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最終話⑫

突如、集会場に現れた帝国貴族に誰もが動きを止める。

対する彼は寸前で止めに入れたことを安堵しているのか。

得体の知れない男を前に、ソフィーを庇うように並び立つ。


「ジクバール様が、どうして此処に!?」

「貴方の進展を伺いたくて直接出向いたのですが、既に主催者の指示で出立したとの連絡を受けましてね。実は私も、あの宿屋を一室お借りしていたのですよ。ここ数日は、会場に入り浸りで殆ど帰っていなかったのですがね」


そう言って、ジクバールは狼狽えるフード男を見据える。

視線はとても冷ややかだった。

今まで礼儀正しい言動を崩さなかった彼から、張り詰めた空気が流れる。


「このような場所で何をしている。私はお前のような従者は知らない」

「っ……!」

「他国の人間である私が法的措置など取りたくはないのだが、こればかりは見過ごせない」


更に一歩踏み出す。

こんな場所にまで呼び出し、彼女の作品を奪おうとした者への距離を詰めていく。

すると劣勢を悟ったようだ。

瞬間、フードの男は背を向けて駆け出した。

反対側の窓を突き破ろうと、窓枠に向かって体当たりを仕掛ける。


「あっ!? 逃げ……!」


慌てたソフィーが反射的に叫ぶ。

あのままでは逃げられてしまう。

予想していなかった出来事の連続に、彼女は全く動けない。

しかしジクバールはあくまで冷静だった。

一瞬の内に右腕を振るうと、指先から何かが放たれる。

それが長細い針だと分かった瞬間、窓を突き破る寸前だった男の手の甲へ、その針が突き刺さった。


「うっ!?」

「痺れ薬を塗ってある。直に思うように動けなくなるだろう」


仕事は終わったと言いたげに、ジクバールは腕を下ろす。

男は針を慌てて引き抜いたが、既に手遅れだったようだ。

数秒の内に両手の自由が利かなくなり、遂にはその場に倒れ伏す。

相当強力な薬物らしい。

ソフィーは呻き声を上げる犯人と、それを制した彼の姿を交互に見比べる。

集会場の入り口から、見知らぬ従者がジクバールに向けて敬礼した。


「主さま! 表にいた不審人物は、全て確保しました!」

「ありがとう。やはり狙いはソフィー嬢の作品だったようだな」


報告を聞いて、彼は小さく息を吐く。

集会場前でたむろしていた者達も、そこにいる男と同じ目的だった。

全てはソフィーから作品を強奪するため。

引き渡しを拒否した場合は、複数人で押し掛けるつもりだったのだろう。

しかし何故、自分が狙われなければならないのか。

ようやく我に返ったソフィーは、ジクバールに向けて頭を下げる。


「あ、ありがとうございます。まさか、こんな事になるなんて……」

「礼を言われる程ではありませんが、貴方も少し警戒した方が良いでしょう。幾ら王都といえ、あるのは上澄みだけではありません」

「は、はい……気を付けます……」

「それにしても妙ですね。何故、彼らはソフィー嬢の作品を狙ったのか。それにこの男が来ている衣服は、そうそう手に入るものでもない」


痺れ薬で倒れ伏す男を、彼の従者達が引き上げる。

確かに身に着けた衣服は、貴族に仕える者が着るようなものばかりだ。

盗難を企むような者達が易々と買える代物でもない。

そして何より、このドレスはつい先ほど完成したばかりだ。

わざわざそれを奪おうとする理由も見えない。

すると男は諦めたように白状した。


「知らない奴からこの服を渡されたんだ。ソイツはこの会場で待っていれば、もっと高価のものが手に入る。欲しければ素性を偽れって……」

「ほう? それで、その相手は?」

「し、知らない! 顔を隠していて、何も見えなかった! 本当なんだ!」


男は必死に否定する。

どうやら本当に知らないらしい。

元から相手とも面識がある訳でもない。

唐突にそう指示され、半信半疑ながらもやって来たという事だ。

浅い考えを持っていた彼らに、ジクバールは首を振る。


「無償で高価な衣服を渡され、そこから欲に溺れた、という訳ですか。しかしこの証言が本当なら、貴方の作品を狙う者は他にもいるようですね。しかも相手は、同じ貴族である可能性が高い」

「そんな……」

「何か心当たりはありますか。些細な事でも構いませんが」


彼にそう問われ、ソフィーは考える。

同じ貴族という立場でありながら、自分の作品を狙う者。

そもそも彼女が参加表明をした事実を知る者は限られている。

加えてその中で悪意ある感情を持つ者となれば、どうなるだろうか。

不意にソフィーの脳裏に、アンジェリカの姿が思い浮かぶ。

かつてその刺繍を大きく非難し、今も複雑な感情を抱えている公爵令嬢の姿。

まさか、と思ったが彼女はその考えを打ち消した。

何の証拠もないのだ。

印象だけで決めつけるのはあまりに品に欠けている。

暫くの間の後、彼女は答えた。


「……いえ、身に覚えはありません」

「そうですか。ですが、このまま放置する訳にも行きません。念のため、その作品は私が預かっても宜しいですか?」

「あ、はい! それは勿論! お願いします!」


それに関しては二つ返事で頷く。

色々と驚くべきものはあったが、そもそも目的は展覧会の関係者に作品を手渡す事だ。

ジクバールが受け取ってくれるのなら、それに越したことはない。

先程は警戒していた従者も、彼が相手と知って安心して受け渡してくれた。


「確かに受け取りました。貴方の作品は会場内で厳重に保管し、審査されます。結果はまた追ってお知らせしましょう」

「よろしくお願いいたします」


ドレスはそのまま彼の側近に渡り、客観的な評価で審査すると言い渡される。

どんな採点をするのかは分からない。

自分の思うままに縫ったため、それらに則ったデザインであるかも疑わしい。

それでも満足のいく出来だったのだ。

後悔はない。

一息ついて終わった気でいたソフィーだったが、彼女は一つ忘れていた。

此処は受け渡しの場ではなく、未遂事件の現場なのだ。


「一先ずは、衛兵が来るまでは待ちましょうか。それ以降は、現場の立ち合いも必要になりますね」

「えっ」

「何か?」

「いえ、その、これから大事な用が……」

「今回の一件、貴方自身が狙われたに近いのです。こればかりは、一から捜査しなくてはならないでしょう。貴方にも同席いただかなくては始まりません」

「た、確かにそうですが……」


ソフィーは口ごもる。

今回の一件は、適当に終わらせて良いものではない。

貴族令嬢が何者かの策略で狙われたのだ。

十分に調査しなくてはならず、事件に出くわしたソフィー達が立ち合うのは当然のこと。

ジクバールの意見は尤もで、反論の余地などない。

ただ、彼女の脳裏にはスヴェンとの約束が浮かんでいた。

まさかこんな事件に巻き込まれるとは思っていなかった。

渡して直ぐに帰れば十分間に合う時間だったのだが、現場の立ち合いが行われればそう言っていられない。

勿論だが、後は任せたと言って去る訳にもいかない。

彼女は、自身の従者へと振り返る。


「念のため、遅れるかもしれないって伝えないと」

「しかし、ソフィー様……あの方は王家に関する執務の最中です。王宮には正式な手続きがなければ、近づくことも叶いません」

「それなら宿に伝言を頼めますか。スヴェンさんは、約束の時間に迎えに来る筈です」

「畏まりました。至急、手配いたします」


間に合うかも、で遅れた時に申し訳が立たない。

ソフィーはどうにかして彼に一報入れようと、従者に伝言を頼む。

本来、事件に巻き込まれたのなら身辺警護を強めるのが従者の役目。

それでも彼女の意志を汲み、内一人が集会所を去っていった。

彼は許してくれるだろうか。

取り留めもない事を考えつつ、ジクバールと共にその場に留まる意志を固めた。


その後すぐに衛兵達が現れ、何が起きたのかを事細かに話すことになった。

集会所には野次馬も集まってきたが、兵士達が直ぐに追い払う。

お蔭で余計な喧騒に当てられることもなく、検証は滞りなく行われた。

捕らえられていた犯人たちも、用は済んだのか連行されていく。

巻き込まれた側のジクバールは、大よその事情を把握して難しそうな顔をした。


「他の者も、口車に乗せられただけのようです。しかしこれでは、手掛かりは見つけられそうにありませんね」

「あの人が身に着けていた外套から、出所を見つけられませんか。そこから購入した方を追っていけば、何か掴めるかもしれません」

「製作者から割り出す、ですか。成程、確かに有効でしょう。衛兵、この外套を精査してくれ。主犯に繋がる可能性がある」


手掛かりは一切ないが、ソフィーは冷静に自分の意見を口にする。

他人事ではないのだ。

気を取り直して本格的に思考を巡らせる。

押収された外套は、刺繍と同じで誰かに手によって作られたものだ。

作り手は必ず存在する。

そして貴族服を仕立てるとなれば、アテも絞られてくる筈だ。

しっかりした場所であるなら、購入履歴も付けているだろう。

更に彼女はそのまま考え込んでいく。


「後は、そうですね。本人が直接持って来たとは考えにくいですし、従者にそうさせたのなら、辺りの目撃情報を集めてみるのは前提として。私に言伝をした人達から何か手掛かりが見つかれば……」

「……」

「ジクバール様、どうかしましたか?」

「いえ、少し雰囲気が変わったと思いまして」


気が付くと、意外そうな目でジクバールが見ていた。

彼からしてみれば、彼女の真剣な様子を見るのは初めてだった。

今までとは違う様子を、改めて知ったのだろう。

後押しされるような雰囲気の中、兵士達と共に捜査に協力する。

色々な意見を出し尽くし、現場の状況も伝え終える。

結局その場で主犯の目星が付くことはなかったが、ある程度の方針は立った。

そして陽の光が夕焼けに変わり始めた頃、ジクバールが彼女に歩み寄る。


「さて。そろそろ私達も用済みでしょうが、少し宜しいですか」

「は、はい」

「関係のない話ではありますが、帝国では既にエリーゼの名は知る人ぞ知るものとなっています」

「!」

「製作者から割り出す。皆それを元に勝手な推測を立てているようです。仮に帝国がその者を招き入れようとするなら、一体何を思うでしょうか」


彼はまだ、エリーゼの正体を諦めていなかったようだ。

彼女を帝国に連れ出そうとしているのか、不意にそんな事を聞いてきた。

やんわりとしたジクバールからは、裏の意図が見え隠れする。

ソフィーはどう反応すべきか迷ったが、以前ほどに慌てることはなかった。

ドレスを渡した時点で、決めていた事だ。

彼女はゆっくりと目を合わせた。


「誰しも、切っ掛けはあるのだと思います」

「切っ掛け、ですか?」

「はい。一歩踏み出す事にも踏み止まる事にも、きっと理由がある筈。選ばれたエリーゼという方は、とても幸運なのでしょう。ですがその方にとって、その幸運はあくまで切っ掛けに過ぎないのかもしれません」

「類まれな才能は、一つの手段でしかないと?」


その意見に頷く。

カトレアへのアクセサリーも、シャルロットの祈りの服も。

彼女達が歩み出す切っ掛けになった。

だからこそソフィー自身も、こうして展覧会に臨んだのだ。

決して高い評価だけを望んでいる訳ではない。

慢心でも、自惚れでもない。

これも一つの切っ掛け。

自分の気持ちを、前に進ませるための後押しでしかないのだ。

彼女の真意を聞いたジクバールは、もう一度だけ問う。


「目指している先には、何があるのでしょう」

「それを今、見つけようとしているのかもしれません」

「……初心忘れるべからず、ですか」


そう言うと、彼は懐かしい顔をしていた。

自分は何のために刺繍を手に取ったのかを、思い出したのかもしれない。

直後に衛兵の一人が敬礼をして、二人に声を掛ける。


「現場の検証、終わりました! お疲れさまでした! お気を付けてお帰り下さい!」


ようやく現場から解放される。

既に夕日は落ち始めていた。

兵士達は僅かに残っていた野次馬を散らしつつ、馬車が通るだけの道を作る。

ジクバールも当初の目的は果たしていた。

ソフィーから受け取っていたドレスは、既に側近の手によって馬車に運ばれている。

長居をする意味もない。

彼女に一礼をした後、去り際に呟いた。


「でしたら、席だけは空けておきましょう」

「ジクバール様……」

「才覚ある者は羽ばたかなければならない。私個人としては複雑ではありますが、芸術大国の本分はそこにあるのですから」


そのまま彼は集会場から姿を消した。

審査をすると言っていたので、会場へと向かうのかもしれない。

ソフィーも、此処で留まる必要はなくなった。

自分の覚悟は届け終えた。

そして待っているであろう人物を思い出す。


「スヴェンさん……早く帰らないと……」


彼女は従者に連れられ、自身の馬車へと乗り込んだ。

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