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最終話⑬

「……そうか」


ソフィーを迎えに来たスヴェンは、やって来た従者からの伝言を聞いて静かに受け入れる。

以前、馬車との事故が起きた時は飛んでいったものだったが、今の彼に慌てた様子はない。

既に事態は収束している。

実行犯は捕まり、彼女自身にも一切危害がなかったのなら無理に出る必要がない。

わざわざ遅れる(・・・)という旨を伝えに来たのだから、余計なことはしない方が良いのだろう。


スヴェンはエントランスホールから外の光景を眺めた。

陽が沈み、辺りは暗闇に包まれていく。

風情を感じるようなものではないが、静かに時が進んでいく事に少しだけ焦りを覚える。

何故、焦るのか。

そう思って彼は考え直す。

今になっての話ではない。

彼女が展覧会に出席すると口にして以降、彼は僅かな焦燥を抱いていた。


「待つのは、やっぱり落ち着かないな。余計な事ばかり考える」

「スヴェン様……」

「いや、悪いな。気にしないでくれ」


後方でそわそわする彼女の従者にそう言って、視線を外に戻す。

決闘に勝利したあの時、無理にでも聞き出すべきだったのか。

そうすれば、この焦りは無くなっていただろうか。

彼はそんな事を考える。

聞こうと思えば聞けたはずだ。

今までも何度もその機会はあった。

だが、言わなかった。

かつては粗暴で遠慮など知らないと周囲から恐れられたスヴェンは、此処に来て躊躇いを抱いていた。


ヴァンデライト家の役目は国の守護。

騎士の中の騎士であり、そのためならば自身の命すらも天秤に乗せる。

父がそうだったように、今はスヴェンにその任がある。

彼は知っていた。

平穏を取り戻した今でも、それがいつまで続くかは分からない。

枷が外れることはない。

カトレアはソフィーが今を楽しんでいると言っていたが、それだけでヴァンデライトの全てを知った訳でもない。

残された側であり、一時は消え入りかけていた母の姿を知っている彼だからこそ考える憂いだった。

勿論、死ぬつもりなど毛頭ない。

それはセルバに告げた通りだ。

だがそれでも、果たして彼女の幸せはあるのか。

未来はあるのか。

そう思い、ただ意味もなく街灯が灯り始める様子を見つめ続ける。







そうしてソフィーが戻って来たのは、それから一時間近くが経った後だった。


「やっと、戻って来られた!」


焦燥のまま、彼女は宿の中へと足を踏み入れる。

予想以上に時間が掛かってしまった。

馬車で戻る途中も、道が混んでいたために立ち往生した所もあった。

先ずは謝らなければ。

そう思いエントランスホールに辿り着いた彼女だったが、辺りを見回してもスヴェンの姿は何処にもなかった。

代わりに先に伝令を告げていた従者が待っている事に気付き、声を掛ける。


「スヴェンさんは!?」

「それがその、外出されてしまいまして」

「え……」

「つい先程の事だったのですが、何処へ向かわれたのかは告げないまま……」


言い辛そうに答える従者に対して、彼女は言葉を失った。

確かに遅れるとは言ったが、あまりに遅れ過ぎた。

わざわざ執務の合間を縫って来たスヴェンを一時間も待たせるなど無礼に近い。

彼は諦めてしまったのだろうか。

わざと遅れた訳ではないが、それでも罪悪感は拭えない。


「ど、どうしよう」


既にスヴェンはこの場にはいない。

加えて行き先も告げずに立ち去った状況。

彼が何を思ったのかは分からないが、迷っている場合ではない。

元々は間に合うと甘い考えで行動してしまった自分に非がある。

そう思ったソフィーは、慌てて外の方向へと振り返った。


「あ、謝らないと! スヴェンさんに……!」

「ソフィー様!?」

「馬車を出して! あの人を追いかけよう!」


何処にいるのかは知らない。

それでもジッとはしていられない。

従者達に場所を出すよう指示を出しつつ、彼女は来た道を戻ろうと駆け出す。

すると外に出た瞬間、肌寒い空気と共に別の人と出合い頭にぶつかってしまう。

焦れば焦る程、悪い方向に転がっていくのか。

思わず彼女は頭を下げて謝った。


「きゃ……! も、申し訳ございません……!」

「いえ、私も不注意で……って、あれ? ソフィーじゃないか?」


しかし聞き覚えのある声がして、視線を上げる。

意外そうな顔をしたスヴェンが、いつの通りの様子でそこにいた。

外出したのではなかったのか。

状況を理解するのに精一杯で、彼女は更に慌て始める。


「す、スヴェンさん!?」

「よお」

「よお、って……外出されたんじゃ……」

「あぁ。例の話を聞いて、ソフィーが下手に巻き込まれていたら事だと思ってな。乗り込んでやろうと思ったんだが、外に出たお陰で頭が冷えて戻って来たんだよ」


安堵するように彼は息を吐く。

ソフィーが遅れたことについて、気にした様子は一切ない。

寧ろ、心配するような態度を見せてくる。

あれだけ待たされれば、注意しても不思議ではないというのに。

嫌な方向へと考えていた自分が情けなくなり、ソフィーは徐々に視線を下げてしまう。


「その……何と言えば……」

「じゃ、行くか」

「えっ?」

「約束通り、夕食に行こうぜ。腹減っただろ?」


そんな考えを無くすように、彼は冗談めかした態度で言った。

遠慮も罪悪感も全て、当たって吹き飛ばしていく。

本当にズルい人だ。

言葉を呑み込んだソフィーは、そのまま夕食に繰り出すことになった。


連れ出された場所は、繁華街からは離れつつも風情ある洋館を思わせる洋食店だった。

割と穴場なのか、人も殆どいない。

既に遅れる旨は伝えてあったようで、店員達は彼らを見るなり席へと通した。

流れるように彼女も付いていく。

案内された後、ソフィーはメニューから注文をしつつ、今日起きた出来事を打ち明けた。

何者かによって作品を強奪されかけ、どうにかジクバールの手に渡った事。

結果的に遅れてしまった事を改めて謝罪する。

するとスヴェンは真剣な表情をしたまま、暫くして口を開いた。


「まぁ、そいつらは市中引き回しで確定だな」

「流石にやり過ぎなのでは?」

「丁度良い位さ。俺達貴族はナメられるのが、一番マズいんだ。なあなあで済ませると、そこに付け込む連中が必ず出てくる。ソフィーに手を出せばどうなるか。本人だけじゃなく、周りにも分からせないといけない」

「そういうもの、ですか……」

「ソフィーは『優しすぎた貴族』って童話を知ってるか?」


唐突に童話の話題が持ち上がる。

その話は割と有名だ。

一般的に流通している物語でもあるので、ソフィーも内容は知っている。

昔を思い出しつつ、彼女は頷いた。


「幼い頃に、読んだ事があります。自分のものを色んな人に分け隔てなく与えていたら、いつの間にか全て失くしてしまった、というお話だったような」

「あぁ。あれは実話じゃないが、教訓の一つなんだ。手を差し伸べること自体が悪い訳じゃない。でもそうするだけじゃ、相手は与えられ続けることに慣れちまう。そしてもっと与えられたいって考えに傾くようになる訳だ。結局それは、与える側にも与えられる側にも得にはならない」

「何事も程々に、という事ですか」

「そうなるな。だから今回の一件も、厳しくする所は厳しくしなくちゃいけない。リーヴロ卿だって、きっとそうするんじゃないか」


父の元には一報が届く筈だ。

二度と同じ事件を起こさないためにも必要だと彼は言う。

確かにその通りではある。

甘いだけでも、手をこまねいているだけでもいけない。

あの童話も、きっとそれを言いたかったのだろう。

しかしかつてのソフィーは、子供心にも悲しく感じ取っていた。

何故、人のために与え続けた者が全てを失わなくてはならないのか。

報われないものなのかと思わずにはいられなかった。

そして今、自分がその立場に甘んじている気がする。

運ばれてきた料理を味わいつつ、スヴェンの様子を伺った。


「兎に角、ソフィーを狙う貴族がいる事は分かったんだ。他の連中にも知れ渡ったろうし、後は時間の問題だな」

「もう誰が犯人か、分かっているんですか?」

「わざわざソフィーの作品を強奪するように仕向けたって事は、参加を知っている展覧会関係者以外にない。しかもそこでソフィーの実力を知っている、かつ個人的な感情を抱いているような奴は一人しかいないだろ」


彼は目星を付けていた。

物的証拠は何処にもないが、今までの経緯を考えるなら自然とそうなる。

ジクバールから問われた時、ソフィーもその考えには至った。

だが言わなかった。

それは単純な、信じたくないという気持ちだけではない。


「あまり納得してなさそうだな」

「分からないんです。仮にそうだとして、どうしてそこまでの事を……」

「学院時代に俺が問い詰めた時も、王宮で話し合った時だって、アイツは意地でも話そうとしなかった。何て言うか、単なる好き嫌いの話じゃないのかもしれねぇな」

「……」

「例のドレスは渡したんだろ?」

「はい。ジクバールさんに、確かにお渡ししました」

「だったら後は報告を待つだけだな。一応、護衛はしっかり付けておけよ。俺もこの件に関しては王家に掛け合ってみる」


念のための提案にソフィーは頷く。

言葉にしなくては伝わらない。

だが伝える気がないのだから言葉にしない。

そしてそこまで執着するようなものが、自分にあるとも思えなかった。

一体何が、彼女をそこまで駆り立てるのか。

分からない。

分からないからこそ、今回の一件においても無関係だと思いたかった。

これ以上、人を疑いたくもない。

そう思っていると、暫くしてスヴェンは食事をする手を止めた。


「なぁ、ソフィー」

「は、はい」

「ソレ、どうだ? 少し辛めだろ?」


ソフィーの手元に目を向ける。

そこには彼と同じパスタ料理が置かれていた。

指摘された通り、ソースは少し辛味で全体の味を引き立てるものだ。

甘さは特にない。

注文時に自ら選んだものだったが、本当にそれで良かったのかと言いたげな様子に、彼女は再度頷く。


「美味しいですよ。これ位の辛さなら、私でも楽しめます」

「わざわざ俺と合わせる必要なかったろうに」

「いえ。味だけでなく、雰囲気も味わいたかったんです」


彼と料理を合わせた事に明確な理由はない。

何となく同じ雰囲気を楽しみたかった。

ただそれだけだ。

改めて聞かれたので、不快にさせてしまっただろうかと危惧する。

するとスヴェンは少しだけ戸惑った様子を見せたが、次第に柔らかな表情へと変わった。

何かを納得したような、甘い笑顔だった。


「優しすぎた貴族、か」

「どうかしたんですか?」

「やっぱりソフィーは、辛めの方が似合っているのかもな」

「ど、どうでしょう? これ位が丁度良いような……?」

「はは。それもそうか」


ソフィーに言葉の意味は分からなかったが、楽しめている事だけは分かった。

彼の笑顔に安堵しつつ、この雰囲気に身を任せる。

安心できる場があるだけで、今の彼女には十分だったのだ。

それからは一旦事件のことも忘れ、互いに食事を楽しむ。

他愛もない雑談をしつつ、あっという間に二人の時間は経っていくのだった。






「こちらがソフィー・リーヴロ嬢の作品になります」


翌日、ジクバールはソフィーからの作品を審査員達の前に公表した。

淡い桃色のドレスに多数の花々が縫われた刺繍が現れる。

その出来栄えを見て、彼らは僅かに唸った。

それも仕方がなかった。

いかにご令嬢の作品であっても、飛び入りで参加した状況下で縫い切れるものなどたかが知れている。

完成度は高くないだろうと思っていたのだ。

だが現れたドレスは、彼らの想像を遥かに超えた質だった。


「これは!」

「本当にこの短時間で作り上げたのかね?」

「デザインも実に精巧です。ご令嬢の嗜みとしては、逸脱しているのでは」

「それだけではない。この在り方、何処かで見覚えがあるような」


刺繍の縫い方や傾向が一致したのだろうか。

その内の一人が何かを思い出したようだ。

優れた刺繍ではあるが、それ以前の既視感を口にする。

すると続けて別の者が具体的な名を挙げた。


「最近、巷で有名なエリーゼという謎の刺繍家。彼女の作品は、その者と傾向が酷似しているように見えます」

「つ、つまり……?」

「ソフィー・リーヴロ嬢が、あのエリーゼだったと!?」


周囲が一斉にどよめき立つ。

エリーゼの存在は、何もジクバールだけが知っている話ではない。

以前から台頭し始めた謎の刺繍家は、貴族間でも噂になっていた。

加えてその人物がこの国の誰かであるとも噂されていた。

一体これ程の技術を持つ者は何処にいるのか。

審査員達はその者が展覧会に現れる可能性も考えていたのだ。

そして今、件の刺繍家と似通った作品が目の前にある。

皆、一つの推測に辿り着きつつあった。


「お待ち下さい。一つ、気になる点がありますわ」


直後、割って入るように冷淡な声が響く。

皆の視線が一気に声の方向へと集まる。

場を制したのは公爵令嬢のアンジェリカだった。

彼女はドレスを持ち寄ったジクバールへ、疑惑の視線を向けた。


「本当に、彼女がその作品を造り上げたのでしょうか」

「どういう事ですか、アンジェリカ様」

「ソフィー・リーヴロがドレスを持ち寄った事は確かなようですが、実際に縫い上げたかどうかまでは分かりません。そもそもこんな短時間で、これだけの品を造り上げるなど不可能に近いでしょう。加えて噂になっているエリーゼと酷似した作品など……代作の可能性も考えられるのではなくて?」

「つまり実際に縫った者は別にいて、それを彼女が自身の名義で提出したと?」

「そうでなくては説明が付きませんわ。彼女がコレを縫い上げたなど、信じられません」


アンジェリカは頑なだった。

ドレスは別の者が作り上げたに違いない。

たった数日とそこらでこれだけの作品が仕上げられる訳がないと言いたいようだ。

エリーゼの真偽を問う以前に、彼女はソフィーが作ったものではないと追求する。

違うのであれば、納得できる証拠を挙げてほしい。

彼女の次に続く言葉はこうだったのだろう。

だがそれより前に、隣にいた第三王子が沈黙を破る。


「そこまでにしておけ」

「ルーカス様!?」

「それ以上は、ソフィー・リーヴロ並びにリーヴロ家への侮辱だ。憶測で個々の作品を判断するな」

「で、ですが!」

「お前の言い分を聞き入れたなら、他の作品に対しても代作であるか否かを疑わなくてはならなくなる。無論、お前の作品も例外ではない。それを全て証明できるのか?」

「ッ……!」

「見苦しい真似をするな。王家が許した婚約者として、責任ある行動を取れ」


客観的な意見が場を鎮まらせる。

所詮、彼女の意見は個人的な感情論に過ぎない。

それだけで作品そのものや、貴族令嬢に対する暴言は許されない。

ルーカスの言葉は至極真っ当だった。

真っ当だったからこそ、アンジェリカは口を噤む。

両手に強く握りしめ、俯く以外には出来なかった。


「では、この作品に対する評価を下しましょう。是とする者は挙手を」


そしてジクバールの先導の元、ドレスに対する評価が行われる。

評価に個人的な心情はいらない。

今までの経験則から、その域に達しているか否かを判断するのみ。

一人また一人と、挙手をする者が現れる。

バーバラやピエール、そしてルーカスですらも静かに手を挙げていった。

全員の賛否を見届けた後、ジクバールは静かに結論を言い渡す。


「挙手多数、これで決まりましたね。当日の展覧会は、彼女の作品を組み込んだ上で各作品を再配置します。図案は後ほどお送りしますので、その確認を……」


静かに採用が言い渡される。

殆どの者が、エリーゼであるか否かを抜きにしてソフィーのドレスを認めたのだ。

それ以降はドレスの配置に関する話へと移っていったが、アンジェリカの耳には殆ど入っていない。

何故、という思いばかりが彼女の思考を支配していた。

それ程までに採用されたことが認められなかったようだ。

話し合いを終え、皆が気まずそうな空気を抱えて立ち去る中、ルーカスは一瞥するだけで婚約者相手に何も言わずに会議室を後にする。


「エリーゼ……エリーゼ……? 貴方が、あのエリーゼだというの……?」


殿下を追う形で彼女も歩みを進めるが、小さく独り言ばかり呟く。

脳裏にはソフィーのドレスが浮かび上がる。

エリーゼの存在は、勿論知っていた。

そしてもしやという考えにも至っていた。

だからこそ、あんな回りくどく下らない手段を取った。

そうしなければ、自分の足元が崩れ落ちていく予感がしたからだ。

予感は的中した。

ソフィーのドレスを見て、ルーカスは挙手をした。

今まで殆どの作品に対して興味を持っていなかった彼が、確かに心を動かされたのだ。

呆然としながらも、アンジェリカは自身のバックの中へと手を忍ばせる。

収まっていた裁縫用の小さなハサミが、僅かに触れた。

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