最終話⑤
(結局、返事聞けなかったな)
ソフィーに近づこうとしたジクバールを牽制するため、彼を呼び止めて別の場所へと移動しながら、スヴェンはそんな事を考えた。
決闘が終わった後の事。
彼はソフィーに真意を問うつもりだったが、思わぬ邪魔が入ってしまった。
昨日も同じだ。
彼女は慌ててはぐらかすばかり。
無理矢理腕を引いて問い詰めても良かったが、あまりしつこい真似はしたくない。
だからこそ今は展覧会を楽しみつつ、前々から妙に距離を詰めてくるジクバールとの相対に専念した。
「まさか、ヴァンデライト家の中でも歴代最高の武芸を持つと謳われるスヴェン殿も、展示会に興味がおありだったとは意外でした」
「私も最近、刺繍を嗜むようになりまして。これは修行の一貫ですね」
「おや。貴方ほどの方までも刺繍をなされるとは、さぞ素晴らしい作品を編み出されるのでしょう。もし宜しければ、あちらで……」
「申し訳ありませんが、私の場合は趣味の域です。人様にお見せできるようなものではありませんよ」
彼らは洋服が飾られたスペースから外れ、彫刻が多く飾られた場へとやって来た。
男女問わず、色々な表情をした像が、自分勝手な視線を向けている。
互いに目を合わせている像は誰もいない。
ジクバールはその中でも一番大きな女性像を見上げ、掛けていた眼鏡を正しながら一息ついた。
「やはりスヴェン殿も、ソフィー嬢の才覚には気付いておられるのですね」
「……」
「ですが恐らく、彼女はその才に気付いていない。自身が竜になった事すら気付かないまま、己を稚魚と思い込んでしまっている」
「ジクバール様は、それを正そうとお思いで?」
「そうなりますね」
隠す気はないようだ。
彼はソフィー個人ではなく、そこにある才能が目当てらしい。
スヴェンもある程度は察していた。
帝国貴族であり刺繍の才人ともなれば、必ずそこに目を付ける。
彼女がエリーゼとして活動を始めた頃から、何れは訪れることだと思っていた。
だからこそ彼は、才能だけを見る者を認めない。
「それが、彼女の為になるとは限りませんよ」
「……と仰いますと?」
「過度な期待や羨望は、時に人を苦しめます。私もヴァンデライト家の次期当主として、民の期待を背負ってきました。確かに貴族たるもの、期待や羨望に答えてこそ貴族足りえるのでしょう。しかし、彼女はまだ翼の動かし方を知ったばかりです」
以前、ソフィーはその才を妬む者に心を折られた。
今ようやく、過去を振り切って立ち上がろうとした所だ。
無理矢理引き上げた所で、何になるというのか。
反動で再び彼女は、翼を折ってしまうかもしれない。
スヴェンが無理にでも気持ちを聞きに行かないのは、それが理由でもある。
そんな考えを別の言葉で覆い隠すと、ジクバールは彼の方を振り返り、困ったような笑みを見せた。
「正直な事を申し上げますと、私としてもそれが一番望ましいのです」
「それはどういう……?」
「敵は少ない方が良い。同業者同士の派閥争いほど、醜いものはありません。ですが、私のような考えを持つ者は、やはり少ないようです」
精巧な彫刻たちに囲まれながら、刺繍の才物は続ける。
「才覚ある者は羽ばたかなければならない。それが与えられた者の責務である。芸術大国である、我が帝国共通の認識です。私もそうして富と名声を得て、この座に上り詰めました。ですが、彼女の場合は羽ばたく所ではない。真の才覚に目覚めれば、それは歴史に名を刻むほどの力になるでしょう」
「……彼女を帝国に連れ出すおつもりですか?」
「そういう声がない訳ではありません。貴族令嬢とは異なる立場になるでしょうが、下手に動かれる位ならば、自らの手元に置いておきたい。政略としても有り得る選択でしょう」
今の言葉は、ジクバール本人のものではない。
周囲から聞き入れた、貴族達の言葉そのもの。
恐らく彼自身は、ソフィーが敵となるかどうかを見極めたいだけなのだろう。
だが周りは違う。
スヴェンがそうであるように、才を持つ者はどんな形であれ、周囲の関心を引き寄せる。
望もうとも、望まなくとも。
笑顔を取り戻した彼女を思い出し、彼の視線は僅かに下がった。
「問題は貴方が仰います通り、ソフィー嬢がそれを望むか否か、という点にあるでしょうね」
「彼女が……」
「……少し、話し過ぎましたか。もうこんな時間になっているとは……私はこれで失礼いたします。どうぞ、ゆっくりと会場をご覧になって下さい」
仕事の合間で顔を見せに来ていたのか。
一礼をした後、ジクバールが颯爽と去っていく。
今の会話で分かったのは一つ。
帝国はソフィーに向けて、一つの道を与えようとしている。
貴族とは異なるが、世界へ羽ばたけるような才能への道。
それを選ぶも選ばないも、全ては彼女次第だと知り、スヴェンはその場に立ち尽くす。
自分の元に留まらせておく理由は、既にないと気付いたからかもしれない。
「ソフィーには、それだけの才能がある……。俺は、最後まで応援するべきなのか……?」
スヴェンが視線を上げると、会場内で一番大きい女性像が、無表情で天井を見上げていた。
●
スヴェンとジクバールが話し合っている頃。
ソフィーも過去の同級生である、アンジェリカと相対していた。
赤髪を靡かせる彼女は、相変わらず自信に満ち溢れた表情のままだ。
その容姿と堂々とした振る舞いで、数々の同級生を従わせてきた。
他の令嬢達も畏れ多いためか、近寄っては来ない。
「まさかこんな所でお会いするとは奇遇ですわね。貴方も、このような催しに興味があって?」
「は……はい……。け、見聞を広めようと……」
「成程。確かに、仰る通りですわ。淑女たるもの、自己研鑽を怠っては貴族として顔向けが出来ませんものね」
焦るばかりのソフィーに向け、彼女は笑みを見せる。
ただ裏があるように見え、まるで安心できなかった。
公爵・クライトネス家のご令嬢。
家柄によって王宮の出入りを許可されている数少ない人物だ。
そのために逆らえる者も殆どいない。
学院の頃の記憶が甦り、ソフィーは両手を握り締めた。
(どうして、アンジェリカさんが……。それに、わざわざ私に声を掛けるなんて……)
理由は分からない。
ただ単に懐かしい顔が見えたから、声を掛けただけなのか。
以前自分が何をしたのか、覚えていないのだろうか。
確かにあの頃、ソフィーは直接的な暴力を受けた訳ではない。
人前で自らの刺繍を詰られただけ。
悪口ではなく、あまりに的確で、反論のしようもない指摘。
だからこそアンジェリカにとっては些細な事に過ぎず、とうの昔に忘れてしまっているのかもしれない。
そう思っていたが、彼女の追及は徐々に始まっていった。
「それにしても、本当にいつ以来かしら。学院の卒業式以来、でしたか?」
「え……いや、あの……」
「あぁ。そう言えば、貴方は卒業式に出席されていませんでしたね。嘆かわしい事ですわ。王族の方々から認められるという、栄誉ある式を辞退なされるなんて。何か、理由があったのでしょう?」
「……」
「あら。もしかして、理由なんてなかったの? それとも、言えない事情があったのかしら? でも、それは良くない事ですわよ?」
アンジェリカはソフィーから背を向けて、辺りを見渡す。
華々しい展示品と、引きこもりだった彼女とを見比べているようだった。
「お分かり? 私達は貴族として清く、そして正しくあらなければなりませんの。そうでなければ、家名を背負う名が貶められてしまいます。貴方の家名は、リーヴロ家でしたわよね?」
「……はい」
「リーヴロ家の当主様は、その名に相応しいお方ですわ。廃れかけていた交易をたった一代で回復させたのです。王家だけでなく、公爵に名を連ねる私達も尊敬の意を示していましたの。ですが……」
コツコツと、靴音を鳴らしながら彼女が再び近づいてくる。
視線は合わせられなかった。
あの時と同じだ。
何も変わってはいない。
手を握り締める事しか出来ない中、アンジェリカは耳元で囁く。
「貴方は、どうかしらね?」
「……!」
「周りをよく見て御覧なさい」
ハッとしてソフィーは周りを見る。
すると敬遠していた令嬢達が、全員こちらを見ていた。
アンジェリカではなく、ソフィーを見ているのだ。
そこにある感情は、冷ややかなものだった。
まるで躾のなっていない無礼者を見るかのような目。
彼女はその視線に覚えがあった。
「ヴァンデライト家は、建国以来から国境の防衛を行う任を背負っています。今でこそ外部の脅威はほぼ無くなりましたが、我が国を支える重要なお方である事は言うまでもないでしょう」
「……」
「ならばその伴侶となる者にも、相応の資格がなくてはなりません」
「そ、それは……」
「安心なさって。私は既に婚約している身。だからこそ、貴方に警告しているのです」
かつての同級生を気遣う、という体を装う。
アンジェリカは意味もなくソフィーに近づいた訳ではない。
忘れてなどいない。
あの時と同じように、正論という名の暴力でその心を折ろうとしていた。
久方振りに現れた、不出来な令嬢を蹴落とすために。
「闘技場でも、貴族らしくない騒ぎ方をしたと聞いていますわ。これ見よがしに皆さんに見せつけて、纏わりついて。ご自分がどれだけ無礼な事をしているか分かっておいで? そんな事では、やっとの事で取り戻されたスヴェン様の品格まで、貶めることになりますわよ?」
威圧的な声が響いた、ような気がする。
少なくともソフィーの心には幾度となく反響した。
周囲の令嬢からすれば、彼女は栄えある貴族に纏わり付くお邪魔虫。
婚約関係でもない相手に付き纏うはしたない女、そう思われているのだろう。
確かに言い方の問題はあれど、事実ではある。
ジクバールからの勧誘を恐れ、彼女はスヴェンを引き連れた。
否定はできない。
今までと同じなら、それを呑み込むしかなかった。
ショックのあまり、その場から駆け出していたかもしれない。
だが最後の言葉だけが、スヴェンの品格を貶めるという言葉だけが、彼女の感情を揺り動かした。
「や……止めて、下さい」
「……何ですって?」
否定はできないからこそ、反論する。
ソフィーからそんな言葉が返ってくるとは思っていなかったのか、アンジェリカは虚を突かれたような顔をした。
「あの方は、やっと取り戻した訳ではありません……。今までずっと、取り戻し続けてきた筈です……。学院の頃から……」
「何を……」
「私の事は、どのように仰って頂いても構いません。ですが、あの方を貶めるような発言は、止めて下さいっ……」
彼は楽しみだと言ってくれた。
今ここで、一緒にいる事が楽しいと言ってくれた。
それだけは否定させないし、させたくない。
そんな思いが、ソフィーに力を与えていた。
周囲は少しだけ騒めく。
アンジェリカもその言葉を聞き、僅かに表情を歪めた。
自分のプライドが傷つけられたと思ったのだろうか。
「ソフィーさん……! 貴方はまだ……!」
「何をしている?」
しかしその直後、別の方向から問いが投げ掛けられる。
聞き慣れない声だった。
アンジェリカの後方からやって来たのは、貴族服を着こなした黒髪オールバックの男性。
服に刻まれた刺繍の程が、高貴な身分である事を証明している。
誰、などという言葉は不敬に値するだろう。
「あ、あの方は!」
「アンジェリカ様の婚約者……第三王子のルーカス様……!」
周囲から息を呑むような声が聞こえてくる。
ソフィー自身も、当然知っていた。
第三王子であり、人間国宝と呼ばれるルーカス・レンジェルヴォルン。
王族の中でも突出して、あらゆる才能に秀でた人物。
そしてソフィー達の、かつての同級生でもある。
身長は長身のスヴェンに届く程、だろうか。
彼ほど大柄ではないが、スラリとした体格で隙が無いように見える。
加えて、表情はない。
以前と変わらず、そこには感情という文字が欠けているかのようだった。
無表情のまま、ルーカスはソフィーには目もくれず、アンジェリカを見据える。
「騒々しいと思って来てみたが……アンジェリカ、何の話をしている?」
「ルーカス様……! わ、私は学院時代の旧友と親睦を深めていただけですわ。ルーカス様のお耳に入れるようなことは、何も」
「何もないと言うのならば構いはしないが、事を荒立てたのであれば、足る理由はある筈だ。婚約者として、お前の言葉は私の言葉。そして、私の発言にも等しい」
あるいは二人は共に、展覧会に赴いていたのかもしれない。
感情は見えてこないが、騒がしいという理由を元に彼女を追求する。
周囲の者達も、流石に王族が相手であると気まずそうな視線を交わすばかり。
アンジェリカも慌てながら釈明する。
「ご安心ください……! ソフィーさんと学院時代の頃を語り合っていただけですわ……! そうですわよね、ソフィーさん……?」
何故か同調する事を強要される。
どうやら穏便に話を済ませたいらしい。
ただ先程のこともあったばかりで、素直には頷けない。
自分だけでなく、スヴェンを見下したような発言は許せなかった。
だからこそソフィーは何も言わず、視線を逸らすだけ。
思った返答が得られず、アンジェリカは顔色を変えた。
「っ! 申し訳ありません……少し気分が優れず……! 失礼いたしますわ……!」
暫くの沈黙の後、適当な理由を持ち出し、彼女はその場から去っていく。
婚約者の前で恥をかかされたと思ったのかもしれない。
ルーカスは小走りで去っていくアンジェリカを見届けた後、ようやくソフィーに視線を向けた。
冷徹というよりは、何を考えているか分からない目が、そこにあった。
「お前は?」
「も、申し遅れました! 私、ソフィー・リーヴロと申します!」
「ソフィー・リーヴロ……?」
名を伝えると、ルーカスの表情が僅かに変わった。
どんな感情なのかは、やはり分からない。
それでも合点がいったように、ゆっくりと口を開く。
「そうか。あの時の……」
「あ、あの……何か……?」
「気にするな。お前も、目立つ行動は控えるんだな」
彼はそれだけを言って、アンジェリカの後を追う形で歩み去っていく。
場に張り詰めていた緊張感も一斉に解かれる。
それもその筈だ。
王族の中でも特にルーカスは、特別な存在なのだ。
触らぬ神に何とやら、というものだろう。
それ故に他の令嬢も牙を抜かれて戦意を失い、この場から一人一人と散開していった。
(もしかして、助けられた……? あの方が、人間国宝のルーカス様……)
当然だがソフィーも安堵の息を吐く。
意図は見えなかったが、不問にはなったようだ。
学院時代、彼とは全く喋ったことがない。
王族という立場のため、簡単に近づけるような距離感にもなかった。
明確な身分の違いというものを、感じずにはいられない。
そしてそれは、この話に限ったものではない。
アンジェリカの言葉は、正論に棘を大量に被せたものだったが、決して暴論ではない。
貴族としての立場がある以上、相応しい行動を取るのは自然なこと。
ソフィーはその責務を怠ってしまった側の人間なのだ。
汚点として周囲から煙たがられるのも、覚悟すべきだった。
(嘘じゃない。あの人の言う通り、私には何もない。だったら……スヴェンさんの隣にいるためには……私は……)
だからこそ、ソフィーは彼の気持ちに答えられなかった。
好きだと、言えなかった。
ならば、それを後押しさせるには何が必要なのか。
何を使えばいいのか。
彼女は理解し、そして決意を固める。
と同時に、戻って来たスヴェンが異変を感じて歩み寄ってきた。
「ソフィー?」
「あっ……スヴェンさん……!」
「悪い。例の帝国貴族と思った以上に話しこんじまった。何かあったのか?」
「いえ! 何もありませんよ!」
「そうか? そう言えば、外の方が騒がしかったが……王族か誰かが、お忍びで会場に来ていたのかもな」
言葉通りに露払いをしたのだろうか。
既にジクバールの姿は何処にもなかった。
しかし、取り越し苦労だったかもしれない。
感謝しつつも今ある気持ちを秘め、改めてソフィーは彼を見上げる。
「スヴェンさん」
「ん?」
「私、決めました」
「……? 何を決めたんだ?」
唐突にそう言われ、スヴェンは聞き返す。
その瞳は何でもない彼女を案じ、今も尚、支えてくれている。
それだけでソフィーは、何処か満たされた気持ちになっていた。
だからこそ、答えなければならない。
同じ場所に立つために。
彼の隣にいるに相応しい、その一歩を踏み出すためにも。
「私、この展覧会に参加します」
彼女はようやく自らのために、ハッキリと断言した。




