフィーが話しかけようとしたが、それよりも先にカトレアは動く。
姉の真横を通り過ぎ、ダイニングルームへと向かっていった。
分かっている。
今に始まった事ではないのだ。
ソフィーはそんな妹の後を追うしかなかった。
●
「それにしても、こうして姉妹揃って食事を取るのも久しぶりだな」
「そうね。一時はどうなるかと思ったけれど……ソフィーが自分で踏み出したんだもの。私も嬉しいわ」
「勿論、カトレアもだ。学院の成績は優秀だと聞いている。私達も鼻が高いぞ」
それから間を置かずに、ソフィーは両親と食卓を囲んでいた。
食卓に並ぶ品々は、貴族として食すには申し分ないものばかりが揃っている。
ただ、今日は妙に気合が入っている気がする。
わざわざ用意したのだろうか。
父と母は嬉しそうな様子で、娘二人の成長を見守っている。
だがカトレアは頷くばかりで、無表情のまま黙々と皿に乗った朝食を片付けていく。
あまり居心地は良くない。
ソフィーも両親と妹を交互に見ながら、行き場を失って料理の方へ視線を落とすしかなかった。
「それでソフィー、どうだ? スヴェン君との関係は?」
「えっ……? べ、別に何も……普通、かな?」
「普通なら良いじゃないか。今日だって、約束をしているんだろう?」
「それは、そうだけど……」
「折角の縁だ。何か困った事があれば、父さんや母さんが力になるからな。何でも言いなさい」
父はそう言って、グラスの水を飲み干す。
スヴェンとの見合いの話は、当然両親も知っている。
それが形式上上手く行ったことも、まだ関わりが続いている事も報告した。
彼らからすれば、引きこもっていた娘を連れ出してくれた恩人でもある。
出来る事なら力を貸したいのが親心なのだろう。
すると直後、カトレアがおもむろに席を立った。
「……ご馳走様」
「あら、カトレア。もう行くの?」
「今日は当番なので」
「そうだったのね。やっぱり当番も大変なのかしら。でも、あまり根を詰めては駄目よ? 気を付けて行ってらっしゃい?」
「はい。行って来ます」
瞬く間に食事を終えたカトレアは、そのまま食卓から離れる。
必要最低限な会話だけで済ませ、彼女達から背を向けていった。
勿論、学院での役割もあるのだろうが、他にも席を外す理由はあるようだった。
父と母は複雑な表情で互いを見合わせる。
「昔はソフィーにベッタリだったのに……」
「ソフィー、あまり気を落とさないでくれ。あの子にも、思う所があるんだ」
二人は申し訳なさそうにソフィーを宥める。
カトレアが他人行儀になったのは、数年前。
つまりはソフィーが引きこもりになってからの話だ。
だからこそ、彼女に妹は責められない。
ただ両親に向けて首を振った。
「お父様、お母様、私の事は気にしないで……元はと言えば、私が原因だから……」
妹が何を思っているのかは分からない。
どんな苦労をしているのかも。
ソフィーはそこから逃げ出した側の人間だ。
それでも何か切っ掛けがあれば、昔のような関係を取り戻せるだろうか。
そんな事を思いながら、ソフィーはいなくなったカトレアの席を見つめた。