最終話⑭
「ソフィー様、結果報告の書簡が届きました!」
翌日の昼頃、従者の声がソフィーの元に届いた。
ドレスの採用可否が決まったのだ。
とは言え、早くないだろうか。
覚悟はしていたものの、彼女の表情に緊張が走る。
大勢の審査員を前に、自分の作品がどう扱われたのか。
評価されたのか否か。
書簡を受け取ったソフィーは、僅かに震える手で封を切り中身を確認する。
紙に記された達筆な文字を読んでいくと、遂に身体がピクリと反応した。
「!!」
「け、結果の方は?」
「さっ」
「さ……?」
「採用するって! 見てっ!」
急転直下。
ソフィーは飛び跳ねる勢いで、従者に向けて紙を広げる。
そこには間違いなく、採用の文字が描かれていた。
彼女が今ある全てを注ぎ込んで作り上げた作品。
それが正当に評価され、皆の前に並ぶというのだ。
彼女だけでなく、従者も顔を綻ばせる。
「おめでとうございます! ソフィー様!」
「ありがとう! 貴方達も応援してくれたお陰よ!」
「早速、リーヴロ家の皆さんへご報告いたしますね!」
「そうね! お願い!」
従者の提案に頷きつつ、ソフィーは少しだけ足をパタパタと動かして小躍りする。
嬉しかった。
駄目でも構わないと思っていながらも、やっぱり嬉しい。
胸の内から温かい気持ちが沸き上がってくるような感覚だった。
一度は手放した刺繍で、ここまで辿り着けるとは思わなかった。
認められるとも思っていなかった。
これも全て、一歩を踏み出す勇気をくれた彼のお陰だろう。
早速、ソフィーは思い立つ。
「スヴェンさんに報告しよう!」
彼は何と言ってくれるだろう。
手放しに喜んでくれるだろうか。
僅かに感じられた距離を、これで埋められれば良いのだが。
そう思いつつ、ソフィーは出掛ける支度を始める。
未だにスヴェンとの距離が開いた理由はハッキリとしない。
聞いた所で彼は誤魔化しそうであるし、直接聞くのも躊躇われる。
しかしある程度の見当はついている。
そしてこの展覧会も、周囲に評価されるためだけにやった事ではない。
「これで、私もやっと……」
決心がついた。
あの時答えられなかった思いを、伝えられる筈だ。
嬉しいという胸の内はそのままに、彼女はもう一歩踏み出す勇気を持つ。
すると不意にポツリ、と窓の外から音が聞こえる。
気になって視線を向けると、先程まで晴れていた天気から雨粒が落ち始めていた。
傍にいた従者も意外そうに目を向ける。
「あっ、雨? さっきまで晴れていたのに?」
通り雨だろうか。
それにしては疎らだった雨が、徐々に本降りになっていく。
書簡が届いて喜んでいたと思ったら、この天気だ。
どうにもタイミングが悪い。
そう思った瞬間、ソフィーの中で嫌な予感が沸き上がった。
根拠があった訳ではなく、勘のようなものだ。
不意に自分が手掛けたドレスが思い浮かぶ。
「ソフィー様?」
「……あの、展覧会の会場へ馬車を出してもらえますか?」
「馬車ですか。可能ですが、一体何を?」
「少し、気になる事があって」
得も言われぬ不安に駆られて、ソフィーはドレスの様子を見に行くことにした。
作り上げた作品に、異様な気配が迫っている気がしたのだ。
とは言え、さっきまでの考えを変えるつもりもない。
出来る事なら彼にも伝えなければ。
そんな考えを見越したように、支度をして宿屋を出ようとすると、玄関先に彼の姿が目に映った。
「ったく、通り雨にしちゃ中々だな」
「スヴェンさん!」
「おう、ソフィー。昨日はゆっくり眠れたか? そろそろ結果報告の書簡が来る頃だと思ったんだが……」
「すみません。それは後で説明します」
「ん? 何処か行くのか?」
「会場に行って、ドレスの様子を確認したいんです」
不穏な感覚だけに付き合わせる気はない。
その筈だったのだが、訳を説明している内に流れのままスヴェンも同行するようになった。
執務も終えて来たらしく、今は手持ち無沙汰らしい。
そしてその中で、彼女は展覧会の展示が決まった事を伝えた。
馬車の中でスヴェンは喜びつつも、その妙な感覚について問う。
「虫の知らせってヤツか?」
「ごめんなさい。こんな漠然とした理由に付き合わせてしまって」
「別に構わねぇよ。そういう時は、思ったように行動してみれば良い。それにこの時間なら、まだ閉館してないだろ」
気にした様子もなく、彼は雨の降る景色を見る。
雨のせいで辺りは暗くなっているが、今は昼を過ぎた頃。
会場についたとしても、時間までには間に合う筈だ。
「何にせよ、これでソフィーは認められたって訳だ。良かったじゃないか」
「これもスヴェンさんのお陰です」
「俺は何もしてねぇよ」
「いいえ。私には、とても大きな意味がありました」
ソフィーは首を振り、改めて感謝の気持ちを伝えた。
ここまで来られたのは、あの時に連れ出してくれた彼がいたからこそ。
もしそうでなければ、きっと塞ぎ込んだまま誰とも和解出来なかった。
自ら外に踏み出すこともなかっただろう。
するとスヴェンは視線を戻す。
何故だか分からないが、ソフィーには少しだけ彼の態度が余所余所しく感じられた。
「なぁ」
「何ですか?」
「これからどうする気だ?」
「えっと……そうですね。取りあえずは会場に行ってドレスを確認しつつ、満足したら帰ろうかなと」
「……」
「スヴェンさん?」
「いや、悪い。そうだよな。一先ずは、虫の居所を直さねぇと気が済まないよな」
スヴェンは何かを言い掛けたが、すぐに取り繕う。
いつもは直球に言う彼だったが、その様子は何処か妙だった。
最近感じている僅かな距離感。
しかし、具体的に何が悪いなどと言える話でもない。
ドレスが採用されたなら伝えると思っていたソフィーも、周りの雨音と空気に気圧されて疑問を口にできずにいる。
そうして結局わだかまりが解ける前に、馬車は会場前へと辿り着いた。
「雨、強くなってきたな。ほら、濡れないように気を付けろよ」
先に馬車を降りたスヴェンは傘を差しつつ、ソフィーを迎える。
自分の情けなさを掻き消すようにその言葉に甘えて、差し出された傘の下へと進む。
雨は徐々に激しさを増していた。
どうにか二人で雨の中を進むと、会場の玄関に衛兵らしき人物が複数人立っていた。
扉は閉まっているが、まさかもう閉館したのだろうか。
慌てたソフィーが衛兵達に近づき、声を掛ける。
「あの、すみません」
「貴方は確かリーヴロ家の?」
「急な訪問、失礼します。明日行われる展示について、私の作品を見せて頂けないでしょうか。少し、気になる事がありまして」
「そ、それが……今は誰も通すなと、命令を受けていまして」
「命令? 一体、誰から……?」
「申し訳ございません。そればかりは」
衛兵は気まずそうな顔をしながらも、通そうとしない。
明日の展覧会に関して、打ち合わせをしているのかとも思ったがそうでもない。
先にいる何者かの命令で、会場内に入れないようになっている。
それを聞いたソフィーは、予感が的中した気分になった。
だが力づくで通るような真似は彼女には出来ない。
どうしたものかと迷っていると、隣にいたスヴェンが一歩進み出る。
「話は変わりますが、凄い雨ですね」
「あ、貴方はヴァンデライト様!?」
「これ程だと雨宿りがしたい所です。傘だけで凌ぐにも限度がありますからね。貴方も、そうは思いませんか?」
「う……」
「困りましたね。私は元々、王家から書簡を待っている身なのです。何処か、良い場所があれば助かるのですが」
彼は表向きの笑顔を作って、衛兵達に問う。
かなりの圧だった。
貴族を雨の中に取り残す意味を問うような言い方だ。
彼らも上からの命令で封鎖しているようだったが、相手はヴァンデライト家。
簡単には排除できない。
衛兵達は互いに顔を見合わせ、暫くして項垂れた。
「わ、分かりました……此処をお通り下さい……」
「ありがとう。何かあれば、私の名を出して構いませんよ。こういう事は慣れているので」
スヴェンは衛兵達をフォローしつつ、すんなりと会場内に入る。
流石と言うべきか。
彼がいなければ、此処で門前払いされていたかもしれない。
従者達が衛兵を押し留めている間に、ソフィーもその背中を追う。
辺りの火は落ちているため薄暗くなっているが、既に内部は展示のための作品が多く配置されていた。
人の気配は感じられない。
代わりに鎮座している彫刻達が、得も言われぬ雰囲気を放っている。
小走りになって追い付くと、スヴェンは辺りを見渡した。
「関係者は解散しているが、別の誰かがいるみたいだな」
「い、行ってみましょう。何だか胸騒ぎがします」
ソフィーは書簡に付いていた地図を広げ、ドレスの場所を再度確認する。
これを見る限り、置かれているのは会場の奥。
円形状のホール内にあるらしい。
逸る気持ちを抑えつつ、注意深く目的地へ向かう。
すると何かを感じ取ったのか。
不意にスヴェンが、無言のまま立ち止まった。
「スヴェンさん、どうかしましたか?」
「先に行ってくれないか。気になる事がある」
「え……?」
「大丈夫だ。直ぐに後から行く」
「わ、分かりました。それなら案内状を渡しておきます。この道順の先に展示品があると思うので、そこで落ち合いましょう」
「あぁ」
気掛かりな点があるようだが、詳しくは語らない。
彼の手を借り続けるというのも気が引ける。
後で行くと言われ、頷く以外には出来なかった。
地図を手渡すと、スヴェンは勇気付けるように微笑む。
そんな様子に見送られ、ソフィーはドレスの元へと向かった。
コツコツ、と小さな靴音が遠ざかっていく。
そうして彼女の気配がなくなったと同時に、スヴェンが声を上げた。
「何のつもりですか、殿下」
警戒するような声を響かせる。
すると傍の物陰から、第三王子のルーカスが現れた。
単独で動いているのか、他には誰もいない。
彼は無感動な視線でスヴェンを見据えた。
「お前が行く必要はない」
「分かりませんね。国宝とは人々に羨望され、輝き続ける存在。そんな貴方が護衛も付けず、此処までの事をするとは」
「訳は話した筈だ」
どうやらルーカスも、別の誰かを見張るために此処にやって来たらしい。
理由も既に分かっているだろうと仄めかす。
スヴェンにも心当たりがあった。
これは再現だと。
王宮でそう言ったルーカスの考えは変わっていないようだ。
「あの二人の時間を、過去に戻す」
怪訝そうに相対するスヴェンに向け、国宝はそう告げた。




