三話⑬
多少の静けさが戻る、王都闘技場。
シャルロット達との会話の後、ソフィーは一人、場内の控室に向かっていた。
戦いに勝利した、スヴェンに会いに行くためだ。
足取りは重くない。
今の気持ちを分かち合うため、伝えられたかを確かめるため、自然と足が向かう。
「スヴェンさん……こっちにいる筈だけど……」
控室への道順は聞いている。
その通りに進んでいる筈なのだが、一向に目的地が見えない。
時折、会場内に残っていた使用人とすれ違うだけだ。
地図を貰っておくべきだったと、ソフィーは少し後悔する。
本来ならシャルロット達も同行する筈だったのだが、彼女達は身を引いてソフィーを送り出したのだ。
(スヴェンにとって、一番に会うべきは私達ではないわ)
(ボク達は、いつでも会えますから!)
貴族としてのしがらみにも、過去にも縛られることもない。
僅かに明るさを取り戻したシャルロット達は、そう言いたげだった。
そして今のスヴェンに、誰が必要なのかも。
祈りの服を受け取ってくれた彼女に感謝しつつ、ソフィーは自分が認められた事実を噛み締める。
喜びは、確かにあった。
「自信、持っても良いんだよね? って、あれ……?」
精一杯、祝福しよう。
そう思っていたソフィーだったが、通路の先に誰かの気配を感じた。
使用人ではない。
妙に心が騒いだので、曲がり角から覗き込むような形で確かめてみる。
するとそこにいたのは、名の知らない令嬢と、身なりを整え終えたスヴェンだった。
「スヴェン様! 先程の決闘、ずっと見ておりました!」
(え……?)
虚を突かれる思いだった。
スヴェンはソフィーの視点から背を向けていたので、どんな顔をしているかは分からない。
しかし、向き合う令嬢の表情は確かに見て取れた。
明らかに好意的な感情が込められており、思わずソフィーはその場に隠れてしまう。
一体、何が。
状況を呑み込む前に、令嬢の声は届いてきた。
「勇猛果敢で、凛々しく……とても感激いたしました……! 今は、それだけを伝えたくて……!」
「……ありがとうございます」
「スヴェン様が当主に任じられましたその時には、また改めてご挨拶いたします! それでは、失礼いたします……!」
一つの足音が小走りに遠ざかっていく。
聞いていたソフィーは視線を足元に下すだけだった。
胸の鼓動が、耳の奥で聞こえる。
今までとは違う、小さな痛みがあった。
これは、ダメだ。
思わず元来た道を戻ろうとすると、唐突にスヴェンの声が聞こえた。
「何、隠れてんだよ」
「えっ!?」
「頭隠して尻隠さず。バレバレだぜ」
「お尻……!?」
「いや、今のは例えだ……」
力を抜くような声が聞こえ、ソフィーは引っ張られるように姿を現す。
ようやく見えた彼は、ただソフィーを見ていた。
その表情は、何と言えばいいのだろう。
何を考えているのか分からない。
今の出来事に、何を思ったのかも。
ソフィーは歩み寄ったは良いが、そこからの言葉が上手く出てこなかった。
本当は祝福しなくてはならない筈。
喜びを分かち合いたい筈だった。
それなのに、全く違う事を尋ねてしまう。
「今の人……誰ですか?」
「決闘を見に来た、何処ぞのご令嬢だ」
「……お知り合い、ですか?」
「いや、初対面だな」
あっけらかんとスヴェンは答える。
そして何を聞いているんだ、とソフィーは自分に嫌気が差した。
分かっていた筈だ。
妹のカトレアも言っていた。
きっと彼を慕う令嬢は、この先に必ず現れると。
問題児という肩書が外れて正当な当主になれば、敬遠される理由も無くなる。
国防を任され、王宮の出入りを許可されたヴァンデライト家当主。
しかも婚約の予定も聞かないため、注目の的になるのは必至だ。
こうなってしまえば、問題児だったという話すら、美談として片づけられるかもしれない。
そんな取り留めもない事を、ソフィーは考えてしまう。
するとスヴェンは、彼女の様子を見て何を思ったのか。
神妙な面持ちで問う。
「俺に言いたい事があったんじゃないのか?」
「いえ……。別に、何も……」
「……」
「そういう事もあるんだなって、思っただけで……別に……何とも……」
「……本当にそう思ってるのか?」
「え……?」
「そう思ってるなら、俺の目を見て言えばいい」
ハッとしてソフィーが顔を上げると、彼は一歩近づいていた。
今の言葉が嘘だと見抜いているかのように。
離れかけていた心の距離が、縮まっていく。
「ソフィーの本心を聞かせてくれ」
「な、ん……?」
「言ってくれ」
スヴェンの表情は真剣だった。
冗談を言っているようには見えない。
突然の事に、何が何だかソフィーには分からなかった。
やたら押しが強い。
今までの彼とは少し様子が違う気がする。
しかし、それを追求するだけの余裕もない。
彼に言われるがまま、ソフィーはもう一度だけ繰り返そうとする。
「わ……私は……べ……つに……」
半ば意地だった。
嫉妬しているなんて有り得ない。
所詮、令嬢という役目すら放棄した人間だ。
羨む資格なんてない。
それでも目は合わせられなかった。
まるで見透かされている気がして、取り繕うとしていた言葉が塗り潰されていく。
ソフィーは震える声で振り絞った。
「い……いや……」
「……」
「やっぱり……いや、です……」
そんな事、言える訳がない。
本当に、どうしようもない。
恥ずかしくて、死にたい。
ソフィーはあまりの情けなさに顔を熱くした。
決闘の時、あれだけ懸命な声援を送ったのだ。
取り繕った言葉に、意味がない事くらい分かっていた。
そして本心を聞いたスヴェンが、ゆっくりと答える。
「……誤解は解いておくが、さっきのご令嬢とは本当に何もねぇぞ。呼び止められて、ああ言われただけだ。ああいった事はままあるし、気にするモンじゃねぇよ」
「で……でもっ……」
「……」
「さ……最初が、良かった……」
「……何か忘れてねぇか?」
「え?」
「一番初めに声を上げたのは、ソフィーだろ」
ようやく目線を上げると、スヴェンは真っすぐに彼女を見ていた。
「ソフィーの応援はしっかり聞こえた。そのお蔭で、俺は小父さまに勝てたんだ」
「と、届いていたんですか……?」
「あぁ。思い切りのある、良い声だった。見合い話を持ち掛けた時は、まるで借りて来た猫だったのにな。手を引いているつもりで、実際に手を引かれていたのは俺だった」
「……」
「母上の言う通りさ。俺はまだガキだ。昔のことを、今もどうしようもなく引き摺っている。一人で良いなんてカッコつけて、本当はそんな事、望んじゃいなかったのに」
「……スヴェンさんは、一人ではありませんよ」
「そうだとしても……それを教えてくれたのは、ソフィーだ。だから一番で言うなら、他の誰でもない」
「そ……それって……?」
「言葉通りの意味だ」
動揺するソフィーに向け、彼は静かに言った。
更に近づいてきた訳ではない。
心の距離を縮めるような感覚、だろうか。
兎に角、近く感じた。
透き通った瞳と、美麗な容姿が逃げ道を塞ぐ。
彼女の心拍は自覚できる程に高鳴っていた。
「ソフィーにとっての一番は、何だ?」
「……!」
「俺はやっと気付いたんだ。だから教えてくれ。今、ここで」
「あ……」
熱い。
気付くとソフィーは、両手を胸の内で握りしめていた。
良いのか。
本当に、言ってしまっても良いのか。
後悔しないのか。
そんな葛藤は湧き上がるが、自然と流れに呑まれてしまう。
スヴェンの瞳に吸い込まれるように。
言葉を紡ぐため、息を吸いこむ。
その時だった。
「これは……」
「……誰か、来る?」
小さな足音が聞こえてくる。
別の誰かが近づいているようだ。
シャルロット達か、それとも会場の使用人か。
慌ててソフィーは二三歩ほど後退する。
スヴェンも追わなかった。
何事もなかったかのように場を整え、お互いに視線を別の方へと向ける。
だが現れた人物は、二人の予想とは大きく異なっていた。
「姿を見かけたと聞いてきたが、当たっていたか。催しというのも、案外悪くないのかもしれない」
眼鏡を掛けた銀髪の男性。
見るからに貴族然とした、そして王国のそれとは一風変わった服装の人物が、ソフィー達に近づいてきた。
確かな用件があって、此処まで来たようだ。
すると隣にスヴェンがいる事に気付いたのか。
少しだけ態度を固くして、片手で眼鏡を上げる。
「あぁ……今回の勝者もいたのですね。間が悪かった、ですか」
「……貴方は?」
「申し遅れました。私の名はジクバール・ハリウェル。帝国の一代貴族です」
「帝国? 何故、そのようなお方が……?」
僅かに警戒するような声色で、スヴェンが聞き返す。
ソフィーは頭を下げるばかりで、てんで理解できなかった。
何のために、帝国の貴族が闘技場にいるのか。
スヴェンの決闘を見に来たというのなら納得は出来るが、戦いも終わった。
加えて彼に用事があるような様子ではない。
一体誰にと思った矢先、視線がジクバールと合う。
「私の目的はソフィー・リーヴロ嬢、貴方です」
唐突に左ストレートが飛んできて、ソフィーは思わず口元を手で抑える。
どういう事なのか、まるで分からない。
分からないが、彼女は嵐の予感を抱くのだった。




