三話⑪
『貴方のお父さまは、とても優秀な方でした』
『とても名誉な事です。彼は我が国の誇りです』
かねてより耳にする称賛の声。
それらの声は、スヴェンにとっては雑音に等しかった。
何が名誉。
何が誇りか。
そんなものに価値などない。
自分達を置いて行った事実に、どんな栄光があるというのか。
憐れんでほしかった訳ではない。
悲しんでほしかった訳でもない。
ただ、それが素晴らしい事だと片付けられたことが、どうしても許せなかった。
スヴェンは貴族を嫌った。
貴族としての仕来りを、在り方そのものを憎んだ。
学院時代の彼は、そのために荒んでいた。
言動も粗暴なものへと変わり、誰とも交友関係を結ぶことはない。
ある種の意地、だったのかもしれない。
それは次第に、他の令息令嬢から恐れを抱かせるようになった。
そんな時だった。
彼が落ちていた刺繍道具を拾ったのは。
『ご覧なさい、あの子を』
『一人でコソコソと……まさかあれで、深窓の令嬢気取り?』
『なんて陰鬱な……気品の欠片もありませんわね』
その少女は孤独に見えた。
自分とは違って意地になっている様子はなく、ただなるべくしてそうなった。
そんな雰囲気を感じさせる。
然程、興味はなかった。
刺繍の才能は感じられたが、落とし物を拾っただけの話。
それ以上に近づく気は、当初のスヴェンにはなかった。
だがその後、彼女が他の令嬢に押し潰されたと聞いた時。
貴族らしさ、というものの悪辣さを知った時。
スヴェンは、元凶となった令嬢達に立ちはだかった。
『お前か? 下らねぇ事を言った女は?』
相手が名の知れた公爵令嬢だろうが、関係はない。
自分に嘘は付きたくない。
それだけだった。
だからこそ、彼は彼女を連れ出した。
塞ぎ込む必要はない。
自分の力を信じて胸を張れば良いと、教えるために。
そして今、この決闘も同じだ。
スヴェンは後悔していなかった。
ピエールの挑発を買ったことも、学院での言動も、敬愛する父への憧れも。
何一つ間違いではない。
別に誰にも理解されなくて良い。
ただ、それを貫き通す。
そうでなければ、今まで自分がしてきたことが全て無駄になってしまう。
だからスヴェンは、例え一人孤独になろうとも――。
「スヴェンさーーーーん! 負けないでーーーーーっ!!」
か細い、少女の懸命な声援。
その声を聞いて、戦場のスヴェンが目を見開く。
彼だけではない。
観客席にいた人々も、俄かにざわつき始めた。
「なぁに? 今の声は……?」
「ご覧なさい……あの子よ……」
「戦いの最中に私情を挟むなんて、何て礼儀知らずな……!」
「待ちなさい。あの子は確か、リーヴロ家の……?」
視線が徐々に、ソフィーの元に集まっていく。
決闘の選手を応援すること自体は禁止されていない。
しかし純粋に戦いを楽しむ者達にとっては横槍、無粋な介入に近い。
それでもソフィーは叫ばずにはいられなかった。
絶対に負けてほしくない、その一心のために。
しかし後は羞恥心が沸き上がるばかりで、どうにか帽子を被り直し、周りからの視線を防ぐだけだった。
辺りは見回さない。
わざわざ観客達の視線を見る必要は何処にもなかった。
だが、確かにそこにあった。
自身が連れだした少女が、必死に声を上げた事実が。
一人で戦っていたスヴェンの口元が、次第に緩む。
「ったく……人に酔って、へばったのかと思ったじゃねぇか」
ソフィーが自ら外へ歩き出し、声を張り上げた。
それこそ、嘘偽りのない自分自身の思い。
スヴェンの望む、名誉や栄光の先にあるものだ。
その思いを無駄にすることは出来ない。
たとえ目の前の相手が、かつての父を超える剣士であっても。
「負けられる訳、ねぇだろ……!」
迫り来るセルバの斬撃を受け止める。
何度目かは分かったものではない。
それでも今までよりも力強く、その一閃を防ぎ切る。
セルバは彼の異変に気付き、少しだけ片眉を上げた。
「……笑っているのかね?」
「少し、軽くなったので」
スヴェンはそのまま剣を薙ぎ払い、セルバの猛攻を押し返す。
そして更に、その場から一歩下がった。
逃げの後退ではない。
剣を鞘に納め、その柄に手を添える。
見慣れない構えに観客達は戸惑いの声を上げるが、セルバは彼の意図を理解する。
「東洋の剣術、居合かね。この国では見ない型だが……やはり、若いな」
「……」
「だが、面白い」
スヴェンはこの一撃に全てを賭けるつもりのようだ。
だからこそ、セルバは応じる。
傍から見れば、わざわざ付き合う必要はないと思うかもしれない。
だが『空剣』と呼ばれた自らの称号が、退くことを許さなかった。
正面に剣を構え、芽吹こうとしている力に相対する。
「……!」
一瞬の静寂の後、スヴェンは動いた。
緊迫した雰囲気はなく、未だ僅かに笑みを浮かべる。
今の彼はセルバと戦っているのではない。
もっと上。
自分の意志と、それを後押しする力に身を任せているだけだ。
何もかもを越えた感覚。
偶然にも、戦士として辿り着くべき境地に至ったのかもしれない。
地を蹴り、剣を鞘から抜き、そのまま薙ぎ払う。
剣は受け止められたが、拮抗は僅かに数秒程度だった。
思いが伝播するように。
払った剣は、そのまま横薙ぎに払い切られる。
「ま、まさか……!?」
誰が呟いたのだろう。
観客達の前で広がっていたのは、あの『空剣』が揺らぐ姿だった。
国王親衛隊の主力。
その剣術で今も尚トップに君臨する男の身体が、崩れ落ちる。
そうして後方の地面に突き刺さったのは、破壊された特殊剣の残骸。
仰向けのまま地に倒れたセルバは、受け止めきれずに破損した己の剣を見て、ただただ苦笑する。
「ふ……やはり、面白い……」
技術も練度も、明確な差があった。
たが、力で押し込まれた。
若さという力、誰かを思い、誰かを信じ続ける初々しい信念。
ゆっくりと瞼を閉じたセルバは、かつての光景を思い浮かべる。
(師匠! 貴方が後ろを守ってくれる限り、オレは安心して戦える!)
(今度またパーティーをしましょう! シャルロットや、息子達も交えて! 勿論、お酒は抜きにして、ですけどね!)
(もしオレが帰れなくなった時……師匠、後を頼みます……)
愛弟子の姿。
あの光景は確かに眩く、剣に生き続けた自分にはないものだった。
そして今、その姿を息子のスヴェンが背負っている。
いや、背負っているのは彼だけではなかったのだろう。
先程僅かに聞こえた少女の声に、セルバは満足そうに小さく呟いた。
「レイヴン……もう、大丈夫ですよ……」
直後、アナウンスが会場に鳴り響く。
『そこまでッ! 勝者、スヴェン・ヴァンデライトッ!!』
一斉に観客席から歓声が上がった。
不利な状況からの逆転勝利は、会場を大いに沸かせた。
互いに全力だったことは誰の目からも明らかだった。
その勝利に疑いを持つ者はいない。
アルベルトも思わず席から立ち上がった。
「兄さまっ! やった! 兄さまが、勝ったんです!!」
「は……ぁっ……!」
「そふぃーさん!?」
喜びも束の間、ソフィーは立ち上がる事すら出来ず、その場に蹲った。
両手が震える。
自分が戦っていた訳でもないのに、呼吸が乱れる。
叫んだ時の動揺が収まっていないのだろう。
色々な感情が溢れかえり、彼女の頬に一筋の涙が伝った。
「良かった……本当に、良かったっ……!」
そんな中、沸き上がる観客席から離れた物陰に一人。
シャルロットが闘技場内を俯瞰していた。
腕を組んだままの彼女は何も言わない。
ソフィー達の元に駆け寄る事もない。
悲しげな表情で、剣を掲げ勝利を示すスヴェンを見つめていた。




