三話⑫
勝利したスヴェンには最大級の賛辞が贈られた。
元々、王族がこの決闘を許可して開催した事だ。
特等席で見守っていた彼らからは、拍手によって迎えられた。
相変わらず高みの見物しかしない連中である。
挨拶を適当に済ませた後、彼は元いた控室へと戻った。
すると既に先客がいた。
今回の当事者、ピエール・バートンである。
彼は空剣を打ち倒したスヴェンに対して、まくし立てる事はない。
疲弊した様子で、ただ目を伏せるばかりだった。
「ピエール様、これで宜しいですね?」
「……これ以上、セルバリウス様の顔に泥を塗る訳にはいかない。……約束しよう。今後一切、お前達の行動には口を出さないと。王家も、それを了承したのだからな」
「ありがとうございます」
「だが、忘れるな。俺と同じく、貴族の名誉を重んじる者は幾らでもいる。それを顧みないままでは、いずれ俺と同じようなヤツが現れるぞ」
「ご忠告、感謝します。私も、無謀な真似は致しません」
互いに王家に向けて文書を送った通りだ。
その中でピエールは、貴族への敬意だけは忘れるなと、一つだけ忠告をする。
彼なりの親切心、なのだろうか。
問うつもりはスヴェンにはなく、またピエールも長居する気はなかったらしい。
無言のまま彼の横を通り過ぎ、背を向けて出口へと向かう。
そして去り際の寸前、小さく呟く。
「……俺は思い違いをしていた」
「……?」
「貴族としての責務。そう言っておきながら、あの時お前に食って掛かったのは……体裁でも何でもない。彼女に真っ向から対立したことが、堪らなく悔しかったんだ」
「彼女……あの、クライトネス公爵の?」
「もう終わった話だ……。俺はお前以上に、私情に拘っていたのかもしれない……」
ゆっくりとした足取りで、ピエールは部屋を出て行く。
息を荒げていた今までとは雲泥の差だ。
憑き物が落ちた、というべきか。
彼も同じように、あの頃に囚われ続けていたのかもしれない。
そうスヴェンが思っていると、すれ違う形でセルバリウスが控室に足を踏み入れた。
敗北した身でありながら、その佇まいは以前と変わりない。
気配を察知したスヴェンは驚きながらも振り返る。
「今回の一件、彼には良い薬だったでしょうな」
「セルバリウス様……! お身体の方は……!?」
「問題ありませんよ。久しぶりの痛みに古傷が疼いた。それだけの事です」
セルバの身体には、手当てを受けた跡が残っていた。
幾ら殺傷力を抑えられた特殊剣とはいえ、あれだけの激戦だったのだ。
立っているのも辛いだろうに、全くその片鱗を見せない。
そしてわざわざスヴェンの元に来たのには、理由があるようだ。
歴戦の老兵は若き戦士に向けて、好々爺な笑みを見せた。
「これで貴方は、正式にヴァンデライト家の当主として認められるでしょう」
「しかし、空剣の称号は……」
「安心なさい。この程度で傷がつくものではありません。それに名誉とは誇るものではなく、利用するもの。陛下も、ご理解なされていますよ」
「国王陛下が?」
「今回の決闘……王宮の守りが、僅かに手薄になる事を見込んだ上でのもの。混乱に乗じて、水面下で不審な影が動くやもしれない。私達は、それを待っていたのです。そして哀れにも、釣り餌を食った者がいた」
目を丸くするスヴェンに、セルバは一枚の書簡を取り出した。
そこには内容を読み取られないように記された暗号文が、綴られている。
国王親衛隊のみが取り扱う秘文だ。
スヴェンですら解読できないものだったが、その内容はある程度察せられる。
「先程、私の部下達から連絡がありました。妙な動きをする不審者を一人、拘束したと」
「……まさか、始めからそのつもりで?」
「これは副産物ですな。本来の目的は貴方。勿論、戦いは全力でしたよ。剣に疎いバートン家では意味がありません。その道の、確かな称号を持つ者でなければ、戦いを知らない貴族達には伝わらなかった筈です」
「相変わらず、食えない人ですね……」
「食った獲物を喰らうのが、私の仕事なので」
セルバが白い歯を見せ、スヴェンは苦笑する。
結果的に彼と戦うことにはなったが、そこに意志のぶつかり合いはない。
元々、お互いに考えは似通っていたのだ。
栄光も権利も誰かのために使い、利用する。
勝ち誇るようなものでもない。
それを実感し、スヴェンは少しだけ安堵する。
するとセルバがふうっと息を吐き、肩の力を抜いた。
「しかし、寂しくなりますね。もう、小父さまとは呼んでくれませんか」
「えっ……? そ、それは……」
「ははは、冗談です。貴方は、貴方を支えてくれる人の所へ行きなさい」
ほんの僅か、セルバの素の表情が見える。
かつて父に稽古を受けていた時、横で微笑ましそうにしていた大師匠の姿。
彼もまた、大切な人を支えようとしていたのかもしれない。
そして、今を支えてくれる人。
誰の事を言っているのか、スヴェンは理解していた。
外に出る事すら拒んでいた少女の、懸命な声援。
自分の意志を一人で通してきた彼にとって、それがどれだけ得難いものだったのか。
分かっていたからこそ、セルバに頭を下げる。
「……ありがとうございます。それに安心して下さい」
「ん?」
「私は小父さま以上に長生きをする。そう心に決めていますから」
もう決心はついた。
若き当主の言葉を聞き、セルバは目を伏せて笑うだけだった。
●
歓声の中、決闘は幕を閉じた。
戦いに満足した貴族達や一般庶民が、次々と会場を去っていく。
これでスヴェンの当主の座は、確たるものとなった。
もう彼がやっかみを受ける事も無いだろう。
人混みに揉まれる気はなく、ある程度の静けさが戻ってから、ソフィー達は席を立つ。
勿論、このまま帰る気はない。
勝利したスヴェンを迎えたい。
そんな思いもあって、彼女達は出口とは違う方向へ歩き出す。
すると道の先に、一人の女性が立っていた。
ぼうっとした様子はなく、自分の意志で二人を待っている。
ハッとしてソフィーが帽子を取ると、気付いたアルベルトが声を上げた。
「お母さま! やっぱり来ていたんですね!」
「……アルベルト、貴方まで来る必要はなかったのよ?」
「お母さまがいると思って! 行かないわけにはいきません!」
「全く……仕方のない子……」
「兄さま! 勝ちました!」
「そうね……勝ったわね……」
シャルロットは、駆け寄るアルベルトの頭を優しく撫でる。
抑揚の少ない声からは、喜んでいるのかどうかは分からない。
それでも、無事に会えたことへの安堵だけは垣間見えていた。
するとおもむろに彼女は、ソフィーに向けて口を開く。
「ソフィーさん。私は、貴方に感謝していたのよ」
「えっ?」
「学院時代、あの子を問題児にしてくれたから」
感謝、と言いつつ寂しさが残る声色が響く。
「貴族としての責務や権威から逃れれば……この子達と何処か遠くへ行ければ……。そう思っていたのよ」
「……」
「分かっているわ。そんなものは無責任。以前の掃討戦後、今でこそ外の脅威は減ったけれど……ヴァンデライト家が無くなれば、再び多くの民が怯え惑うかもしれない。だから私は、今もヴァンデライトの人間として、母親としてしがみ付いている」
今までソフィーは不思議に思っていた。
スヴェンが見合いの手紙を送った初めの時、何故母親であるシャルロットが許可を出したのか。
相手は引きこもりの令嬢、ヴァンデライト家の相手は務まらない。
普通に考えるなら拒絶する所だ。
それを見て見ぬ振りをしたのは、今語った思いが関わっているのだろう。
貴族の権威と、家族の愛情との板挟み。
ソフィーには残念ながら返す言葉がない。
当然だが、彼女も返答を期待していたつもりはないようだ。
アルベルトの頬に触れながら、ゆっくりと息を吐く。
「でも、もうその必要もないのかもしれないわ」
「それは……?」
「スヴェンは決闘に勝利した。正式に当主として認められるでしょう。それにアルベルトも大きくなったわ。自分の考えを持って、行動できるようになった。貴方にはまだ分からないかもしれないけど、子供はいずれ、親元から巣立つものなのよ」
それは自分が身を引く、といった意味だった。
スヴェンが当主となれば、母親であるシャルロットにすべきことはない。
貴族としての体裁、ルールを重んじるなら、隠居という言葉が相応しい。
いつまでも子供でいる訳にもいかず、親でいる訳にもいかない。
諦観のような感情が零れる。
だが本当にそれで良いのか。
ソフィーは考える。
当然、彼女もある程度の事情は知っている。
先代当主、レイヴン・ヴァンデライトの事も。
故に今まで踏み込まなかったし、その事情に口を挟むのは無礼なのかもしれない。
しかし、それでも彼女は自分が此処までに辿り着いた、一つの考えを口にする。
「でも……きっと一人は、寂しいと思います」
「……」
「アルベルト君も、そうだよね?」
一人で閉じ籠っていたからこその言葉を伝える。
そしてそれは、彼女だけの問題ではない。
ソフィーはアルベルトに問いながら、紙袋を手渡した。
母のために直してほしいと願った、祈りの服。
閉じ込めるままではなく、外に連れ出してほしい。
日の光を浴び、共に歩いてほしい。
皆、それを願っていた筈だ。
アルベルトは紙袋を受け取り、一度頷いてシャルロットに差し出す。
「お母さま! この服、そふぃーさんが縫ったんです! ボクも一緒に見てました! だからっ……!」
「アル……」
「だから……! お母さまも一緒に……!」
彼女は拒絶しなかった。
アルベルトから差し出された紙袋を、確かに受け取る。
一歩踏み出す。
だからこそ、だろうか。
修繕された祈りの服を見て、少しだけ俯く。
「……涙なんて、とっくに枯れたと思っていたわ」
闘技場の残響の中で、震える声だけが微かに聞こえた。




