最終話④
翌日、所々に白い雲が浮かぶ晴れた空。
伝統的な建築物が並ぶかの王都に、ソフィー達は再び訪れていた。
目的の場所は、騒々しい闘技場からは正反対に位置する。
巨大な庭園と静寂に包まれた、巨大な美術館だった。
外から見れば、それは背の低い城のようにも、聖堂のようにも見える。
築百数十年となる館を前に、ソフィーは幼い頃、家族と共に訪れた時を思い出した。
「来ました……」
「来たな。数年に一度の展覧会だ。やっぱり人もそれなりって感じか」
「い、行きましょう」
「任せな。勧誘くらいは軽く追い返してやるよ」
「お、お願いします……!」
「そんなにビクつかなくても。昨日、俺に化粧した時くらいの圧を見せてほしいな」
「あ! あれは、すみません! つい調子に乗って……!」
「……まぁ、俺も化粧の一つや二つはするから、苦手って訳じゃねぇけど」
スヴェンは苦笑する。
次いで昨日の事を思い出し、彼女は反省した。
確かに色々とやり過ぎた。
調子に乗ったというべきか、完全に彼を練習台にしてしまった。
そもそも男女ではメイクの手法にも差があるというのに、何も考えずに塗りたくってしまった。
後から部屋にやってきたカトレア達が吹き出したのも、ハッキリと覚えている。
「ソフィーは走り出したら止まらねぇ所あるからな。今日は周りとぶつからないように、気を付けろよ」
「もしかして、イノシシですか?」
「そこまで言ってねぇ……。それを言うなら、ニワトリかもな……?」
「シメ……」
「シメ……?」
「い、いえっ! 何でもないです!」
「そういう所が、ニワトリっぽいんだよ」
茶化されている気もするが、気を悪くはしていなかったようなので安堵する。
そもそもの問題として、彼女は未だに返事が出来ていない。
スヴェンに対して、どう思っているのか。
横槍など色々あったせいで流れてしまい、結局、此処に来るまでも言い出せなかった。
心の何処かで自覚しているのかもしれない。
自分は本当に、スヴェンにとって相応しい人間なのか。
だからこそソフィーは、言い出す勇気もタイミングも掴めずじまいだった。
(とにかく……闘技場でも叫んじゃったし、今日は静かにしないと……)
何にせよ、今は目の前の事に集中しようと意気込む。
何処で声を掛けられるか分からない。
ジクバールに見つかれば、それこそ展示会の参加を持ち掛けられるだろう。
今日は目立ってはいけない。
そう示し合わせ、スヴェンも眼鏡を掛けるなどの工夫を凝らしているのだ。
強い意志を以って、ソフィーは彼と共に会場内へと入っていったのだが。
「わ、わぁ!」
展示される品々を見て、呆気なく屈する。
それも仕方がないのだろう。
会場内に展示されているドレス等は、流通する刺繍の品とは異なる。
芸術に重きを置いた、美術品にも言い換えられる。
だからこそ、退屈な貴族たちにとってはまたとない機会。
ソフィー達以外にも、貴族のご婦人やご令嬢が慧眼を養うために訪れていた。
「こんなに洗練されたデザインが……! 縫い方もこんなに……! ああ、そういう事……ここはこうやって縫って……?」
ドレスだけでなく肖像画といった絵画も飾られる中、ソフィーはそれらを知識として取り入れていく。
勿論、一人ではない。
スヴェンと共に語り合いながら、ゆっくりと見て回る。
割合としては少ないが、紳士服も展示されているので幸いだった。
あれが似合うんじゃないか。
これも良いんじゃないか。
そんな他愛もない時間と共に、気に入った柄や洋服などを確かめ合っていく。
すると暫くして何かに気付いたのか、彼は小声で問う。
「それにしても、こんな遠目で縫い目が見えるのか?」
「はい。最近になってからですが……刺繍を見る時だけ、凄く目が良くなるんです。何と言うか、パッと視界が開ける感じで……」
「え? 最近になって?」
「そうですね……スヴェンさんの決闘が終わった後から、でしょうか?」
「視力自慢の俺でも中々なのに……やるなぁ……」
今の所、誰にも話していなかったが、ソフィーは自分自身の変化に気付いていた。
展示されている洋服は全て、手で触れられないように一定の仕切りで分けられていたが、彼女の目は細部までも見通せていた。
わざわざ考えなくても、スッと頭に入ってくるような感覚。
今までそれなりに刺繍を経験してきたが、これは初めての事だった。
何か切っ掛けがあったのだろう。
一体何がと思い返すが、やはり例のやり取りしか浮かばず、ソフィーは少しだけ取り繕う。
「ち、ちなみにスヴェンさんの視力は?」
「遠目でパスタの本数を数えられる位、かな」
「す、凄いです……!」
「いやいや。今のソフィーは、それ以上の事を言ってるぜ」
それを聞くと、彼の視力は非常に優れていると分かる。
ただ、自分ほどではないと言われると違和感がある。
ソフィーの場合は刺繍限定であるし、視ているとは違い、勝手に頭に入ってくるような様子なのだ。
もしや妄想の類では、と何度か目を擦り、展示品や傍にあった陶器などを見比べてみる。
するとスヴェンは、何やら微笑ましそうにしていた。
「何にせよ、楽しそうで良かった」
「ご、ごめんなさい。一人で勝手に盛り上がってしまって……」
「まぁ、割合が女性多めだから肩身が狭い感じはするが、俺も刺繍を嗜む側だ。こういう知見は深めておかないと、良し悪しが分からなくなっちまう」
「……楽しいですか?」
「何を言ってんだ。楽しみにしてたから来たんだろ?」
一瞬だけ不安になったが、そんな思いを彼は一蹴する。
相変わらずの、当たってブッ飛ばす精神である。
そう言われると、本当に安心する。
だからこそ、だろう。
このままで良いと、下手に思いを伝えて壊したくないと、ソフィーは思ってしまう。
何故なら華やかな経歴を持つスヴェンと違い、自分は何もない。
分不相応だと、自覚してしまうからだ。
そしてそれを如実に表すように、周りから囁き声が聞こえる。
展示会に赴いていた人々が、スヴェンの姿を捉えていた。
「まさか、あの方はスヴェン様ではなくて……!?」
「空剣に勝利したという、あの……!」
「ど、どうしてこの展覧会に……」
「武芸だけでなく、芸術にも興味がおありなのかしら」
相手は数日前、王都を沸かせたヴァンデライト家の人間だ。
噂にならない方が難しい。
ご令嬢やご婦人達が、彼の存在を認知していく。
ソフィー以上に自分が騒ぎ立てている事に気付き、彼は困った様子で眼鏡のつるに手を触れた。
「俺の方が注目されるとは……予想外だったな……」
「わ、私もそこまで考えていませんでした」
「一応、変装紛いの事はしていた筈なんだが……」
「確か、入場する時にサインしましたよね?」
「あぁ……それか……」
「それですね……」
何にせよ、スヴェンが会場にいる事は周知の事実になりかけている。
会場内で騒ぎを起こすのも良い話ではない。
二人は喧騒から逃れようと、別の場所へ移動しようとした。
しかし何かに気付いたようで、不意に彼が立ち止まる。
「ん?」
「スヴェンさん?」
「どうやら、例の帝国貴族が来たみたいだな」
「……!」
視線を向けると、彼女に歩み寄る人物、ジクバール・ハリウェルの姿が見えた。
やはりソフィーの来訪を待っていたのか。
周りの展示品に勝るとも劣らない貴族服に、胸元に主催者側のバッチを付けているのが分かる。
浮かべる笑みも意味深で、狙いがあるようにしか見えない。
どうする、とソフィーは迷いを抱くが、代わりにスヴェンが息を吐いて前に進み出る。
「ちょっと行ってくるか」
「えっ!?」
「ソフィーはその辺を回っていてくれ。直ぐに戻る」
「あ、あのっ……!」
呼び止める間もなく、彼は貴族の顔を取り繕い、ジクバールの元に向かっていった。
そしてそのまま一言二言話し合い、何処か別の場所へと歩いていく。
前から牽制するとは言っていたが、本当に行ってしまうとは。
一人残されたソフィーは、彼の様子を案じる。
「まさか喧嘩なんて、しないよね……?」
流石のスヴェンもそんな事はしないだろうが、少し気になる。
とは言え、見に行くわけにもいかないので、言われた通りそのまま会場を見て回るしかない。
何もなければ良いのだが。
急に寂しさを覚え、ソフィーは気を紛らわすために他の展示品を見ようと足を進める。
僅かに聞こえる喧騒から離れようとする。
そんな時だった。
「あら? 随分と久しい顔が見えますわね?」
「……!?」
意表を突いたものだった。
威圧的な女性の声が聞こえ、ソフィーの背筋が凍る。
ただ、声を掛けられただけが理由ではない。
久しぶりに聞いたその声が、すぐさま彼女の脳裏から過去の光景を引き摺り出したからだ。
まさか、と思いながらも思い出す。
全てを投げ打って放棄した、足元から崩れていくような感覚。
苛まれ、心を閉ざしてしまった過去を。
『皆さん、見て御覧なさい! この幼稚な刺繍を!』
学院時代に浴びせられた言葉。
それと同じ声色が、彼女を振り向かせる。
煌びやかなドレスと、自信に溢れた表情。
長い赤髪が情熱さという印象に拍車を掛けている。
疑う余地もなく、ソフィーはその女性を見て声を震わせる。
「あ……アンジェリカ、さん……」
「どうかしまして? 顔色が悪いですわよ、ソフィーさん?」
いつからそこにいたのか。
あの時と、何も変わっていない。
かつての同級生で公爵令嬢、アンジェリカ・クライトネスが微笑みを浮かべていた。




