最終話⑪
数日後。
ソフィーは、王族が用いるような煌びやかな個室で針を振るっていた。
此処は手配された国賓用の宿泊施設。
貴族であっても立ち入る事に気後れするような場所だ。
数こそ少ないがすれ違う者は、誰もが自身よりも格上の権力者ばかり。
第三王子であるルーカスが用意したという名目はあっても、決して居心地は良いとは言えなかった。
そもそも、こんな場所で刺繍をすること自体が不自然に近い。
だが、手を止めていては間に合わない。
そのため彼女はこの数日間、自らのために糸を結んでいった。
「ふ~」
区切りを入れるために一息つく。
ソフィーは一人黙々と手を動かし続けてきた。
集中を切らすことなく、必要な時以外は部屋から出ることもなかった。
だが目的はある。
あの頃とは違い、自分に何が出来るかを考えた上での行動だ。
令嬢としては褒められたものではないかもしれないが、結果としてそれが功を奏し、既に目標のドレスは出来上がりつつあった。
「落ち着かない場所だけど、慣れれば何とかなるかな。約束の時間までには終わりそう」
安堵したソフィーは、例の約束を思い出す。
それは王宮に呼ばれた日、別れ際にスヴェンと話し合った時の事だった。
「殿下たちの事は、気に病む必要はないぜ」
ルーカスやアンジェリカとの対面後、彼は気遣うようにそう言った。
王家の進捗を確かめるためにも同席したスヴェンだったが、別の王族から何かしらの依頼を受けたらしい。
そのために彼は、暫くソフィーの元を離れることになった。
宿泊施設へ案内した後、一人残される彼女を案じつつルーカス達の心情を語った。
「もしかするとあの二人、自分の考えていることが良く分かっていないのかもしれねぇ」
「そうなのですか?」
「色々な感情が混ぜこぜになっている、って言うべきか。自分の中で、感情の整理が付いていない気がするんだよ」
確かに納得できる部分もあった。
アンジェリカの言動には、不自然なものが多かった。
迷いだけではない。
ソフィーに向けたあの視線は、とてもそれだけでは片づけられない複雑さがあった。
それは彼女にも覚えがある。
自分が何をしたいのかも分からず、閉じこもる事でしか自分を表現できなかった頃を。
「そういう時は頼りながらでも、自分の気持ちに区切りを付けるものですよね」
「そうだな。一人じゃ抱えきれねぇものもある。あの二人は、そこを分かっていない気がするんだよな。婚約しているってなら、もっと腹を割って話せば良いのによ」
その時のスヴェンは、何処か自嘲気味な表情を見せていた。
だからこそ、だろうか。
案内を終えて別れる直前、ソフィーは思わず尋ねていた。
「スヴェンさん……その……」
「どうした」
「明後日の夜、夕食に出掛けませんか。王都で食事をする機会って、あまり無くて」
「良いのか? まだドレスの件だって終わってないだろ?」
「いえ、その頃には縫い終わると思います」
「本当か?」
「はい」
「嘘じゃねぇのは分かるが……何と言うか、どんどんペースが上がっている気がするな」
何となく互いの距離を感じていたソフィーは、彼を食事に誘った。
無理矢理にねじ込んだつもりはない。
自分の刺繍としての腕は、何となく分かってきたつもりだった。
明日明後日と、全力を出せば終わる量だ。
問題は別件の用事があるスヴェンに割く時間があるかどうかだったが、少し気圧されただけで特に断る事はなかった。
どうという様子はなく、ゆっくりと頷かれる。
「それなら俺が店を探しておこう。この宿の料理は確かに旨いが、それだけ楽しんでも違いが分からないからな。ちなみに、何をご所望で?」
「えっと、そうですね。パスタとか如何でしょう?」
「良いじゃないか。会場でもその話をしたから、丁度気になっていた所だ。良い店も知ってるし、心当たりの所に声を掛けてみよう」
「すみません。私が誘った側なのに……」
「別に気にする事でもねぇよ。こうやって一緒に決める方が、らしいだろ」
何が、らしいのか。
嬉しさ半分と恥ずかしさ半分で、聞くことは出来なかった。
結局その日の場所や時刻は全てスヴェンが決め、約束の時間には此処へ迎えに来てくれることになった。
申し訳ない限りだとは思う。
だからこそ、今出来る全力を尽くす。
それが自分なりの答えになる筈だ。
思い出していた約束の出来事を打ち切り、ソフィーは強く意気込んだ。
「よし! ラストスパート!」
休憩を終えた彼女は、再び最後に仕上げに取り掛かった。
所詮、刺繍など遊び。
そう思う人は当然いるだろうし、こんな事に本気になるなんてと詰られたのがアンジェリカとの会話だった。
カトレアがそうだったように、令嬢として正しくあるならば、正しい知識と教養を身に着けることこそが本分。
周囲からすれば、彼女の行動は非礼に映っているかもしれない。
それでも、応援してくれる人はいる。
全員の期待に応えられなくても、近くにいる人の期待には答えたい。
今のソフィーを突き動かしているのは、それだけだった。
「出来た、よね?」
そうして完成したのは、多くの花弁を舞わせた淡い桃色のドレスだった。
ドレスの裾にかけて色とりどりの花を咲かせ、裾の東西南北を起点にツリー状に枝を上へと伸ばし、葉を伸ばし、新たな蕾や花を広げる。
立体的に見せるためにも、それらは幾つもの同じ種類たちと重ねて縫い合わせた。
同じ種類といっても、糸の色を僅かに変えるだけでも浮き上がって見えるものだ。
ジクバールから頂いた金色の糸も、折角なので花々を支える枝の表現に加えてみた。
最後には辺りへ粉雪のように白い花を散りばめ、花吹雪を連想させるような幻想的な仕上がりにする。
題材は春の始まりと終わり。
新たに芽吹いた花々達と、花吹雪のように散りながらも初夏へ、新たな季節へと踏み出すような瞬間。
そんな移り変わりを、自分の心のように表現してみせた。
一歩でも先へ、一歩でも近くへ。
これが、今のソフィーに出来る全てだった。
改めて目の前に広がったドレスを見て、彼女は自身が仕上げたことに僅かな驚きすら抱いていた。
「何だか、今までで一番良く出来てる気がする。うん。これで駄目だったとしても、気持ちに区切りは付けられるはず」
確かな達成感と共に頷く。
選考に残るかは分からないし、バッサリと落とされるかもしれない。
それでも良い。
自分の力で何かを成し得たという事実こそが、今の彼女には必要だったのだ。
後はこのドレスを届ければ、決心はつく。
暫くその出来を眺めつつ考えを巡らせていると、不意に扉をノックされる。
施設内の従業員らしい。
「ソフィー・リーヴロ様、失礼いたします」
「あ、はい。何かご用件でも?」
「この度の展覧会主催者より、言伝を預かっております」
そう言って、従業員は部屋の投函口へ一通の手紙を差し込んだ。
「現状における進捗等の報告、そして可能であれば展示物を持参してほしいとのこと」
「ドレスも、ですか。分かりました。確認してみますね」
唐突な話だ。
従業員が去った後で、彼女は手紙を受け取って内容を確認する。
中には受け取り場所についての詳細が書かれていた。
確かに参加を表明してから、色々あり過ぎて一切音信を取っていなかった。
主催者側が気にするのも当然だろう。
どの道、届けるつもりではあったし時間もある。
自作した手前、自分も行った方が良い。
そう思い、ソフィーは外へ出ることにした。
控えていた従者に頼み、ドレスは土台となる布の上から絨毯を丸める形で収納させる。
「主催って、ジクバールさんの事かな? 約束まで時間もあるし。同じ都内だから届ける位なら出来るよね」
善は急げとも言う。
取り敢えず彼女は、出来上がったばかりのドレスと共に宿屋を後にする。
馬車に乗り込んで、従者に頼んで都内の待ち合わせ場所へと向かう。
相変わらず、王都は盛況で活気に溢れていた。
いつの日も、様々な人が色々な目的を持って此処にいる。
そしてソフィー自身も、目的を持って外へ繰り出した。
手を引かれる訳でもなく、自分の意志で踏み出した。
何だか遠い所まで来たような感覚が沸き上がる。
それは良いことの筈だ。
それなのに、少し寂しい。
孤独から離れるために此処まで来たはずなのに、何故か別の孤独を抱き始める。
そしてそんな感覚によって、次第に妙な雰囲気に気付く。
王都についてはあまり詳しくなかったので気にも留めなかったが、指定された待ち合わせ場所は、一般開放されている集会場だったのだ。
辿り着いたのは、少々寂れた木造建築物。
別に貴族が立ち寄るには相応しくない、という訳ではない。
そういうつもりはないが、馬車から降りた彼女は首を傾げるしかなかった。
「ええと、ここが案内の場所? どうしてこんな所に?」
「……ソフィー様、何か妙です。気を付けた方が宜しいかと」
ドレスを運ぶ従者が、一言そう告げる。
彼女も異変に気付いたようだ。
しかしここまで来て、本当に主催者が待っているのなら失礼に値する。
ソフィーは辺りでたむろしている者達を尻目に、中へと入っていった。
人払いでもしているのか、やけに人気がない。
何もないだだっ広い室内へ進むと、部屋の中心でフードを被った何者かが待っていた。
「お待ちしておりました」
「あの。貴方が主催者さま、ですか?」
「いいえ。私は主催者の従者でございます。主さまは今お忙しく、代わりに引き取りを行いたく思います。既に展示品については、完成しておられるのでしょうか」
「そ、そうですね。届けるつもりでしたので、好都合だったのですけど」
「それは良かった。それでは、こちらにお品物をどうぞ」
男は主催者の代理人として、此処にやって来たらしい。
丁寧な口調でドレスを渡すように進言してくる。
フードで顔は隠しているが、身なりもそれなりのものだ。
騙す意味もないし、その理由も見当たらない。
あまり人を疑うのも良くはないだろう。
そう思い、ソフィーは促すように従者に視線を向ける。
しかし、彼女は前に進まなかった。
それどころか警戒するように身構え、即座に主を庇う。
「ソフィー様、いけません!」
「え……?」
「この者は……!」
不意を突かれてもう一度視線を戻すと、フード男は一歩前に踏み出していた。
僅かに見えるその口元が、笑みを浮かべたような気がした。
ストン、と落ちるような感覚がソフィーの全身を支配する。
するとその瞬間。
割って入るように、背後から別の足音が聞こえてきた。
「何かと思って追ってみれば、とんだ所に出くわしたようだな」
「ジ、ジクバール様!?」
声を聞いたソフィーは思わず振り返り、フード男の足も止まる。
帝国貴族の刺繍家が険しい表情で、その場を制した。




