三話⑤
一週間ほど前の話。
スヴェンは王宮に招待され、そこで多くの貴族が会する夜会に参加した。
いざこざがあった訳ではない。
確かにスヴェンに対して距離を置く貴族たちもいたが、ここは王宮。
王族達も楽しむ夜会を台無しにするような輩はいない。
彼もまた、苦手な酒を楽しむ振りをしつつ、身を嗜め続けていた。
少々の息苦しさはあったが、いつもやっている事だ。
談笑混じりに国境付近の近況を伝えつつ、何事もなく夜会は終了する。
問題は、その夜会が終わった後のことだった。
「スヴェン・ヴァンデライト! お前に決闘を申し込む!」
王宮を出て、馬車に乗り込もうとした所で彼は呼び止められる。
聞き慣れた声に振り返ってみると、これまで見慣れた男が睨みを利かせていた。
肩と緑髪を揺らす男の名は、ピエール・バートン。
バートン家の現当主であり、学院時代の同級生である。
どうやら顔合わせの出来る機会、夜会を終えた帰り際を狙っていたようだ。
周りの従者達は呆気に取られていたが、スヴェンはあくまで丁寧な口調で答える。
「お酒の飲み過ぎではありませんか、ピエール様。夜会が解散したとは言え、ここは王都。物騒なお話は、控えた方が宜しいかと」
「物騒だと!? お前は自分の立場を分かっていないようだな!?」
ピエールは更に怒気を強める。
王宮から少し離れた場所のために他の貴族の姿はないが、これだけ大きな声を出していれば、自然と人は集まるだろう。
前々からピエールは、スヴェンを目の敵にしていた。
事あるごとに難癖をつけ、国境防衛の任についても責任感がない、と言い放つ程だ。
毎度のことなので、いつもは彼も受け流すだけにしていた。
まがりなりにもバートン家は侯爵の位なので、面倒ごとに首を突っ込む気もない。
しかし今回は、度が過ぎているようにも見えた。
「お前が王宮で何と言われているか知っているか!? 貴族としての功績に目を向けない、扱い辛い手駒……! いつかは王家に反旗を翻す……反逆者に成り得ると……!」
「確かにかつて、私の素行が目に余る状況だった点は否定致しません。しかし今、私は王宮の出入りを許可されています。これが何よりの証拠です。加えて私は王国に忠誠を誓う者。そこに嘘偽りはありません」
「忠誠だと!? よくもそんな事をぬけぬけと! 国境上で蛮族共の相手をしているだけが、お前の役目ではないんだぞ!?」
どうにかして、スヴェンをその気にさせたいのか。
何度も聞いたピエールの持論が展開される。
持論と言っても、扱き下ろしたいだけの暴論だ。
マトモに聞くだけ無駄ではある。
「国境の守護は、王国全ての守護! そこに万に一つの抜け穴があってはならない! 例えほんの一つであろうと、汚点は広がり続ける! 国境を守る者には、そのような不確定要素などあってはならない! だからこそ、お前はまだ次期当主という半端な座にいるのだ!」
「成程……つまり決闘によって、私が任を退くように勅命させると?」
「そろそろ白黒ハッキリさせるべきだろう! お前のような男に国の守護は任せられないと! お前の弟の方が、まだ聞き分けが良い筈だ! 既に王族には話を通している! 好きにすれば良いとのお達しだ!」
「……面倒ごとを押し付けましたか。しかも、幼いアルベルトまで引き合いに出すとは。王族の方々も酔狂な事です。このような回りくどい方法を取らなくとも」
「な、何の話だ?」
「いいえ。ただの独り言です」
スヴェンは小さく息を吐いた。
成程、ここまで調子に乗っているのは、王族が背中を押したからか。
どうやら夜会だけでは彼らは満足できないらしい。
そこにある意図を図りつつ、唐突にやって来た皺寄せに肩を落とす。
付き合っていられない。
彼は踵を返した。
「では、失礼致します」
「は……? ま、待て、スヴェン! 逃げる気か!?」
「逃げるも何も、お受けする理由がありません。王族の方々が勝手に、と仰るのであれば、私もそのように致します」
「お前……! ふざけるのも大概に……!」
「何をそんなに苛立っているのか存じませんが、そろそろ昔の確執も拭う頃合いでしょう。同じ学院時代の好みではありませんか」
意味深に微笑む。
二人の間に好み、というだけの関係はない。
あるとすればそれは、スヴェンが問題児と呼ばれるようになった切っ掛け。
勝手に喧嘩を売り、勝手に転んで喚き散らしたピエールとの確執だけだ。
その瞬間、ヒュッと息を吸う音が聞こえた。
ピエールの顔が更に赤くなったのは、酒の酔いだけではないのだろう。
そうしてもう一度馬車へと乗り込もうとした瞬間、後ろから乾いた笑いが響いた。
「や、やはり、お前はヴァンデライト家に相応しくない! お前の父君も、さぞ嘆き悲しんでいる事だろう!」
歯止めを失ったピエールは、遂に彼の父を持ち出す。
直後、スヴェンの足は止まった。
「先代達の名誉を誇りもしない! 次期当主として恥ずかしくないのか!? そ、そうだ! もう一つ知っているぞ! お前はリーヴロ家の、あの女にご執心のようだな!?」
「……!」
「く、下らない! リーヴロ家は確かに優秀だが、あの長女は別だ! 貴族としても、女としても終わっているような奴の、一体何処が良いんだ!? あんな奴に構っていれば、お前だけではない! お前の弟の品性まで疑われるぞ……!」
ギリギリという音がこぼれた。
ピエールからのものではない。
スヴェンが拳を握り締める音だった。
従者が思わず息を呑むが、残念ながら手遅れだ。
耐えかねたように彼は振り返り、ゆっくりと声を振り絞る。
「いい加減にしろ、ピエール」
酷く冷たい声が響いた。
酔いの中でも外さなかった面を捨て去り、鋭い眼光を無礼者へと向ける。
続いて、騒ぎを聞きつけた野次馬が集まってくる。
既にピエールは気圧されていた。
「先代の話までは流したが、彼女を馬鹿にする発言までは看過出来ねぇ。良いだろう。その決闘受けてやる。俺が負けた時は、首のすげ替えでも何でもすれば良い。ただしお前が負けた場合は、今後一切俺達に口を出さないと約束しろ」
「な……!」
「日時は十日後の正午。場所は王都の闘技場で良いな? 勝敗のつけ方は、お前が決めれば良い。学院の時みたいに、勝手にすっ転んで勝手に喚き散らさないよう、気を付けるんだな」
それ以上、語ることはない。
遂にスヴェンは馬車に乗り込み、出発するように合図を送った。
ピエールは何やら外で喚いていたが、聞くつもりはない。
御者によって走り出した馬車は遠ざかり、喧騒は次第に聞こえなくなる。
揺れる馬車の中、スヴェンはホッと息を吐いたのだった。
●
「まぁ、そんな訳で……」
「……」
「大した事ねぇ話だ」
「いや、大事じゃないですか!?」
ソフィーは思わず大声を出してしまった。
自分の立場を賭けた決闘なんて、どう考えても一大事だ。
どうしてそんなに平然としていられるのか。
当事者ですらない彼女の方が、当事者のようにあたふたと慌て始める。
「け、決闘って! もし負けたら、領地のお仕事を辞めちゃうんですか!? 幾ら何でも、そんな横暴は……!」
「大丈夫だ。俺は負けねぇよ」
「そ、そうかもですけど……!」
「まぁ、あれ以上話を聞いていたら、アイツをぶん殴ってたろうし。毎度の如く絡まれるのも、うんざりしてたんだ。丁度良いさ」
彼女を落ち着かせるように、スヴェンは自らの勝利を疑わなかった。
学院時代に行われた武闘大会。
ピエールも参加していたあの大会で、彼は優勝している。
常日頃から戦いを知る者からすれば、貴族同士の決闘など子供の飯事。
負ける方が難しいのかもしれない。
だが今までの話を聞いて、ソフィーは責任を感じていた。
「……もしかして、私のせいですか?」
「何だそりゃ?」
「私が揶揄われるような人間だから……」
ピエールに付け入る隙を与えてしまったのは、自分のせいだ。
自分がいなければ、彼が立ち止まる事もなかった。
ヴァンデライト家全てを巻きこむ騒動にはならなかった筈だ。
やはり、情けない。
何処までも彼の足を引っ張ってしまう。
罪悪感に目を伏せると、やれやれと言いたげにスヴェンが近づいた。
そして彼女の額へおもむろにデコピンを放つ。
痛みは感じない軽いものだったが、ソフィーは驚いて額を押さえた。
「あうっ!?」
「ソフィーが悪い訳ないだろ。考え過ぎ」
「で、でも……!」
「こういう時は、素直に怒るべきだぜ。あんな奴に言いたい放題されるなんて嫌だろ?」
「それは……その……」
「……」
「い……いや、です」
「よし。ちゃんと言えるじゃねぇか」
満足そうな顔を見て、何も言えなくなってしまう。
確かにピエールは学院時代から、同級生に威張り散らすような人物だった。
遠慮が必要かと言われると、あまり頷けない。
少しは自分の気持ちにも正直になれているのだろうか。
背中を押され、責任を自分ではなく他人に向けていく。
不思議と不快感はなかった。
「まぁ、任せときな。ソフィーの分まで、アイツの腐った性根を叩き直してやるからよ」
あくまで彼は自信満々だ。
となると、考えてしまうのは決闘に助力した王家の人々だ。
ピエールの言葉が無謀だと分かっているのに、わざわざ助長させる意図が見えない。
一体、何を考えているのだろう。
ソフィーは訝しんだ。
「でも、王家もあんまりです。そんな一大事を簡単に決めるなんて……街の人だって絶対混乱するのに……」
「まぁ、意図してのことだろうよ」
「何か思惑があるんですか?」
「ピエールは声がデカいだけで、侯爵の立場に寄りかかっているような奴だ。でも、そういうのを担ぎ出す奴だって必ずいる。声がデカければ、少なくとも人は集まっちまうからな」
「……悪名は無名に勝る、ですか」
「そういう事だな」
「だから、わざわざ決闘を?」
「勝手にしろってのは、そういう意味だ。まぁ結局、奴らは高みの見物しかしないだろうけどな」
何にせよ、上の立場の人間は動かない。
何をしようと見ているだけならば、好き勝手にしても良いという意味だ。
そうスヴェンは解釈したらしい。
となれば、自分に出来る事は何か。
決闘という二文字を前に、改めてソフィーは決意を抱いた。
「分かりました……! そういう事でしたら、お任せ下さい……!」
「ど、どうしたんだ、いきなり?」
「決闘まで二、三日しかありませんが、私もお手伝いします! そのために、私は来たんです!」
突如始まった決闘だが、全くの無関係ではない。
今までずっと、スヴェンに頼ってばかりだったのだ。
今度こそ、彼のためになりたい。
彼女の思いは十分に伝わっていた。
ただ、スヴェンは残念そうな顔をした。
「その意気込みは大したモンだが……手伝いって言っても、俺がやるのはいつもの訓練くらいだぞ?」
「えっ」
「決まったことを繰り返すだけだし、別に見ていて面白い訳でも……」
「……」
既に彼はやるべき事を済ませていた。
決闘数日前となれば、コンディションを保つくらいしかないのかもしれない。
あるとすれば、彼が日課としている訓練くらい。
改めてソフィーにすべきことはないようだった。
それを聞いて、彼女から放たれていた気力が徐々に萎んでいく。
するとスヴェンがどうにか思案し、一つだけ提案する。
「じ、じゃあ、一緒に訓練するか?」
「や、やります! やってやりましょう……!」
取り敢えず頷く。
武技の訓練など、令嬢であるソフィーは挑んだ試しがない。
それでも何かしなければ。
水を得た魚のように、彼女は意気込んだ。




