三話①
王国から遠方に位置する帝国。
この国は、世界に名立たる作品が数々打ち上げられる、芸術の国と呼ばれている。
独創的な考えを持つ者が多く、それらは民衆にまで波及する。
平民が住まう家でさえ、この国の特殊な建築技術が使われる程だ。
そんな中、帝都では王宮のように煌びやかな建物が聳え立つ。
遠方からの客人を招き入れるための会場施設だ。
一般人が立ち入る事は許されないが、そこへ眼鏡を掛けた銀髪の男性が馬車から降り立った。
「遅くなってしまったか」
見るからに貴族然とした格好の男性は、建物の中へと入る。
証明するものは必要ない。
顔パス状態であり、待ち受けていた案内人によって上階の大部屋へと通される。
足を踏み入れた部屋の内部は、落ち着いた雰囲気だった。
しかし何処か重々しい空気も流れている。
テーブルで向かい合う人数は五人、年齢や性別にも偏りがない。
全員が凝りに凝った貴族服を身に纏っている。
うち一人が礼儀正しく立ち上がり、彼の来訪に頭を下げた。
「ジクバール殿、ご足労頂きありがとうございます」
「いえ。それにしても、錚々たる面々ですね。練達と呼ばれたお歴々が、一堂に会するとは。これ程の招集は、稀でしょうに」
「まぁ、私達にも仕事があるからね。そうそうな事がない限りは集まらんよ。時にジクバール。相変わらず君は、高値を吹っかけているのかい?」
「……人によっては、そう感じるでしょうね」
「全く……買い手の足元を見るような真似は、何れ足元をすくわれるよ」
「ご忠告、痛み入ります」
早速、自身が今までに行っている所業を追及された男性、ジクバールは適当な会話で受け流しつつ着席する。
一代貴族として知られる彼にとって、この場にいる者達は全員同業者だ。
顔見知りの関係であり、商売敵でもある。
一人でも競争相手が減るのなら、藪を突くどころか刈り取る感覚で貶めにくるだろう。
だがその点を追求する気は、誰にもない。
二の次、三の次。
今回招集された案件は、それだけ重要かつ重大という事だ。
「では早速、本題に入りましょう」
「えぇ。先ず、こちらをご覧下さい」
座っていた一人の女性が、片手を上げる。
すると部屋の隅で待機していた執事らしき人物が、テーブルにある物を広げた。
それは刺繍が施された、一つのハンカチだった。
「一部のルートから手にした品です。ご覧の通り、我々の目からも精巧と判断できる逸品です。こちらと同格の品が最近になって、一定の周期で出回るようになりました」
「……一般の市場で売りに出されているのか?」
「はい。価格は相場通りなのですが、看過できないものだったようで……既にその手の界隈では、噂が広まりつつあります」
「刺繍の柄と言い、糸の縫われ方と言い、生半可な知識で出来るものではない。金持ちの道楽にしても、凝り過ぎている。名のある刺繍士の仕業ではないのか?」
皆がそのハンカチの出来に、目を光らせる。
今の時代、刺繍は手作り。
精巧に縫うにしても、人の手がある以上は限界と限度がある。
そして今広げられた刺繍には、そこに手が届く程に洗練されていた。
価格相応だとしても、一般に流通させる程度を超えている。
突如、市場に現れた謎の刺繍に、全員が危機感を抱いていたのだ。
一体、何者なのか。
何故、何の前触れもなく現れたのか。
誰も心当たりはないようだった。
「元から名が売れているってなら、自分の存在を大きく出すさ。向こうだって、自分の作品が売れている事は分かっている筈だ。店でも構えて名を広めれば、それだけで買い手が付くだろうに。でも、コレに関してはその意志がない。自分を隠し通したまま、釣った魚を放すように放流している」
「唯一分かっているのは、エリーゼという名前だけ。名のある刺繍士に、同名はいなかった」
「エリーゼ? 女性という事かい?」
「名前だけで判断するなら。恐らくは偽名だろう。性別も断言はできない」
唯一の手掛かりは、作者であるエリーゼという名のみ。
それ以外の素性は一切不明。
一般には知れ渡っていないものの、既に刺繍を生業にする者の中では有名になっている。
当然、エリーゼ自身も事情は知っているだろう。
周りの評判を聞き、自ら名を明かしても不思議ではない。
だが彼女、あるいは彼は全く名乗りを上げなかった。
淡々と新たな刺繍を市場に放流するだけ。
その静観さが、更に周りを焚き付けていた。
皆がエリーゼの正体を聞き回る中、執事がもう一つの刺繍を広げる。
それは貴族用に編まれた子供服だった。
「そして、こちらをご覧ください。数日前に現れた、エリーゼの刺繍ですが……」
「……更に磨きが掛かっている?」
ジクバールは目を見開く。
子供服とは言え、幼稚なデザインではない。
貴族という立場から見ても十分過ぎる代物が、そこにはあった。
更に先程のハンカチと異なり、次第に技術が上がっているのだ。
水を得た魚のように、周囲から知識を吸収しているのか。
名を轟かす刺繍士であろうと驚く程に、エリーゼの刺繍は進化しつつあった。
「これ程のモノを生み出す者が、無名だと? しかも徐々にペースまで上がっている」
「化け物か……?」
「一体何のために、こんな事を……」
「我々への挑発でしょうか?」
皆が口々に意見を言い合う。
その中で、ジクバールは険しい顔で沈黙を続けていた。
市場に出すからには、何かしらの目的がある筈だ。
金稼ぎ、他には名を上げるなど、どんなものにも理由がある。
しかしエリーゼには、それが一切見えない。
売りには出しているが姿は見せず、質は上がっているのに価格を釣り上げる気もなく、ひたすらに一定のまま。
まるで幻でも追っているかのような気分だ。
彼が少しだけ違和感を覚えると、この場で最高齢の女性が、やんわりと笑みを浮かべた。
「登竜門を思い出すねぇ」
「門、ですか?」
「あぁ。その門を潜った魚は竜になるという逸話さ。逆流する川の流れに逆らって、登り切った者だけが、天に辿り着く」
「……」
「このエリーゼとやらは、竜の門を潜ってしまったのかもしれないねぇ」
部屋中に沈黙が訪れる。
この場にいる全員が、刺繍士として飛び抜けた才を持つ者ばかりだ。
しかしあるのは賞賛ではなく、焦燥。
謎の存在が自身を脅かすような感覚。
皆の意見は一致していた。
「今では自分こそがエリーゼだと名乗り、明らかに質の劣った偽の品まで現れる始末。この者の正体を突き止めなければ、我々の立場、ひいては刺繍界隈が脅かされるだろう」
「市場も荒れるし、お客からプロでもない相手に質で劣っている、と言われかねないからねぇ。名は命、とはよく言ったものだよ」
「その通り。そこでジクバール殿、貴方にお願いがある」
「……私に?」
唐突に名が上がり、ジクバールは顔を上げる。
皆が期待を込めるような視線を、彼に向けていた。
「エリーゼは特殊な流通ルートを持っているらしく、今まで作り手の情報は分からなかった。だが最近になって、その経路から王国の存在が明らかになった」
「王国……私が来週から遠征する場所だが、まさか……?」
「そう。君には仕事ついでに、エリーゼの正体を調べてもらいたい」
「何故、使い走りのような真似を……」
「君だって、うかうかしていられないんじゃないか? 言っただろう? 足元をすくわれる、と」
同業者からそう言われ、エリーゼの刺繍に目を落とす。
ジクバールにとって、刺繍は金。
金は生きるため、生きるための刺繍。
それ以外には存在しない。
そして目の前に現れたエリーゼは、到底理解の出来ない何かだった。
無視はできない。
この者達の手足になるのは癪だが、それでも確かめなければならない。
自分にとって、敵となるか否かを。
彼はゆっくりと拳を握り締めた。




