最終話①
朝日を受けるリーヴロ家領。
陽光は真っすぐにリーヴロ家の屋敷と、その城下町を照らしている。
往来する人々の顔も、周囲を賑わせるように明るい。
この盛況さこそ、リーヴロ家が代々引き継いできた領地の証である。
交易意気盛んな場所に、薄暗さは似合わない。
そんな中、ソフィーは自室で顔色を悪くしていた。
風邪を引いたとか、悪いものを食べたとか、そういう話ではない。
今から待ち受ける難関に、緊張し過ぎてしまったからだ。
「うぅ……胃が痛い……。胃薬欲しい……」
「そ、ソフィー様、お気を確かに……。先程、お飲みになったばかりです……」
腹部を抑えるソフィーを、ロゼッタがツッコミを入れつつ制す。
用法用量を守って正しく使わなければ、余計に身体を壊してしまう。
彼女は自分が朝食の後に薬を飲んだことを思い出し、思わず息を吐いた。
何故、こんな事になったのか。
事の発端となったのは、数日前の決闘。
スヴェンの勝利を祝おうとした彼女の前に、帝国の貴族が現れた。
ジクバール・ハリウェルと名乗ったその男性は、彼女に用件があると言い、互いに話し合う場を設けてほしいと依頼したのだ。
勿論、他国の貴族からの申し出を断る訳にはいかない。
日を改めたソフィーは今日、その人物と会談する運びとなったのだ。
しかし、やはり納得がいかないというのが率直な意見である。
「どうして帝国の貴族が、私なんかに……? しかもあの方は、刺繍の才人で……」
「やはり……ソフィー様の活動が知られてしまったのでは?」
「!?」
「今までご主人様方の命で伏せていましたが……エリーゼというお名前は、既にその手の界隈では有名になっているのです……。恐らくは、芸術大国である帝国でも……」
「それって、つまり……!」
「は、はい」
「お叱りを受けるの!?」
「えっ」
ソフィーは声を震わせる。
帝国は刺繍を含めた様々な芸術に関して、世界有数の規模と技術を持つ芸術大国だ。
加えてジクバールは、刺繍の技術で名を轟かせる一人。
そんな人物がわざわざやってくる理由は明白。
と、彼女は思い込んでいた。
「そ、そうよっ! きっと調子に乗り過ぎたんだわ……! 礼儀も作法もなっていない私の刺繍が広まって、帝国の方々の逆鱗に触れたんじゃ……!?」
「ええと……」
「私、シメられるのね!? ニワトリのようにっ!」
「ソフィー様……! お、落ち着いて下さい……!」
世の終わりのような顔を前に、ロゼッタが慌てふためく。
屋敷から出歩けるようにはなったが、まだソフィーは人に慣れていない。
闘技場ではかなり目立つ行為をしたので、結構な精神的反動もあるようだ。
流石のロゼッタもカウンセラーではないので、どうフォローすべきか困ってしまう。
すると傍で静観していたもう一人の少女が口を挟んだ。
妹のカトレアである。
「シメられるか否かは置いておいて、話を聞かない事には始まりませんね」
「カトレア……」
「まだあの方は、姉さまをエリーゼと確信できていないのかもしれません。今回の面会も、その真偽を確かめるため、なのかも」
「……」
「お父様やお母様は、代わりに応じても良いと言っていましたが……?」
「う、ううん。用件は私個人だし、代わりを立てるのは失礼だわ。わ、私が直接会って話をしないと……」
どうにかソフィーは首を振る。
これは自分の問題だ。
父と母に迷惑を掛けてはいけない。
そんな責任感が、どうにか甘さへの脱却を促す。
当然、今の状態で帝国の貴族と話し合えば、ある事ない事を喋ってしまう予感がある。
真っ当に喋るためにも、せめて緊張だけでも取り除かなければ。
そう思って深呼吸を繰り返すソフィーを見て、カトレアが苦笑した。
「一対一では姉さまの荷が重いです。私も同席します」
「……良いの?」
「姉さま一人では、洗いざらい打ち明けてしまいそうなので。それは、本意ではないのでしょう?」
「うん……ありがとう……」
「お礼を言われる程では。この位なら、お手伝いしますよ」
代わりではなく、同席であるなら問題はない。
励ますように頷くカトレアにソフィーは感謝した。
姉としての面目もないので、全く情けない話ではある。
それでも付き添ってくれることに一種の温かさを覚える。
これも、自分が取り戻した繋がりの一つなのだろう。
すると屋敷のメイドが、彼女達の元に現れる。
ジクバールが到着したそうだ。
「ソフィー様、カトレア様……! ご武運を……!」
今更になって引き返す意味もない。
既に表に出ても良いように、化粧も衣装も整えている。
心配するロゼッタに頷き、二人は自室を出た。
長いような短いような、どちらとも言えない廊下を歩いていく。
以前はこの廊下も、何処までも続くような感覚があったが、少しはマシになったのだろう。
そうして応接間に入ると、ソフィーの視界に例の人物が映る。
闘技場で見た、銀色の髪と眼鏡を掛けた知的そうな男性。
彼はソフィーの姿を目にして、少しだけ顎を引いた。
一瞬だけソフィーは顔が強張らせるが、どうにか頬の調子を取り戻す。
そして真っ先にカトレアが声を上げた。
「ジクバール様、お待たせして申し訳ございません」
「いや、急に押し掛けたのは私です。こちらこそ、無理を言った面会を引き受けて頂き、感謝いたします」
「お噂はかねがね聞いております。その類まれな刺繍の才は、何でも帝国随一だとか」
「ありがとうございます。王国のリーヴロ家にまで名が伝わっているとなると、改めて身の引き締まる思いですね」
挨拶もそこそこに、ソフィー達は真向いに着席する。
このジクバールという貴族。
スヴェンのように大柄で筋肉質な体格ではないが、雰囲気が洗練されている。
芸術に身を置く者としての独特の気品、のようなものを感じる。
これが刺繍の達人の持つ威厳、なのかもしれない。
自分とは雲泥の差だ。
ソフィーが固く口を結んでいると、彼は引き連れていた自身の従者へ、手で指示を出す。
すると従者が大きめの鞄を持ち出した。
何かを見せるつもりのようだ。
彼は鞄から銀色に光る、ある物を取り出す。
「それでは、先ずはこちらを」
「は、針……?」
それは複数の針が収められたケースだった。
どう見てもそれは、彼が仕事で使うだろう刺繍針だった。
しかし今から刺繍を披露するとも思えない。
ならば、何のために。
一つの予感を抱き、ソフィーは口元を手で抑える。
(縫われる!? 私が練習台……! 文字通りの口封じ……!?)
(姉さま、しっかり! 幾ら帝国の御方でも、そんな事は……!)
これは夜会で女性同士が行う、遠回しの警告ではないか。
表は笑っているが、背後ではお互いに指で抓り合っているというアレだ。
万事休す。
カトレアも内心焦る。
しかしそんな二人の様子に気付く前に、ジクバールは手にしていたケースを見て、バツの悪い顔をした。
「あぁ、すみません。いつもの癖で道具に手が伸びてしまいました」
「え……?」
「私が差し上げたいのは、こちらの品です」
そう言って代わりに取り出したのは、金色に輝く絹糸の束だった。
通常の糸玉の二、三個分はあるだろうか。
彼はそれを木製の籠に納めて机の上に置き、ソフィー達に差し出す。
日の光を受け、美しく光る糸だ。
見たことのない品を前に、ソフィーは思わず目を奪われる。
「帝国産特製の絹糸です。我が国最高級の野蚕糸をふんだんに取り入れた逸品となっております。刺繍を嗜まれるご令嬢方にとって、ささやかな一案となって頂ければ幸いです」
ジクバールは微かに笑みを浮かべる。
確かに、これ程の上物は貴族間でもそうそう見ない。
これが彼にとっての、彼女達への最大の敬意なのだろう。
一時は口を塞がれるのかと危惧したソフィーだったが、徐々に肩の力を抜く。
そして表向きの笑顔を見せる妹に、視線を送った。
(か、カトレア……)
(姉さま?)
(この方は、信用できそうね……!)
どうしてそうなったのか。
一転して、安堵の顔をするソフィー。
餌付け紛いの事をされていると気付いていないようだ。
これが人慣れしていないが故の弊害か。
カトレアは頭を抱えたくなる気持ちを抑え、息を吐く。
(取りあえず……姉さまに外交をさせてはいけないという事が、分かりました)
(!?)
(一先ず、お話を伺いましょう)
元々、洗いざらい吐かないようにするため同席しているのだ。
引っ張られる姉を引き止め、どうにか軌道修正を試みる。
戻されたソフィーも妹に任せるつもりはなかった。
未だに考えの見えないジクバール相手に調子を取り戻し、話し始める。
「あ、有難く頂戴いたします。それで、ジクバール様……ご用件は一体……? 何か私に無礼がございましたら……」
「無礼? いえ、貴方が礼を失した記憶はありませんが……そうですね。突然の来訪ともなると、警戒されるのも当然の事」
彼も身構えられている自覚はあるようだった。
或いはソフィーの事情も、ある程度は知っているのかもしれない。
令嬢とは言い難い、登校拒否をしてしまった人物であると。
「では、ソフィー嬢。単刀直入にお聞きしたい」
ジクバールは一度座り直し、彼女を見た。
視線は洗練された姿も相まって、やけに冷たく見える。
真意を見定めるような瞳が捉える。
「貴方がエリーゼか?」
「ンンッ!?」
不意に鳩尾を小突かれたような、変な声が室内に響いた。




