最終話③
「まぁ、参加するかどうかは置いておいて、観に行くくらいは構わないだろ」
その日の午後。
リーヴロ家に赴いたスヴェンは事情を聞き、サラッと返答した。
何も言わずとも、彼はジクバールとの間で何が起きたのかを尋ねてきたので、割と簡単に打ち明けられた。
エリーゼの正体を探る者達がいること。
その筆頭である帝国貴族が、刺繍展覧会の参加を求めていることを。
のっぴきならない事態ではあるが、彼は冷静に助言してくれる。
「俺も巷で聞いたが、今日から展覧会は開かれていて、過去の作品を展示しているらしい。刺繍の腕というか、興味があるなら観に行って損はねぇよ」
「だ、大丈夫でしょうか」
「勧誘されるかも、ってか? 良ければ、一緒に行こうか?」
「良いんですか? スヴェンさんにもお仕事があるんじゃ……」
「王族の連中、こういう時の押印は何日も費やすからな。お蔭で待ちぼうけさ。だから露払いくらいにはなれるだろ」
スヴェンは気にすることなく承諾した。
予想していた通り、彼は決闘後の事後処理で立ち往生をしている。
シャルロットやアルベルトは、互いのわだかまりを解いた後で屋敷に戻っていったが、当主となる彼はそういう訳にもいかない。
王族から直々に証を受けなければならない。
溜め息交じりにスヴェンは笑った。
王族は職務怠慢のクセに要求だけは多い。
以前にもそう言っていたが、王宮の出入りを許可されているからこそ、見えるものがあるのかもしれない。
ソフィーはジクバールとの面会を通して、それとなく理解する。
「でしたら、その……お願いできますか……?」
「おう。俺も暇をしていた所だ。どうせ距離は近いし、明日から行くか」
「は、はい! 分かりました……!」
自然と予定を立てられ、思わず強く頷く。
確かに闘技場の時も、ジクバールはスヴェンを前にして日を改めた。
彼が傍にいれば、勧誘を強行されることはないだろう。
興味のある展覧会に向かえることに、ソフィーは僅かな安堵と高揚を抱く。
と、そう思った所から互いに妙な沈黙が流れ始める。
互いに一歩踏み込めないような、そんな空気。
当然だが、理由はハッキリしていた。
「それで、もう一つ聞きてぇんだけど」
「……!」
「何で部屋にこもってんだ?」
何とも言えないスヴェンの声が届く。
それもその筈。
二人は今、扉一枚を隔てた中で会話をしていた。
その扉はソフィーの自室のもの。
彼女は部屋の中でこもり切りになっているのだ。
スヴェンからすれば、微妙な空気になるのは仕方のない事。
しかしソフィーは代わりに闘技場の出来事を思い出していたので、少しだけ緊張を解いた。
「あ、あぁ……そっち……」
「そっち?」
「い、いいえ! 何でも……!」
「まぁ、別に無理に出てこいとは言わねぇが……」
「ち、違うんです……! 別に今、引きこもりたい訳ではなく……!」
慌てて否定する。
外に出たくなくて、こもっている訳ではない。
本当ならスヴェンと顔を合わせるべく、かなり張り切っていた。
なのだが、彼がやって来る前に一つ大きな問題が起きてしまったのだ。
ソフィーは自身の顔をドレッサーの前で確認する。
「化粧が……」
「ん?」
「お化粧、これで良いのか分からなくて……」
「……いつもどうやってたんだ?」
「メイドさんに任せきりで。だから、自分でやってみようと思ったんですけど……」
やってしまった。
何度目かも覚えていない化粧の程を見て、彼女は落胆する。
学院を諦めたソフィーではあるが、今まで化粧の経験は幾度となくある。
ただそれはメイドの手腕を通してであり、自分で化粧をするという経験は全くなかった。
位の高い令嬢であればあるほど、身の回りのことは従者達に任せてしまう。
なので、どうせなら自分の力でやってみたい。
今までずっと見て来たのだから、経験がなくとも出来る筈だ。
そう思っていたが、考えが甘かった。
厚化粧か、それとも薄化粧か。
よく分からなくなってしまった。
刺繍の時のように即断即決、が出来れば良いのだが。
それ以外だとどうしようもなく、優柔不断になってしまうのが今のソフィーである。
もういっその事、全部落としてメイドにやり直してもらおうか。
彼女は扉を開けられない自分を恥じる。
するとそんな事情を知って、何を思ったのか。
スヴェンの抑揚を変えない声が聞こえて来た。
「別に良いじゃねぇか」
「!?」
「取り敢えず、出てこいよ」
「す、スヴェンさん……! それは……それはダメです……!」
「……? 何が駄目なんだ?」
「女性にその発言は、ダメだと思います……!」
化粧を軽視する発言には、流石に黙っていられない。
思わず飛び出していきそうになり、ソフィーは踏み止まる。
化粧が何たるかを彼は分かっていないのかもしれない。
そう思い、助言する。
「お化粧は身だしなみです。何でも、という訳にはいきません。他のご令嬢方も、しっかりお化粧をします。それと同じですっ」
よく見られたいというのは、当然の思考だ。
何でも良いというのは、大雑把に過ぎる。
確かにスヴェンはあまり細かい事を気にしない性格ではあるが、少し位は気付いてほしいものである。
多少の不満を抱えていると、彼は納得したような声を上げた。
「綺麗に見せたいって言うなら、もう伝わってる」
「へ……?」
「言い方が悪かったな。折角頑張ってしてくれたなら、良し悪しは二の次だ。やってくれた事が、一番大事なんだろ」
「……」
「だから早く出てこいって」
わざわざ落とす必要はないと言われ、ソフィーは押し黙る。
結局、こういう所である。
彼は気付いた上で、そういう事を言う。
闘技場の時もそうだったが、徐々に押しが強くなっている気がする。
押しの弱い彼女には否定できない。
自分の事を見てくれている気がするからこそ、引き寄せられるように自然と扉を開ける。
自室を出て視線を上げると、当然のように彼は待っていた。
そして苦笑する。
「何を気にしてんだか。良い顔、してるじゃねぇか」
「っ~~~!」
結局、こうなる。
どんなに悩んだ所で、恥ずかしい顔を見せてしまうだけ。
赤く染まった頬は、化粧では誤魔化せない。
ずっと部屋から出られなかった自分に、情けなさすら感じ始める。
だからこそ余計に分からなくなって、しまいにソフィーは彼の腕を掴んだ。
「スヴェンさんにも、お化粧をします!」
「は、はぁ!?」
「やってくれた事が大切なら、私もやります!」
「それとこれとは全然ちが……」
「さぁ、こっちに来て下さい! 道具も用意しましょう!」
「まさか俺を練習台にする気か!? ひ、引っ張るなって……!」
これが照れ隠しだということ自体、彼女は気付いていない。
スヴェンも本気で嫌がっている訳ではないので、詮索はしない。
ズルズルと本来出る筈だった部屋に連れ込まれる。
残念ながらそれは貴族同士のやり取り、には見えない。
ただ年頃の、和気藹々とした空気があるだけだった。
そんな中、二人の様子を窺っていた者達がいる。
カトレアとロゼッタである。
彼女達はジクバールとの会談から、ソフィーが心労を患っていないか気にしていたのだ。
しかし、ご覧の有様である。
まさしく取り越し苦労。
懸念は杞憂の如く吹き飛んでいく。
打ち解け合う声を遠くから聞き、カトレアは呆れた目をしながらロゼッタに問い掛ける。
「ねぇ、ロゼッタ……」
「はい」
「あの二人、まだ交際すらしていないの?」
「……はい。そういった書面は提出されていないようで」
「……」
「……」
「……頭、痛くなってきたかも」
「頭痛薬、必要ですか?」
頭を押さえるカトレアは頷く。
身内として姉が調子を取り戻してくれたのは、良い事ではあるのだが。
聞いていた自分まで恥ずかしくなってくる。
そして少し、羨ましくもある。
通りすがるメイドまで赤面する中、彼女は軽く息をつく。
そしてこの日、ソフィーとスヴェンは化粧のさせあいで一日を終えた。
「なぁ」
「はい」
「まだ返事、聞いてねぇんだけど」
「!?」
「やっぱり、他に好きな奴でもいんの?」
「……か」
「?」
「顔を洗ってきます……!」
「ったく……ヘタレるとこ、間違ってるだろ」
本当に何事もなく、終えたのである。




