三話⑥
「はぁっ……はぁっ……」
「だ、大丈夫か?」
「平気です……この位……! やぁっ!」
翌日。
ソフィーはヴァンデライト家の訓練場で木刀を振り上げていた。
着替えた動きやすい服装で、一心不乱に巻き藁を叩く。
振り方は素人同然、スヴェンの見様見真似である。
村の小さな子供たちと比較しても、大差はない。
横で彼が巻き藁をベコベコに凹ませているのを見て、真っ新な自分の巻き藁と見比べる。
どうすれば、巻き藁が木刀でここまで変形するのか。
毎日の日課らしいが、確かにこれだけの力があれば、あの自信も頷ける。
しかし慣れない事をすると、身体がついてこないものだ。
一緒に訓練すると言った手前、ソフィーはどうにか頑張っていたが、割と直ぐにバテてしまった。
そんな様子を、彼は気遣う。
「無茶するなって。それにそこまでして、わざわざ付き合う必要も……」
「それでも……あの時、スヴェンさんは一緒でした……」
「?」
「貴方は、慣れない刺繍を一緒にしてくれた……。私は、嬉しかったんです……」
ソフィーはあの時のことを思い返す。
見合いという建前で、この屋敷に連れてこられた時。
スヴェンは刺繍を、彼女の目の前で披露した。
お世辞にも上手いとは言えない。
明らかに初心者の手つきだった。
しかし傍で、共に同じことをしようとしてくれた。
だからこそ今、それを返したい。
そう伝えると、スヴェンは視線を逸らして頬を掻いた。
「……そう言われると、何も言えないな。少し気恥かしいけど」
「迷惑ですか?」
「そんな事はねぇよ。それに俺だって、何となくだけど気が休まるんだ。黙々とするだけじゃなくて、こういうのも悪くないのかもな」
「いつも一人で、練習されているんです?」
「あぁ。ガキの頃は、よく父上に稽古をつけてもらったモンだがな」
彼も誰かと共にいる事に、何かを感じ取ったのか。
恥ずかしそうに頷く。
自分の思いが伝わったのなら嬉しい。
ソフィーは胸を撫でおろした。
しかし最近、照れるスヴェンをよく見るようになった気がする。
少しは打ち解けて来たのだろうか。
距離は縮まっているのだろうか。
そこまで考えて彼女はハッとする。
落ち着き始めていた鼓動が高鳴り、思わず木刀を握り締めた。
「で、でしたら私も、もう少し頑張って……! あっ!?」
「!」
直後、急に動こうとしたので体勢を崩してしまう。
視界が傾き、カランと木刀が床に落ちる音が響く。
だが、ソフィー自身に衝撃はない。
スヴェンの手によって引き上げられていたからだ。
彼も反射的だったのだろう。
日に焼けた大きな手が、その肩を抱き止める。
思わず身体が跳ねたような気がした。
慌ててソフィーは彼から離れ、頭を下げる。
「ひゃぁっ!? ご、ごめんなさい!」
「いや、怪我がないなら良かった。やっぱり一旦休もうぜ。頑張るのは良いが、頑張り過ぎるのも良くないからな。それと……」
「そ、それと……?」
「多少の筋肉痛は、覚悟しておけよ?」
汗を全くかいていないスヴェンは頓着した様子なく、茶化すように言うだけだった。
確かに、下手に動いて不要な怪我を負う訳にもいかない。
赤い顔を逸らしつつ、彼女はその提案にコクコクと頷いた。
そして、自分の体力のなさに愕然とする。
そもそも自信があったつもりもないが、此処までとは思わなかった。
小さい頃はもっと動けていた筈なのだが。
少しは運動をした方が良いだろう。
と、ソフィーは日頃の生活改善を自覚するのだった。
木刀を握り締めるまで、ストレッチなどの軽い運動もしていたので、終わる頃には午後になっていた。
やけに時間が流れるのが早い。
このままでは数日なんて、あっという間だろう。
運動後という事もあって、用意されたぬるま湯の湯船に浸かりながら、彼女は先程のことを思い返した。
「やっぱり、男の人って違うのね……」
抱き止められた時に感じたのは、男性の大柄で、筋肉質な身体。
日頃から鍛えている人と、自分を比べるのは仕方がないとは分かっている。
だがあの時、まるで包み込まれているような思いだった。
少し粗暴な言動の彼が、何でも受け入れてくれるような、そんな心地すら感じた。
と、そこまで考えてソフィーは思い切り頭を振る。
酷い邪念だ。
偶然起きた事に、そこまで意識を持っていかれるなんて。
はしたない事を考えても仕方がない。
のぼせない内にと湯船から上がり、服を着こなして少しだけ身体を冷ます。
そして廊下へと出ると、彼女を待っている人物がいた。
「頑張っているようね」
「あ……貴方は……!」
思わずソフィーは目を見開く。
昨日、庭園で出会った、茶髪の巻き髪が特徴の美麗な女性だった。
あの時は自己紹介も出来なかったが、間違いはない。
彼女の名は、シャルロット・ヴァンデライト。
スヴェンとアルベルトの実母である。
慌てて彼女は向き直った。
「シャルロット様……! き、昨日はご挨拶が出来ず、申し訳ありません! 私、ソフィー・リーヴロと申します!」
「あぁ……別に良いのよ。あの時は私もぼうっとしていて、今までずっと眠ってばかりだったから、挨拶をしそびれていたわ。ごめんなさいね」
「いえ! 滅相もございませんっ!」
「それに、そんなに畏まる必要もないわよ。私はヴァンデライト家の継承とは、無関係な人間だから」
そう言って、緊張するソフィーを落ち着かせる。
顔を上げると、シャルロットは僅かに笑みを浮かべていた。
やはり何処か、心ここにあらずの印象を受ける。
蝶のように軽く、吹けば今にも飛んで行ってしまいそうな、儚い雰囲気。
そんな彼女が、ソフィーに向けて問いを投げた。
「決闘の話は聞いたようね」
「は、はい」
「それで、どう思ったの?」
「どうと言われましても……」
「率直な感想で良いわ」
真っ直ぐな視線で、ソフィーの真意を尋ねる。
母親として、何故そこまで彼に協力しようとするのか、遠回しに聞こうとしているのかもしれない。
少しだけソフィーは気圧された。
威圧感があった訳ではない。
感情が見えてこないのだ。
ここで答えたとして、どんな返答があるのか見当がつかない。
とはいえ、わざわざ他の言葉で包む必要もない。
臆す気持ちを振り払い、真っ直ぐな考えをソフィーは口にした。
「ただ、彼の事が心配で……」
「……」
「私に出来る事は、微々たるものだと思います。それでも何かをしてあげたい、そう思ったんです。スヴェンさんは、私にとっての恩人ですから」
「……やっぱり、そうね」
「?」
「今の貴方を見ていると、昔の私を思い出すわ」
此処ではない、何処かを見ている。
シャルロットはソフィーを見て、少しだけ懐かしんでいるようだった。
つまりはお互いに似ている所がある、という事か。
だが、彼女はヴァンデライト家を支えてきた者の一人。
引きこもっていた自分とは、天と地ほどの差がある筈だ。
一体どの辺りが、と思った瞬間。
唐突にシャルロットは口を開いた。
「貴方、スヴェンが好きなの?」
「んえっ!? い、いえ、そのっ……好きとか、嫌いとかっ……! そういうのは、まだっ! わ、私にとって、恩人というだけで……!」
急に右ストレートが飛んできて、思わず声が裏返ってしまう。
冷めた筈の身体が、また火照り出す。
もしかして、試されているのだろうか。
とにかく、冷静にならなければ。
しどろもどろになりながらも、ソフィーは恩人であることを前面に押し出す。
シャルロットは、殆ど変化を見せなかった。
「別にそれでも良いのよ。ヴァンデライト家の婚約に、私が口を挟む権利はないの。貴方とスヴェンが婚約関係になろうとも、私は構わないと思っている。でも、もう一度だけ忠告するわね」
「え……?」
「必要以上に、あの子達に肩入れしない方が良いわ。これは貴方のためだから」
それは昨日と同じ言葉だった。
余計な感情を預けるな。
彼らに安易に踏み込むな。
彼女はそう言いたいようだった。
不意にソフィーの脳裏に、スヴェンやアルベルトの姿が思い浮かぶ。
何故、彼らに近づいてはならないのか。
シャルロットは、一体何を危惧しているのか。
彼女には分からなかった。
火照った身体が、徐々に元の温度に戻っていく。
「どうして、そんな事を……」
「いずれ分かるわ。いえ……もう貴方は、気付いているかもしれないわね」
意味深な事だけを言い残す。
そして僅かに辛そうな目をしつつ、ゆっくりと踵を返して立ち去ろうとした。
彼女の姿には、殆ど気力が感じられない。
目を閉じれば眠ってしまいそうな雰囲気。
シャルロット・ヴァンデライトは、才覚溢れる人物だったと聞いていたが、今のそれはまるで引きこもっていた、自分を見ているようだった。
小さくなっていく背中を見て、ソフィーは意を決し声を上げた。
「あ、あのっ! シャルロット様は、彼の決闘をどう思われているのですかっ?」
「……分からないわ」
背を向けたまま、シャルロットは姿を消した。
その答えにソフィーは違和感を覚えた。
息子の立場を賭けた大事な決闘なのだ。
分からない、と返答する理由が見えてこない。
まさか彼女は、スヴェンに負けてほしいと思っているのか。
そう思った所で、別の気配を感じる。
この小さな気配には覚えがあった。
シャルロットが去っていた通路の向こうから、ひょっこりとアルベルトが現れた。
偶然居合わせた訳ではなさそうだ。
彼は去っていった母親の方を見つめつつ、暫くしてソフィーに駆け寄って来た。
「そふぃーさん!」
「アルベルト君? どうしたんですか?」
「あの方と……お母さまと何を話していたんですか?」
「え、ええと、スヴェンさんの……決闘について話していたんです」
「ケットウ……やっぱり、そうですよね……」
「?」
「そふぃーさん! お願いがあります!」
改まって、アルベルトが純粋な眼差しを向ける。
眩しい目だ。
引きこもりだった自分には中々に辛いが、幼い少年の頼みごとを断るなどできない。
ソフィーは柔らかな笑みで、小さく頷く。
「兄さまのために、お母さまの服を直してほしいんです!」
彼は真剣な表情で、割と凄いことを頼んできたのだった。




