表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

21/43

三話⑨

服の修繕に取り掛かって以降、ソフィーが手を休めることはなかった。

構想していた刺繍の柄を、針と糸に乗せる。

ヴァンデライト家の従者からは、あまり気負いせずにと言われたが、それでも彼女は懸命に縫い続けた。

拾い上げた自身の力で、解れた穴を縫い直す。

それが今出来る、精一杯だったからだ。


残念ながらソフィーは、ヴァンデライト家の事情に詳しくない。

国境がどれ程のものなのか、どんな危険を背負っているのか。

今までスヴェンは、一切話そうとしなかった。

だからこそ聞き出そうとは思わない。

自分が知っているのは、あくまでスヴェンという一人の青年だ。

口調はこれ以上ない程に粗暴だが、家族を思う心優しい人物。

それでいてお節介な所もあり、時折からかいもする、そんな人。


シャルロットは彼ら兄弟を見て、何を思ったのか。

分かりはしないし、分かろうとすること自体が無粋だろう。

だがソフィーに見えたのは、過去の自分。

仲違いをしていた妹のカトレアとの関係だった。

あのままでは、いつか溝はどんどん深まり、手の届かない場所へ遠ざかってしまう。

そんな気がした。

故に、手繰り寄せる。

自分がそうだったように、今だけは後ろを振り返らない。

代弁するように、彼女は糸を紡ぐ。


「出来た……!」

「……む、むにゃ?」


安堵の声を上げたのは、翌日の事だった。

隣でうたた寝をしていたアルベルトが、彼女の声を聞いて目を覚ます。

彼の目に映ったのは、完璧に修繕された祈りの服だった。

両翼は輝きを取り戻し、頭を上げていた花々に力が宿る。

過度の装飾は加えていない。

明確な端役は必要なく、栄光や栄誉は枷でしかない。

藍色の服と同色の、僅かなフェアアイル。

そこから浮かび上がる元来の色の花々。

祈る者、それを支える者たち。

それが修繕された刺繍の姿だった。

息をついたソフィーに、アルベルトは喜びの声を上げる。


「そふぃーさん、凄いです! キラキラしてます!」

「そ、そうかな?」

「はい! ボク、あまり昔の事は覚えてないんですけど、昔に見たこのお洋服と同じくらい、輝いてます!」


明るい様子で太鼓判を押してくる。

確かにソフィーの観点からも不満な点はない。

間違いなく、よく縫えたと言える代物だ。

ただシャルロットに伝わるかどうか、気掛かりでならなかった。

するとアルベルトが早速、ソフィーの手を引く。


「早速、お母さまにお見せしましょう!」

「……」

「そふぃーさん?」

「……分かりました」


勇気を奮い立たせ、顔を上げる。

今更になって臆病になった所で仕方がない。

スヴェンも着るか否かは本人の意志に任せると言っていた。

自分が出来るのは、手渡す事まで。

彼女が何処にいるのか、ソフィー達はヴァンデライト家の従者に尋ねることにした。

しかし間もなくして、その従者は慌てた様子で二人の元に戻って来た。


「あれ? どうしたんですか? お母さまを呼びに行った筈じゃ……」

「それが……! シャルロット様が見当たらないのです……!」

「えぇっ!?」


朝食を終えた後、シャルロットは自室に向かった筈だが、中はもぬけの殻だったらしい。

加えて側近の従者もいない。

庭園にいるのかと思ったが、それも違うようだ。

屋敷はおろか、この敷地内に姿が見えないという。

どうやら殆どの者に事情を隠したまま行動している。

暫くして屋敷の従者が、馬車が一つ無くなっている事に気付いた。


「恐らく、屋敷の外に出られたのかと……」

「そんな……お母さま、今まで外に出なかったのに……」


ここ数年、シャルロットは敷地から一歩も出ていない。

スヴェンが次期当主として王族に認められた事から、それは顕著になったようだ。

自分の役目を果たし終えたためか。

一部では、元いた実家に戻ることも提示されていた。

そんな彼女は何処に行ったのか。

修繕した祈りの服を手にするソフィーは、皆が混乱する中、一人思い立った。


「私達も追いかけましょう!」

「お母さまが何処にいるか、分かるんですか!?」


アルベルトが驚く。

当然、彼女が何処に行ったのかなど知る由もない。

痕跡も殆どないので、全ては憶測でしかない。

だが一つの予感があった。


「根拠はありません。でも、分かる気がするんです。私も……手を引いてくれた、あの人のために何かを返したい……そのために、此処に来たから……」

「……!」

「行きましょう! スヴェンさんのいる……王都の闘技場へ……!」


きっとシャルロットも、あの場所にいる。

ソフィー達は祈りの服を手に、王都を目指した。







決闘当日。

開始まで残り僅かといった時。

スヴェンは既に闘技場の控室で、ソファーに座り気を静めていた。

誰もいない一室で一人、目を閉じて静寂に身体を預けている。

するとそこへ別の者の気配が近づいて来る。

扉を開けて現れたのは、神妙な顔のピエールだった。

今までの不遜な態度と違い、荒々しい雰囲気もない。

瞼を開いた彼は、顔を向けることなく声を掛けた。


「……ピエール様、横槍とは感心しませんよ」

「私も、貴様の顔など見たくもなかったがな……」

「随分と落ち着かれたご様子。セルバリウス様のお言葉が、身に染みたようですね」

「チッ……! 相変わらずの減らず口を……!」


一瞬だけ元の調子に戻る。

協力者だったセルバの一声は、それだけ強い意味があった。

スヴェン自身も彼から取り立てられ、仮の次期当主として椅子を用意された。

そこらの下手な貴族よりも発言権はある。

彼からの忠告は、警報のようなものだ。

先代の努力を無に帰すような真似は、流石のピエールでも出来ないのだろう。

それでも一定の距離を保ったまま、彼は背を向けるスヴェンに向かう。


「だがどうしても、問わねばならない事がある。お前が無様に敗北する前にな」

「何か?」

「何故、お前は誉れを良しとしない? 何故、名誉を遠ざける?」

「……」

「答えろ! スヴェン・ヴァンデライトッ!」


ピエールは右手で払うような動作をしながら問い質す。

貴族として、という今までの名目ではない。

彼自身の個人的な怒りが滲み出ていた。


「貴族にとって、名誉とは何物にも代えがたいもの! 名誉あってこそ、民は我々貴族を羨望し、畏怖し、その背中を見上げるのだ! だというのに、貴様はッ……!」

「……」

「学院の時からそうだ! 貴様は貴族そのものを遠ざけていた! 私はそれが我慢ならなかった! 普段の言動ばかりではない! あの時! 彼女を問い詰めた時もッ……!」

「……」

「何故、あんな女のために! 先代達が築き上げてきた名誉を傷つける!?」


これだけピエールが固執する理由は、スヴェンも薄々気付いている。

彼は貴族であることに誇りと名誉を感じる男だ。

人の上に立つには、認められるだけの証がなくてはならない。

貴族として成り上がった者達は、皆そうやって王家から認められ、その称号を与えられた。

しかし、スヴェンの在り方は歪だった。

証や名誉は二の次、三の次。

同じ学院の令息令嬢を毛嫌いしていた節すらある。

それ故に、あの粗暴な態度。

それがピエールには我慢ならなかったのだろう。

ソファーに座っていたスヴェンは、ゆっくりと立ち上がった。


「ピエール様。貴族として見るならば、貴方の考えは正しいのかもしれません」

「……!?」

「ですが私は、自分に嘘は付きたくないのです」


振り返ったスヴェンの瞳には、力が宿っていた。

そこにある意味に気付いたのか、気付かなかったのか。

ピエールは真っ向から視線を合わせる。


「名誉と栄光のためならば、幾らでも嘘を重ねる。それが上流階級の、貴族というものだろう?」

「やはり……お互い相容れませんね」

「そのようだな。胸を撫でおろしたい気分だ」


先に視線を降ろしたのは、どちらだったのか。

互いに受け入れられないものから目を逸らす。

もう会話は必要ない。

ピエールも長居する気はなく、そのまま控室を去ろうとする。

しかしその去り際に彼は、スヴェンを指差した。


「貴様の正しさを証明するためにも! せいぜい惨めに負けると良い! 生涯の恥辱として、この目に焼き付けてやる!」


それだけ言って、ピエールは去っていった。

嵐が去ったように、一室には静寂が訪れる。

結局の所、根本が違う。

二人が分かり合うことはないのだろう。

ただ、以前ほどの怒りはない。

彼の言い分を聞いたスヴェンは、軽い溜め息をつく。


「ったく、どこまでもしょうもねぇ奴だ」


もう直ぐ、試合が始まる。

刻限を悟ったスヴェンは、そのまま部屋の隅へ歩き、掛けられていた外套を羽織った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ