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三話⑩

「日差し、眩し……人、多っ……」

「大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫。酔い止めは飲みましたし、気分は悪くないので」


アルベルトの問いに頷きながらも、ソフィーは人が行き交う難所を進んでいく。

決闘当日。

どうにか王都にやって来たものの、人の数はリーヴロ領の街以上に溢れていた。

決闘が行われる事が関係しているのだろうか。

観光客や地元の人々、種類は様々。

予想を遥かに超えて混み合っており、馬車からの視界でも向こうの地面が見えない程だった。

そんな訳でこの闘技場に辿り着くのも一苦労だったが、辛抱強く酔いに堪える事で、どうにか開始前に会場内へ着くことが出来た。

座席に関してはヴァンデライト家の従者が既に手配したようで、ソフィーの分まで用意されているらしい。

彼らに感謝しつつ、同じ目的でやって来た人々に対して日差し除けの帽子を深く被り、専用の区画へ案内される。

流石に貴族としての身分のためか、座席も含めて周囲の設備は華美なものだった。

正直な所、居心地が良いようには見えない。

それでもどうにかアルベルトと共に席に着くと、既に今か今かと待っている人々から、話し声が聞こえてきた。


「まさか、ヴァンデライト家の御子息が決闘を行うなんて……」

「王家の方々も、下らない派閥争いに終止符を打つつもりなのでしょう」

「今回の戦いは格式ばったものではない、戦場を知る者同士の戦い……! 久々に気分が高揚しますわ……!」


今回の決闘は訳が違う。

時折この闘技場では剣闘士が戦いを行っているようだが、王家の意向で生死に関わる血生臭い戦いは禁じられていた。

誰も本当の戦いを知らない。

だからこそ、噂を知った貴族が足を運んでいるようだ。

よくよく見てみると、周りの服装は上流階級に位置する派手な刺繍が縫い付けられている。

しかし残念ながら、ソフィーに周りを見渡すだけの勇気はなかった。


「学院の同級生もいるかも……あまり目立たないようにしなきゃ……」


かつての顔見知りがいないとは限らない。

仮に目が合えば、気まずいというレベルではない。

この区画は屋根もあり日差しも届かないのだが、彼女は未だに帽子を取れずにいる。

代わりにアルベルトが忙しそうに視線を動かしていた。


「お母さま、何処にいるんだろう?」

「……これだけ人が多いと、見つかりませんね。でも、必ず見ている筈です」

「……」

「大丈夫。今はあの方と同じ、スヴェンさんの勝利を信じましょう」

「わ、分かりました……!」


今のところ、シャルロットは見当たらない。

別の場所に身を隠しているのか、それとも当てが外れたのか。

今はただ、彼女の意志に任せる以外にない。

アルベルトを元気づけつつ、祈りの服が入った上質な紙袋を握り締めると、喧騒を裂くようにラッパの音が鳴り響いた。

決闘の合図である。


『これより、ヴァンデライト家の当主選定決闘を執り行います! 両者、前へ!』


ソフィーが思わず肩を縮めていると、決闘の舞台に現れる者がいた。

一人は、スヴェンである。

戦場で用いる軍服と外套を着こなし、普段よりも重々しい雰囲気を放っている。

学院時代の頃と同じようなものを感じ取る。

対する相手は、騎士服を纏った初老の男性だった。

年老いた姿でありながら、出で立ちは明らかに精錬されている。

その姿は、ソフィーも一度だけ見たことがあった。


「スヴェンさん……! と、あの方は……」

「セルバの小父さま!?」

「えっ、ご存知なのですか?」

「はい……昔はよく遊んでくれて……。でも、どうして……?」


アルベルトは彼を知っている。

物心ついた頃にあった、父の面影を持つ老人。

そんな人物が兄の相手であると知り、彼は不安そうな顔をする。

当然だがソフィーには、その事情は分からない。

彼女もまた、息を呑んで見守るしかなかった。


闘技城内に歓声が響き渡る中、スヴェンは目の前の相手だけを注視していた。

ソフィー達が会場にいるか探りたい思いもあったが、そんな余裕はなかった。

この老人、セルバリウスは気を抜ける男ではない。

王家に探りを入れた間者に対し、後日彼がその断片だけを持っていたという話もある。

ピエールのような、戦いを知らない雑魚とは違う。

一片たりとも隙は見せられなかった。


「スヴェン君、君には苦労ばかりかけるね。本来ならば、こういった形で手合わせはしたくなかったのだが……」

「いえ、全ては私が至らないばかりに起きた事。その始末は私自身の手で拭います。セルバリウス様、昔のように手加減をして頂く必要はありません。全力を以って、貴方を倒します」

「……懐かしい目だ。まるで君の父を思い出すよ」

「……」

「では、私も全力で応えるとしよう」


和やかだったセルバの目が、少しだけ鋭さを見せる。

互いに持つのは一振りの剣。

どちらも同じ形状、同じ材質の武器なのだが、そこには明確な差があるように思えた。

培ってきた経験の差、地力の差か。

ゆっくりと剣の柄に手を触れると、開始の合図を伝える審判の声が響いた。


『武器は互いに両面が峰である、特殊剣を使用する! この剣を失う、或いは双方どちらかが倒れた瞬間、敗北とする! では……!』


今までの喧騒は一瞬にして静まり返る。

そして僅かな時間と共に、周りの緊張が膨れ上がった瞬間。


『始めッ!』


審判の声が場を制し、同時に甲高い金属音と風圧が巻き起こった。


「きゃっ!?」


身構えていなかったソフィーが小さい悲鳴を上げる。

何が起きたのかと、もう一度目を凝らしてみる。

再度沸き上がった観客たちの声と共に見えたのは、既に鍔迫り合いの形で相対する二人の剣士。

セルバが首に向けて放った一閃を、スヴェンが受け切った姿だった。


「最近は一撃で頸を落とすばかりで、こうした鍔迫り合いも久しい……」

「……!」

「少し、楽しくなってきましたね」


僅かな笑みを浮かべるセルバに対して、スヴェンの表情は固い。

そして一瞬の間の後、剣と剣の応酬が始まった。

まるで見えない。

素人のソフィーには、それらの動きが追えなかった。

風圧は相変わらず観客席まで届き、目を開くのもやっとだ。

しかし周りの観客達は、そんな状況を恍惚とした表情で見つめていた。


「あぁ! 何て風圧と剣戟なの! これが戦場の気迫なのかしら!」

「最近の決闘はつまらないものばかりだったから、本当に新鮮だわ!」

「これが真剣だったなら、もっと楽しめたでしょうに! 残念でなりませんわね!」


自分の思いとはかけ離れた言葉の数々に、ソフィーは振り返った。

そして彼女らの様子を見て思い知る。

此処にいる観客は、スヴェン達ではない別のモノを見ている。

皆が望むのは戦いそのもの。

スヴェン達が何のために戦っているのか、気にしている様子がなかった。


「皆、この戦いをただ楽しんでいるの……?」


貴族が自ら戦いに出る事はない。

あるのは国境を持ちながら、脅威となる勢力を抑えているヴァンデライト家くらい。

そのため彼らは戦いそのものを、一つの娯楽として見出している。

それ故の闘技場だ。

戦場は対岸の火事。

仮にどちらが勝とうが負けようが、ヴァンデライト家そのものが途絶えない限り、構うことすらないのだ。


「ヴァンデライトが退いたぞ!」


誰かが叫び、ソフィーはもう一度視線を戻す。

すると激しい剣戟に対して、スヴェンが数歩後退するのが見えた。

セルバはそれ程の難敵なのか。

直後、彼はその場で大きく剣を薙ぎ払った。

それによって生まれた風が土煙となり、セルバごと戦場へと充満する。

視界を奪う気なのかもしれない。


「土煙!?」

「ちょっと! 何も見えないじゃない!」

「戦っている所が分からないでしょう!? 何とかしなさい!」

「こんな状態で決着がつくなんて、私達は認めませんわよ!」


観客達からは批難多数だったが、そんな事を気にしていては戦いにもならない。

彼はそのまま土煙の中へ飛び込み、セルバに奇襲を仕掛けた。

剣が打ち合う音だけが、晴れていく土煙の中から聞こえる。

しかし、思うような有効打は与えられなかったようだ。

セルバは視界を遮られた中で、スヴェンの剣を全て受け止めていた。


「視界を奪うのは良い策でしたが、それは君も同じこと」

「ッ……!」

「寧ろ経験が生きる分……私に利がある」


怯んだ彼に向け、セルバが剣で薙ぎ払う。

舞っていた土煙が一瞬で晴れ渡り、見えなかった二人の姿が現れる。

すると反撃の剣が掠ったのか。

スヴェンの額から僅かに血が流れているのが見えた。


「兄さまっ!」


思わずアルベルトが声を上げる。

そこには確かな焦燥の色があった。

他の者達も同じだ。

皆も勝敗が傾いてきていることを悟ったのかもしれない。

小さい話し声が、拒む間もなく耳に入ってくる。


「やはり、空剣相手には厳しいか?」

「いいえ! まだよ! このまま押し切られて終わるなんて、つまらないわ!」

「何でも良いの! せめて一矢報いて頂戴! そうでないと、わざわざここまで来た意味がないわよ!」


剣戟は今も尚、続いている。

だが周りから感じるのは、戦いが終わりに近づいている事への未練だけだった。

これが貴族。

第三者として傍観できるからこその心理か。

ソフィーはもう一度、祈りの服が入った紙袋を握った。


「誰も応援なんてしてない……。誰が勝っても、良いんだ……」


スヴェンが負けても、継承権はアルベルトに向かう。

そして彼が成人するまで、実母であるシャルロットが代行として取り上げられる。

自分達には何の関係もない。

周囲の考えはそんな所だろう。

だがソフィーは違う。

ヴァンデライト家で過ごした彼女に、そんな事は思えなかった。


「私はっ……あの人に……!」


自然と、ソフィーの口は大きく開けていた。

これだけの剣術の嵐、歓声の中だ。

聞こえるか分からないし、届く自信もない。

それでも彼女は息を吸いこむ。

ただ、自分の思いを伝えるために。


「すっ……! ぁ……! ッ……!」


声が掠れて、言葉が詰まる。

無茶なことをしていると、身体が拒否反応を示しているかのようだった。

だが、構うものか。

ソフィーは振り払う。

そうでないと伝わらない。

無茶をしないと、踏み出さないと、自分の気持ちなんて届かない。

周りの人とは違う。

貴方に勝ってほしい、それだけを願っているのだと。


「スヴェンさーーーーん! 負けないでーーーーーっ!!」


一人の少女の声が、辺りに響き渡った。

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