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三話⑧

翌朝。

シャルロットは自室のベッドにて、眠りから目を覚ました。

ただし目を見開かせるような、陽の光はない。

自室の窓は、カーテンによって全て締め切られているからだ。

光は届かず、薄暗い空気が流れるばかり。

彼女は意に介していなかった。

寧ろ光を求めず、静観を望む。

それが何年も前から、彼女が望んだ日常の風景だった。

だが、それでは何も変わらない。

日常にあるのは日常だけ。

昨晩に起きた、息子達との会話を思い出す。


「……止まっているのは、私だけなのかしら」


閉められたカーテンに歩み寄り、その端を握り締める。

かつてと同じように光を、栄光を目にするため。

送り出すために。

だがその腕は動くことなく、遂には力なく垂れ下がった。


「それでも……私には……」


シャルロットはただ、俯くだけだった。







朝日が屋敷全体を包み込んだ頃、既にソフィーは祈りの服の修繕に取り掛かっていた。

場所は以前、スヴェンと一緒に縫ったこともある裁縫室。

刺繍道具を荷物に忍ばせていたのは幸いだった。

その他、必要な材料はヴァンデライト家の御厚意により用意される。

問題はない。

ボロボロになった祈りの服を手にして、彼女は針を差し込んだ。

指は淀みなく動く。

かつての頃よりスピードも上がっている。

少しは成長できているという事だろうか。

今更だがソフィーはそう思いつつ、小さな穴を次々と修繕していく。

すると傍で見ていたアルベルトが覗き込んできた。


「そふぃーさん! ボクも縫いたいです!」

「アルベルト君には、まだ針は危ないのでダメです」

「え~っ」

「もう少し大きくなったら、習えるようになりますよ?」

「じゃあボク、頑張ってそふぃーさんより、大きくなります!」


今まで彼女の刺繍を見たことがなかったためか。

アルベルトは興味深そうにその様子を眺めている。

他の人に見られるのは気が休まらないが、幼い少年の視線であればそれ程でもない。

彼の陽気な質問に受け応えつつ、笑みを浮かべた。


既にスヴェンはいない。

二日後にある決闘準備のため、王都に赴く必要があるからだ。

緊張しているに違いない。

そう思っていたソフィーだが、予想に反して彼の纏う雰囲気は、今までと変わらない。

次期当主としての顔が、そこにはあった。

ただ屋敷から出立する間際、彼はソフィーを気に掛けていた。


(悪ぃな。最後まで見届けられなくて)

(いえいえ! スヴェンさんも、頑張って下さい! 私、応援に行きますので!)

(本当に来るのか? まぁ、止めはしねぇけど……酔い止めの薬は忘れんなよ?)


どうせ人に酔うだろ。

そんな事を言いながら、彼は笑って馬車に乗り、王都へ向かっていった。

鋼の心を持っているのか、本心を覆い隠しているのかは分からない。

兎に角、今は彼らに応えなければならない。

シャルロットはまだ眠っているのか、依然として部屋から出てくる様子はなかったが、それでも手は緩めなかった。


「元の刺繍があって良かった……これなら違和感も……」


危惧すべきは、景観を損ねることなく修繕できるかという点だった。

しかし幸い、祈りの服には多数の刺繍が残されている。

藍色の服にシンメトリーで刻まれた黄金の翼。

それを見上げるように、花々が頭を上げている。

元々あった絵柄と同じ柄を縫い付け、穴を塞ぐ。

無論それだけでは足りず、シンメトリーを両立させるには、穴以外の部分にも新たに手を加えなければならない。

完成された絵に、筆を振るうような形だ。

画竜点睛がりょうてんせいか、それとも画蛇添足がだてんそくか。

始めから縫うよりも、大変なのかもしれない。


「そふぃーさん」

「どうかしましたか?」

「どうしてボク達のお洋服には、絵が多いんですか?」


すると時間が経って、アルベルトが疑問を口にした。

何故、貴族の服には刺繍が多く存在しているのか。

純粋な疑問だろう。

対して従者や執事の服には、そのようなものは殆どない。

一般庶民も、それは同じである。


「……やっぱり美しさや権威を引き出すため、ですかね」

「ケンイ?」

「私は強いぞ~、偉いぞ~ってヤツです」

「あ! じゃあ、それを作っているそふぃーさんは、もっと偉いんですね!」

「うーん……それは少し違うかな……?」


ソフィーは困ったように首を傾げる。

お忍びで貴族が一般服を着るように、王族が赤マントを羽織るように、服とはその人の価値を表す。

どんな者であっても、一目で高貴な身分であることを知らしめるため。

象徴としての意味を、刺繍は引き出す。

刺繍が貴族令嬢の嗜みであるのは、それが理由だ。

ソフィーも当初は、その価値に近しい者として学びを受けたのだ。

尤も、今の自分は誉れある人間ではないのだが。

自嘲気味な思いを抱いていると、アルベルトは納得しつつ、とある事を語る。


「でも兄さまはケンイが、好きじゃないみたいです」

「そうなのですか?」

「はい。あんまり褒められたくないって、言ってました。褒められるばかりが、貴族じゃないって」


彼は過去を思い返していた。

幼い身にとっては、おぼろげな光景しか浮かんでいないかもしれない。

それでも、悲しそうな表情はなかった。


「お父さまは、凄く凄く褒められました。国のエイヨだって、聞きました。でも、兄さまはそれが嫌いだって。着せられたくないって、言ってました」

「……」

「だから学院も嫌いだって、言ってたんです」

「そう、だったんですね」

「そふぃーさんも、学院は嫌いですか?」

「……本当のことを言うと、あまり好きではないですね」

「じゃあ、兄さまとそふぃーさんは、やっぱり似ているんですね! 仲良しです!」


何故か凄く嬉しそうだったが、ようやくソフィーは気付く。

学院時代、スヴェンとの関係は落とし物を拾われただけだ。

会話らしい会話もした覚えがない。

だからこそ自分を連れ出した理由が、今まで分からなかった。

だが少しだけ見えた気がする。

数日前、酔ったスヴェンが自分に語った言葉を思い出す。

彼女は針を針刺しに置き、ゆっくりと目を伏せた。


「アルベルト君、ありがとうございます」

「?」

「何となくですけど、スヴェンさんの気持ちが分かった気がします。どうしてあの時、私を見つけてくれたのか」


偶然ではない、と彼は言った。

そしてソフィーは、貴族令嬢達からの圧力に折れてしまった。

彼女達の行動が、善にせよ悪にせよ。

あれが貴族らしさというのであれば、栄誉を背負った気高い者だとするなら、それを否定したかったのかもしれない。

もう一度、ソフィーは針刺しから針を抜き取る。


「それじゃ、ラストスパート! 一気に縫いきります!」

「頑張って下さい! ボク、応援してます!」

「あっ、でも……」

「?」

「アルベルト君は、まだ学院を嫌いにならないで下さいね?」

「え~っ」


せめて忠告しておく。

まだ通ってもいない学院を嫌いになられては大事だ。

自分のせいで悪い影響を与える訳にはいかない。

そう言うと、アルベルトは一緒になれない事に、残念そうな声を上げるのだった。







「流石に騒々しいな。決闘は周知の事実って訳か……」


決闘を明後日に控え、スヴェンは王都に到着していた。

馬車から降り、夕暮れの光と喧騒を受け、少しだけ顔を顰める。

周囲の人々は彼の姿を見て驚き、小声で何かを話し始めている。

話している内容は大体想像がつくので、耳を傾ける意味はなさそうだ。

適当に聞き流しつつ、彼は煌びやかな宿へ足を運んだ。


寝床は既に手配されている。

長居するつもりもなく、一泊するだけの貴族用宿泊施設だ。

リーヴロ家のそれとは違い、おいそれと利用できるものではないが、今回は特例として認めてもらえた。

王都で行う準備も、王宮に出向いて決闘に関する書簡を直接手渡すだけ。

問題なのは、そこで長話が続くだろうこと。

王族との世間話に付き合わされるだろうことだ。

決闘に関して嫌味の一つくらい吐いても良いのだが、せめて王宮に直行する前に、荷物は降ろしておくべきだ。

そう思い、従者と共にフロントに辿り着くと、彼の来訪を待ち構える者がいた。

決闘を持ち掛けてきた元凶、ピエール・バートンである。


「来たか! スヴェン!」

「……ピエール様、ご無沙汰しております」

「お前……なんだ、その態度は……? 今更になって、まだ仮面を被り続けるつもりか?」

「これが私の貴族としての顔故、お許し下さい。そして先日は私も酔いが回っていたこともあり、ピエール様に対する礼を失しておりました。重ね重ね、お詫び申し上げます」

「チッ……! 気味の悪い男だ……!」


いつもの仮面を被ると、ピエールは面白くなさそうに舌打ちをする。

いつも通り、彼は機嫌が悪そうだ。

その代わり決闘を前に臆した様子はない。

曲がりなりにも学院時代、ピエールはスヴェンに傷一つ与えられずに敗北している。

動揺の一つくらい見せても不思議ではない。

違和感を覚えたスヴェンは、彼に問う。


「改めて確認しますが、明日のお相手はピエール様ご本人という事で、宜しいですか?」

「ハハハ! 残念だったな! 生憎だが、お前の相手は俺ではない!」


するとピエールの声に応じて、二人の元に新たな人物が現れる。

騎士服を纏いながらも、一本杖をついた初老の男性だ。

背筋を真っすぐに伸ばし、衰えのない動作で歩み寄ってくる。

浮かべる笑みに反して重い雰囲気を纏う姿に、スヴェンは覚えがあった。


「随分と、成長されたようですな」

「貴方は……!」


王宮を出入りできるスヴェンが、知らない筈もない。

老人の名はセルバリウス・ティアーノ。

国王近衛隊の主力を務める人物だ。

元平民でありながら己の剣術だけでのし上がり、『空剣くうけん』と異名を持つまでに至った老兵。

どうやらピエールは、彼を決闘相手として選出したようだった。

懐かしむセルバリウスに対して、取り敢えずスヴェンはゆっくりと頭を下げた。


「まさか、かの『空剣くうけん』が出向かれるとは思いませんでした。お久しぶりです、セルバリウス様」

「いやはや本当に久しぶりですね、スヴェン君。次期当主として、君が王宮に出向いた時以来ですか」

「当時はお世話になりました。セルバリウス様の一声があったからこそ、私は次期当主としての名目を、王家に認めて頂けたのです。しかし、最近では貴方の噂を耳にしないもので……息災か案じておりました」

「申し訳ない。しかし、ゴミ処理係の私が噂を広めてしまえば、仕事がやり辛くなってしまう。こればかりは仕方のない事でしょう」


残念そうにセルバは首を振る。

実際の所、彼が人前に姿を現すことは滅多にない。

外敵へ脅威を示すヴァンデライト家と違い、内側を守る者として秘密裏に敵を始末するためだ。

言わば、ゴミ処理係。

王宮内部でもセルバの活動を把握する者は、国王を除いても数える程度しかいない。

故に彼が決闘を臨んだことに、スヴェンは疑問を抱いた。


「では今回の決闘は、どういった風の吹き回しで?」

「そんなモノは分かり切っているだろう!? セルバリウス殿も考えを改めたのだ! お前を当主として認める訳にはいかないと! 実の父の栄誉すら足蹴にする男に、当主たる資格などないのだからな!」


ピエールは断言する。

王家を守護する者として、貴族たる資格のない者を成敗するのだと。

だがセルバは笑みを崩さないまま、視線を向けた。


「何かの勘違い、ですかな。私はピエール殿の意見に従うつもりはありません」

「なっ!?」

「私は内側を守る者として、その実力を知りたい。彼の父、レイヴン・ヴァンデライトに剣を教えた者としても、ね」


父の話を持ち出され、スヴェンの視線が僅かに逸れる。

分かっている事だ。

スヴェンに剣を教えたのは父であり、その父に剣を教えたのはセルバである。

老兵の言葉には、戦いへの高揚以外は感じられない。

するとピエールがたじろぎながらも、反論した。


「セルバリウス殿、今の発言は聞き捨てなりません! 私はこの男と違い、既にバートン家の当主! 軽視される覚えは……!」

「軽視されたくないのであれば、当主である貴方が戦えば良いだけのこと」

「う……!」

「貴方は少し、謙虚さを学ぶべきでしょう。今はまだ成り立て故に見逃されていますが、今のままでは直に思い知ることになりますよ?」

「こ、この私を脅す気ですか……?」

「脅しではありません。言ってしまえばこれは、歳ばかりを喰ってしまった、老い耄れの忠告ですな」


あくまで紳士的に振舞うセルバに、遂にピエールは口を閉じた。

それ以上に騒ぎ立てる程、愚かではないようだ。

苦汁を飲んだような顔をしながらも、居場所を失った事で、背を向けて立ち去っていく。

後に続くように、セルバも一礼だけを残して去っていった。

残りは戦いの中で語り合おうと言わんばかりに。

後方でハラハラしていた従者の心配を余所に、スヴェンはその後ろ姿を目で追う。


「国王近衛隊の『空剣』か。こりゃあ、一撃じゃ終わらねぇかもな……」


さて、どうしたものか。

スヴェンの脳裏には、かつての祈りの服が浮かんでいた。

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