最終話⑧
展覧会へ向けた準備はすぐさま整えられた。
元々、リーヴロ家は交易盛んな領地を治める貴族だ。
鶴の一声さえあれば、望んだものは大抵取り寄せられる。
勿論その鶴とはソフィーの父、リーヴロ卿である。
彼は娘の晴れ舞台のため、必要な物を全て集めるように命じた。
街一番の仕立て屋であるロゼッタも、当然そこに加わる。
展覧会に飾られた品々は貴族服が主になる。
刺繍を施すにしろ、元となる服が無くては意味がない。
そして流石に服を一から仕立てる訳でもない。
土台作りはロゼッタに任せられ、一日と経たずに全てが取り揃えられた。
「姉さま、何を縫われるのかお決めになったのですか?」
「うん。ドレスを仕上げることにしたの」
カトレアに問われ、構想していた案を思い浮かべる。
裁縫部屋に移動していたソフィーは、机の上に並べられた多くの布や糸を前に、慣れ親しんだ刺繍道具を手に取っていた。
そしてその中心には、薄い桃色のドレスが横たわっている。
「花の刺繍を施した、淡いピンクのドレス。王道だけど、だからこそ今の私には一番だと思って」
「ま、間に合いますか……? 幾ら姉さまでも、これだけ大掛かりなものだと……」
「間に合わせるわ。必ずね」
妹の不安をよそに、彼女は強く頷いた。
今構想しているデザインは、簡単に出来るものではない。
一週間にも満たない中で完成させるのは、かなり難しいという自覚もある。
しかし、ソフィーはそれでも針を振るった。
出来るか出来ないかではない。
する事こそに、意味がある。
たとえ採用されなくても、貶されようとも。
今ある思いをこのドレスに刻み込む。
「大丈夫……全部見える……」
貴族以前に一人の少女としての決意を抱き、ソフィーは挑んだ。
そして視えてくる。
最近になって覚えてきた、頭の中に入ってくるような感覚。
それが何なのかはソフィーには分からない。
ただ、浮かんできた道に従うように彼女は手先を動かす。
想像の世界を形にするように。
ドレスに縫う花々は同一にするつもりはない。
糸だけでそれらを彩ったとしても、どうしても糸っぽさは拭えない。
だからこそ目立たせる重要な部分は、生地で作り上げる。
薄くて軽い独特の生地から型を取り、花弁を繋ぎ合わせ、大きな花に変える。
そうしてその花を中心に、糸で縫った葉や枝を添わせれば、より自然な光景が作られていく。
ソフィーの手が止まることはなかった。
少し時間が経って、その様子を見ていたカトレアが、僅かな焦りと共にロゼッタに尋ねる。
「ろ、ロゼッタ」
「……」
「姉さまの、あれは……」
「刺繍をする上で何が最善か、視えているように思えます」
「視える……そんな事が……?」
「もしかするとソフィー様は、ご自身の才能に気付いてしまったのかもしれません」
ロゼッタですら、冷や汗を見せる。
彼女自身は集中しているばかりで聞こえていないが、此処にいる二人は理解していた。
ソフィーの手さばきが、常識の範疇を超えていることを。
まるで合唱の指揮を取るかのように、彼女の手の動きに従い、理解するよりも先に生地や糸があるべき場所に収まっていく。
以前からその片鱗はあったが、今では誰の目にもハッキリと分かる。
最早あの動きは芸術に近い。
「かつて歴史に名を残す程だった芸術家は、こう仰っていたそうです。自分の考えを抜きにして、正しいことが全て降りてくると。どこに手を加えればいいか、手を振るえばいいのか。自分はそれを映し出しているだけに過ぎない、と」
「……姉さまが、そうだと?」
「分かりません。ですが私には今のソフィー様が、その言葉と似通っているように思えるのです」
かつての逸話を聞き、カトレアはもう一度だけ姉の姿を見る。
いつものオドオドした様子は一切なく、研ぎ澄まされた表情で場を制している。
昔の彼女とも違う、別人のようだ。
確かにそこにいるのだが、いないような感覚。
ロゼッタが今回の清算のために別室へ向かった後、続いてカトレアはソフィーが残る裁縫部屋から静かに立ち去る。
そして少し進むと、スヴェンが腕を組んだまま廊下の壁に寄りかかっていた。
「念のために様子を見に来たが、この調子だと大丈夫そうだな」
「スヴェン様……」
「後のことは頼む。彼女にも、そう伝えておいてくれ」
「折角いらっしゃったのに、姉さまの元へ向かわれないのですか……?」
「今行けば、集中を乱すだけだ」
本当に様子を見にきただけらしい。
彼はソフィーに会いに行くつもりはないようだ。
言葉通りに思っているのか、それとも他の考えがあるのか。
それ以上、踏み込むことはない。
そして背を向けようとした所を、思わずカトレアが呼び止める。
「お待ち下さい」
「……?」
「差し出がましい発言をお許しください。スヴェン様は今回の一件について、どうお考えなのですか?」
「ソフィー自身が決めたんだ。俺から言う事は何もない」
「確かに、その通りなのかもしれません。ですが……」
先程のソフィーの姿を見て、彼女は切り出す。
「私には、姉さまが遠く見えるのです」
「……」
「情けない話です。かつての愚かな私は、姉さまを邪険にしていたというのに。今ではそれを、心の何処かで恐れている」
「君達は家族だし、離れることはないだろ」
「たとえ血が繋がっていようと、進む道は違いましょう。私はこれからも、模範的な令嬢として体裁を崩すつもりはありません。そして姉さまは、私とは違う道を進もうとしています」
カトレアは今の自分に後悔していない。
最初の動機は何であれ、自分の力で築き上げてきたものだ。
ソフィーも同じようにはなるなと、再三釘を刺していた。
姉は挫折し、塞ぎ込んだ。
そして塞ぎ込んでいた所をスヴェンが連れ出したのだ。
今、その手は離れている。
手を離し、自ら歩もうとしている。
勿論、一人で歩んでいく事が悪い訳ではない。
ただカトレアの目には、その先にある道が間違っているような気がしていた。
「スヴェン様には、その手を掴んで頂きたいのです」
「……随分と踏み込んだ発言だな」
「以前、見合いの血判状を頂いておりましたので、足の踏み場はあるかと思ったのですが……藪蛇でしょうか……?」
「いや、別に噛み付くつもりはないが……」
スヴェンは言い難そうな表情をする。
彼自身、手を引くことを拒んではいない。
今この場にいる事が何よりの証拠だ。
だが逆に、それが足枷になることを危惧しているようだった。
「ヴァンデライト家は一枚岩みたいなものだ。外せるものでもなければ、動かせるものでもない。だからこそ、ふと考える。傍にいればいる程、それは日の光を遮ってしまうかもしれないと」
「……それが、姉さまのためだと?」
「ただ俺は、彼女の意志を尊重したい」
ジクバールとの会話後、彼はソフィーが自分の理解している以上の才能を持っていると知ってしまった。
貴族としての才ではないが、確かに世界に名を轟かせるものであると。
それを遮る事は、引き止める事は、果たして良いものなのか。
するとそこまで聞いたカトレアが、一度だけ頷く。
「それなら、安心して下さい」
「ん?」
「最近の姉さまは、とても楽しそうに見えましたから」
「そうか……?」
「えぇ。そうですとも」
ソフィーにとって刺繍が大切なのは間違いない。
しかしそれ以上に、二人の関係は何物にも代えられないものではないか。
彼女がそう言うと、スヴェンは少し戸惑ったような表情を見せた。
表情だけでは何を考えているのかは分からない。
代わりに、一人のメイドが慌てた様子でやって来る。
メイドはカトレアの姿を見て駆け寄り、勢いよく頭を下げた。
「か、カトレア様……!」
「どうかしたの?」
「ソフィー様は裁縫部屋にいらっしゃるのですか!?」
「ええと、今は作品づくりの真っ最中ですけど……何か?」
ソフィーに要件だろうか。
とは言え、今は展示品の作成で忙しいので後に回してもらった方が良い。
取り敢えずカトレアは応対するが、メイドは焦燥のままに口を開いた。
「第三王子のルーカス殿下から、ソフィー様に招待状が……!」
「えっ!?」
王家が誇る人間国宝からのお誘い。
突然の手紙にカトレアだけでなく、スヴェンですら目を丸くするのだった。




