最終話⑨
更に翌日。
ソフィーは馬車に乗って王都を目指していた。
原因は勿論、突如届けられたルーカスからの招待状のためだ。
内容は単純だが、王宮に来てほしいという中々に突き抜けたものだった。
王族相手からの招待など、断る訳にはいかない。
下手に首を振れば、どうなるか分かったものでもない。
仕方なくソフィーは作り掛けのドレスと刺繍道具を荷物として収め、再び王都に乗り出すことになった。
限られた時間の中での、急な横槍。
しかも他の人間は招待されていないと来た。
彼女一人で向かわせるには、あまりに酷。
そんな訳で白羽の矢が立ったのは、王宮に出入りできるスヴェンだけだった。
「まさか、こんな形で王都に戻るなんて思わなかったな」
「ジクバール様に続いて、ルーカス様まで……。うっ、胃が……」
「胃薬は?」
「の、飲みました」
「相変わらずと言うか……刺繍している時とは大違いだな」
集中していた時の様子は何処へやら。
ソフィーは弱気のまま青ざめた表情をしていた。
王家の人間から招待されるなど、今まで一度もない。
加えてその中でも異質と呼ばれるルーカスからのお誘いだ。
心当たりがあるとすれば展覧会で偶然出会った位だが、やはり粗相をしてしまった事を咎められるのか。
何を話せばいいのか、そもそも何をされるのかもサッパリ分からない。
「殿下のヤツ、わざわざソフィーを招待して……。まさか、邪魔をするつもりじゃないだろうな?」
「さ、流石にそんな事は……ないと思いますけど……」
「どうだかな。今回の展覧会には、アンジェリカの作品も出るらしいじゃないか。牽制目的は、十分にあり得る話だ」
「……」
「どうかしたか?」
「アンジェリカさんが出展されるというのは、本当ですか?」
「あぁ。審査をする側の公爵家が出展するなんて聞かない話だが……箔を付けたいだけなのかもな」
不意にソフィーは馬車から窓の外を見る。
今回の展覧会にアンジェリカが参加していると知ったのは、ついさっきの事だ。
まさか刺繍に興味があったとは思わなかったが、以前も正論の暴力を振るってきた位だ。
公爵令嬢としての自信が、そうさせたのだろう。
そう考えると、スヴェンの意見も間違っているとは断言できない。
婚約者の晴れ舞台、それを邪魔する者は予め封殺しなければならない。
邪推であると分かっていながらも、ソフィーは少しだけ不安を抱いてしまう。
「気にするなってのは、無理な話か。でもこれは、チャンスなのかもしれねぇ」
「チャンス?」
「俺がピエールとの決闘を受けた時と同じさ。これで白黒付けられる。アイツと真っ向からやりあう機会なんて、そうそうある事じゃねぇ。だからこれは、ソフィーにとってのチャンスの筈だ」
そんな思いを汲み取ったのか、スヴェンが助言する。
ピンチはチャンスであると、前向きに励ましてくる。
恐らく学院時代も、そうやってアンジェリカ達に向かっていったに違いない。
以前からよく耳にする言葉を思い出し、ソフィーは小さく呟いた。
「当たってブッ飛ばす、ですか?」
「おぉ! ようやくソフィーにも、騎士道精神が何たるか分かってきたようだな!」
「当たって吹き飛ばす騎士様なんて、聞いたことがないですけど」
「そんなものは例えさ。堅苦しいのは、自分なりに適当に解釈しとけば良いんだよ。何事も、気持ち軽い方が良いに決まってる」
「もう、本当に自由なんですから……」
国防の代表となる騎士が、この発言である。
表向きには出せない言葉を前にソフィーは苦笑する。
しかし適当な言い方をしているものの、彼はヴァンデライト家領の報告を今も常に精査し、領地を安定させている。
要は気持ちの問題。
切っ掛けがあれば、変われるのだろう。
だからこそ展覧会に参加すると決めたソフィーに、手を抜くという考えはなかった。
彼女に真っ向から立ち向かいたい。
軽い気持ちを心掛けつつ、強い決意を抱く。
決心がつく頃には、二人は王都に辿り着いていた。
「ソフィー・リーヴロ様、ルーカス殿下より承っております。どうぞこちらへ」
「は、はい」
「念のため、招待状も確認させて頂きます」
煌びやかな王宮を前に、ソフィーは身の引き締まる思いだった。
こうして王家の人間が住まう場所を訪れたのは、幼い頃以来だ。
簡単に出入りできる場所でもなく、相応の招待がなくては貴族であっても門前払いである。
ルーカスからの招待状を見せた彼女は、番兵達に正門を通ることを許された。
対して、付き添うスヴェンは何も言われない。
番兵達に顔を見せてお辞儀をするだけで、何の証明もいらないようだった。
「スヴェンさんは、何も言われないのですね?」
「出入り許可されてるしな。有事の時に一々許可なんて取ってたら、後手になる。まぁ、ヴァンデライトの特権みたいなものだ」
いつもこれ位に楽なら良いんだが、と彼は息を吐く。
所謂、顔パスのようなもの。
今になっての話ではなく、ソフィーとの見合いをする前から、既に彼はそれだけの資格を得ていた。
それを考えると、スヴェンの地位の高さを今になって思い知らされる。
そうして再び、アンジェリカの発言を思い出す。
伴侶となる者には、相応の資格がなくてはならないと。
ソフィー達は王宮内の侍女に案内され、これまた華やかな応接間に通される。
正門から廊下に至るまで、何処を見ても美しい装飾が施され、王宮そのものが一つの芸術品となっているようだ。
目が回りそうになる。
人混みとは違う、圧倒されそうな雰囲気に呑まれかけながらも、彼女は応接間の扉を通った。
部屋の中では椅子に腰かけるルーカスが、本を片手に読んでいた。
何かの学術書だろうか。
数日前に会った時と、一切変わりはない。
彼は視線を上げ、ソフィーだけでなくスヴェンがいる事に気付いたが、表情は一切動かなかった。
「お前も来たのか、スヴェン」
「招待状が送られた時、偶然私も居合わせまして。後見も兼ねて同席させて頂きます」
「目立つ真似は控えろ。決闘の件と言い、お前の行動は乱雑に過ぎる。書簡が遅れている原因も、そこにあると思え」
「承知しております。しかし殿下も婚約している御身。別の女性を独断で招待するのは、世評に影響するでしょう。私はその緩衝材とお思い下さい」
「固さだけの一枚岩が、その役目を果たせるものかな。まぁ、良いだろう。かつての同級生同士、お前も関係がない訳ではない。そこに座れ」
お互いに顔見知り程度の認識なのか。
そう言って、ルーカスは本を閉じる。
話に応じる様子を見せたため、彼女達は円状の机を挟んで向かい合った。
恐る恐るソフィーは王子の顔色を窺ったが、やはり感情は見えてこない。
彫刻のようにピクリとも動かない。
招待状にも目的は書いていなかったので、こちらから切り出す以外になかった。
「ほ、本日はお招き頂きありがとうございます。それで、ルーカス様……この私に、何のご用が……?」
「始めに一つ聞く。お前は何故、展覧会に参加する?」
すると突然、ルーカスはそんな事を言った。
やはり展覧会への参加が琴線に触れたのか。
スヴェンもこちらを気に掛ける視線を向けている。
だが大丈夫だと、彼女は頷いた。
緊張で身体が強張りそうだが、それで自分の考えを曲げる気はない。
一度深呼吸をした後、王族相手に真っ向から答える。
「私自身の力を、試したいからです」
「腕を上げたのか」
「分かりません。ただ私は今出来る事に、全力で挑んでみたいのです。私には、皆さんのように誇れるものがありませんから……」
「やはり、そういうものか」
「……?」
「縁のない言葉だ。全力とはどういうものか、私には理解できた試しがない」
彼はそう言った。
それは何事も片手間で編み出す人間国宝だからこその発言か。
スヴェンが横から口を挟む。
「殿下、その飽き性は治された方が良いのでは?」
「私と剣を交えたお前なら知っている筈だ。これは私自身の意志で変わるものではない」
「意志が無くては、何も始まりませんよ」
「関係はない。私の視界は常に色褪せて見える。それだけだ」
他の者からも何度も聞いた忠告なのか、ルーカスは詰まらなそうに答える。
王族でもあらゆる分野で優れた才能を持つ彼だが、王位継承権は下位に位置している。
何をしても直ぐに分かってしまう。
見えてしまう。
そうなれば、全てが空虚になるのか。
何事にも興味を示さない態度が、王の器には足りないと王家が判断した結果だろう。
王ではなく国宝。
ルーカスは、それを受け入れている。
元より執着する理由もないようだった。
「話を戻そう。アンジェリカが出展する事は知っているな」
「……はい」
「私には真意が見えない。刺繍は本来、私達にとって趣味趣向の域。この展覧会、アンジェリカは審査側に収まる手筈だった。しかし彼女はその定例を覆した。今までにない事だ」
「あの方に、お聞きにはなられないのですか?」
「誤魔化される以上のものはない。そしてお前が参加を決めた時から、彼女の様子は明らかに変わった。いや、正確には展覧会でお前と出会ってからか。それは他の連中も危惧する程になっている」
それでも彼は自身の婚約者の異変に気付いた。
原因こそ分からないが、その要因にソフィーが深く関わっていると思ったようだ。
ルーカスは無感情な瞳で彼女を見据える。
「アンジェリカと一度、話をしろ」
それは命令に近い。
感情は込められていないが、王族ならではの威圧感すら抱かせる。
まるで此方に問題があるのでは、と錯覚しかねない。
困惑した表情をソフィーが隠しきれずにいると、スヴェンがもう一度息を吐いた。
「まさかそのためにソフィーを呼び出したのですか。殿下、彼女には何の非もありません。ただ、展覧会へ参加表明をしただけです。痴話喧嘩は身内だけで済ませて頂きたいのですが」
「元より公爵家との間で交わされた婚約だ。痴話などという感情はない」
「では何のために?」
「あの時と同じだ」
ルーカスは今の二人を見て過去を思い返す。
何がと考える必要もない。
この場にいる三人が共通しているのはただ一つ。
貴族学院、その際に起きた顛末だけだ。
「あの一件以来、私達は互いを避けていた。動乱の世代と呼ばれ、腫れ物のようにすら扱っていたのは事実だ」
「……」
「アンジェリカの行動に不可解さが増す時、決まってあの過去が関わる。その枷を外すには、あの時間に私達を戻す以外にない」
スヴェンに対して関係がない訳ではない、と言ったのはそのためらしい。
彼はもう一度、アンジェリカを踏まえて過去を再現しようとしているのだ。
そうする事で、理解できない婚約者の心理を突き止めようとしている。
ソフィーの脳裏にあの時の光景が甦る。
室内でたった一人、味方もいないままに自身の作品を否定された時のこと。
思わず彼女は両手を握り締めた。
「……あの方は、全てを打ち明けてくれるのでしょうか」
「確証はない。だが切っ掛けは与えられる筈だ」
ルーカスはそんな事を言うが、あの場に彼がいた覚えはない。
だからこそ、何が起きたのかをこの目で確かめたいのだろう。
こちらの意志を汲み取らない言い方に、スヴェンはあくまで彼女を庇い続ける。
「ソフィー、いかに相手が殿下とはいえ、無理に引き受ける必要はありません。まだ、展示物の件も残っています」
「はい……ですが……」
「それでも、気になりますか?」
ソフィーは小さく頷く。
始めは何事かと思ったが、これは僥倖なのではと考えていた。
アンジェリカが何を考えているのか、知りたい気持ちがない訳ではない。
貴族という立場以外に個人的な思いがあるなら、どうしてあんな事をしたのか。
些細な話であっても、過去と決別するためには必要な物だと彼女は理解し始めていた。
そこまで言われれば、スヴェンも強制はできない。
複雑そうな表情で見守ることしか出来ない。
するとそんな時だった。
応接間の扉が音を立てて開かれる。
「これは、どういう事ですの?」
皆の視線が集まると同時に、アンジェリカの震える声が室内に響いた。




